■+-+黒羽卵+-+■

「ちょっと、そこのお兄さん」
  呼び止められて振り返ると、小さな露店の店番をしているらしい少年がにぃと笑った。
「あ?俺、」
  悟浄は銜え煙草のまま気のない言葉を返す。この声が、女性の声音だったのならもっと別 の反応を用意したのかも知れないが。
「そう、あんた」
  すっぽりと、フードを被ったその顔は、深く蔭に埋もれていて、その表情を子細に確認することは出来ない。が、しかし、揶揄のような笑みを浮かべられて、悟浄は思わず足を止めてしまった。そしてもう一つ、フードの端からチラリと見えた紅い髪が目を惹いた。

 こいつ・・・

「ひとつ、どう?」
  示された先、縦横に並ぶ卵が100個。縦10列×横10列で計100個。
「何、卵屋さん?」
「・・・ただの卵と違うよ」
  得意気な言葉が誘う。
  いかにも怪しい口上に眉を顰めた悟浄だったが、悪戯な好奇心がふつと沸いて。
「どういう風に?」
  話に乗ってみる気になった。
  このところの、退屈な日々に、猿のお守りに。そして、あの、三蔵と八戒にあてられて、少し辟易していたのだ。辟易と言っても、決して悪い感情ではなくて、ただ、大切なものが手から放れてしまったような。嬉しいような寂しいような、まぁ色々で。少し拗ねていたのかもしれなかった。
「これね、」
  少年はぐっと躰を乗り出すと、囁く程の小さな声で冗談のような言葉を吐いた。

「天使の卵」

 それはそれは。いかにも怪しいんでないの。怪しすぎる。
 天使の卵だぁ?と心の中で思いつつ。

「食いもん?」
  と聞き返したり。
「お客さん。びっくりしちゃいけないよ」
「まっ。大概のことには驚かねぇけど・・・で?」
  悟浄もぐっと身を乗り出す。
  顔を突き合わす距離で覗き込んだ少年の顔が再び薄く微笑んだ。
「大事に、大事に育てると、とってもいいことが起こると言う。不思議な卵なんですよ」
「育てる?」
「はい。育成はいたって簡単。初めに、必ず名前をつけてあげてね、ただ付ければいいってものでもないんですよ。あなたの望むことを、叶えてくれそうな名前をね。そう、例えば、大好きな人の名前とか・・・。毎日その名前を呼んであげて、話しかけてあげること。話しかける内容は、世間話でも何でもかまわないんですが、ただね。貴方の思いを心に描いて。で、7日間。あなたが7日後に卵を孵すことができたら、」
「できたら?」
「・・・それは、その時のお楽しみ・・・」
「・・・・・」

 うさんくせぇ。
 でも、名前をつけて?

「な〜んだ。喰えないの?これ、」
 わざと、気のないふりをしてみたり。
「ええ。卵自体は食用ではありませんけどね、でもね」
「でも?」
「美味しい思いが出来ることは保障します。はい。」
  その顔が、艶のある表情を作り、少年は紅玉色の双眸を細めた。

 オイシイオモイ?
 悟浄の頬がゆるゆると綻んで。
 嘘くせ〜。つうかこんなんに騙されたら笑いもんだわ。
 と、これ心の声。

「ふ〜ん。で、いくらすんの?その卵」
  それでいて、わざと、騙されてみたり。
  あまのじゃくな男。
  暇潰しに遊んでみるのもいいかもしれない。
  などと自分に言い訳しながら、その実、少しだけ本気で。
  何故って、それは、付けたい名前が頭に浮かんでしまったから。

「お買上げですか?」
  少年は、本気?みたいな顔つきで悟浄を仰ぎ見て。それからどこか嬉しそうに破顔して。
「お客さん、いい人そうだから、一つ差し上げましょう」
「・・・えっ・・?」
  少年は不意にまぶかに被っていたフードを外して、紅い髪を日に晒す。禁忌の色が、少年の白い肌に映えて、さらりと風に煽られた。
「あなた、初めてのお客さんだから」
「ふうん」
「どれでも好きなものを・・・と言いたいところですが、お客さんには、これ、」
  視線を落すと、少年の指に詰まれた卵の殻肌に何か刻印がなされていることに気がついた。数字と記号が並んでいて、よくみると別 の卵にも同じようで、それぞれに違う印が押されていた。
  端から縦に、0×0、1×0、2×0、横に、0×0、0×1、0×2、とか。
  そして少年の手の中にある卵に印されているのは、

「8×5?」

「はい。お客さんには、これ」
  断言されて、渡された卵は、想像に反してズシリと重い荷重で悟浄の手の平に乗せられた。

 なんで、8×5?

「ただ・・・ねぇ」
「ただ?」
「いえね。実はこの卵、あたりハズレがありましてね。白かったり、黒かったり」
「白?黒?何よそれっ」
「白が当りで、黒がハズレ」
「だから、それ何なの?」
「それは・・・ないしょです」
「はぁ?」
「それでも宜しければ、お持ちになって下さいな」
 少年は悪戯な瞳で悟浄を見上げて、眩しそうに微笑んだ。

  ギャンブルは嫌いじゃないぜ。俺。ってことで。

----*---*---*-----

 さて、それから6日間。
 悟浄は少年に言われた通り、

 その怪し気な卵に名前をつけて。
 毎日かかさず話しかけて。
 想いを込めて。

 そして、最後の7日目。
 暮れ方の空に薄い月が昇りはじめた頃になっても、卵自体に目に見えるような変化は何も起きなかった。何か起きることを期待していたと云うのも可笑しな話だが、悟浄はメルヘンが嫌いな訳ではない。それを人はロマンティストと呼ぶ。

 あぁ、やっぱりバッタもんか。
 と呆れてその殻肌の記号を弾いた悟浄の指先に、奇妙な感覚が伝わった。
「えっ?」
  中で、何かが動いている。
  カタカタと音をたてた卵は、悟浄の手の中で一度だけふるんと震えた。
「おい。どうした?」
  じっと覗き込んだ鼻先に微かな息吹きを感じて、悟浄は愛しいものへ向ける眼差しで、その卵の名前を呼んだ。

「ハッカイ・・・」
  その瞬間。

 

「なぁ、八戒」
  悟空の珍しく神妙な声に振り向いた八戒は、いつもの笑顔でニコリと笑った。
「なんですか?悟空。そんな声を出して」
  思いのほか、暗い顔つきの悟空を案じて、明朝の出発の為の荷造りの手を休めながら、八戒はその声に耳を傾けた。
「今日、こっち一人だろ?」
 この街に滞在して一週間。二人づつの相部屋で悟空は悟浄と組まされていた。
 采配は悟浄がしたことで、気を使ってくれたのか、ただからかわれているのか、それに甘えた八戒は、蜜月の6日間を過ごしていた。
 むろん、そんなことを悟空は知らない。
 同じ街に滞在するには少し長い時間のようだが、三蔵の職務の絡みもあって、今日でちょうど一週間。今夜、三蔵はそのまま寺院に宿泊する予定で、翌朝まで戻らないことになっていた。
  だから、今夜この部屋には八戒一人なのだった。
「こっちで休みたいんですか?」
「うん・・・」
「悟浄に虐められた、とか
?」
 傾いだ顔に訝し気な表情が浮かぶ。
「そんなん、いつものことだから平気なんだけどさぁ」
「・・・確かにそうですね」
「何か、おかしいんだよ。エロ河童、」
「おかしい?」
 そう言われれば。
 相部屋になると必ず起こる悟空との諍いがこの街の滞在中一度も起きていなかった。同じ街に7日間も滞在しているのに、街で女性を釣っている悟浄の姿もみていないような気がした。それでいて、何故かとても楽しそうにしていた悟浄を思い浮かべて、八戒は小さく頷いた。
「なんかさぁ、ひとりで笑ってたりとか、独り言ぶつぶつ言ってたりとか・・・
 俺、気持ち悪くて」
「独り言、ですか?・・・」
「もう、我慢できないよ、俺。今夜はこっちに泊めてよ、八戒っ」
「それは、構いませんけど、」
 云い終わらないうちに、悟空は空いているベットに潜り込んでしまった。小動物のように背を丸めて、安堵の息を吐き出している。
「もう、寝ちゃうんですか?食事もまだですよ」
「それまで、ちょっと寝る。ベット貸して」
「悟浄、大丈夫ですかね」
 夕飯をおして眠りにつこうと云う悟空の挙動に、この悟空を睡眠不足にさせる程、悟浄は常軌を逸していたのかと不安が過る。幸せボケでその様子に気が付かなかったのだとしたら、悪いことをしたかもしれない、などど考えている八戒を余所に。
「何か悪いもんでも食ったんじゃないの?」
 と、悟空は眠た気な声音で云った。
「・・・ははっ。それは無いと思いますけど・・・」
「あぁ、そう言えば、」
 少し言い淀んでから、悟空は眠りに誘われる間際の消えゆく声で、途切れ途切れにこう言った。
「毎日・・はっ・・かいの・・名前・・呟い・・て・・・た・・・」
「・・・え・・?」
 聞き返えす間を与えずに、悟空は幸せそうな顔で眠りに墜ちて。
 八戒は上目使いに天井を仰ぐと何か嫌な予感と少しの好奇心に腕組みをした。

「って、僕の名前?」

----*---*---*-----

 隣室の扉の前に立ちながら、八戒はこの扉を叩くべきかを思案していた。嫌な予感がするのは事実で、ただ、三蔵のいない夜に悟浄と二人になるというのもどうかと。三蔵と出会う前の、悟浄との関係を、口に出さないまでも三蔵が気にかけていることを知っていたから、三蔵にあらぬ 誤解と心配をかけるのは本意ではないのだった。が、
 悟空にして「おかしい」といわしめた悟浄を放ってもおけなくて。
 様子を見るだけのことに何を躊躇しているのやら。食事前の夕暮の時間帯に何をされると云うわけでもなし。

 否、何をしようとゆうわけでもなし?

 と、つくった拳が戸板に落とされる刹那、部屋の中から悟浄の呻き声が聴こえた。いや、正確に云えば、驚倒の一声に近い。
「悟浄、どうしました?」
 その声に反応はない。続いて、倒れ込むような大きな物音が響いて。
「悟浄!開けますよ、」
 八戒は思いきり強く扉を押し開けた。
 薄闇の降りた部屋の中に差し込むのは淡い月の光。静寂がのっそりと支配する空間に、悟浄の苦し気な息遣いが小さく漏らされていた。姿が見えない。
「悟浄?」
 闇間に足を踏み出した八戒は、靴底に触れた柔らかな感触に眉を顰めた。足下に視線を向けると、裂かれた衣服の欠片に足が竦んだ。紛れも無く、悟浄の身につけていたものだ。
「悟浄!」
 微かな空気の流れに悟浄の姿を求める。部屋の奥、視野の効かない寝台の死角で何かが蠢いた。

「・・・いっ・・」
「どうしました、悟浄、」
 慌てて駆け寄った八戒の見たものは。
「いっ・・痛ってぇ、」
「ごっ・・ごじょ・・・う?」
 背中に奇妙なものを負った悟浄の姿だった。

 天使の羽根?
 闇にとける漆黒の翼。
 ・・・・・ハズレ?

 身長の二倍はあろうかと云う大きな黒翼が、悟浄の締まった体躯の中を犯すように往々しく生えていた。その背に、その額に、苦痛の汗を滲ませながら荒い呼吸を繰り返してる悟浄の姿を、八戒は信じられない表情で見下ろす。
 いや、半分見とれていた。
「・・・おいっ。何見とれてんだよ、っ」
「・・・あっ、あぁ。すみませんって、何なんです?これ、」
「わっ・・かんねぇ・・っ痛、」
「痛いんですか?」
「痛て・・無茶苦茶痛てぇ〜んっだっ・・くっそ。あの卵屋ぁっ」
「卵屋?」
 八戒の頭を過る、悟空の言葉。本当に、何か可笑しなものでも食べたのだろうか。
「あの・・・何でこんな」
「知らねぇよ。」
 床に伏した悟浄の背が、誘うように上下するのを見て、八戒はふとその翼に触れてみたい衝動に駆られる。一度そう思ってしまうと抑えが効かなくて。そっと手を伸ばす。
「あ〜っ、触んな、」
「でも・・・このままじゃ不味いんじゃないですか?とりあえず、明日は出発ですし」
 にまっと笑った八戒の笑顔に、違う意図を感じ取った悟浄は、ずるずると後ずさる。触られるのは全然結構なのだ。スキンシップは大切なこと。しかし、今、八戒に触られるのは危険なのではないかと云う気がして。苦痛に歪む頬を震わせた。

 想いを込めて。
 俺が、望んだ想いを・・・
 んなこと、お願いするんじゃなかった。

「触っても・・・いいですか?」
「ダメたっつても、触わんだろ〜がっ」
「はい。だって、こんなに・・・カワイイ」
「あ〜〜〜」

 ピトッ。

 触れた手の温もりを。
 触れた翼の・・・?

「これ・・・ちゃんと生えてますよ」
 八戒は何かに摘まれたような頓狂な声で云った。
「はぁ?」
「だってこの翼、体温があるみたいですし、」
 ぐわしっと羽根の付根を両手で鷲掴みにしながら、躊躇なく揺さぶられて、悟浄は気を失うかと思う程の痛みに瞳を潤ませる。
「ぎょあ〜〜〜っ何しやがんだ。お前、」
「えっ?いや、でも、これ」
 持ち上げて、透かして、八戒は再度その黒く艶のある異物をぐぃと引っ張った。
「ハッカイ!」
 悟浄の怒声が空気を裂く。
 呼ばれた名前に応えるように、八戒の手の中のカワイイそれが、ふるんと震えて。
「あっ」
 八戒の口から驚嘆の声がもれる。
「なっ何?」
「・・・もっと、カワイくなっちゃいました」
「へ?」

 やっぱり、天使の羽根?
 闇を切り裂く雪白の翼。
 ・・・・・・・アタリ?

 翼の色が変化した瞬間、なんともあっけなく痛みは消えて。その変わり・・・身体が月肌のように仄かに発光して、艶美な衣に包まれた。いったい、どうしろと。
 悟浄は、ただぽかりと口を開けて、猥雑な表情を浮かべた八戒に助けを求めた。

----*---*---*-----

「で、僕の名前をつけて、毎日可愛がってくれたわけですね」
 笑顔で云われて背中に冷たいものを感じる。
「まさか、そんな話、普通信じないだろ。冗談のつもりだったんだよ」
「それにしたって、また妙なものを掴まされましたね。どうしましょうね」
「どうにかして・・・八戒様」
「常日頃、勝手な行動は慎んで下さいって云ってるのに、まったく」
 呆れた顔で。
「ちょっと、おちゃめしただけだろ?」
「あのですね・・・悟浄?おちゃめって、これ。どうするんですか、」
「だ〜か〜らぁ。頼んでるんじゃん。な?」
「頼まれても、僕は何でも屋さんじゃ無いんですけど・・・」
 困った顔で。
「ところで・・・何を想って卵を育ててたんです?」
「えっ?・・・何で?」
「その想いが成就すれば、これも消えるんじゃないかと思ったんですけど」
「そんなもんか?」
「だって、この羽根。副産物みたいなものでしょ?元凶を断てば、副産物も消えてくれるのがお決まりってもんじゃないですか」
 笑った顔で。
 でも、瞳が笑ってなくて。
「それは・・・」

 それは?
 問題です。きっと。

「笑うな、怒るな、無視すんなよ」
 少しだけ赤い顔で。
「場合によりますけど」
「・・・耳、貸して」
「はいはい」
 子供をあやす顔をして。

 

「・・・ん・・ぁ・・・」
 闇の中。
「ぃ・・、は・・ぁ・・」
 組み敷く男一人。
「・・・くぁ・・ぁ・・、ふ・・」
 組み敷かれる男一人。
「や・・・」
 施される熱に、雪崩れのように押しよせる感情を抑えきれなくて。溢れる声が艶かしく闇にとける。燐光を放つ肢体が、与えられる優しさに震えて、明滅を繰り返す。俯せの身体の上から注がれる強い衝動に背筋が淫らに痺れて、悟浄の身体がびくんと撓った。
 背の上に乗り上げた八戒の片手が、悟浄の頭に伸ばされて、

 ポカっ。

 ポカ?
 思いきり強く殴られた。

「痛てっ」
 俯せのまま悟浄が呻く。
「変な声出すの止めて下さい」
 冷たくあしらうように云って、八戒は翼に送り込んでいた気の力を緩めた。先程に比べて一回り小さくなった翼が、気を受けて、ふるふると密をこぼす。雪白の羽根がこぼれ落ちるだびに、その翼は小さくなって、形を変えた。
「いいじゃん。ほんとに気持ちイイんだし、そう云う時はこう云う声だろ?何?やっぱ三蔵の声じゃないとダメなわけ?」
「なっ・・・」
「一緒に気持ちよくなりたい?だったら、ちゃんと犯ってくれてもいいんだぜ。俺、そう言うのあんまり気にしないし」
 あくまでも冗談であろう科白を饒舌に吐いた悟浄の背上で、馬乗りになった八戒が加えていた熱の力を増幅させる。気孔術は人を癒す事が可能であるだけではない。
 怒った顔で。
「何、云ってんですか?悟浄・・・」
「あっ。ほんのジョークのつも、痛ってぇ〜」
「そう云う冗談は、三蔵の前で云って下さい」
 にんまり笑った顔で、恋人の名前を口にする。
「あ〜。やだ、やだ。犯っても、犯られても、俺は三蔵様に殺られちまうってわけ?」
「そう云うこと」

 あ〜。
 ほんと嫌。

「お前、恐いな」
「ははは。知らない仲じゃないでしょ」

 知らない仲じゃ、ない。ねっ。

「ところで、悟浄・・・あなた、何かまだお願い事してるんじゃないですか?」
「へ?何で」
「力の効き方が鈍くなったみたいで。ほら、さっきからあんまり大きさ変わってないでしょ」
 云われて床に落ちた羽根を眺めた悟浄は、積雪のように床を覆い尽しているその量 が増えていない事実に気がついた。

 はぁ。
 お願いなんかするんじゃなかった。
 さっきの告白だって、十分恥ずかしかったと云うのに。

 そう。一つ目のお願いは、八戒に気持ちよくして欲しいと云う欲望と煩悩。具体的にどうして欲しいと願ったわけではないから、今、八戒に施されている気孔術はあながち間違ってはいない。
 結構、気持ちいいし。具体的に望むことなど、そら恐ろしくて。
 そして、もう一つのお願いは。

 希望と願望

「それ、ちゃんと云わないとダメ?」
「・・・このままでいいのなら、無理には聞きませんけど」
「絶対、笑うなよ」
 真剣な顔で。
「今度は、怒るな、と無視すんな。は無いんですか?」
「無視されるのは、仕方ないかもしれないと、思ってるから」
「悟浄・・・?」
 心配そうな顔で。

 

 三蔵の為の、
 千分の一でも構わないから、
 俺にもひとかけらの愛を、下さい

 

 悟浄は、
 その言葉の響きを確かめるように呟いた。
 とても、とても切ない声で。

----*---*---*-----

「愛は、ありますよ」
「は?」
 八戒は柔らかく言葉を紡いで、剥き出しの悟浄の肩に静かに手を置く。じわりと伝わる温もりに、悟浄は思わず息をのんだ。変わらない暖かさだ。あの時と何も変わらない暖かさ。
「悟浄、少し感度が鈍ったんじゃないですか?」
「え?」
「いつだって、あなたへの愛は・・・」
 気配が緩やかに空気を揺らす。屈んだ八戒の唇が悟浄の紅い髪に落ちた。母親のような仕種で、どこまでもやさしい唇が。
「ここに、ありますよ」
「なっ・・・」
「三蔵のとは、違いますけどね」
 はにかんだ笑いが漏れて、八戒は悟浄の髪をくしゃりと撫でた。細い指で軽く梳きながら、ふふふと笑った八戒の顔が悟浄の脳裏にぽかりと浮かぶ。何も変わらないのだと知らされて、その情の在り処を確かめて。

 誰からも、与えられることは無いと思っていた愛情を

「悪ぃ、ちょっと見えなくなってた」
 正直な言葉で応えて。
「あなたの求める愛情は、僕の中にも沢山ありますから」

 心配しないで

 八戒の言葉はいつだってやさしい。だから、それで十分。
 十分だよな・・・

 再び与えられる熱が、少し暖かさを増して、心地よさに目蓋を閉じた悟浄の耳元が、八戒の言葉を意識の外側で聞いていた。眠気とともに、うとうとと流れる安堵の感覚が、悟浄の身体を深く寝台に沈めてゆく。ふるふると零れる雪白の羽根が、二人の廻りを緩やかに覆いつくして。
 悟浄の内に沸いた甘い感情が、その熱の中でとろりと蕩けた。

「ありがとな・・・八戒」
「どういたしまして」

 

 そして、朝は来る。

「お前ら、何やってる、」
 一つのベットの上に投げ出された二つの身体を、一人の男が見下ろしていた。眉間によった皺の数と、床に散る夥しい量 の羽毛に、跳ね起きた悟浄は戦慄いて身を縮める。
 背中の翼は綺麗に消えてなくなっていた。しかし、目の前にある新たな危機。
「なっ何もしてないぜ。俺、ほんと、マジっ絶対、」
「んな事、聞いてねぇよ」
 舐めるように身体に這う視線に、悟浄はホールドアップの姿勢をとって頬を引きつらせた。何かを確かめようとするその視線は、別 の目標を捉えて奥歯を鳴らす。
 力を使い果たして眠る八戒の襟首をぐぃと掴むと、三蔵は鼻先を近付けて怒声を吐いた。
「おい。幸せそうな顔で寝てんじゃねぇよ。八戒、」
「あ・・・さんぞっ」
 寝ぼけ眼のまま恋人の顔を認めた八戒は、おはようございます、などと呑気な言葉で笑った。
「なんなんだ、これは?」
 掴む襟首がきりきりと締め上げられる。
「おいっ。乱暴は・・・よくないぞ、三蔵」
「お前には、聞いてねぇんだよ」
 睨んだ目に殺気が昇る。
「あっ・・・いや・・」
 助けを求めて惑った先にいる八戒は、冷静に頷いてニコリと笑んで。

「枕投げ、してたんです」

 しらっとそんな科白でかわす。
「・・・幾つ枕投げりゃぁ、部屋がこんなんなるんだよ、」
「いっぱい」
「・・・・」
 カチリと無気味な音がして、すくっと上がった右腕の先、銃口が迷わずひとりの男を射る。
「何で、俺なのよ」
 後ずさった悟浄の足下で、ふわりと純白の羽根が舞い上がった。
「何怒ってるんですか、三蔵」
 慌てた八戒の手が、三蔵の頬に伸ばされて。
「そんなに寂しかったんですか?」
 その頬をやさしく包み込む。
「たった一晩じゃないですか?」
 口元へと寄せられた八戒の唇が、やっかいな恋人の激情を絡め取る。悟浄の前で施された口吻に三蔵は惑って首を左右に振った。

 おいおい。
 君たち・・・

 軽く吸われた唇を、離れる間際に舌で辿られ。三蔵の顔が朱に染まる。子供のような単純さで三蔵は八戒の手に落ちた。

 結局、そこに持っていくわけ?

「朝っぱらから、何やってんだか、」
 力の抜けた身体が、不意に眼前の鏡に映る。背中の翼は、嘘のように無くなっていて、少し疲れた顔の自分に溜息が漏れた。それでも、心は満たされていて、はがゆいような感覚が胸に宿る。見せつけられた抱擁に呆れて、掻きあげた首筋が鏡面 に映し撮られる。
「あっ」
 そこに見たものが信じられなくて、悟浄はあわてて髪を下ろした。
 はっきりと、見えた朱の刻印。首筋にあてた手を三蔵に気づかれないようにして、鏡の中の八戒と視線をあわせる。八戒はただ、無邪気に微笑んで。

「僕も、何だかよく眠れなくて。悟浄と枕投げとか、しちゃいました」
 八戒は、悪戯に片目を瞑る。

 いつ、つけたの?

 ちょっぴり嬉しくなって。
「後は、お二人でどうぞご勝手に〜。なんかこの部屋、羽根とか落ちてて雰囲気ばっちり、」
 後ろ手に扉を閉めて、部屋を出た。
 出発まで、まだ時間はたっぷりある。後で卵屋に礼でも云いに行こうかと、そんなことを考えながら。もう一眠りしておこうと、隣室の扉に手をかけた。

 あっ。そい云えば・・・
 あのチビ猿。昨日の夕飯どうしたんだろ?
 まっ、いっか。

 

 愛は何処にある?
 君の中に、俺の中に。
 いつでも、どこにでも。
 愛は、其処にある?

 

【2001.10.21>>>hatohane tukuto】

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