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追憶

 嵐のように忙しいランチタイムを終え、ひと時の休息。
 表にはクローズドの札を掛け、ほんの数分の休憩のために裏口から外へ出た。すぐにティータイムが始まる。それまでの、ほんの少しの時間。
 外に出るなり煙草に火をつけ、久々の煙を楽しむように深く吸い込んだ。
 この数分の休憩時間は、近所の海が見えるベンチに座って、空を、海を見ることが日課になっている。
 今日の空は雲が多い。海鳥が群れを成し飛んでいく様をぼんやりと見ながら、紫煙を吐く。ゆらりと立ち上る煙は、空の雲の色に似ていた。
 それなりの四季を備えたこの島では、秋の色が濃さを増している。歩を進めると、足元に落ちている枯葉がカサカサと音を立てた。
 秋の足音だと思いながらベンチに腰掛け、たどり着くまでにフィルター近くまで灰になっていた煙草を、隣に備え付けられている灰皿に押し付ける。
 誰が設置したのか分からないが、そこに捨てられる吸殻は、彼の銘柄しかない。仕方なくいつもディナータイムが終わった後、自分で掃除することも日課の内に含まれていた。
 新たな煙草に火をつけようとマッチを摩ると、海風がそれを簡単に吹き消してしまう。何度も繰り返し漸く火がともる。
 風は煙を舞わせ、枯葉を舞わせた。
 毎日、何度も通ったこの場所で、意識は遠く旅した過去へと遡る。
 あの頃を懐かしんでいる訳でもなく、ただ意識だけが飛んでいく。
 今ここに居ることすら、全てが曖昧なのに、記憶は鮮明で褪せる事無く、胸の裡に舞っている。螺旋を描き、目まぐるしく脳裏を駆け巡る記憶。忘れられる事は何もない。
 衝撃も歓喜も慟哭も全てが裡にある。
 ふいに涙が落ちた。
 まるで壊れた蛇口のように、ぽろぽろと零れる涙が、頬を濡らしていく。
 煙草の煙が目にしみたのだろう。
 今日は海風が強い。風に嬲られる煙が、咥えたままの煙草の先から目に向かってきただけだ。
 きっと、そうなのだろう。
 もうティータイムの準備をしなければならない。
 煙草2本分しかない休憩時間はもう終わり。
 遠くで聞こえていた雷鳴が、徐々に近くなる。雨が降るかもしれない。
 粒ほどに見える船影は、この島へ向かっているのだろうか。嵐の前にたどり着ければいいが。

2008/3/2UP



20080302 ONLY チラシ用お詫び小話
サン誕には出来ないような話なので、ひっそりと
*kei*