旅愛好会に関する批判的考察
またはやろうとしてできなかったことども
あるいはやめてしまったことども
会誌編纂委員会・編
ここでは、題の通り、かつて旅愛好会で実施を計画したこと、そしておじゃんになってしまったさまざまな企画について、反省を交えながらならべてみたい。
一 やろうとしてできなかったこと
1.同好会昇格
旅愛好会が成立した1996年頃は、いまだ構成員も若く元気があり、旅愛好会成立によって世にはびこる「旅行」を駆逐せむとする空気は非常に強いものであった。そこでまず現実策として計画されたのが、同好会に昇格し、予算を獲得して「旅会」の活動をより広範なものにしていこうとするものであった。
この件について、旅会成立当時の会員は皆、いつかは同好会へ昇格してやるという目的を持っていたとされているが、後継者難と会員の意志の冷却化に伴い、ついに沙汰止みとなった。
2.他団体との交流
単独での同好会昇格が難しくなるや、会員の一部はいわゆる「休眠同好会」を乗っ取り、その権利を得ようと画策した。
まず槍玉に挙がったのが社会科学同好会である。この団体は当時完全に「休眠」していたものの、書類上は残存していたため、主旨が異なるとは言え言い訳はどうにでもなるという見方から、この同好会に会を移行するという計画が持ち上がったのである。
しかし、この計画は会長氏が「乗っ取りは非常識である」と言う談話を発表して以来急速に収縮し、結局沙汰止みとなった。なお、その後同同好会は復活したようである。
3.オンライン化
会長氏の唯一の失政と言えるのがオンライン化の失敗である。
会員が固定化されてきた中、労力削減のために計画されたのが「旅日記」自体をホームページで公開するということだった。一部の史書には「会誌をより多くの人の目に触れさせるためにオンライン化が計画された」などとあるが、これは厳密に言えば理由の第二であり、労力削減というのが第一の理由である。
このオンライン化が失敗した要因であるが、ひとつに「人の実名をどうするか」というのがあった。記念祭で配布する程度なら本名でも一向に構わないが、ホームページに載せるとなると話は違ってくる。閲覧者が不特定多数となってしまうからである。不特定多数という点では記念祭における配布も同断であるかもしれないが、武蔵の記念祭にいらっしゃる方々のように洒落心を解する人々ばかりがネット上を動いているわけではなく、極めて怪しい連中が跋扈している現状を考えると、本名など個人情報の公開には躊躇せざるを得ないのである。
さらに会員からはホームページを閲覧できる環境にない人たちにはどう対処するのか、という抗議があり、またホームページに文章を載せる際にはどうしても横書きになってしまう点からも反発があって、結局オンライン化は沙汰止みになった。
なお会長氏は「オンライン化は失敗したのではなく、延期されただけである」と言い張っている。
4.解散
昨年頃から「旅日記」は旅愛好会の解散をにおわせ、また刊行をやめるようなそぶりを編集後記や巻頭挨拶で見せていたが、いまだもって旅愛好会は解散していない。少なくとも武蔵高校・中学校に於いては会員が卒業してしまえば活動は中止せざるを得ないし、恐らくその際には代表委員会によって「休眠法人の統廃合」の如く旅愛好会解散の議決がなされ、同高校・中学からは撤退することになるのだろう。その後のことについては旅愛好会首脳部も不明だとしている。
二、やめてしまったこと
1.後注
かつて会員の文章の難解な点、不明瞭な点、事実誤認などに対処するために設けられた「後注」だが、会員の文章力の向上によりほとんど揚げ足取りに近くなり(はじめから揚げ足取りそのものだったという批判は甘んじて受けるつもりである……後注担当者)、結局この制度は廃止された。
右が公式な見解であるが、その実は、ほとんどの会員が原稿を個人で活字に仕立て上げられる環境になったことが端緒である。「完全分業体制」の確立のため、全会員が原稿を提出してから編集を始め、その過程で後注を付す、という在来方式は中止せざるを得なかったのである。
また後注を期待して細やかな叙述ができなくなっている状態も会外から指摘されていた。
2.今号のことば
これは今号でひさびさに復活した。そもそもこの「ことば」は、会員に対する心構えだとか読者に対して何事かをアッピールする、とかいう崇高なものではなく、編集後記を見開きで左側に載せるためにページを一つ増設せねばならぬという必要に迫られた窮余の策であった。
3.座談会
これは不定期開催ゆえ、「やめてしまったこと」にはあたらない。
4.後継募集
実は旅会は後継者diadokoiを望んでいたのである。さらにそれに応募した新人諸君(今となっては消息も知れない)と原稿掲載の契約まで交わしていたらしい。しかし後継担当者(これが誰だったのかはどの史書にも載っていない)の不熱心や、「旅会はうちの学年が設立したから我らの組織だ」とする旅会内部の反対によって、ついに後継者が会誌上や旅会の旅に現れることはなかった、とされている。
5.各人行程独立主義
漢語にするとさっぱり要領を得ないが、要は旅会の旅の基本姿勢である「一人旅」のことである。もちろん今まで会誌の記述の通り、極めて個性的な旅を一人で続ける会員もいるにはいたが、時代が下るごとに、旅する地方の交通が不便になっていった。それはつまり列車の本数が少なくなるということであり、従って集合時間と場所が指定されている以上、列車の中で他会員と遭遇してしまうという可能性が高いわけである。
しかしこれくらいの行程の重なりならまだ容認できるのだが、「計画を立てるのがめんどい」から「あいつについていこう」とする考え方が成立し、結果として会員たちの一日の行動が全く重なってしまう、という自体に至ったわけである。
行動の重なりがあったって旅は旅だ、という考えは確かに一理ある。同じ行動を各人がどう捕らえるか、その違いを会誌上で確認するというのも面白いことである。
しかし、旅会設立当初の「団体旅行は旅じゃない」というテーゼに、先の「行程が重なったって旅は旅」という考えが適合するかどうか。
旅会の旅はそもそもその形態上、行程が重なってしまえば即、なかよしグループの団体旅行になってしまう、という危険性を孕んでいた。旅会員がそれを果たして克服できたのかどうか、このあたりはこれからさき、考えられねばならぬ問題であろう。
(『旅日記』2000年春号より)