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Blind Blue Boy

Vol.1

Kei Kitamura


 ココハドコダ
 ソシテコノオレハダレダ
 ニゲロニゲロ ニゲロニゲロ
 ドアヲアケロ

 ナゼニワラウ
 ソンナアワレムヨウニミルナヨ
 コワセコワセ コワセコワセ
 キミガワルイ

  マヒルニコゴエナガラ


 目を開ける。全ては闇、闇、闇。

 目を閉じても、全て闇…。


 サンジは、大きな溜息を一つ吐き横になっていたソファから身体を起こすと、手元に置いてあった煙草とマッチに手を伸ばした。火を点け深く吸い込むと、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
 金の髪が闇の中でぼんやりと光を放ち、煙草の灯りで揺らめいていた。

――…ったく…。何で目が覚めるんだよ。まだ朝にゃー早い時間じゃねぇか。

 朝食の仕込みをしていて、寝付いたのはついさっきだというのに、不意に破られた睡眠を呪うかのように眉間に皺を寄せる。
 暗闇の中からは数人の寝息が聞こえてくる。目を開けても何も見えないこの状況下でその気配だけが救いのような気がした。

――闇…だな。

 サンジは短くなった煙草をアッシュトレイに押しつけジャケットを手に取ると、男部屋の外へと向かう扉へ足を向けた。暗闇でも感覚で覚えている部屋の中を、戸惑うことなく足を進める。
 外は星明かりで多少明るいが、相変わらずの闇が広がっていた。甲板に上がり、穏やかな波の音と時折吹く風に目を閉じて、新しい煙草にまた火を点け、肺に広がるニコチンに心地よく思考を委ねる。

――ああ…夢…見てたんだっけな…

――どんな夢だか忘れちまったなぁ…

――ただの…闇だ



 晴れやかな青空の下、大あくびを一つ。
 今起きたばかりのゾロは、首を掻きながら手にした三本の刀を腹巻きに差し、寝ぼけた頭のまま旨そうな匂いが漂ってくる方向へと向かう。
 キッチンにはおそらく自分以外の全員が揃って居るのだろう。何度か呼ばれたような気もするが、睡魔の方が勝っていてそのまま寝続けていたようだ。

――殺気でもすれば起きるんだがなぁ…。睡魔には勝てねェな…

「よぉ!ゾロ。今起きたのか?」
 定位置の船首に座たルフィが声を掛けてきた。カナヅチのクセに一番危険な場所がお気に入りな、のんきな船長である。
 バツの悪そうな顔を作り、問いかける。
「んぁ。…ああ。怒ってたか…?」
「んんっ。問題ない」
「そうか」
 ルフィの『問題ない』もあまり信用できない気もするが、取りあえずさっきから鳴っている腹の虫を収めない事には、どうしようもない。
 あまり深く考えず、キッチンの扉を開けた。
「あら、ゾロ。今日は早起きね」
「…イヤミかよ」
「ふふっ。おそよう、ミスター・武士道」
 カップを手にしたナミがすぐに声を掛けてくる。相変わらずのイヤミっぷりに相手にしてられないとばかりに大きな音を立てて自席に着く。ビビまでナミに感化されているようだ。
 キッチンに居たのはナミとビビとサンジの三人だけだった。サンジはゾロには目もくれず、流しで皿を洗い続けている。
「…メシは?」
「アンタねぇ、今頃起きてきて『メシ』はないんじゃないの?まったく寝汚いわね。ルフィもウソップも起こしに行ったのに、全く起きる気配なしだったらしいじゃない。敵が攻めて来たときもそれじゃ困るわよ」
「…うるせぇよ」
「てめっ!ナミさんになんて口の利き方しやがるっ!」
 洗い物の手を止めて、急にサンジが口を挟んできた。
「うるせぇからうるせぇっ、つったんだよ。敵が攻めて来た時くらい分かる」
「んだとっテメェ!」
「うわっ!泡飛ばすな、泡を!!」
「猛吹雪でも起きなかったクセに…」
「あぁ?」
「もういいわ、サンジくんごちそうさま」
「あ、私も。ごちそうさま、サンジさん。美味しかったです」
 ナミは肩を竦め立ち上がると、カップを流しに置きそのままキッチンから出ていった。そのナミを追うようにビビも出ていった。
「レディの『ごちそうさま』ってのは、いつ聞いてもいい響きだよなぁ」
 二人を見送りつつ呟くサンジに呆れ、再度催促した。
「なぁ、メシ…」
「あぁ?」
「メシ」
「テメェ、本当に遅ェんだよ、来るのがっ!今、朝飯食ったら昼飯どうすんだよ?!また遅れて食うのかよっ?!」
「いや、昼に食う」
「…分かったよ…。用意するから待ってろ」
 素直に答えたゾロをサンジは呆れた様な目で見る。盛大な溜息を付き手に付いた泡を洗い流すと、コンロに火を点けた。大きな鍋をクルリとかき回し、冷蔵庫からサラダと卵を取り出す。フライパンを火にかけ、ボールに卵を割りほぐしていく。
「サラダだけ先に食ってろよ」
「ああ」
 そんなサンジの後ろ姿をサラダをつつきながら視線だけで追いかける。
 明るい日差しが照らすキッチン。

――男部屋とは段違いの明るさだな。

 テキパキと動く手や忙しなく行き来する背中を見ながら、取り留めのない事を考える。
 夜、サンジが部屋を出ていくのを何度か見ている。起こされても起きないゾロだが、時折、ふっ…と気配で目が覚める時がある。そんな時は大抵サンジが、暗闇の中部屋を出ていこうとしているのだ。
 さして問題がある訳ではないので、そのまま放って置くのだが、一度だけ月明かりを受けたサンジの顔に翳りを見つけた。それが気になってしまい、戻ってくるまで眠りにつけないようになってしまったのだ。


「ほら、食え」
 目の前に出された朝食。サラダ、スクランブルエッグにベーコン、コンソメスープにはなにやら四角いモノが浮かんでいる(クルトン)。ガーリックのたっぷり塗られたバケット、おまけに出された真っ黒なコーヒー。
「いただきます」
ゾロはいつも行儀良く両手を合わせてから食べ始める。サンジはポケットから取り出した煙草に火を点け、向かい側に座り窓の外に目をやる。

 白い雲。
 どこまでも抜けるように青い空。
 果てしなく広がる海。
 みんなの笑い声。

 ココで自分の作った料理を食べているゾロ。

 会話もなく、ただそこに座っているサンジに違和感を覚えるでもなく、黙々と食事を続けるゾロ。

 いつもの事。

 何も変わらない、日常。


 ナミの発病。

日常の崩壊。





 オシエテクレ

 イッタイナニヲスレバイイ
 ニゲロニゲロ ニゲロニゲロ
 ナニガデキル?

 ワルイユメサ ダレモカレモキズダラケデ
 コワセコワセ コワセコワセ
 サケンデクレ

   ハキケニフルエナガラ



「…っ!」

 急激な目覚めに、サンジは荒い息を繰り返す。目を開ければいつもの暗闇。

――クソッ
――…何なんだよ…
――ここんコト毎晩じゃねぇか…。身体…持たねェよ
――ああ…でもナミさんの様子見て来ないと…

 額にうっすらと汗が滲んでいる。震える手を持ち上げ、汗でしっとり湿った髪を掻き上げる。心臓が早鐘のように鳴っている。このままではみんなが起きてしまうのでは無いかと思う程に。
 周りを見渡しても闇の中。
 薄明かりの中、胸を押さえながらゆっくりと立ち上がり、みんなの寝ているハンモックに近寄る。

――ルフィ…寝てるな。あぁ…足伸びてんじゃねーか、クソゴム

 足を戻し、目元の傷にそっと触れる。昔の傷なので今はもう何ともない。

――ウソップ…は、見張りか。

 腕や足に少し火傷の痕があった。あの島(リトルガーデン)でつけたのだろう。

――ゾロ……

 すやすやと寝息を立てるその足許に跪く。新しい傷。胸の痕は、ゾロの誇り。新たなる決意の痕。両足に残る生々しい傷痕は、自分で斬りつけた傷…。

――クソ剣士…
――オレはナミさんの病気のコトで手一杯なんだよっ
――余計な傷を自分で作ってんじゃねェよっ

 荒く縫われた傷痕にくちづける。彼の目から、堪えきれない涙が次から次へと溢れ出す。何度も舌を這わせ、涙を零す。
「…ゾロ……ゾ、ロ…」

 自分で自分を傷つけるようなマネをして、それがオマエの誇りになるのか?

 なぁ…どうすれば守れる?
 どうすればオマエをなくさずに済む?

 遠の昔に色を無くした左目から、血のような涙が溢れ出す。


 お願いだ…


 誰か…この涙の理由(わけ)を教えて…

 息が止まる程の慟哭の理由(わけ)を教えて…