再審棄却・高木決定批判

 

 以下は、七・八再審棄却直後の七月一九日に開催された部落解放関西共闘会議での解放同盟全国連の講演録です。


T、七・八第二次再審棄却を徹底弾劾する!
一、極悪の高木差別決定に高裁ゆるがす即座のたたかい
 七月八日、東京高裁・高木は、天人ともにゆるされぬ狭山第二次再審棄却の暴挙をおこなった。まずここで、高裁・高木決定を徹底糾弾し、異議審闘争で再審を絶対にかちとることを共通の決意として、第二次再審棄却にたいするわれわれの態度をあらためてハッキリさせておかなければならない。
 まずなによりも、七月八日の高木による第二次再審棄却は、絶対にゆるすことのできない極悪の差別決定であることを明確にさせなければならない。石川一雄さんの無実を証明する証言・証拠・鑑定書の総数は、百数十点にのぼっています。高木は、そのことごとくを、ただ一度の事実調べも、ただの一人の証人尋問もおこなうことなしに、一片の棄却決定文で、ヤミらヤミに葬りさるものとしてだしてきたのです。断じて許されない。石川さんを、実に、三二年間にわたって監獄に閉じこめ、彼の青春をうばい、三六年間も殺人犯の汚名をきせつづけ、それでも、まだあきたらないというのか。どんな証拠や証言があろうとも、なにがあろうとも、絶対に無実をみとめないというのが、今日の日本帝国主義・国家権力、東京高等裁判所の態度なのだ。未来{永えい}{劫ごう}にわたって、石川さんを有罪におとしこめつづけ、どこまでも狭山差別裁判を護持することが、高木決定にこめられた日本帝国主義の階級的意志なのだ。
 どこまでも狭山差別裁判を護持して、石川さんを有罪におとしこめつづけるのであれば、われわれは、どこまでも石川さんとともに、日本帝国主義・国家権力の差別犯罪とトコトン対決して、日本帝国主義・国家権力を打倒しつくす。狭山差別裁判糾弾闘争をとおして帝国主義の国家権力を打倒する。それは十分ありうるのだ。敵がそういう態度をとればとるほど、階級と人民と三百万部落大衆の態度は、そうなのだということを、あらためてはっきりさせたいと思います。
 石川一雄さんは、青天白日、無実である。石川さんの無実は、どんなことをしてもかならず晴らされなければならない。無実の石川さんを、部落差別によって犯人にデッチあげた国家犯罪は、かならず裁かれなくてはならないのです。それは、労働者階級人民と部落民の手によって、なによりも石川一雄さんの手によって裁かれないといけないのです。そこに人民としての原点、労働者階級の階級的原点と部落解放運動の存亡がかかっているのです。石川一雄さんと、どこまでも一体となって、かならず再審を実現することを宣言しようではありませんか。
 そのうえで確認すべきことは、今回の高木決定こそ、狭山差別裁判の護持をこめた、日本帝国主義の階級的意志のロコツな暴力的な姿としてある、ということです。しかし同時に、それは、狭山差別裁判糾弾闘争の新たな全人民的な発展のウネリに追いつめられた敵の反動にすぎないものだ、ということもしっかりと確信しておく必要があります。そもそも高木決定それ自身が、前代未聞のデタラメな裁判であり、おおよそ裁判の形式や論理を無視したもので、まったく通用しないものです。
 そもそも、一四年間にわたって事実審理も、ただ一人の証人尋問もおこなわれていないという驚くべき現実が、そのことを示しているのだ。第二次再審請求審は、一三年という長期にわたっている。一〇年をこえる長期間の裁判で、事実審理が一度もおこなわれないままに、裁判官の独断と推論、勝手な決定をもって棄却攻撃がうちだされたのです。このきわめて異常なデタラメ極まりない形で決定がおこなわれたことのなかに、実は、部落差別をとおした犯人デッチ上げという狭山差別裁判の無理性が、{如にょ}{実じつ}にあらわされているのです。もはや狭山差別裁判は、なりふりかまわぬ国家暴力によってしか、一刻たりとも維持できなくなってきている姿が、高木決定において完全にしめされているのです。

二、石川一雄さんと全国連のたたかいへの恐怖と憎悪

 高木の棄却決定を規定しているものは、石川一雄さんの不屈のたたかいにたいする心の底からの恐怖です。そこに、いっさいの原点があります。
 国家犯罪にたいする石川一雄さんによる告発・糾弾のたたかいは、「仮釈放」後もいっかんして貫かれている非妥協・不屈の糾弾闘争そのものです。全国連発行の『やつらを死刑に』(水平文庫一九号)にみられるように、石川さんが、第二審冒頭に発した「俺は無実だ!」という叫びは、同時に、内田や関や長谷部にたいして「奴らを死刑にしてくれ」という叫びそのものです。みずからを死刑に陥れた奴らを、自分の手で裁く決断と怒りこそが、狭山闘争の原点そのものだ、ということなのです。
 この不屈の闘魂は、解同本部派の転向や仮釈放などの幾多の変遷をへても、なおかつ三六年間をつらぬいてなにひとつ変わることがない。それどころか、逆にますます鋭くとぎすまされて、国家権力にたいする告発・糾弾、怒りのたたかいとして、三百万部落民と全人民を力強くとらえはじめているのです。高木は、このことに心の底から恐怖したのです。しかも同時に、全国連の存在とたたかいが、石川一雄さんのたたかいと結合して、本部派の屈服・転向をのりこえ、三百万部落大衆の最先頭にたって狭山闘争の発展の牽引車となって、新たなたたかいのウネリがはじまったことに、高木が心から恐怖し、震え上がっているということでもあります。
 現に全国連の要請行動は、昨年の一二月をはじめ、今年の三月のたたかいにおいても、七〇年代における第二審公判闘争と同じような結集軸となって、狭山差別裁判にたいする実力糾弾闘争の切っ先となって国家権力と裁判所に鋭くつきささっていました。そして要請行動を切っ先としながら、無実・差別のバクロと糾弾のたたかいが、ウネリのような大衆決起をつくりだしつつあったのです。この新たに開始されたたたかいを、どんなことをしても押し止めるための密集した反動としておこなわれたのが、高裁・高木による棄却攻撃なのです。
 実際に、高木による棄却決定は、全国連を完全に意識し、対象化して、対全国連としてかまえておこなわれたといっても決して過言ではないのです。だからこそ、瀬川選挙の真っ最中の全国連がいちばん反撃しにくいときを狙って決定がおこわれたのです。いわば、対全国連としてかまえて、反撃を最小限に押しとどめて、姑息にも戦列に絶望感をあたえ、狭山差別裁判糾弾闘争を解体したいという願望をもって、ほかならぬ七・八に棄却決定がだされた、ということがいえるのです。
 したがって、これにたいする回答は、ただ一つであります。高木が心底から恐れるものを、ほんとうにわれわれの手で実現してやる、ということです。こんな一片の棄却決定なるもので、狭山差別裁判糾弾のたたかいを押しとどめることなど絶対にできません。石川一雄さんの国家権力にたいする告発・糾弾のたたかいを押しとどめることは絶対にできません。すでに石川一雄さんは、七月九日の記者会見で満身に怒りをあらわにして、「何十年かけても絶対に無実をかちとる」という不屈の戦闘宣言を全人民にむかって発しています。この石川一雄さんと結びついた全国連と解放共闘のたたかいを押しとどめることなど、なんびとにも絶対にできないのです。むしろ、国家犯罪を告発・糾弾し、労働者階級人民と三百万部落民の手で裁くたたかいは、これからがほんとうの正念場の{秋とき}なのです。
 寺尾判決や最高裁による上告棄却や第一次再審棄却、そして今回の第二次再審棄却と{連れん}{綿めん}と続けられてきた国家犯罪を、どこまでも護持することなどはできないのです。狭山再審闘争にたいしてくわえられた高木決定という新たな差別犯罪にたいする徹底的な怒りの爆発をとおして、狭山闘争が、彼らがほんとうに恐れる差別糾弾闘争の大衆的発展、国家犯罪を人民の手で裁くたたかいを、まさに、これからつくりださねばならないのです。それを高木決定にたいする徹底弾劾闘争として、われわれの手でつくりあげてみせようではないか。それこそが、われわれの唯一の回答でなければならないことをしっかりと確認しようではありませんか。

三、新安保ガイドライン体制――戦争への総動員づくりの大攻撃を狭山闘争の爆発でうちやぶれ!

 東京高裁・高木決定の攻撃は、新安保ガイドライン体制、戦争への総動員づくりの大攻撃であることをしっかりみておく必要があります。
 もともと狭山再審闘争をめぐる攻防は、八〇年代いらい、日本帝国主義の戦争国家化にむかった階級決戦攻撃と固く結びついておこなわれてきました。八五年の中曽根による国鉄分割・民営化攻撃と動労千葉の解体攻撃や三里塚二期着工攻撃がかけられてきたときに、同時に地対協路線がうみだされ、地対協攻撃がうちだされてきたのです。その核心的内容は、同和事業の全廃であり、差別糾弾闘争の一掃・撲滅でした。しかし、実際には、国鉄分割・民営化攻撃もそうですし、三里塚二期攻撃もそうですが、部落大衆の反撃によって挫折してしまったのです。
 石川一雄さんの仮釈放がおこなわれた九四年には、他方で、国労中央にたいする二〇二億円の賠償訴訟のとりさげという懐柔策がおこなわれました。さらに三里塚には話し合い攻撃がしかけられました。仮釈放のねらいは、それらと完全に結びついていました。石川さんにたいする「仮釈放」をもって、解同本部派の屈服・転向をひきずりだし、石川さんを取りこんで狭山闘争を腐らせていく、ということがおこなわれてきたのです。石川一雄さんが、そのねらいをものの見事にうち破って不屈にたたかいぬいてきたことは周知のとおりです。
 暴力による解体攻撃の一方で、ペテン的懐柔策によって指導部をとりこんで解体していく攻撃という点でも、つねに同質のものだったのです。今日の狭山第二次再審棄却決定こそ、新ガイドライン攻撃のもとでの、三・一八国労大会におけるクーデターによる国労解体攻撃、三里塚の新たな暫定滑走路建設攻撃と完全に一体のものとして、おこなわれたものです。それをみても、狭山闘争は、いっかんして日本の階級闘争の最大の階級攻防の基軸をなしているのです。つねに{三さん}{位み}{一いっ}{体たい}の攻撃としておこなわれてきといえます。
 裏がえしていえば、狭山闘争の勝利と発展は、国鉄や三里塚や沖縄のたたかいとむすびついて(この間の戦争と反動と暗黒の政治にたいする)、反撃の陣形の決定的な一環としてたたかいとられてはじめて勝利していけるのだ、ということです。
 さらにいえば、日本帝国主義の侵略戦争、新安保ガイドライン体制の構築という戦後体制をひっくり返す攻撃は、狭山闘争の解体、部落解放闘争の解体なしにはうまくいかないという敵の側の意図をもあらわしています。部落差別―人民分断支配という階級闘争の解体・制圧なしに、侵略戦争体制ができないことを日本帝国主義の側はよく知っているのです。戦争国家化の攻撃は、同時に、部落解放運動の解体、部落差別―人民分断支配の構築と表裏一体の関係にあります。
 だからこそ、狭山差別裁判糾弾闘争の発展と勝利は、労働者階級と沖縄・三里塚を中心とした人びとと完全にむすびついて、階級と人民の戦争国家化攻撃への総反乱を実現していく、その先頭にたつことによってはじめて実現していけるものだと思います。その最大の実体的担い手こそ、全国連と解放共闘にあることをあらためてしっかりと確認しようではありませんか。

四、高木決定にたいするわれわれの態度

 ひとつは、高木決定を徹底糾弾して爆砕し、その撤回を絶対かちとろう、ということです。異議審の絶対的貫徹を、われわれの手で、どんなことをしてもたたかいとろう、ということです。
 第二次再審闘争は、まだ終わっていない。高木決定などによって終わるなどということは絶対にありえないのです。
 むしろ、高木決定こそ、狭山差別裁判の護持が、もはやいかなる意味でも限界にきていることのあらわれです。ここに敵の決定的弱点があるのです。ここを徹底的に攻めまくることが勝利の道なのだ。徹底糾弾して、爆砕しつくすことのなかに再審貫徹の道があるのです。
 すでに、七月一二日に、石川一雄さんと弁護団によって、異議申立てがおこなわれました。この異議審を貫徹して、異議審のなかで事実調べをとおして再審の開始をたたかいとらねばなりません。現に、これまでの白鳥決定いこうの再審にかかわる事件は、そのほとんどで、実は、異議審において再審決定がおこなわれているのです。異議審闘争はきわめて重要なのです。
 たとえば、免田事件、松山事件は、異議申立て段階において再審開始決定がおこなわれています。異議審で事実調べがおこなわれて再審開始決定がなされることは、よくあることなのです。財田川事件では、特別抗告審で事実調べがおこなわれて再審棄却決定の撤回・再審開始決定がなされています。
 こうした事実からみても、第二次再審闘争は、再審棄却によって終わったわけではまったくないのです。むしろ、高木決定にたいする新たな全人民的怒りの反撃で再審開始を決定をさせることは、まったく可能なのだということをはっきりさせたい。実際に、棄却決定がだされた直後に、全国連の狭山新パンフ『この差別裁判を許すな』(以下、新パンフ)の注文が殺到する事態がおこっています。むしろ、あらためて狭山差別裁判の重要性、狭山差別裁判糾弾闘争の怒りをほりおこすことがはじまっているのです。この点でのわれわれの態度が、ものすごく決定的なのです。
 七月一〇日から一三日に、全国連と解放共闘によって、異議申立ての裁判所への提出と同時に、緊急抗議行動が戦闘的にたたかいとられました。
 それは、権力機動隊による高裁の戒厳体制をぶちやぶってたたかいとった高木の打倒、異議審の貫徹による再審棄却決定の撤回と再審開始決定にむけた新たな戦闘宣言であります。これにひきつづいて、ただちに異議審闘争の全面的貫徹にむかって、われわれは先頭でたたかいぬかなければならない。

五、「再審はむずかしい」と狭山勝利に敵対する解同本部派
 いまひとつ重要なことは、異議審闘争の{帰き}{趨すう}は、全国連の手にゆだねられているということです。高木の決定にたいして本部派は、さかんに「抜き打ち決定」だと強調しています。なにが「抜き打ち決定」だ。高木の再審棄却決定は、解同本部派にとっても、弁護団にとっても、かなり以前から認識があったことだ。現に去年の一二月の段階で、早期棄却・早期決定を高木は{匂にお}わしていたのです。三月においても、棄却決定の攻撃が、高木の側から公々然と宣言されました。すでに三年前の段階で「書面審理も事実調べのうちだ」「事実調べをしないと裁判官は決定できないと思っているのか」と、公然と弁護団を{恫どう}{喝かつ}しました。それ以来、高木の態度表明は、いっかんして再審棄却、事実調べの拒否だったのです。ただ棄却決定のタイミングをはかるためにだけ推移してきた。したがって、抜き打ち決定もへったくれもないのです。
 ちなみに七月一〇日から一三日の緊急抗議闘争の過程で、本部派は、四日間にわたってまったく姿をみせませんでした。じつに一度の抗議行動も、一声の反撃もなかった。彼らは、七月一三日に星陵会館で屋内集会をおこないお茶をにごした。ただ、全国の部落大衆の突きあげがあって、そのままではおさまらないので、八月三日、日比谷野音で抗議集会をするようです。この姿勢のなかに、狭山闘争の今日の主体的な推進者がどこにあるのかということが、誰の目にもあきらかになっています。アリバイ的な本部派にかわって、高木と日本帝国主義・国家権力による狭山差別裁判護持の全重圧をひきうけて、それを実力ではねのけ狭山再審の貫徹にむかって、たたかいの切っ先をきりひらく全国連と解放共闘という構図が鮮明になっています。
 四日間の座り込みを軸とする機動隊と対決した激しい高裁・高木糾弾・弾劾闘争は、まさに権力が、そう認知しただけでなく、石川さんと全人民に完全にそうした構図を指ししめしたたたかいの過程だったといえます。われわれは、これをひきついで、全国連と解放共闘の手で、絶対に再審の勝利を異議審において実現しなければなりません。
 しかも、先にお話しした星陵会館での集会での高橋書記長の発言は、さらに彼らの本音を示しています。冒頭で、石川さんの記者会見のときの原稿問題にふれて、「これは解放同盟(本部派)が作文を書いて石川さんに読ませたものではない」と、いいわけをエンエンとやったのです。というのも、石川さんが、記者会見の会場に一時間一五分ぐらい遅れてきたので、「あの文書は、解放同盟中央が書いたものを石川さんに読ませたのではないか」と、当然にも思う人がたくさんいたからなのです。そして、あげくのはてには、『毎日新聞』の記事を引用して、「すでに狭山事件は三六年間たって、証言や証拠を発掘するのが難しい」と発言しています。再審では、新規かつ明白な証拠が必要という基準がありますから、そう発言することによって、「再審を開始させるのは難しい」と客観主義的な発言に終始したのです。つまり、解同本部派にとって「狭山再審の実現」は、部落解放同盟と部落解放運動の存亡をかけた運動としてあるのではまったくない、ということです。再審棄却への反撃とたたかいの方針を、すべての部落大衆と労働者階級人民が待ち望んでいる真っ最中で、それに完全に水をさす発言をして、それが狭山闘争にたいする本部派の態度であることをしめしたのです。このなかに、ついに彼らの公正裁判要求路線、狭山差別裁判糾弾闘争としての狭山闘争の解体路線の最後的破産があらわれています。もはや、解同本部派といっしょに、狭山闘争をたたかえないところにきていることをはっきりさせることが必要です。
 これにかわって、国鉄や三里塚や新ガイドライン闘争、「日の丸・君が代」闘争とむすびついて、階級的共同闘争の陣形を構築し、そのいっかんとして国家権力にたいする差別糾弾闘争をつらぬいていくことこそ、唯一の勝利の道なのです。このことが、今こそ、はっきりと確認される必要があります。この認識をほんとうにうちたてなければなりません。
 そのための最大の核心点は、狭山闘争論の根本的再確立を全国連と解放共闘の手でなしとげていくことです。

U 全国連の新たな狭山闘争論で身を固め、異議審闘争に勝利しよう

 わたしたちは、いま、狭山裁判闘争論―再審闘争論をふくめて、狭山闘争の全体を根本的につくり直す必要があります。石川さんは無実であり、狭山事件は、無実の石川さんを部落差別によって犯人にデッチ上げた国家犯罪である。したがって、このたたかいは、部落民と労働者階級が、なによりも石川さんが、国家犯罪を裁くたたかいである――このことを、狭山闘争の事実関係のすべてにわたって完全にはっきりさせることに、今こそ本気になって取り組まなければならないのです。
 これまで解同本部派などのもとでつくられてきた狭山闘争論は、基本的に一から一〇まで「裁判闘争論」です。裁判官と検事と弁護士が法廷でやりあうことが、狭山闘争のすべてだった。したがって、石川さんの無実を証明するときに、石川さんの自白と客観的事実のくいちがいが、いっさいの事実関係のバクロの基準だった。それにおうじて運動がやられてきたし、それがバクロの内容のすべてだった。それは、七〇年代から今日までだされた解同本部派のパンフレットや資料などをみても明らかです。
 このすべてを、石川さんの体験にもとづいた告発・糾弾によって、いちからつくりかえることが、今こそほんとうに必要なのだ、ということをしっかりと確認したい。無実・差別にもとづいた狭山闘争の原則を、あらためてわれわれの手で全人民のなかに圧倒的に確立することが、今こそ必要なのです。そうすれば、巨万の人民決起は、かならず実現できます。
 石川さんのように、国家犯罪にたいする不屈の糾弾闘争をたたかいぬいている人びとはたくさんいます。国労闘争団の一〇四七人のたたかいをみても、二〇年間にわたって国鉄分割・民営化による国家の不当労働行為にたいして絶対非和解、非妥協の姿勢をつらぬいてたたかっています。原地、原職復帰を絶対的原点としてかかげて、国労中央によるあらゆる屈服・転向の策動と対決しながらたたかいぬいてます。この原則的なたたかいは、ほんとうの意味で正義性と人民性、階級性があり、部落民の自己解放と結びつくたたかいなのです。
 そうすることによって、国家犯罪を徹底糾弾する、人民の手で裁くたたかいへの人民の決起は、かならず実現できるのだ。その導きの糸こそ、石川さんの告発であり、糾弾です。全国連の新パンフは、そのための第一弾です。
 そして、百万人署名運動をいまこそ爆発的に推進しよう。七〇年代に解放同盟がおこなった百万人署名運動では、第一次、第二次と総計で一千万人近い署名が集まっていると思います。このときのような署名ではなくて、石川さんの告発・糾弾のたたかいとむすびついた狭山差別裁判取り消しの要求をかけた署名運動を、全国連と解放共闘の手で、三百万部落民と六千万労働者階級のなかにもちこんで、石川さんの怒りとたたかいを、ほんとうに全人民のものにしていきたい、と思います。
 第一次再審請求審での異議審闘争は、だいたい一年半でした。この期間のうちに、ほんとうに百万署名を実現して、数十万の国家犯罪にたいする糾弾闘争の大衆的決起を、われわれの手でつくりあげるのだということだと思います。この決断、決意と、それを実際に爆発的におしすすめていくたたかいなしに、高木決定にたいする弾劾や異議審闘争貫徹はニセモノです。あらためて、このことを確認したいと思います。ここに参加された人が、その担い手です。石川一雄さんになりかわって、この一年半のうちに、実際に数十万の大衆的決起をつくりだして、その力で異議審の貫徹をたたかいとって、再審の関門をおし開くのだ、ということをつよく訴えたいと思います。

V 高木決定を徹底糾弾・爆砕せよ!

 さて、以上の確認にふまえて、高木決定の内容に関する批判にはいっていきたいと思います。ただし、時間の関係もあって、全面的という訳にはいきませんので、核心的な問題にしぼって提起したいと思います。

 一 決定文の全体的特徴――「白鳥決定」の事実上の抹殺
 決定文は、実に264ページにものぼる膨大な量です。しかし、このすべてが、石川一雄さんの無実を示す事実に圧倒され、追い詰められ、事実調べなしにこれらを否定・抹殺せんとする暴論、ペテン、ヘリクツの集大成いがいの何物でもない。
 第二次再審請求においてだされた鑑定書、意見書、証言、補充書などは総計百数十点にものぼっています。本来、まともに裁判をやれば、これらすべてにわったて事実審理をおこなわなければならないものです。しかし、なにひとつの事実審理をおこなわずに、高木による「検討、判断」なるものをもって、すべてを抹殺するというペテンを{弄ろう}しているために、これだけの膨大な量になっているのです。まさに、高木の推論やヘリクツ、こじつけの全面展開がおこなわれたことにより、膨大な差別的作文になったものです。そのことのなかに、すべてが示されています。無実を証明する総計百数十点にのぼる意見書、鑑定書、証言をなにひとつとして事実審理をせずに、「検討、判断」の名によって抹殺する点にこそ、高木決定の悪ラツさのすべてが表現されている、といって過言ではありません。このデタラメさこそが、高木決定の本質なのです。
 決定文のいちばん最後に、白鳥決定をふまえるかのようなペテン的とりつくろいをもって全体を総括しています。つまり、
「請求人は新規、明白な証拠として{援用えんよう}する証拠資料を、その立証しようとする事項{毎ごと}に、確定判決審の関係証拠と総合して考察し、確定判決の事実認定と当否を検討した」「これら{所しょ}{論ろん}{援えん}{用よう}の証拠資料を、確定判決審の全証拠と{併あわ}せて総合的に評価判断した」「有罪であるとした確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせ、その認定を{覆くつがえ}すに{足た}る{蓋がい}{然ぜん}{性せい}ある証拠とは認められない」
から請求を棄却する決定になった、と言っているのです。
 ここでは、白鳥決定による新旧証拠を総合的に評価して、すこしでも確定判決に合理的疑いを生じたときには、被告人の利益にという立場から、再審決定をしなくてはならないという判例を多分に意識して、あたかも、証拠資料を確定判決審の関係で、新旧証拠と総合的に判断したかのようなポーズをとっています。ところが、実際には、事実審理は、いっさいおこなっていない。ただただ、高木による一方的な「検討、判断」のもとで、すべてを抹殺するペテンをやっているわけです。したがって、あたかも総合的判断をしたかのようなポーズをとったために、二六四ページの膨大な作文になったのです。
 その総合的評価のやり方は、以下のとおりです。
@確定判決の事実認定とその基準となった鑑定は、すべて正しいという大前提にたって、
A新証拠の一つひとつを「とりあげ」て、それだけでは無実の主張にならない
というやり方で退けたことです。一方で、白鳥決定をふまえるかのようなペテン的とりつくろいをやりつつ、実際には、事実審理をぬきにした、高木による一方的な独断的な科学性のまったくない「検討、判断」なるものをやる。しかも、その総合的評価なるものも、確定判決の事実認定については大前提にしているのです。
 だが、「白鳥決定」の言う「新旧証拠の総合的評価」とは、仮に、原審の審理の段階で、新証拠が提出されていた場合に確定判決が正しいのか、どうかを評価するということです。高木決定は、白鳥決定にふまえるかのようなペテンをとりつくろいつつ、その実、白鳥決定をまっこうから踏みにじり、抹殺する断じて許すことのできないシロモノだということです。
 しかし、重要な問題は、こうしたデタラメな暴論とペテンによって新証拠を否定・抹殺しようとしながら、その一つひとつの論点(高木による推論、こじつけ)のすべては完全に破綻し、逆に石川一雄さんの無実と、権力によるデッチあげの現実を、高木じしんが認めてしまっているということにあります。つまり、高木決定は読めば読むほど、他でもない高木じしんが、石川一雄さんの無実の明白さと、差別によるデッチあげの現実に圧倒され、これをごまかすことを、もはやできなくなっていることが明らかになってきます。だからこそ、同時に、そこには、何と言おうと、どんなことをしても「再審は認めない、石川さんは犯人だ」というムキダシの暴力性もまた明らかになってくるのです。
 以下、具体的に見ていきたいと思います。

 二 「筆跡」について
 ここで、高木がのべている主張の核心は、
 書字・表記、とくにその筆圧、筆勢、文字の{巧こう}{拙せつ}などは、その書く環境、書き手の立場、心理状態などにより多分に影響されうる
ということです。
 この論理をつかって、筆跡にいくら「相違点があっても、書き手の違いにはならない」として、抹殺するやり方をとっています。これが筆跡にかんするすべての論点の基本になっています。
 実際に、筆跡にかんする新証拠、鑑定と意見書、補充書等は、きわめて膨大な量なのです。山下意見書、木下第一意見書、第二意見書、日比野鑑定、石川茂・斎藤一重の各供述、大野第一鑑定、第二鑑定、神部鑑定書などたくさんあります。山下意見書による筆順、字画構成の比較検査や、同一文字の比較検討などのいろいろな新鑑定がだされています。しかし、漢字、カタカナ、句読点の使用状況などの、筆跡にかんする総合的評価と各論のすべての論点にわたって、ことごとく「書き手の立場、心理状態により多分に影響されうる」から、いくら相違点があっても、書き手の違いを立証することにはならないのだ、ときりすてています。
 こんなふざけきった論理はない。問題になるのは、筆跡を同一とした根拠がデタラメだということです。「書き手の立場、心理状態により多分に影響されうる」なら、筆跡鑑定などそもそも成立しないのだ。「同一であることが論証できない(同一人物ではない)」ことが、最大の問題であるにもかかわらず、あたかも「書き手が違うことの論証」が問題であるかのようにすりかえる恐るべきペテンです。
 同一の書き手であることを、どう論証するかが筆跡鑑定の核心であり、裁判であきららかにされなけばならないことです。ところが、いくら筆跡が異なっていても、それは「環境、心理状態」が違っているから違っていて当然であり、別人のものとは言えないと問題をすりかえて、新証拠を一つひとつきりすてるやり方をとっているのだ。こんなものが通用するのか。確定判決の筆跡鑑定じしんが、デタラメきわまりないものであり、裁判の証拠として採用されない、と高木が自分でいっているにすぎないのだ。つまり石川一雄さんは無実だということを、高木自身が告白しているということです。にもかかわらず、再審棄却とはなにごとか。絶対に許せないのだ。
 今ひとつ重要な問題は、この筆跡鑑定とデッチあげにたいする決定文で、高木は、いちばん最初の、石川さんの自宅に捜査官がいって、石川さんの手をとって書かせた「警察署長あて上申書」と脅迫状の筆跡の違いを完全に認めてしまったことです。これが、まったく別物であることを認めたうえで、そのときに書いた「書き手の立場、心理状態」が、脅迫状を書いたときの心理的状態と完全に違うから、いくら相違点があっても書き手のちがいにならないのだ、と主張しているのです。
 そもそも、筆跡問題の最大の問題点は、なにか。それは、「警察署長あて上申書」をつかった筆跡鑑定にあったわけです。
 新パンフの二〇ページの「なぜ、石川一雄さんが選ばれたか」の項で、部落の青年一二〇人にたいする捜査とは、どのようなものだったのかが明らかにされています。そこでおこなわれたのは、わずか四、五〇戸の部落に二〇〇人をうわまわる捜査官を、一週間にわたって、ローラー作戦的に送り込んで、一二〇人の部落の青年に聞きこみを行う。その時にどういう捜査が行われたのか。
 そこでおこなわれたのは、タバコの吸いガラの回収と、アリバイにかんする上申書を書かせるというものだった。それは、血液型がB型の者をさがし、当日のアリバイが立証しにくい者をえらびだす作業であり、さらには一番脅迫状に似ている筆跡のものをえらびだす作業だったのだ。それはもちろん、真犯人をみつけるためなどではまったくない。ただただ一番「犯人」にしやすい者をえらぶ作業にすぎないものだった。このなかから、筆跡が似ていると思われる者二十数名、アリバイが立証しにくい者二七名、血液型がB型の者十数名がリストアップされ、重点捜査の対象とされる。
 このなかから石川さんが選ばれるのです。では、石川さんが別件逮捕されていく過程(新パンフ・二七ページ)は、どうだったのか?
 石川一雄さんにたいする集中的な捜査は、五月一三日ごろからおこなわれるが、この、石川一雄さんの身辺にたいする集中的な調査の指揮をとったのが清水利一という警部だった。
 この清水利一とは、新パンフにあるように、熊谷二重逮捕事件のなかで、部落の青年を同じような手口でデッチあげ逮捕し、起訴し裁判にかけた張本人なのです。
 こうして清水というフダつきのデッチあげの常習者のもとで、(石川さんを)ひっかける口実(別件)をさがすために捜査員が全力をあげるのである。このなかで、捜査員は、五月二一日に、石川一雄さん宅をおとずれ、石川さんに上申書をかかせ、これを筆跡鑑定にまわすということもやっている。そのときに、上申書をかかせた刑事は、清水のさしずによって、石川さんの手をもち、わざと脅迫状の筆跡に似せて、字を書かせようとしていたのだ。
 この上申書の筆跡と脅迫状の筆跡が「同じもの」であることを理由にして、デッチあげをやったわけです。それが、別件逮捕のなかで本件にひっかけた、脅迫未遂での逮捕だったのです。
 上申書と脅迫状の筆跡の一致といわれるものこそ、狭山差別裁判のデッチあげ、石川一雄さんにたいする別件逮捕をとおしたデッチあげの最大の出発点だった。したがって、この上申書の筆跡の違いが立証され明らかになることは、狭山差別裁判の全体系を崩壊させるものです。
 高木決定は、一方で、違いがあっても、心理的状態が違うから書き手の違いにならないという形で、確定判決をとりつくろおうという主観的意図をもって主張しながら、実は、上申書の筆跡の違いを完全に承認してしまっています。上申書は、石川さんの筆跡とはまったく違うことを承認して、しかし、上申書と別に警察署で書いた、あるいは拘置所のなかで書いた関あての手紙や内田裁判長あて上申書があって、それは、もう少し上手だし、字もきれいだ。だから、それぞれの心理的状態や立場の違いによって、筆跡が違ってくるのだと論じているわけです。結局、上申書と脅迫状は、筆跡が同一とはいえない、ということを暴露してしまった。このことは、狭山差別裁判デッチあげ、石川一雄さんデッチあげの出発点、最大の核心点で、高木自身の言葉でデッチあげを認めてしまったに等しいのだ。

 三 「殺害の態様」について
 これも重要なので、長文にわたって引用します。この問題は、{絞こう}{殺さつ}か{扼やく}{殺さつ}かという、石川さんのデッチあげ「自白」の最大の核心部分です。確定判決(寺尾判決)では、「強姦しようとして、悲鳴をあげられたので、右手の人差し指と中指のあいだでしめ殺した({扼やく}{殺さつ})」とされていました。しかし、この事実認定が、完全に誤ったものであることが、第二次再審請求のなかで明らかになった。
 寺尾判決の事実認定は、五十嵐鑑定にもとづいて行なわれました。しかし、この五十嵐鑑定じしんが誤っていたことが、他でもなく、五十嵐鑑定に添付された写真と鑑定意見書の詳細な検討の結果、明らかになったのです。つまり、寺尾判決の言う「{扼やく}{殺さつ}」ではなく、事実は「{絞こう}{殺さつ}」されたこと。さらには、寺尾判決の言う「死体の逆さづり」はありえないこと、などです。つまり、石川さんの「自白」は、その核心部分において、完全なニセモノであることが証明されたということです。
 高木は、この新鑑定に完全に圧倒されている。石川さんを有罪だとした根拠が、完全に破産したことを認めてしまっているのです。いや、認めざるをえないのだ。だが、「シロだ」と認めながら、結論において「クロだ」と言うのである。
 そのペテンのひとつは、「何といおうと五十嵐鑑定は正しいのだ」という開き直りです。高木は、次のように言います。
 「五十嵐鑑定人が被害者の死体の外表検査と解剖をおこない、死因を究明しようとするについては、発見時の死体の状況(うつぶせに埋められていた、荒縄がまかれていたなど)についても、そのあらましを捜査官から聞知していたものと認められる。そして、{頸けい}{部ぶ}に細引き{紐ひも}が絡んでいたという事実は、外見上、死因として{絞こう}{頸けい}を強く推量させるものであったということができる」
 「同鑑定人のおこなった{頸けい}{部ぶ}等の外表および内景検査は、被害者宅において夜間、電灯のものでおこなわれたのであり、けっして良好な条件・環境下におこなわれたものでないことは確かであるが、前記のような死体発見時の様子を聞知していた同鑑定人としては、{絞こう}{頸けい}の可能性をも十分念頭においたうえで……慎重に検分し、検討したであろうことは、容易に察することができる」
 つまり、死体の状況をみて、あらかじめ「{絞こう}{殺さつ}じゃないか」という疑いの目でみていたはずだから間違うことはない、と主張しているのです。
 さらに、「これにたいして、{所しょ}{論ろん}{援えん}{用よう}の鑑定・意見は、間接的、二次的である」と言って、「写真をみたり、写真と鑑定の意見書を検討した上での判断であり、二次的であるという大きな制約を免れない」という言い方で、だから「直接に死体をみたものが一番正しいのだ」と言っている。とんでもない暴論です。これだと、裁判そのものがまったく意味をなさなくなる。これは、「検察が提出した証拠や鑑定は、絶対に正しい」という主張です。
 いまひとつのペテンは、「一般論としては正しい」という言い方です。上田鑑定や第二上田鑑定などにたいして、しぶしぶ「一般論としては正しいが」と言って認めざるを得ない、しかし「本件の状況には適用されない」という形で抹殺するやり方です。具体的に見ていきます。
@ {蒼そう}{白はく}{帯たい}について
 高木は、死体写真にある帯状の{蒼そう}{白はく}{帯たい}が、寺尾判決の言う「{扼やく}{殺さつ}」では絶対にできないことに完全にノックアウトされ、「一般論としては、{絞こう}{殺さつ}の疑いをもたせる」としぶしぶ認めながら、次のような言い方をしています。
「本件死体が、長時間土のなかに埋められ、不均等に圧迫され、しかも{頸けい}{部ぶ}には細引き{紐ひも}が一周していて、{前ぜん}{頸けい}{部ぶ}付近の表皮外側から加わった圧迫は、一様ではなく、圧迫の分布が、{頸けい}{部ぶ}の外表曲面、これにからんで横走する{紐ひも}にそって変化し、不定形の帯状に{死し}{斑はん}の出現を妨げて、{褐かっ}{色しょく}{帯たい}を形成したとみることができる」
という言い方です。こんなものは、科学的鑑定の結果ではありません。勝手な推論なのです。
 冗談じゃない。こんな推論がまかり通るなら、そもそも鑑定などまったく意味がありません。いや、証拠さえまったく意味をなさなくなる。死体がどんな状態を示していようと、それは「何とでも考えられる」と言っているに等しいのです。科学も、法医学もへったくれもない、裁判官の主観と推論だけが絶対だ、という主張です。
A 赤色{線せん}{状じょう}{痕こん}について
 同じく、赤色線状痕についても、「一般論としては、{絞こう}{殺さつ}によって生成するもの」としながら、
「五十嵐鑑定に赤色とあっても、赤色と表現される色調には、実際上相当の幅があるから、右色彩の記述をもって直ちにこれらの{線せん}{状じょう}{痕こん}が生前に生成したと結論することが相当とは考え難い」
として否定する。
 まったくふざけた話です。それなら、なぜ証人をよんで、「赤色」とは実際にどのような色だったのか、の事実を調べないのか。これは、事実などどうでもいい、という態度であり、主張です。
 だが、しかし、これだけでは、あまりにも無理がある、これでは「{絞こう}{殺さつ}」説を否定することができないと思った高木は、さらに二重のペテンを使って新鑑定を否定しようとしている。
 そのひとつは、「{軟なん}{性せい}{索さく}{状じょう}{物ぶつ}による{絞こう}{殺さつ}が行なわれたとしても、確定判決を維持すべきである」という主張です。要は、「{絞こう}{殺さつ}であったとしても」確定判決は正しいのだと言っているのです。
 確定判決が「右(五十嵐)鑑定の結果からは、{扼やく}{頸けい}の具体的方法についてまでこれを確定することはできない。しかしながら、被害者の死因が{扼やく}{頸けい}による{窒ちっ}{息そく}であることは前記のとおり疑いがないから、死体の状況と被告人の自白とのあいだに重要なそごがあるとは認められない」と述べていることについて、これをとりあげて、高木はついに、被告人は
「犯行時、興奮し、動揺していたから、犯行の一部始終をありのままに供述したとは考え難く、供述時に記憶が混乱し、あるいは一部を亡失し、あるいは意識的に供述を端折るなど、供述に不正確な部分が生じていることはむしろ当然のこと」
である。自白は、実際に犯行の態様をそのまま物語っているとはいえない。つまり、自白と死体の状況が違って当然なのだというのです。
 それは、被告人というのは、自白のなかでかならずしも本当のことは言うわけではないからだ、という言い方なのです。被告人は、ウソをいい、ほんとうのことは言わないのだ、と寺尾は判決文でいっていましたが、それとまったく同じです。

 こういう主張の仕方は、死体の逆さづりがあったかどうか、という問題でも同じです。これも第二次再審の新証拠なのですが、このなかで死体の逆さづりがなかった、ことをあきらかにしています。自白では、逆さづりにしたと言っていますが、逆さづりしたらあらわれるべき痕跡が死体にはないのです。この点についても、圧倒されて、逆さづりをしたと供述調書に書いてあったとしても、被告人は、ほんとうのことを言うわけがないのだから、死体の状況が違っていても、それはそごではないのだ、というペテン的な言い方をしています。
 冗談じゃない! 殺害方法をめぐって、自白と事実のくいちがいがあることは、事件全体の根本的否定なのです。たとえば、免田事件のなかで再審開始決定がされた直接の理由が、自白のなかでは、「ナタで刺して包丁で止め」をさしたと判決文に書かれていますが、それが間違っていたからです。そこで弁護団は、死体の状況を鑑定した新鑑定をだして、再審を争ったのです。確定判決では、「ナタでなぐって、包丁で止めをさした」と認定していましたが、実際には逆で、「包丁で刺して、ナタで止めを刺していた」のです。免田事件の裁判は、これをめぐって争われ、鑑定医をよんで事実調べをし、証人尋問もやって確定判決をひっくりかえしたのです。つまり、殺害方法をめぐっての自白と事実のくいちがいは、決定的証拠です。
 たとえば、被告人が動揺したり、興奮していたりしていたから、石で殴ったのではなくて、こん棒で殴ったという違いが裁判ででてくれば、被告人を有罪にはできない。石でなぐったのか、こん棒で殴ったのかの違いは決定的なのです。タオルか帯で首をしめたのか、手でしめたのかは決定的違いなのです。ところが、それを被告人が、ほんとうのことを言うわけないから、ないしは自白は、そこまで細部にわたって記憶されているわけがないから、「重大なそごはない」という形で否定する。二重三重に推論に推論を重ねながら、こじつけてみせるのです。
 ふたつめは、「{絞こう}{頸けい}のあとで、さらに手掌などで{頸けい}{部ぶ}を{扼やく}したとも推認することも可能であると認められる」という主張です。つまり、{絞こう}{殺さつ}したあとで、手でおさえた可能性もあるというわけです。何の論証も、根拠もない「推認」や「可能性」が好き勝手にまかりとおるなら、裁判など何の意味があるのか。そもそも、これなら最初から裁判が成立するわけがない。拷問してでも、なにをやってでも、いったん自白したら、どんなに事実がくいちがっていようが、どんな無実の証拠があったとしても、永遠に裁判が、ひっくり返ることなどはありえない。どんなひどいデッチあげでもまかり通ってしまうのです。

B 石川さんの「自白」は五十嵐鑑定にあわせてつくられた

 石川さんがデッチあげの自白を強制され、自白をおこなっていく過程は、さいしょから終わりまで警察官による誘導です。証拠の発見から、殺害方法などをふくめた事件の全体像を、捜査官の心証にあわせてストーリー化していくのです。石川さんの「自白」というのは、実に総計で七五回にわたって書き直され、二転、三転しています。その過程は、捜査官による誘導によって、五十嵐鑑定やその他のデッチあげの事実にあわせて、自白がたえずつくりかえられていく過程だったのです。こうした事実は、高木自身が引用している石川さんの「自白」そのものが完全に証明しています。
「倒れたので、夢中で善枝ちゃんの首をしめてしまいました」「さわがれたので、夢中で首をしめたのですが、はじめは、両手でしめ、タオルのはしを右手で押さえて、左手で、善枝さんのズロースを……」等々
これが六月二三日付けの自白なのです。
 ところが、捜査官が、五十嵐鑑定にあわせて自白をくつがえしていくのです。タオルでしめたというのはまずいので、手でしめたと言い直させるのです。つぎの二五日の自白では、
 「私の右の手で、首のうえから押さえつけて……」
と書いているのです。しかも、だんだん内容が具体化していきます。同じ日のつぎの自白では、
 「最初は声を出さないように、右手の親指と四本の指で両方に広げて女学生の首に手のひらが、あたるようにして、しめていく……」
となっているのです。
 さらに、七月一日づけの検察官にたいする供述調書では、より具体化しています。
 「右手で女学生の首をしめ声を出さないようにしました、首といってもあごのほうに近いほうに、手のひらがあたるようにしました」
 いちばん最初は、タオルでしめたといっているのをひっくり返して、右手の親指と外の四本の指を広げて手のひらで、といいかえているのです。これらは、すべて五十嵐鑑定にそってつくり変えたものです。高木は、「自白が実際の、犯行の態様そのものとは言えない」とか「記憶があいまい」といっているが、事実はそうではなくて、きわめて具体的、鮮明に、殺害方法それじしんを、五十嵐鑑定にそって誘導され供述させられているのです。言いかえるたびごとに、より詳細に、具体化されていくのです。それは、高木が引用している石川さんの自白じしんが、完全に証明しています。「推認」「可能性」、冗談じゃない。「{絞こう}{頸けい}が行なわれたとしたら」、石川さんは完全に無実なのだ。石川一雄さんの「自白」は完全にニセモノなのだ。それは、五十嵐鑑定にあわせて警察によってつくられたデッチあげの決定的証拠なのだ。

四 血液型について
 五十嵐鑑定の誤りに関連して、いまひとつ「血液型」の問題をみておきたいと思います。当初の五十嵐鑑定人による血液型の鑑定には決定的な不備があった。通常、血液型判定では、おもて試験とうら試験の両方をやらなくてはならない。しかし、おもて試験しかやっていないのだ。そのおもて試験についても、厚生省の血液型判定の基準とあわない血液型の判定の仕方をしているのです。したがって、B型であるとは、科学的には特定できていないのです。五十嵐鑑定は、鑑定として通用しないものです。それをB型と鑑定して、その血液型判定をもって、上申書の筆跡と同時に、血液型の同一性を理由にして、そこから石川さんをデッチあげをはじめたのです。
 この血液型判定が、きわめて非科学的なものであることが、第二次再審で明らかにされました。これにたいして、高木は、
「五十嵐鑑定の血液型検査の過程に不備があることを理由に直ちに証拠として無価値と断定してこれを切り捨てるのは相当とは言えないのであって、血液型判定が絶対的精度をもつものではないことを弁えながら、立証命題との関連において、証拠価値を吟味・評価すべき」
という形で五十嵐鑑定を擁護して新鑑定を否定しています。
 血液型判定が、絶対的精度をもつものでないのなら、血液型判定にもとづくB型の血液の一致をもって、石川一雄さんをデッチあげたことを撤回せよ。高木に聞く。「血液型判定の絶対的精度がなくても」とか、「({扼やく}{殺さつ}ではなく){絞こう}{殺さつ}が行なわれたとしても」とか、「筆跡の相違点があっても」とか、確定判決の事実認定のことごとくが間違っていて、では、なぜ石川一雄さんは「犯人」なのか。なぜ寺尾判決は正しいのか。

五 小名木証言

 小名木証言とは周知のとおり、事件発生当時、桑畑で作業していた小名木さんが、四本杉という雑木林のなかでは犯行がありえないと証言したものです。
 「小名木証言」には、じつはいまひとつ、事件当時、木村巡査が小名木さんの話を聞いてデッチあげた証言があるのです。これが、木村巡査報告書です。
 ここでは、
「桑畑で除草剤散布作業中、午後三時半から四時ごろの間に、誰かが叫ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っていた妻がお茶をもってくる途中で誰かに襲われたような感じがした」
と書かれているのです。第二次再審のなかでだされた小名木証言は、これを否定した証言なのです。
「木村巡査報告書では、こういうこと(上記のこと)が書いてありますが、自分は、こんなこと言ったおぼえはない。むしろ、そのとき自分が感じたのは、悲鳴ではなく、だれかが、おーいと呼ぶ声で、別に切迫感もなかったし、危険なものと感じたものではなかった」と、小名木さんは証言した。しかも、桑畑で作業しているあいだに、雑木林には誰もいなかったと、その時、証言しています。
 これにたいして、高木は、捜査官が、ことさらに誘導をおこなって同人の供述をゆがめたとは考えにくい。記憶の新鮮な時期に書かれた捜査官にたいする供述内容は、信用できる。一八年もたってからの供述は信用できないというのです。
 これは、つぎの万年筆の証言にたいしても共通しているのですが、冗談ではない。
 石川一雄さんは、当初は三人で寺のところで殺したと自白しているのです。それが、いつのまにか一人で四本杉というように変えられているのです。四本杉のところとは、雑木林です。三人で寺の所から、四本杉へとつくりかえられていく経過は、木村巡査報告書にもとづく小名木証言のデッチあげにもとづいて警察が四本杉に誘導したということです。
 石川さんは、次のようにいっています。
「六月二六日、長谷部さんが、『石川君、寺の所で殺したというのはわかったが、あそこからなんで運んだか教えてくれ、まさか、知らないと答えるのではないだろうな。車かい、それともかかえて運んだのかい』と言われて、『入曽の人に手紙を届けてこいと言われたので、何も聞いていないのでわかりません』と答えましたが……」
 入曽の人というのは、三人共犯説を、警察がとっていた時期の犯人像の一人です。
「尚強いことばで質問されたのでエーイ、言っちまえと思って、『一人で殺した』と話しました。
 そしたら青木さんが、『石川君、一人で殺したと言っても、我々はそうはいかないよ、ウソはすぐにばれちまうよ、では、善枝さんがどのような風に殺されて、どういう風になっていたのか説明してみろや』と言われてしまい、わからないので黙っていました。そしたら、『早く説明してくれ』と言われ、『だいたい、首をしめながら犯した』とか、『首は手で絞めた』とか説明しましたら、『そうれ、見ろ説明すらできないくせに』と叱られました。
 すると遠藤さんが、『一人で殺したというならしかたがない。しかし、四本杉まで運ぶには約一キロもあるのだよ』といわれたので、車で運んだと話そうかとも思いましたが、それでは、その車はどこのだと聞かれると困るので『四本杉のところで殺した』と話したのです」
 こうして、長谷部や遠藤、青木らの捜査官とのツジツマあわせの問答をしながら、当初の「三人で、お寺のところで殺した」から、「一人で、四本杉のところで殺した」に「自白」内容が変更されていく。
 こういう形で、石川さんの自白内容が、警察官が思っていた当初の三人説と、それによって作られた自白が、実際に、鑑定がでたりするなかで、コロコロと変更されていくのです。結局、木村巡査報告書による、当時の「小名木証言」のデッチあげによって、四本杉のところが警察官の認識になっていく。それにあわせて自白が作られていったのです。
 これこそ、木村報告書にもとづいて、石川さんの自白が誘導されていったことを完全に立証する証拠なのです。
 小名木証言は、当初いわれていたような一般的に雑木林が犯行現場であるかどうか、という客観的証拠というのではない。むしろ、これらの証言・証拠は、石川さんのデッチあげ過程の自白の推移の真の理由を証明するものだと思うのです。筆跡鑑定も、血液型問題も、死因の問題も、小名木証言もそうだし、「万年筆の発見にかんする証拠」も、すべてそうなのです。
 高木決定にたいするバクロと弾劾の視点は、裁判制度と民主主義の原理、再審の理念、白鳥決定の判例に反するということです。高木の、事実調べをやらず、総合的評価なるペテンをつかって、独断と偏見によってきりすてるやり方にたいして激しく怒ることは、当然なのです。
 しかし、そこに核心があるのではありません。
 石川さんが、いかにして犯人にデッチあげられていったか、その過程であらわされた国家犯罪をことごとくを護持する内容において断じて許されないのだ、ということです。新パンフの全体が、すべてこれに対応しているといって過言ではない。高木決定の断罪・批判は、この石川さんのデッチあげ過程の{全ぜん}{貌ぼう}を全面的に{暴あば}ききる、明らかにすることでなければならない。これに高木は、追いつめられ、圧倒されて打撃をうけているのです。

 筆跡問題からはじまって、万年筆発見にいたる証言のことごとくが、石川さんの自白のなかに、実は国家犯罪のすべてをあばく内容があるのだ、ということなのです。このことに、高木は完全においつめられているのだ。このことを否定するために必死になっています。したがって、高木決定にたいする糾弾を、新パンフの学習会とその内容の徹底的な暴露を決定的切り口として、無実・差別・糾弾の論点をもちこむことです。ここに、一切の核心点があります。
 あらためて、《狭山差別裁判とは何か》ということをみないといけないのです。

W 狭山百万署名に猛然ととりくみ、高木決定もろとも高裁・高橋体制打倒へ

 この新パンフに書かれた第一審の内田判決と第二審の寺尾判決、最高裁判決や第一次再審決定は、事実にフタをして、石川さんの証言・告発を完全に抹殺して、そのうえに部落差別の大合唱をおいて、無理をおしとおす形でつくりだされてきたものです。
 高木決定において、狭山差別裁判そのものが、ある種デタラメさという点においても、国家意思の差別性とその無理性、暴力性という点においても、完全に完成した。これが崩壊したら、狭山差別裁判全体が完全に崩壊するのです。しかし、高木決定は、その無理さゆえに、二六四ページの膨大な文書のなかに、ことごとく石川さんの自白の具体的中身を引用して、そのことによって、事実調べを否定するための論理を組み立ようとしながら、逆に、石川さんの「自白」が権力によってつくられたものであるという事実に、高木自身が圧倒されたことをものがたっています。この点を、あらためて訴えたい。そのことごとくは、実は、石川一雄さんの無実と国家権力の差別犯罪の具体的中身を、完全に高木自身の言葉によってバクロしているものにすぎないのだ。
 あらためて、高木決定を批判し、糾弾しつくすために、この新パンフの内容を徹底的にバクロしまくって、これを無実・差別の大衆的暴露と、国家権力による差別的デッチあげの具体的経過そのものへの決定的な糾弾の声をもって、爆砕していくことでないといけないと思います。このことを転換的に実現することが、高木決定にたいする唯一の回答です。
 第二次再審異議審闘争で、勝利の血路をきりひらかねばなりません。東京高裁は、担当部が決まりしだい、要請行動を受けつけるといってます。もちろん、東京高裁は、一二月や三月闘争を頂点にした、これまでの全国連の要請行動へのまき返しとして、人数制限や時間制限などをやってくるかと思います。しかし、それをうちやぶって、要請行動を切り口にした、対高裁糾弾闘争をトコトンやることを確認したいと思います。


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「新パンフ」とは、全国連発行の「この差別裁判を許すな」という狭山差別裁判を糾弾し、石川さんの再審、無罪を訴えるパンフレットです。


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