風の強い夜。
建てつけの悪い部屋の窓がカタカタと鳴り続け、三蔵は 深い眠りの外側に居た。不意に、サイドボードに乗せた昇霊銃を手に取ると、
謀られたように正面の戸板が叩かれた。
こんな真夜中にこの部屋の戸を開けようと言う人物など一人しかいない。
分かっているのに、三蔵はわざと声を低めて、愛想のない言葉を吐いた。
「誰だ、」
「・・・失礼します」
ギイと軋んだ音を起てて、ゆるりと開いた扉の向こうに、淡い笑みを浮かべた八戒が立っていた。
「何の用だ」
言葉に併せて、三蔵は銃を構える。銃口は狂いなく八戒の額の真中を捉えていた。
「あの・・・そんなぶっそうなもの」
八戒は軽く両手を挙げて微笑の頬を歪めると、冗談ともつかない三蔵の挙動を珍しいものでも見るような眼をして眺めていた。
「それ、しまって、頂けませんか?」
「何しに来た?」
険しい顔で三蔵が聞く。
「何しにって、どうしたんですか・・・さんぞっ」
カチリと乾いた音がして、白くて細い三蔵の指が撃鉄を下ろす仕草に八戒は息を呑んだ。
ニヤリと悪戯な表情を浮かべる三蔵は、くいっと顎をしゃくって合図を送る。
入って来い、と言うことだろうか。八戒は後ろ手に片手で扉を閉めると、降参の姿勢を取ったまま、ベットの上で銃を構える三蔵に近づいた。
「あの・・・」
「もう一度聞く。何しに来た、八戒」
「・・・今日は、随分と可愛らしくないことを言うんですね。こんな夜中にあなたの部屋に忍んで来たんですよ。やることは一つでしょ・・・」
八戒は悪びれずに言って、呆れたように挙げていた両手をダラリと下ろして首を傾げた。
風に煽られた枝葉が窓の外で舞い上がる。その窓の隙間から、何かの薫りを乗せた風が微かに部屋に入り込んでくるのがわかった。
三蔵は、この部屋の窓を覆うように、淡い色の花弁を付けた巨木が先刻まで花開く間際であった様を思いだして、もう一度薄く微笑んだ。
あの、白色の花はこの男に似合うだろうか。
ふらりと立ちあがった三蔵は、手にした昇霊銃の照準を未だ八戒の額に合わせたまま、強い言葉で毒吐いた。
「今日は、素直に抱かれてやらねぇ」
「は?」
三蔵の口をついた科白に、八戒は驚いて眼を見開いた。
じりじりと歩を進める三蔵の左手が八戒の頚の後ろに回わされる。三蔵は少し背伸びをするように踵を挙げながら、八戒の唇を自分の口元に導いた。
「さん・・ぞ・・」
そのまま間を置かず、三蔵の舌先が八戒の渇いた唇を濡れた音をたてて潤してゆく。促されて、口腔に忍んだ三蔵の熱が、八戒の柔らかな熱を絡め取り、逃げ場の無い愉悦の声が八戒の唇から零れ落ちた。一瞬離れた唇が、惑ったような言葉を宿す。
「どうしたんです?三蔵?」
「嫌、じゃねぇよな?」
「えっ?」
「嫌か?」
「いえ・・・嫌じゃないですけど、」
「だったら、黙ってろっ」
もう一度、深く口吻けて、三蔵は八戒をベットの上に押し倒した。強い力で組み敷いて、その上に乗った三蔵を八戒は他愛なく受入れる。
抵抗されるかも知れないと 思っていた三蔵は少し拍子抜けして、昇霊銃を握る手の力が抜けた。それを見透かしたように、八戒は三蔵の手の中の凶器を自分の手の中に納めて仕舞う。
「これ、もう必要ないですよね」
八戒の悟ったように綻ぶ口元の微笑みに、三蔵は自分の愚行の羞恥を憶え、わざと乱暴に八戒の着衣に手をかけた。
「あの・・・」
「何だ、」
「これって、やっぱり、僕が犯られるんです・・よね」
「当り前だろうが。今日は、俺がお前を喰うんだよ」
「あぁ・・・あの激甘」
八戒はいつかの三蔵の言葉を思い出して。
「じゃぁ、」
八戒の声が闇の中に影を落す。
「やさしくして・・・下さいね」
風が、また強くなる。
その風に乗る芳香も少しずつ強く薫って、それは躰を纏う薄い膜のように部屋の中を馥郁と満たしていた。
八戒の躰の上に屈み込んだ三蔵は、唇をはだけた胸にそっと落すと、腹部から這い上がる動作で緩慢な愛撫を繰り返した。強く吸う度に、その肌にうっすらと朱紋が散る。いつもは自分の躰に施されるはずの所作の名残りは、八戒の滑らかな皮膚の上にあって酷く煽情的に見えた。それだけで、三蔵の躰の中心は熱く疼き、唇に触れる八戒の躰の感触に、教え込まれた感覚が甦った。
まさか、と思って顔を上げた三蔵の瞳に、その先にある八戒の柔和な眼差しが映し込まれる。何も言わず、三蔵のするがままに拙ない愛撫を受入れている八戒の寛容を、三蔵はその眼差しの中に感じ取った。
「どうしました?もう、お終いですか?」
「う・・・うるせぇ。黙ってろって言っただろうがっ」
言葉とは裏腹に、三蔵の中で沸きあがった抑え切れない感情が、八戒の躰に落とされた刻印の数に比例して増幅される。何処か意識の遠い部分で警鐘が鳴り響くのを聞いた。
「三蔵」
八戒の掠れた声が自分の名前を呼んでいる。呼びながら、八戒の長い指が三蔵の腰に触れた。触れた指先が脇腹を擦りあげ、背中を這い、肩を撫でる。場所を変える度に名前を呼ぶその声は、三蔵の意識の内側に甘い響きをもって静かに落ちた。
「三蔵・・・」
項を擦られて、三蔵は自分の鼓動が早くなりはじめていることに気がついた。
「三蔵・・・」
髪の中に差し入れられた手のひらが、後頭部を緩く抱き込み、額を撫で、髪を梳き、その体温に餓えるように、柔らかく頬を包み取られる。親指の腹が下唇に触れると、一瞬込められた力に引き降ろされた顎に導かれて、閉じられていた肉を割られた。歯列の奥の舌に、八戒の硬い指先が触れた瞬間、背筋に快楽に似た電気的な感覚が迸った。
「んっ」
弾かれたように身を起こした三蔵は、屈み込んでいた八戒の身体から脇へ退くと、そのまま慌ててベットを降りた。
「三蔵?」
眉根に困惑の色を見せて、八戒はおもむろに躰を起こした。触れる者を失った手が所在なく薄闇に浮かんで見える。
三蔵は恥じ入るような眼差しでうなだれると、微かに潤んだ唇を噛んだ。
「止めだ、」
無機質で、機械的な言葉が吐き出され、感情を押し殺した声音が喉の奥を戒めのようにゆるゆると締付ける。
「何か、気に触ったんですか?」
「ごちゃごちゃ言うな。今すぐ部屋から出て行け」
語尾が震えてしまわぬように、下肢に無意な力を込める。
「あの・・・」
「いいから、出て行け」
八戒の瞳が哀しく揺らぐ。
三蔵の強められた眼光に、八戒は観念したように腰をあげた。
「三蔵・・・」
最後にもう一度名前を呼ばれた。それが限界だった。
閉ざされた扉の向こうで、八戒の足音が遠離るのを確認する間も惜しく、三蔵は浴室に駆け込んでいた。
「信じ・・・らんねぇ」
勢いよく落ちる熱い流れを首筋に受けながら、三蔵は床に跪く姿勢のまま、壁についた拳を握り、きつく瞼を閉じた。
「蓄生、」
目を閉じただけで、躰を蹂躙した八戒の手の感触が甦り、熱が自身のたかぶりを刺激する。名前を呼ばれ、軽く触れられただけで、自分はどうしようもなく八戒を求めていた。その手のひらに、その指先の動きに、その穏やかな声音に、確かに欲情していたのだ。
硬くなり、淫らに形をかえるたかぶりが、堪えきれずに先端から蜜をこぼす。
羞恥に歪む唇から嗚咽に似た苦い声が漏れた。
腰骨に、脇腹に、腕に、背中に、肩口に、項に、頭髪に、額に、頬に、そして唇に触れた八戒の手の温もりを思い出して、三蔵は抑えられなくなった熱源に手を伸ばす。自分自身で握りこんだ感触すら、三蔵の意識の下ではすでに自分のものではなくなっていて、躰が忘れずに憶えている誰かの手菅と重なってゆく。その動きを真似て、三蔵は性急に自身の熱を開放した。
「は・・・ぁっ・・・」
砕けた腰に躰を支えきれずに、三蔵は熱い飛沫と湯煙の中で震えながら蹲った。
「何、やってんだ・・・俺」
不意に、背後に何かの気配を感じて。振り返るよりも早く、伸ばされた手がシャワーのコックをきゅっと捻った。
ポタリ、と最後の雫が滴る躰を柔らかな白布で包まれる。優しく包み込まれて、耳もとにかかる吐息が求めていた声を運んだ。
「ほんとに、何やってるんですか、三蔵」
後ろから強く抱きしめられると、震えていた三蔵の躰が安堵に緩む。全身の力が、八戒の決して逞しいとは言えない薄い躰に受け取められて、包み込む細く長い腕の中に縋る。
「立てますか?」
そう聴かれて、三蔵は顔をあげることが出来なかった。
八戒はいつからそこにいたのだろうか。
いつから自分の行為は見られていたのだろうか。
こうして、八戒にすがってしまう自分をこの男はどう思っているのだろうか。
この男に出会うまで、自分が他人に依存することがあるなどとは考えもしなかった。悟空を拾った時でさえ、そこに何かの見返りを期待していたわけではない。それはただの気紛れに過ぎなかった。それなのに、この男の時はどうだったろう。八戒を拾った時、自分の中に既に何かの作意があったのではないだろうか。
あの瞳を、悟浄の部屋の中ではじめて八戒の緑瞳に接した時、拾われたのは自分の方だったのではないのだろうか。
愛していると言われた今でさえ、その言葉に応える自分の思いが、単細胞生物のように増殖する欲望が、抑えられずにいることに臆病になっている。
護る者のいる強さは、護られることへの弱さを孕み、失うことへの恐怖を産んだ。それを拒んで、強がっていた自分の手を、あの男は易々と拾いあげてしまったのだ。
与えられた甘さに溺れるばかりで、自分はこの男に何を与えることが出来るのだろう。
だから、今日は。
この特別な今日の日に、三蔵は八戒を抱いてあげたかったのだ。不器用な手段で、不器用な言葉で、自分から誘ったつもりだった。それなのに。
「だめ・・・みたいですね?」
三蔵がコクリと頷く。 素直な態度を見せた三蔵に、八戒はいつもと変わらない笑みを返すと、三蔵の躰を丁寧に抱きあげて、冷たくなったベットに運んだ。
濡れた身体を清潔な白布で拭われて、子供のように俯く三蔵の髪を、八戒はくしゃりと掻きあげる。それから、そっと瞼に口吻けた。
「風邪引きますから、ちゃんと服着て下さいね」
その言葉に惑って顔をあげた三蔵は、疑問符を呈した瞳で八戒を仰ぎ見た。
「抱かないのか?」
「・・・えぇ。今日は止めておきます」
三蔵の柔らかな髪を梳いて、微笑んだ顔が闇の中でそっと後ずさる。三蔵が着衣を整えている間、八戒は黙って窓辺に佇んでいた。
「三蔵・・・」
伸ばされた腕が三蔵の手を取って、胸に誘う。あらがわず、胸に納まった三蔵の肩を両腕で抱きながら、八戒の緑瞳が正面
から三蔵を射竦めた。
「何か、言うことがあるんじゃないですか?」
「・・・何を、」
「何か、」
「ねぇよ、何も」
三蔵の頬にうっすらと朱が昇り、それでも、今度は目を逸らせない。言葉だけが毒を持って、仕草はそれに反駁する。
「僕は、貴方に言いたいことがあるんですけど」
「・・・何だ」
「言ってもいいですか?」
「言えよ」
悪戯な笑みが一瞬頬に浮かんで消えた。
「・・・キス、して下さい」
揶揄のない真摯な声で呟かれて、三蔵の胸がトクンと一つ鐘を打つ。触れるか触れないかの距離に近付いた八戒の吐息が、頬に触れた。
「何で、」
「今日は、僕を・・・喰べてくれるんでしょ。だから・・・」
八戒は開いた掌でゆっくりと三蔵の頬を撫でた。
「ほら、さっきみたいに・・・優しくキス・・・し・」
「ちっ」
八戒の珍しく甘えた言葉が、最後まで言わせずに、三蔵の乾いた唇に塞ぎ取られる。何度か角度を変えて軽く触れるだけの口吻を施されると、誘うように八戒は自ら唇を割る。誘われるまま、三蔵は薄い、鋭敏な粘膜の深い部分に舌を伸ばす。互いに求め合い、絡む舌の動きに応えて、三蔵の下腹部は甘い熱を持ちはじめていた。
「・・・ん・・」
重なった唇の狭間で、どちらの声ともつかないやさしい吐息がもれる。与えているはずの口吻が、繰り返すうちに与えられるものへと変わり、口腔を満たす八戒の温みに、三蔵は乱れる呼吸の片隅で八戒の名前を呼んだ。
「ねぇ・・・三蔵」
八戒の手が背中に触れる。
「こうされるだけで、」
触れられた背中が溶ける感覚で疼きを憶える。
「・・・気持ちいいんですか?」
擦るような動きを加えられて、近過ぎる体温に首筋がちりちりと興奮の色を浮かべる。
「違っ・・・」
否定しようとした言葉を湿った吐息で塞がれる。抑えこまれた言葉の残りが、熱のある音に変わって、三蔵は躰を硬直させた。
「・・・ぁ・・」
「もしかして、」
焦らすように、背中に置かれた手が脇腹に下ろされると、三蔵の細い腰が八戒の躰から逃れようとして小さく跳ねた。
「恥ずかしがってるんですか?・・・触れられただけで、こんな風になる事、」
「違う、」
羞恥に、耳殻まで染めた三蔵は、強く吐いた否定の言葉が身体に宿る反応を隠しきれないことを悟って、瞳を潤ませた。
「強がらなくても、いいんですよ」
離れようとして浮いた腰を、八戒は赦さずに引き寄せる。密着した下肢の間で、蠢く熱を制御するには既にその部分は熟れ過ぎてしまっていた。自分の浅ましさに慄いて、三蔵はいやいやをする子供のように首を振った。
「・・やめっ・・・」
「そのまま・・・僕を、感じて・・・」
八戒の細い指が、三蔵の手首を掴む。片方の手で、腰を深く抱かれ、押し付けられている部分に自分とは違う熱の塊があることに気がついた三蔵は、恐々と八戒の表情を捉える。
「はっ・・・かい?」
「・・・わかりますか?僕だって、こんな風に、貴方を」
掴まれた手首を八戒の張り詰めたたかぶりに導かれた。触れた先が、服の上からでもそれとわかる程に脈打って、八戒はふっと息を吐いた。
「だから、一人であんなこと、しないで下さい」
「八戒」
「僕を、感じて。貴方を感じさせて・・・ねっ三蔵」
愛おしいものを見る双鉾が、切な気に甘い笑みをこぼす。
愛していると、愛されていると。
全てを曝け出して、全てを受け入れて。
向かい合い、大切な者のたかぶりを互いの掌中で対等に慰め合い、だだ与えるのではなく、だだ受け入れるのではない痴態に、二人で溺れる。見い出される快楽の糸口を放さぬ
ように、何度も口吻けて。子供の戯事のような行為に、今まで感じたことのないどこまでも甘い痺れを感じ合う。
枝葉の掠れる音に被って、窓枠がカタカタと煩わしく風を伝える。その向こうで白い花弁の群々が、たわわに花開いているのが見えた。風にほどけて、天使の羽のように散る。
窓枠を背にした八戒の背後で、闇に散る白の破片が、とても綺麗に見えた。
やはり、この男には白い花がよく似合う。
眼を閉じ、喉を反らし、天を仰ぎ、深く息を吸った八戒の唇から、悦楽の頂点に達した声が惜し気もなく漏らされた。まだ慣れることのない甘い呻きを押し殺そうとする三蔵は、程なくして自らの口を吐いた高く澄んだ嬌声が、八戒のやさしい唇にそっと絡め取られたのを知って、不快ではない痛みに潤む双鉾から、一筋の泪を流した。
生きていることの喜びを、 互いに生きる喜びを。
この世に生を受けしその特別な日に、
あなたに与えられたでしょうか?
【2001.09.21>>>hatohane
tukuto】
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