血液鑑定、死体をめぐる問題
( 高木決定の矛盾を暴く)

まえがき

 狭山事件における唯一の真理は、石川一雄さんが事件とは無関係であり、完全な無実であることです。事件が発生した一九六三年五月以来、警察による捜査段階から逮捕・再逮捕、マスコミの差別キャンペーン、差別裁判と死刑(確定判決は無期懲役)の確定、第一次再審棄却、第二次再審棄却の全過程が、石川さんを犯人とするための国家権力総がかりの部落差別・権力犯罪であることです。
 昨年の高木の再審棄却決定は、こうした差別裁判を裁判所=国家権力の名において改めて宣言しただけでなく、石川さんを先頭とした再審要求のたたかいの背骨をたたき折ることをねらったものです。だが、それは全国連を先頭とした広範な狭山勢力の反撃、糾弾のたたかいによって、石川犯人説の破綻点に転化しています。
 高木決定は、寺尾判決をなんとか護持しようとあがいていますが、それは失敗しています。棄却決定文は、まさに、墓穴を掘ったとしかいいようのない矛盾と暴言があふれています。あくまでもデッチ上げという権力犯罪を貫こうとするあがきにほかなりません。棄却決定文は、再審裁判における当然の法律上のたてまえ、形式も論理も無視した、違法かつ不当な極悪の差別判決です。裁判所の権威、国家権力の暴力的本質をむき出しにして、白を黒と言いとおそうというものです。
 ところで、狭山事件を考えるときに重要なことは、具体的事実です。その事実を、どのようにとらえかえし事件の全体像=権力犯罪を明らかにするかが、再審実現にとって重要です。それは、同時に石川さんの無実を鮮明にさせ証明することでもあるのです。
狭山事件の一つの重要な特徴は、警察がまともな捜査をしていないことです。警察がやったのは、石田養豚場関係者を中心とした被差別部落への集中捜査です。それは、部落民から犯人をデッチ上げるという差別捜査です。石川さんは、まさに警察によって犯人に仕立てあげられたのです。(詳しくは、新パンフ『この差別裁判を許すな』全国連中央本部刊 参照)。
 事件は、五月一日に中田家に、脅迫状と学生証が届けられたところから始まります。二日の犯人取り逃がしをへて、四日に被害者の埋められた死体が発見され、誘拐殺人事件となりました。かくして、脅迫状と死体が事件の重要な証拠となったわけです。警察がデッチ上げに踏み切る以前の段階で発見されたという点で、ほかの物証とされているものとは違うのであり、その検討は重要です。本論では、そのうちの死体に関する問題をあつかいます。被害者の血液型と犯人の血液型の問題、どのように犯行がおこなわれたのかに関係する被害者の後頭部傷跡の問題、死亡時期問題です。
 いずれの問題でも、警察は、五十嵐鑑定を証拠として使い、デッチ上げをおこなっています。したがって、五十嵐鑑定の検討、そのデタラメさの暴露が決定的課題です。五十嵐鑑定がくずれれば、警察のいう犯行内容と犯人像が何の根拠もない文字通りのデッチ上げであること、石川さんを犯人にしたてるための許しがたい権力犯罪、差別犯罪がおこなわれたことが鮮明になるのです。その観点から、五十嵐鑑定にこだわって、みていきたいと思います。


一,五十嵐鑑定とは何か

 死体は、その日のうちに検屍、解剖にふされました。その結果を記録したものが五十嵐鑑定書です。警察は、発見された死体が中田善枝に間違いないことを確認した上で、すぐ死体を調べています。その死体捜査ともいえることが、そもそもいいかげんなもので、勘にたよって、強姦殺人と見なすものでした。しかし、その見地から、死体鑑定を医師・五十嵐勝爾に要請したのです。そして、五十嵐鑑定書が作られました。
 五十嵐が、警察から依頼された鑑定事項は、「一、性別、二、創傷の部位程度、三、凶器の種別、四、姦淫の有無、五、血液型、六、その他参考事項」です。不思議なことに、警察の依頼項目には、死因および殺害方法はなかったのです。しかし、先に述べたように警察は、発見された死体を独自に調べ、すでに、強姦され首を絞められて扼殺された、と判断していたのです。そして、五十嵐はその警察の意図を汲んで、みずから、殺害方法を付け加えて鑑定書をつくっているのです。
 問題の五十嵐鑑定ですが、それは厳密さにかけ、多くの問題点をもったものです。被害者の死体検屍の検討・批判に耐えるような科学的厳密さをもたない、およそ鑑定に値しないものです。
 たしかに法医学という学問があり、五十嵐鑑定もそれにのっとっておこなわれたとされています。しかし、そもそも、法医学というものが学問的批判に耐え得るものではないともいわれています。
 法医学は、いちおう臨床、衛生とともに応用医学の一分野とされていますが、「具体的には、社会の治安を維持するために、犯罪の捜査に必要な医学的事項を研究したり、民法上および刑法上の医学的事項を研究したり鑑定する学問」(船尾忠孝著「法医学入門」)であり、治安維持の観点が最優先されています。そして実際には、「法医学は各種の変死体について、その死因、個人識別、性別、年齢などを明らかにしさらに進んで自殺か、他殺か、病死か、過失死か、災害死かを鑑別し、損傷の種類、程度、生前死後の別、成傷器の種別、用法、損傷と死因との関係、死後経過時間などについて検索したり、血痕、精液斑などの検査をして犯罪事実を立証する」(同上)ものとされ、おこなわれています。また、必要な場合には、死体発見現場の検証を鑑定医師がおこなうこともあります。検屍鑑定は、あくまで、犯罪捜査の一環なのです。
 したがって、法医学が、はたして、学問、科学といえるのかについて、科学として確立されたとはいえない、という人がいるのも当然です。また、法医学が人間の死後、つまり死体を対象とするものであることから、もともと警察=犯罪捜査と深く関わっており、権力の役に立つものでなければならないとされるているのです。その点で法医学のあり方をめぐって、学者の間でも見解の相違があるのが現状です。
 本件のような殺人事件の場合、被害者の死体を検屍、解剖しますが、その目的は、死因、死亡時期、犯行の具体的経過様態など、事件の核心を明らかにする情報を警察が得るところにあります。犯行現場、死体発見場所の状況、遺留品などとともに、鑑定の結果が捜査の方向を決定することもあるのです。したがって、死体の鑑定は、多くの場合、事件解明の決め手となる情報を引き出すものなので、慎重かつ厳格に行われなければなりません。目撃者がいる、死因があらかじめわかっているからといって、予断をもって行うべきものではありません。そうした死体鑑定の基本的あり方からいえば、五十嵐鑑定は、明らかに予断を持っておこなわれ、しかも手抜きをした不十分な鑑定であり、必ずしも信頼するにあたいしないといわざるをえません。
 以下、五十嵐鑑定が、デッチ上げに果たした役割をもあきらかにしながら、「被害者の血液型はO型、犯人はB型」という検査のデタラメさ、被害者の後頭部裂傷と出血のとりあつかいのいいかげんさ、そして、鑑定書にある五十嵐の独断と偏見による犯行と犯人の推定をみていきます。

五十嵐がやったことは鑑定に値しない

 五十嵐がやったことを具体的にみていきます。
 五十嵐勝爾は、警察の要請で、飯野簡易裁判所の許可のもと、五月四日午後七時頃から九時頃の約二時間をかけ、掘兼の中田家の敷地内で電灯照明をつかい、助手三人、写真撮影担当の警官とともに、被害者の検屍、解剖をおこないました。さらに、その際、採取した死体材料(血液など)を鑑識課実験室などで検査しています。その結果判明したこと(五十嵐が確認しえたかぎりのこと)を鑑定書としてまとめ、五月一六日に警察に提出しています。
 検屍、解剖をおこなう前の段階ですでに明かとなっていたこととして、死体は中田善枝本人であること、他殺体であること、死亡時期は五月一日の下校時から死体が発見された四日午前一〇時半までの間であること、死後何時間かはうつ伏せの状態で土中に埋められていたことです。これらのことは、当然、五十嵐も頭において検屍、解剖をおこなったはずです。
 ここで問題なのは、検屍、解剖が通常の条件で行われず、悪条件のもとで行われたことです。通常は、特にそのためにもうけられた解剖室で行われるのであり、採光、換気、流水、排水の設備が整った条件が求められるのです。しかし、五十嵐鑑定の場合は、そうした設備のまったくない、きわめて悪い条件のもとで検屍、解剖を行っています。特に照明は重要で、電灯のもとでは、見落とし、見誤りが起こりやすいといえます。色の判断も困難がともないます。この件で、五十嵐自身は、「警察のつごうでそういう条件になった」といいのがれをいっていますが、五十嵐が、警察のつごうを最優先したことは明らかです。。
 つまり、五十嵐は、予断をもって検屍したのであり、鑑定をする前から、その結果がわかっていたようなものだともいえるのです。
 さらに問題は、五十嵐鑑定のやり方です。鑑定は、中田家でおこなったことと、その後実験室でおこなった検査の二つが内容ですが、被害者の血液型の検査をいつおこなったか記載がないのです。また、死体から採取した精液の血液型検査を六日におこなっていますが、精虫検査は即日行っているにもかかわらず、なぜ、血液型検査については二日後におこなったのか不明です。いずれにせよ、検査結果は、六日にでて、すぐ警察に知らせています。
 ここで重要なことは、五十嵐鑑定なるものが、科学的、法医学的に必要かつ十分な厳密さをもち、正確な内容の鑑定といえるのか、ということです。答を先にいえば、法医学がもっている科学としての限界があるうえに、五十嵐鑑定はその法医学のいわば鉄則をふまえていない、およそ鑑定とはよべない不完全なものです。それをこれから具体的にみていきます。
 普通、「科学捜査、科学的鑑定によって明かとなった」といえば、何か否定しがたい事実であるような錯覚に陥りますが、必ずしもそうとは言えません。科学(技術)には、限界があり、明らかにできることとできないことがあります。しかも、鑑定は人間がやることであり、その点で鑑定者の主観が鑑定結果に反映する余地があるといえます。ことに、法医学もふくめて、医学の分野ではまだまだ未解明のことも多く、対象が百人百様の人間であることにも規定されて、個人差を無視することができません。だからこそ、厳密な方法、技術を不可欠とします。そうした基本的なことがらを踏まえて考えてみると、五十嵐鑑定は、医学=法医学、司法解剖、司法鑑定の限界とあり方をしめすいい例だと思います。
 しかし、警察はそんなことはおかまいなしに、フルに五十嵐鑑定を使いました。鑑定で、犯人の血液型がB型とみなされ、警察がそれを知ったのは六日になります。六日は、重要参考人として名前が上がっていた奥富玄二が自殺した日であり、また石田養豚場からスコップが盗まれたと紛失届をださせた日でもあります。警察は、この日を転換点として、養豚場から盗まれたスコップが死体を埋めるのに使われたとの推測のもと、スコップ↓石田養豚場関係者=部落民、血液型B型、殺害は一日(これも五十嵐鑑定を根拠として警察が考えた)で、一日にアリバイがない者を犯人とみて、部落への襲撃=差別捜査にカジをきっていったのです。
 重要参考人が自殺、という一報を聞いた篠田国家公安委員長が「なんとしても、生きた犯人を捕まえる」と発言したことに、警察=国家の意志が示されています。差別捜査へのゴーサインが国家中枢から出されたのです。
 そこで重要なのは、鑑定書は正式には五月一六日に提出されていますが、実は、それ以前の段階、つまり警察の差別捜査の始まりにおいて犯人像を決める決定的な役割をはたしたことです。五十嵐鑑定がなければ、デッチ上げは不可能であり、石川一雄さんが犯人に仕立てあげられることもなかった、といってもいいものです。五十嵐と警察は一心同体です。
 ですから、警察のように、その鑑定内容を無条件に受け入れて、そこから犯人像を描き、どのような犯行だったのかを確定するということは、デタラメの上にデタラメをかさねるとんでもないことです。

裁判で五十嵐鑑定は有罪の証拠とされた

 第一審の内田判決では、石川さんが「自白」したこと、それを公判でも維持したことをもって有罪である最大の理由とした上で、五十嵐鑑定を全面的に採用し、「被告人の血液型は、B型で、被害者の膣内に存した精液の血液型と一致すること」を有罪の根拠としています。寺尾確定判決でも、内田判決について「当裁判所としても肯認することができる」と述べ、全面的に支持し、五十嵐鑑定を採用しています。
 ここで、五十嵐鑑定が、事件捜査と裁判でどんな役割を果たしたのかをみます。正しくいえば、五十嵐鑑定を根拠として警察が組み立てた事件の概要です。
 五十嵐鑑定は、鑑定書で、
「本屍の死亡直前には暴力的性交が遂行されたものと鑑定する」、
「被害者の血液型はO型である」、
「本屍の死因は窒息死である」、
「本屍は他殺死にして、その殺害方法は頚部扼圧」、
「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」、
「本屍に於いては、生存中最後の摂食時より死亡時までには最短三時間は経過せるものと推定する」、
「膣内に存在せる精液の血液型はB型である」、
と検視の結果を結論づけています。
 また、鑑定書では、後頭部の傷について
「その存在部位、損傷程度、特に創口周囲の皮膚面に著名な挫創を随伴せざる事より見れば、棒状鈍器などの使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見なしがたい。むしろ、本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見なし得る。」
と述べ、
 その他の傷については
「一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷と考えられる」
「腹部並びに左右の下肢に認められる死後損傷(線条擦過傷)は、死後死体が『ひきづられたこと』を意味するものと判定する」
と、述べています。
 警察は、この鑑定結果をうけて、事件の筋書きをつくりあげました。第一審での検察側冒頭陳述に書かれた犯行の筋書きにみる警察のねつ造した犯行は、次のようなものです。
「中田被害者の死因は頚部扼圧による窒息死である」
「生前に姦淫されており、膣内に存した精液の血液型はB型であった。死亡時間の推定は同女が最後の食事をした時から最低三時間を経過した頃と認められた(最後の食事は当日正午頃学校でなしたカレーライスの昼食である)」。
 被害者は下校後間もない時間に殺されたとしています。死亡時期について鑑定では一日か二日と幅を持たせ、胃の内容物についてもカレーライスとはいっていないのに、何の根拠も示すことなく一日の昼食後最短三時間に殺害された、としていることには警察の情報操作、責任逃れの意図が見てとれます。中田家から届けがあって捜査をはじめた時には、すでに被害者は殺されていた、とすることで捜査の失敗、二日の犯人取り逃がしの責任を回避しようとしているのです。
 そして、検察側冒頭陳述は「被告人の自供によって明かとなった事実」と称して、拷問と強制、誘導によって石川さんにさせたウソの「自供」、実際は警察の作りあげた、文字どおりのねつ造である犯行状況を述べているのです。
「松の立木を背負わせて同女を手拭いで後手に縛り、更に所携のタオルで目隠しを施してその反抗を抑圧して…………その直後にわかに劣情を催し、後手に縛った手拭いを一旦解いて松の木から外した後再び後手に縛り直して同所より数米離れた杉木立の根元付近まで歩かせて同所でいきなり同女に足がらみをかけて仰向けに押し倒し、同女のスカートをまくりあげて一気に同女のズロースを膝付近まで引き下げ、更に同女の両足を広げてその中に割り込み姦淫しようとした。」
「右手掌にて同女の喉頚部を押さえ、同女が叫び声を出さないようにしたが…………叫び騒ぎ立てようとするので、もはや同女が死にいたるもやむを得ないものと決意し、更に強く喉頚部を押さえつけながら姦淫を遂げ、喉頚部から手を離した時は右喉頚部の強圧により同女は窒息死していた。」
 以上を見ると、五十嵐鑑定の内容にそって、それと矛盾しないように警察が想像し、デッチ上げた犯行実態であることが非常に鮮明です。「足がらみをかけて仰向けに押し倒し」という行為があったことと、強姦し殺害したことが核心です。それは、五十嵐鑑定の結論そのもです。五十嵐鑑定がなかったら、このような犯行の様子を描きあげることなどできなかったのです。石川さんの「自白」の内容も、この五十嵐鑑定をもとにした警察の推理=想像の誘導、強制によって作りあげられたのです。
 第一審内田判決は、この検察=警察の主張を全面的に採用し、死刑の判決を下しました。判決文の「罪となるべき事実」において、検察側冒頭陳述とほとんど同じ表現で「犯行の事実」を述べています。
 そして、第二審の寺尾判決では、
「死体の状況等からしていかにも強盗強姦殺人・死体遺棄・恐喝未遂事件であることを推測させるものがあったので、捜査当局としては、即日死体を解剖して死因が扼殺による窒息死で、姦淫されて死亡するに至ったものであること、膣内の精液から姦淫をした者の血液型がB型であることが判明した」
と、五十嵐鑑定の結果を採用し、第一審内田判決を支持すると言明しています。
 つまり、五十嵐鑑定は、事件の捜査、犯人逮捕、取り調べ、裁判の全過程において一貫して決定的な証拠として使われており、石川さんを犯人にデッチ上げるうえで、絶対に欠かすことのできないものとしてあったのです。
 ところで、以上の検討のうえで、「警察が五十嵐鑑定を利用して、石川さんを犯人にデッチ上げたのであって、利用された五十嵐鑑定には責任を問えないのではないか」という考え方もあるでしょう。しかし、それはまったく違います。五十嵐鑑定は、単に利用されたのではなく、警察の期待にこたえることを意識して書かれたのであり、五十嵐は権力犯罪の下手人そのものです。
 次に、その問題点を具体的にみていきたいと思います。



二、五十嵐は血液型鑑定について無知だ


 警察の捜査で血液型は、どうあつかわれたのか

 被害者の血液型はO型、犯人の血液型はB型と五十嵐鑑定が結論づけたことは、すでにみた通りです。そして、石川さんを犯人にデッチ上げるために警察・裁判所が認定した根拠の一つに血液型が同じB型ということも見たとおりです。しかし、ではなぜ、石川さんが捜査線上にあがり、犯人とされるに至ったり、五月二三日に逮捕されたのか。この点に関して、第二審で証人として出廷した警察の幹部が、注目すべき重要な証言をしています。
 まず、事件当時の特別捜査本部長であった中勲の証言をみます。中は第三九回公判において、弁護士の質問に答えて、
「死体についておりました佐野屋の手ぬぐい、月島食品のタオル、死体解剖の結果の被害者の体内から発見された体液による血液型、それと確か五月六日ごろと思いますが、例の石田豚屋さんから五月一日の晩にスコップを盗まれたという届出がございましたので、これが死体をうめるのに、使われたんじゃないかというふうに考えられましたので、スコップを盗み得る者、あるいは佐野屋あるいは被害者の家の付近、死体埋没現場付近の地理にある程度通じておる者」
と、捜査対象、犯人像を想定したことを述べています。ここでも血液型に注目していますが、なぜか筆跡については触れていません(石川さんの五月二三日の逮捕には恐喝未遂があり、その決め手に筆跡が同一である、ということがあった。石川さんの筆跡調べは、五月二〇日に以前勤めていた東鳩製菓保谷工場から早退届を入手し、二一日に石川さん本人に上申書を書かせ提出させ、それらを筆跡鑑定し、二二日に「脅迫状と同一である」との中間結果がでたと中は証言している)。ここで中は、通常の殺人事件の捜査を行ったかのように語っていますが、実際に行われた捜査は、「スコップを盗み得る者」=石田養豚場関係者=部落民と決めつけ、リストアップし、一二〇人の部落青年を片っ端から犯人にできるかどうかを調べるというものでした。そのリストに石川さんも入っていたのです。
 さらに、中は、弁護士が「石川君を容疑線上に、最初にのせた時期は、大体五月の何日ごろの時期でしょうか」と質問したのに答えて、
「筆跡、血液型を採取して、結果がでた時点で一応、疑わしいという考えも持った」
と答え、さらに、弁護士が「血液型は、逮捕後じゃないですか」と問うと、
「違います。血液型は大体もう出ておったはず」
「資料は煙草の吸いがらだと思います」
「(逮捕の)以前に、二〇日の日ですか、脅迫状の同一筆跡を書いていただいた日に煙草の吸いがらを採取してきているはずです」
と答えているのです。
 証拠書類上は血液型の鑑定結果も、筆跡鑑定の結果も逮捕後となっているにも関わらず、「中間報告」とことわりながら、逮捕以前に、具体的には二二日にわかっていた、と確信をもって答えているのです。二二日は逮捕前日で、逮捕状をとった日です。逮捕状の罪名には恐喝未遂とあり、脅迫状を書いたことが筆跡鑑定で同一筆跡と出たことで逮捕したのであり、血液型は関係ないかのようになっていますが、警察は血液型も含めて石川さんを犯人として逮捕したのです。ということは、恐喝未遂だけでなく、初めから殺人、強姦の容疑もかけていたことを示します。その決め手は、血液型です。警察は、まさに生け贄として、はじめから誘拐殺人事件の犯人にするつもりだったのです。逮捕するための口実は、極端にいえば、何でもよかった、恐喝未遂(脅迫状を書いたこと)ということは、あってもなくてもよかったのです。とにかく逮捕して、「自白」させることが、警察の意図だったのであり、なにが何でもデッチ上げるつもりだったのです。
 石川さんの血液型の正式の鑑定は、逮捕直後二三日に、タバコの吸いがらと、唾液を採取し、それを検査資料として科学警察研究所において判定がおこなわれ、B型という判定結果の鑑定書が六月一四日づけでだされ、同鑑定書が裁判における証拠として採用されています。中は証言のなかで、筆跡と血液型を調べた捜査対象者のリストが作成された、とも証言していますが、そのリストの存在は裁判では確認されていないません。
 また、同じく特別捜査本部の幹部であった将田政二も、第二審第一二回公判に証人として出廷し、重要な証言をしています。
「スコップを盗み得るものは、元石田豚屋に雇われていた者とか、出入り関係者とか、石田豚屋に遊びに出入りしていた者にしぼって捜査をすすめた」
「(その中に石川さんも)入っておりました。」
「石川一雄一人の筆跡が一致し、その他の者の筆跡は不一致でした」
「(それがわかったのは)五月八日ごろから五月二二日か二三日ごろまでの間であった」
「アリバイがはっきりしなかったのは石川一雄一人だけ」
 そして、血液型については、
「石田豚屋のスコップを取り得る人物ということで、血液型の検査をそれらの人を対象に十数名やっております。それは五月八日頃から五月末頃までの間であった」
「(検査方法は)たばこをすいなさいといってこっちからたばこを提供し、そのたばこの吸いがらをもらって来てそれについている唾液から血液型の検査をする、あるいは唾液を吐いてもらって来てそれによって、検査をするという方法をとりました」
「B型のものは石川一雄だけで、他にはB型のものは一人もいないという結果であった」
 この将田証言では、石川さんの血液型を調べたのはいつか、という点は明らかにしていませんが、中証言と合わせてみてみると、脅迫状の筆跡よりも血液型が、石川さんを犯人にデッチ上げられるとみなし逮捕した決め手であることがきわめてはっきりします。血液型=五十嵐鑑定なしに、石川さんの逮捕はなかったことがよくわかります。
 なお寺尾判決では、この点に関連して、
「証人将田政二(第一二回)及び同原正(第一七回)の当審各供述によると、捜査官は、被害者の膣内に残された精液の血液型がB型であることを重視していたところ、石田豚屋で五月一日の夜盗まれたスコップが五月一一日に死体発見現場付近で発見されたことから、石田豚屋の従業員や出入業者に捜査の綱を絞り、それらの者の筆跡・血液型・アリバイなどを捜査した結果、被告人に嫌疑をかけるに至った」
と、警察が、血液型を決め手としていたことを述べ、差別捜査が正当化されています。
 つぎに、高木の再審棄却決定が五十嵐鑑定をどのようにあつかっているのかについて、血液型の問題にしぼって検討し、高木決定の不当性、デタラメさを暴いていきたいと思います。

五十嵐の血液型鑑定のデタラメさ

 まず、五十嵐の血液型鑑定がいかにデタラメなものなのかをハッキリさせたいと思います。そのためには、最低限の認識として、血液型とその検査とは、いったい、どんなものなのかを知る必要があります。
 まず、なぜ被害者の血液型が重要かというと、被害者から採取された精液の血液型を決定するために、絶対にハッキリさせておく必要があるからです。つまり、被害者O型、犯人B型という鑑定結果は二つにして一つなのです。五十嵐鑑定は、被害者の血液型を確定していないのであり、したがって、精液の血液型も絶対間違いないとは言えないのです。
 血液型検査でもっとも重要なことは、人間の血液型を検査してその型を、A型とか、B型とか決定するのは、それほど簡単で単純な行為ではないし、血液型は指紋のように個人を特定する資料にはならない、ということです。そもそも人間の血液型は、ABO型やRH型やMN型など多くの型があり、さまざまな組み合わせがあります。一つ一つの型について、型ごとに検出のための薬品を選ばねばなりません。検査方法は、厳格に定められており、その定めのとおり慎重に誤りなく作業を行わなければなりません。そうしないと、正しい型を決定できず、誤りをまねくことになるのです。今現在も、実際の医療現場で、ABO型の判定の誤りで、輸血不適合が起こっており(そういう事例は多くないとはいえ)、それを完全になくすことはできないといわれているのです。
 血液型は、血液検査以外にも、唾液や精液や汗などを検査して調べることができるのはよく知られていることです。しかし、そこで注意しなければならない重要なことは、分泌型と非分泌型があって、非分泌型の人の唾液をいくら調べても血液型は明らかにならず、まちがってO型とされることがあるということです。非分泌型の人はだいたい二五パーセントいるといわれています。犯罪捜査においては、血液型を知るだけでなく、分泌型か非分泌型かを知ることが重要となります。分泌型か非分泌型かを知るには、そのための検査を独自におこなう必要があります。
 一番知られている血液型は、ABO型ですが、その判定をするためには、かならずオモテ検査とウラ検査の両方を行わなければならず、「オモテ検査だけでは検査を行ったとはいえない」(船尾忠孝著「法医学入門」)のです。また、場合によっては、連銭形成と呼ばれる現象が起こったり、汎凝集反応や寒冷凝集反応が起こったりするので、注意を必要とします。そのうえ、「亜型」と呼ばれる血液型もあるので、検査の際は十分注意する必要があります。「亜型」とは、たとえば、A型であるにも関わらず、通常の検査ではA型の反応をしない血液型です。「亜型によっては特別な抗体を用いたり、ウラ検査の抗体価を測定したりしなければ判明しないものもある。要するに亜型は非常に複雑で、決定するためには専門的に充分な検討を加えなければならない」(同上)とされています。
 五十嵐は、被害者の血液型と、被害者から採取された精液の血液型をしらべています。重要なのは、被害者の正確な血液型がわかっていないと、精液の血液型を確定できないということです。
 しかし、五十嵐鑑定の血液型検査は、血液型検査の厳密さ、むずかしさをまったく無視したものです。人間の血液型とは、どのようなものなのかについての基本的認識が、五十嵐にはありません。
 ですから、被害者の血液型は確定しておらず、したがって、精液の血液型も確定できないという両者の関係をまったく無視したものです。
 鑑定書によると、被害者の死体解剖を行ったとき、心臓から流れでた血液を血液型検査のため保管したことになっています。どのように保管したのかは記載がありませんが、保管状態によっては、血液、血球に変化が起こることを考えると、保管状態はどうだったのかは血液型を判定する際に考慮し、検討しなければならないことです。これが第一の問題です。
 第二の問題は、オモテ検査しかしていないことです。先にみたように、これではABO型検査をおこなったとはいえません。何型かの結論を出すことはできないのであって、「本屍の血液型はOMN型である」と五十嵐は断定していますが、それは実質上なんの意味もない、科学的根拠に欠けるたわごとにすぎません。五十嵐は、被害者の血液型などわかっても、捜査には役立たない、と考えたのかもしれません。いずれにせよ、五十嵐のやった検査は、血液型検査とはいえません。O型の可能性がある、というだけのことで、裁判で証拠として扱うことなどできない水準のものです。この点からいえば、五十嵐鑑定書を証拠として採用し、全面的にみとめた裁判は、裁判とは名ばかりで、デッチ上げを完成させ、石川さんに死刑判決を下す場だったのです。
 第三の問題は、さらに分泌型か非分泌型なのかを調べていないことです。それを調べるための、もっとも一般的な資料である唾液の採取と検査が行われていないのです。被害者の検屍、解剖を行ったとき、その唾液を採取することは容易にできたのであり、それを行っていないことは、五十嵐が被害者の血液型を本気で調べる意志がなかったことを示すものです。さらにいえば、被害者の膣内から採取されたものが精液なのか、被害者の分泌液(被害者が分泌型であれば被害者の血液型が検出される)なのか、その両方なのかがわかっていないのにもかかわらず、まったく考慮していません。
 ちなみに、五十嵐は、死体発見の状況について事前に知っており、そのため、膣内から採取されるのは犯人の精液だと決めつけ、予断をもって、検査を行ったのです。およそ客観的、科学的検査とはいえません。
 第四の問題は、亜型の可能性をまったく考慮していないことです。何よりも、ウラ検査をしていないことが、それを示しています。たしかに、亜型の人は少ないといえますが、被害者が亜型ではないと事前にはっきりしていない以上、場合によっては、家族の血液型検査をもおこなって、亜型ではないこと、あるいは亜型であることを判定するべきです。そこまでする必要はないと考えた五十嵐は、「血液型とはなにか」という基本認識を無視した、あるいは、もともと基本認識を欠いている、といわざるをえません。
 したがって、正確に表現すれば、五十嵐鑑定は、被害者の血液型を明らかにしておらず、被害者の血液型は不明だということです。被害者の血液型はO型だと誰も断定できません。したがって、精液はB型とも断定できません。
 警察の問題意識、犯人捜査に役にたつための検屍、解剖、検査が五十嵐のやったことです。五十嵐は、警察の御用医者であり、石川さんデッチ上げの御先棒をかついだとんでもない奴です。そして、第一審以来、高木決定も含め、そうした五十嵐のデタラメな鑑定書を証拠として採用し、石川さんを犯人としてきたのです。

被害者から採取された精液の血液型は証拠にならない  
 以上みてきたように、被害者の血液型は確定されたとは言えません。それなのに、五十嵐は被害者の血液型を無視して、精液の血液型検査をおこなったのです。それは、あきらかに科学的、医学的検査とはいえません。
 被害者の膣内から採取した標本は、「脱脂綿を膣腔に挿入して」採取したものであり、脱脂綿に付着、あるいは吸着されたものについては、被害者の体液も考えにいれなければならないにもかかわらず、鑑定書によれば「精虫検査の目的をもって、この脱脂綿を保管す」と書かれているのみであることから、脱脂綿に付着したものは精液のみであると、五十嵐は考えたことがわかります。
 検査、観察によって精虫が確認されましたが、その血液型検査に際しては、被害者のものも含め複数の血液型が存在する可能性があったわけですから、そのことに注意をはらうのは当然です。しかし、五十嵐は、まったくそれを考慮しないデタラメな検査しかやっていません。したがって、精液はB型という鑑定結果を、何の疑いもなく受け入れることなどできません。検査資料の採取のしかた、検査のやり方によっては、ほかの血液型が検出された可能性を否定できないのです。
 たしかに、どのように調べてもB型だったという可能性もいえばいえるのであり、水かけ論になってしまいます。そこで、寺尾判決や高木決定では、意図的に問題を「可能性のある、なし」にして、事実をつきとめることを放棄し、五十嵐鑑定を無批判・無検討に採用して、一方的な個人的推測をもって結論を導きだすというデタラメをやり、「石川さんが犯人であることは間違いない」と断定(こじつけ)したのです。まさに国家権力を暴力的に行使したとしかいいようのない判決、決定をしているのです。断じて許されません。
 しかし、血液型をめぐって、なぜ、可能性を論じなければならないのか、確定することができないのか、裁判官がかってな自説を述べることができるのか、をつきつめて考えると、五十嵐鑑定は精度、信用性において、鑑定とは呼べない水準であり、可能性の問題を排除して、被害者はO型で犯人はB型だと断定することができない、ということに行きつくのです。つまり、五十嵐鑑定は、もっとも核心的なところで、事実をまったく確定していない以上、裁判で証拠としてあつかってはならないものなのです。
 そのような証拠たりえないものを、あえて強引に証拠として採用してきたことによって、確定判決=寺尾判決も、今回の高木の棄却決定も共通した論理矛盾、法律の無視、裁判制度の事実上の否定を生じさせているのです。裁判官が自説=仮説をふりまわし、有罪を宣告するとは、もはや裁判ではありません。そこまでして、有罪判決=デッチ上げを押し通とおしているところに、権力犯罪のどす黒い正体が表れているのであり、差別裁判であることが見てとれるのです。

五十嵐は権力犯罪の積極的加担者だ

 では、なぜ、五十嵐は、このような、いいかげんな鑑定を行ったのでしょうか。それは、五十嵐が警察と同じ立場、考え方に立っていたからです。警察の立場とは、「生きた犯人を捕まえる」、デッチ上げてでも犯人を逮捕する、石川さんを犯人に仕立て上げることです。
 五十嵐の立場は、鑑定書の中で、犯行と犯人像を推測によってかってにえがきあげていることをみればわかります。血液型だけが五十嵐鑑定ではないのです。
 ここでは、五十嵐が、「本屍の死亡直前には暴力的性交が遂行されたものと鑑定する」と書いている事を問題にします。
 そこには、五十嵐が、暴力的性交が行こなわれたとみなしたことと、殺人を結びつけた見方をしたことが示されています。だから、B型の者が、殺人犯である、ということです。
 しかし、死亡直前に性交が行われたのかどうかは、鑑定書のどこを見ても、その根拠が書かれていません。いつ性交が行われたのかは、検屍、解剖によって明らかになるようなことではありません。五十嵐は、何をもってそう断定したのでしょうか。事実無根の独断です。
 また、検屍によって多数の皮下出血を見いだしたことをあげて、「その他の皮下出血はいずれも鈍体との接触により生じたものであるが、損傷程度はいづれも軽く、一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷と考えられる」と書いていますが、それが暴力的性交が遂行されたことの証拠、痕跡だとは断定できません。殺害行為と性交というふたつの行為を結び付けて考えなければならないような傷や皮下出血があるとは、鑑定書のどこを見ても書いてありません。にもかかわらず、五十嵐は、ふたつの行為を結び付け一体のものとみなしているのです。
 殺害と性交の間に時間差があることも十分ありうるのであり、その場合、性交ではなく殺害行為に抵抗して、「一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷」を受けたこともありうるわけです。
 このように、五十嵐は、検屍、解剖によって確認した事実の範囲で鑑定したのではなく、あきらかにその範囲を勝手に逸脱し、犯行を推理して、それを鑑定書にして、警察のデッチ上げの証拠を作ったのです。
 強姦殺人事件と考えていたのは警察であり、五十嵐は警察の考えを受け入れて鑑定を行ったのであり、その鑑定は、まさに、強姦殺人事件の被害者であることを「証明」するものになったのは当然といえば当然のことです。何度も確認しますが、こんな五十嵐鑑定を証拠として採用する裁判は、裁判という名前の、犯人デッチ上げの場にほかならないのです。

五十嵐鑑定を擁護し居直った高木

 高木決定では、五十嵐鑑定をどのように取りあつかっているのか、決定文にそって検討します。
 高木は、五十嵐鑑定が、オモテ試験だけおこなってウラ試験をやらなかったことを「血液型判定の確かさをみるうえで弱点ではある」としたうえで、「通常の血液型である限り、それ相応の信頼性はあると認めてよい」「亜型、変異型の存在が極めて希であることは、所論援用の血液型関係文献等の成書に明か」「結局、被害者の血液型をO型とする判定には、総体として、相当の信頼性が認められる」と結論づけ、五十嵐鑑定を証拠として認めています。
 高木は、五十嵐鑑定における被害者の血液型検査は、「弱点がある」けれども、検査として成立している、信頼できる、としたのです。高木は、一裁判官にすぎないのであり、医者でも法医学者でも、血液型鑑定の専門家、経験者でもありません。その高木が、医学、法医学が長年にわたって積み重ねてきた研究の成果として作り上げてきた、「血液型とは何なのか」「血液型検査はこうあるべきだ」という科学的見解を、いとも簡単に否定したのです。
 五十嵐による血液型検査が、検査として成立していない以上、その結論=「被害者の血液型はO型」は何の意味も価値ももちえません。ところが、高木はそれを、単なる「弱点」にすりかえることで、証拠として問題ないとしたのです。とんでもない暴挙です。法医学が、学問として、科学として成立している根本のところを、否定したのです。
 さまざまな犯罪のなかで狭山事件と同様に、法医学にもとづく鑑定が行われており、その鑑定が裁判で証拠としてあつかわれていることは周知の事実です。高木は、それらの裁判のすべてを、法医学にもとづく鑑定のすべてを無意味なものとしたのです。高木は、自分が裁判長だ、自分が法律であり、いっさいが自分の考えによって是非が決まるのだ、法医学など無視してしまえと不遜にも宣言したのです。高木は、自分を誰よりも偉い独裁者に祭り上げているのです。つまり、法医学を否定することで、法医学からはずれた五十嵐鑑定を「信頼」するといい、五十嵐鑑定を許容するものが法医学である、と新たな高木式法医学とでもいうべきものをデッチ上げたのです。
 では、その高木式新法医学とは何なのかというと、五十嵐鑑定はまちがっていない、正しい、という高木の個人的見解にすぎません。このことは、高木が五十嵐と同じ立場にたって狭山事件をとらえていること、すなわち、石川さんを犯人にデッチ上げた警察と同じ立場にたち、警察と一体であることをしめします。高木は、権力犯罪の下手人にほかならず、徹底糾弾によって打倒すべき対象です。

犯人はB型と改めて断言した高木の犯罪性

 こうした高木の五十嵐鑑定に対するあつかいは、被害者の体内から採取した精液の血液型の検査についても一貫しています。
 高木は採取した精液は犯人のもので、その血液型は犯人の血液型にまちがいないと、頭から決めつけていることが、決定文に実にはっきりと表れています。五十嵐鑑定の鑑定書の内容をそのまま記述し、「五十嵐鑑定人は、膣内容物の血液型をB型と判定したのであるが…………妥当なものであったと認められる」と、最後に一文をつけ加えているだけです。その後から弁護側提出の上山第一鑑定を、もう結論はでているので、検討しなくてもいいのだが、まあやっておこうという態度で引用しているだけです。実際は、検討などしていないのです。
 高木決定文は、ほかの問題では、まず弁護側の主張を高木なりにまとめ、それを受けて検討し、高木の意見、結論を述べる書き方になっています。ところが、この問題では、まず五十嵐鑑定そのものを高木が文章にまとめ、高木の結論を先に述べています。高木は、この問題での五十嵐鑑定を絶対的に護持して、犯人はB型、石川さんもB型、犯人は石川さんにまちがいない、誰が何と言おうと有罪だとごり押ししています。高木は、「石川さんは有罪だ」という信念に骨の髄からこりかたまった人物です。再審なんかやる必要などないと、はじめから確信している人物です。裁判官というのは仮面で、実際は、刑罰の執行人、差別主義者です。
 それで、筆が滑って墓穴を掘ることを書いてしまったのです。
「専門家一般の承認を得た術式を忠実に履践して検査を行っても、血液型の判定を誤ることがあり得るのである」
「ABO式血液型の判定検査が、このようなものであることを考えると、五十嵐鑑定の血液型検査の過程に前示のような不備があることを理由に、直ちに証拠として無価値と断定してこれを捨て去るのは相当とはいえないのであって、血液型判定が絶対的確度を持つものではないことを弁えながら、立証命題との関連において、証拠価値を吟味・評価すべきである」
 こんなことをいったい、誰に向かって言っているのか。「血液型の判定を誤ることがあり得る」「不備でも価値がある」だと。そんなものを証拠として採用し、有罪=再審棄却の理由にしたのは、いったい誰なのか。まさに天に唾するような見解であり、そのようなことを得意げに述べる高木は、その根底から権力犯罪の確信犯です。再審棄却を自己の使命だと考え、棄却決定をおこなったのです。
 五十嵐と五十嵐鑑定、高木とその棄却決定、これらは完全に一体のものであり、徹底糾弾と、粉砕の対象です。石川さんを有罪のままにし、見えない手錠でしばりつけ、裁判をやり直すことを認めず、狭山差別裁判を今なお強制している元凶です。

確定審=寺尾判決崩壊においつめられた高木の棄却決定

 高木は、この血液型の問題の項の最後に、石川さんがなぜ犯人にデッチ上げられたのか、という権力側のデッチ上げの核心問題にふれています。高木は、犯人は石川さんにまちがいない、なぜなら、スコップをめぐる捜査から石川さんが浮かび上がってきたのだから、たとえ血液型検査が不備であったとしても、有罪という判決は変わらない、といっています。つまり、血液型、五十嵐鑑定を問題にしなくても、石川さんが犯人だという結論にいきつくのだから、五十嵐鑑定についての追及はやめてほしいといっているのです。しかし、先に見た警察の証言にあるように、血液型こそ石川さんを犯人にデッチ上げる決定的根拠だったのです。
 五十嵐鑑定ー血液型問題で、深く突っ込まれると、寺尾判決が成立しなくなり再審棄却はできなくなるので、血液型と無関係なスコップをめぐる捜査をもちだしたのですが、その結果、警察証言と矛盾する結果になっています。しかし、そんなことにはおかまいなく、警察の差別捜査を承認し、五十嵐鑑定をあくまで擁護しようと意図したのが高木です。
 高木は、寺尾判決全面擁護を隠そうともしていません。棄却決定することが目的なのです。その居直りの姿を、決定文から抜き出してみます。
 高木の棄却決定文では、
「確定判決は、所論の事実誤認の主張に対する判断の項で、自白を離れて客観的に存在する証拠の一つとして、血液型を取り上げ」
と、寺尾判決における血液型問題の証拠上の意味を確認して、寺尾判決から
「原判決が『5被告人の血液型はB型で、被害者の膣内に存した精液の血液型と一致すること』が被告人の自白の信憑力を補強する事実であるばかりでなく、自白を離れても認めることができ、かつ、他の情況証拠と相関連しその信憑力を補強し合う有力な情況証拠であると認定したのは、当裁判所としても肯認できる。」
というところを引用し、五十嵐鑑定を証拠として採用して石川さんのデッチ上げを「正当化」したことを確認し、さらに、第二審において、
「上野正吉作成の鑑定書により、請求人の血液型は、ABO式でB型、MN式でMN型、Se式で分泌型であることが明確になったこと、捜査に当たった警察官、検察官の証言等により、石田豚屋で五月一日夜に盗まれたスコップが、後日死体発見現場付近で発見されたことから、右石田豚屋出入りの者に捜査の目が向けられ、筆跡、血液型、アリバイなどを調べた結果、請求人に嫌疑をかけるに至った」
ということが明らかになったのだから、石川さんが犯人だと寺尾が判断したのは当然だ、とつけくわえて寺尾判決を擁護するのです。
 高木は、このように寺尾を擁護し、権力犯罪を正当化した上で、さらに、寺尾判決では、
「以上を要するに、原判決が被告人の血液型と被害者の膣内に残された精液による血液型とが同一であることを、有力な情況証拠としている点は、当審における事実の取調べの結果によって一層その正当性を肯認することができる」
と判定していることに対して、賛成し、血液型が同じなのだから石川さんが犯人であることにまちがいない、と念を押すのです。高木自身は、事実調べをしていないにもかかわらず、寺尾判決は、まったく当然の判決であり、そのなかで、血液型が「有力な情況証拠」とされたのも、同感である、というのです。ですから、
「確定判決が援用する五十嵐鑑定の血液型判定の検査方法には問題があり、被害者の血液型が確実にO型であると断定まではできないが、その血液型が亜型や変異型という希有な場合でなく、通常のものである限り、その判定は妥当であり、これを前提とすると、膣内に存した精液の血液型をB型とする判定も納得できることは、先に検討したとおりである。また、血液以外の体液からABO式血液型が判定されたこと自体、Se式血液型が分泌型であることを推認させるものであり、本件の場合、被害者の膣内の精液のSe式血液型が分泌型とされたことも了解できる」
と、あたかも五十嵐鑑定に問題があるかのようにいいながらも、しかし、鑑定結果は「了解できる」、というペテンを労する論法で、血液型問題をいなおったのです。
 くずれかけた寺尾判決を、五十嵐鑑定の血液型判定は正しい、と改めて宣言しごりおしすることで、まさに力づくの強引さで、擁護し、再審は必要ないと結論づけたのが高木決定です。
「所論援用の新証拠も、血液型のうえで、請求人が犯人である可能性を積極的に否定するものではなく、これらの証拠を、右五十嵐鑑定書を含む確定判決審当時の関係証拠に併せて検討しても、依然として、犯人が被告人と同じABO式でB型、Se式で分泌型の血液型の持ち主である蓋然性が高いということができるのである。そして、右のような血液型の一致の事実は、それのみで請求人が犯人であることを意味するものでないことは勿論であるが、請求人と本件犯行との結びつきを考察する上で、自白を離れて存在する、客観的な積極証拠の一つとして評価することができるというべきである」
 弁護側が、いくら新たな鑑定書を新証拠として出してきても、五十嵐鑑定の証拠価値はゆるがない、今なお有罪判決は生きている、と念を押していうのです。請求人=石川さんの血液型は、B型ではないか、犯人と同じだ、いまさら何を言っても血液型が一致するのだから犯人なのだ、と高木は決めつけ、再審の必要性を抹殺しようとしています。そして、狭山闘争などやっても無駄だと、闘争解体をつきだしたのです。
 これは、再審を要求する石川さん、部落大衆と多くの労働者人民に対する挑戦状です。「お前らが何を言っても無駄なのだ、再審など絶対にやらない」という国家権力の意志が高木という裁判官の口をとおして語られているのです。それは、警察が犯人はB型の血液型だと決めつけておこなった、デッチ上げのための差別捜査を全面的に承認せよ、警察のいったことに間違いはない、文句をいうな、ということであり、とうてい許すことができません。
 しかし、それは、狭山差別裁判糾弾闘争をたたかう多くの人々の存在を知っているが故の、強がりでもあります。狭山闘争が権力の差別犯罪を徹底糾弾し、無実、差別をあばき出し、今日もなお永続的、大衆的にたたかわれていることが、国家権力には信じがたいことであり、恐ろしいことなのです。国家権力に対する不信の表明にとどまらず、国家権力を犯罪者として糾弾する広範な人民の存在は、治安の維持をあやうくするものであり、放置できないものだから、必死になって弾圧するのです。その観点からみれば、高木決定は、再審闘争が国家権力と狭山闘争勢力との非妥協的たたかいであることをあらためて明確にしたものであり、狭山闘争にたいする敵対、破壊策動であり、弾圧そのものであると言えます。


三、デッチ上げの弱点、後頭部裂創、血痕問題


 警察のデッチ上げや「自白」において、また裁判においても、どうしても説明のできない、触れることのできないことのひとつに、被害者の後頭部の傷の問題があります。警察は、この傷の問題をあきらかに避けて通ろうとしています。なぜか。それは、「自白」が警察のデッチ上げストーリーで強制、誘導されたものだからです。警察は犯行現場はどこなのか、具体的にどのように行われたのか知らないのです。だから「自白」=取調調書のどこにも、この傷のことは出てきません。
 この後頭部の傷の問題は、どうでもいいもの、捜査上問題にならないもの、と言えるのでしょうか。犯行とはかかわりのないことなのでしょうか。この傷こそ、犯行現場はどこか、どのようにして殺害したのかと言うことなどとともに、真犯人しか知らないことです。石川さんの無実を示す、決定的な証拠の一つです。

五十嵐鑑定であきらかになること

 問題の後頭部の傷とは、どのようなものか。鑑定書には次のように書かれています。
「後頭部に頭皮損傷一個存在す。皮膚創口は柳葉状、、、その大きさは約一・三糎長、約〇・四糎巾にして、長軸の方向は左上方より右下方に向かい斜走す。」
「両創端は比較的尖鋭にして、両創縁は共に正鋭ー平滑ならずして、僅かに坐滅状を呈し、微小の凹凸を有す」
「創壁はやや不整にして、創洞内には架橋状組織片が著明に介在す。創洞の深さは帽状腱膜に達し、創底並びに創壁には凝血を存す。」
「その他には特記すべき損傷・異常を認めず」
 出血があったことが、「凝血を存す」と書かれていることからわかります。しかし、どのぐらいの量の出血があったのかは、まったくわかりません。傷の周辺の皮膚や髪の毛に血痕があるともないとも書かれていません。「その他には特記すべき損傷・異常を認めず」とあることから、出血の程度はまったくわかりません。
 一般的に、頭部の損傷では、比較的多くの出血があることが知られています。筆者は、額の髪の毛の生えぎわに四針ほど縫うケガをしたことがあります。全治一〇日間のケガで、そうたいしたものではなかったが、出血が多く、着ていた服に血がつき、床に血が滴り落ちたのを覚えています。
 被害者の傷は一・三センチですから、医者にいけば、一〜二針縫合する治療が行われる程度のものです。ある程度の出血があったと考えることができます。それは、鑑定書にある傷の具体的程度からも予想できることです。しかし、鑑定書では出血についてまったく触れていません。これは、大いに疑問です。五十嵐は、この傷が、致命傷ではなく、被害者の死因とも関係ないので、それほど注意をはらってみていません。傷そのものは見たものの、当然あるべき出血については、まったく意に介していないのです。
 問題は、この傷の原因について鑑定書で次のように述べていることです。
「後頭部裂創は、その存在部位、損傷程度、特に創口周囲の皮膚面に著明な坐創を随伴せざる事よりみれば、棒状鈍器等の使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見做しがたい。(勿論断定的否定ではない)むしろ、本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見做しえる。」(カッコは五十嵐の挿入)
 五十嵐は、ここでは可能性の問題として、推測を書いているわけですが、実際は、何によって、どのようにしてできた傷なのかについては、いろいろの場合が推測できるのであり、五十嵐もその点を否定していません。
 しかし、ここで一つ注目に値することとして、問題の傷を「裂創」と表現していることです。裂創とは通常、反対方向への牽引力、または骨などの上の組織に加わった圧迫力により、皮膚が弾力性以上に伸展したときに起こる外傷のことです。頭部裂創の場合、石や、棍棒、バットのようなものとの衝突によって、皮膚が打撃による圧力に耐えられず裂けてしまった、といえます。打撃の強さ、部位、方向、凶器の種類によって、傷の程度は異なるものとなります。
 五十嵐は、「棒状鈍器等」による傷であることには否定的ですが、「鈍状角稜を有するもの」による傷であることには肯定的見方をしています。たとえば、石のようなものとの衝突による裂創と推測しているのです。五十嵐は衝突の原因を、「本人の後方転倒」と推測していますが、断定することはさけています。五十嵐の書いたことからは、五十嵐自身は「断定的否定ではない」と表現しながら否定的に書いていますが、石や「棒状鈍器等」でなぐられた場合も、同様の裂創ができることは五十嵐も否定できていないのです。
 もし、なぐられてできた傷であれば、加害者=犯人はこの傷のことを絶対に知っていることになります。どんな傷かわからないとしても、一・三センチの裂創ができるぐらい強く殴りつけたことを自覚しているわけです。何が凶器かも当然知っていることになります。後方転倒時にできた傷なら、出血の度合いによっては、髪の毛にかくれて、犯人が気づかない場合もないとはいえません。
 こうしてみてくると、後頭部の傷が、なぜできたのかをあきらかにすることで、どのような犯行が行われたのかがわかるのであり、捜査上見のがすことのできない問題です。

警察のとりあつかい

 しかし、警察は、この問題に関しては、決して触れようとしません。傷などないようなあつかいを捜査過程でも裁判でも一貫してしています。なぜでしょうか。それは、この傷が、なぜ、できたのかについて、デッチ上げのストーリーを考え出すことができなかったからです。なぜ、傷ができたのか、どこでできたのか、警察は何もわからなかったし、犯行の筋書きも思いつかなかったのです。だから、当然にも、事件とはまったく無関係で無実の石川さんに「自白」させることもできなかったのです。「自白」調書には、この傷のことは一文字もでてきません。寺尾判決では、この傷の問題に触れざるをえなくなり、「被告人は員及び検調書中でこの裂傷や出血について触れた供述をしていない」と、しぶしぶ認めています。
 警察は、どのように犯行が行われたのかを描き出すために、五十嵐鑑定に飛びつきました。「本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見做しえる」と書いてあることを、犯行の事実だと、何の根拠もなく、まったく自分勝手に、事実と断定したのです。警察は、それが、五十嵐の推測にすぎないもので、根拠もない想像上の産物であることを誰よりもよく知っています。しかし、石川さんを犯人に仕立てるために、「自白」で「足をかけて仰向けに倒しました」(六月二五日付供述調書)と石川さんに言わせ、また、みずから「(被害者に)足がらみをかけて仰向けに押し倒し」(第一審の検察側冒頭陳述書)と述べるのです。そして、その時に後頭部に傷を生じた、とはまったく言わないのです。後方転倒はあったが、傷はなかったかのようです。きわめて作為的です。
 そして、警察は、五十嵐鑑定を証拠として後方転倒があったことは事実である、だから、後頭部の裂創はその時できたものだ、と無言の説明をし、犯行についてあたかもすべてのことを解明したかのようなふりをして、後頭部裂創についていっさい語らないのです。あえてそれ以上を語ることは墓穴を掘ることになると、沈黙をきめ込んだのです。この問題でも、警察は、五十嵐鑑定を自分のつごうのいいように使い、五十嵐は、警察が使えるような(警察が使うことを意識して)鑑定書を書いたのです。五十嵐鑑定と警察のデッチ上げ捜査は、まさに一体のものです。
 この警察の作為、思いつき、百歩ゆずって言っても仮説にすぎない被害者の後方転倒について、白紙にもどして考えてみる必要があります。五十嵐の言うように、生前の傷だとすれば、犯人による何らかの行為によってできたことは間違いありません。したがって、傷そのものに犯人が仮に気づかなかったとしても(出血の量によっては、髪の毛にかくれて気づかないことも仮定としてはあり得る)鑑定書にあるような裂創を生じるような激しい行為を加害者=犯人がくわえたことは、犯人自身知っているわけです。警察はそれを「足払いをかけ押したおした」ということで説明し、犯人は裂創ができたことに気づかなかったと、仮説にすぎないものを事実であるかのようにあつかい、「自白」させ、その「自白」を根拠に居直っているのですが、それ以外にもいくつも仮説が考えられます。
 石等でなぐった、被害者の頭部を石のようなものにたたきつけた、などです。さらに、傷が、殺害後にできたものとすると、犯人は、死体を相当荒っぽくあつかったことになります。死体をどうあつかったかは、犯人の具体的行為の問題であり、犯人自身は知っていることです。いずれにせよ、犯人は、後頭部の裂創について知っている、あるいは、犯人自身の被害者に対する攻撃について知っている、そのことを通して間接的に裂創についても知っているのです。それに対して、犯人ではない石川さんは、当然ですが何も知らないのです。
 繰り返しますが、被害者の後方転倒は、警察と五十嵐によって考え出された一つの仮説にすぎないのであり、それを事実として断定するいかなる証拠も見つかっていないのですから、正当な裁判なら十分な調査、検討を行い裂創がなぜ生じたのかについて、きちんと判断すべきです。

裂傷の存在は裁判で事実上無視された

 では、実際の裁判では、この傷はどのようにあつかわれてきたのでしょうか。
 第一審では、警察の思惑どおり、まったく問題にされませんでした。先に引用した検察官冒頭意見陳述でも、まったく触れていません。そして、内田判決文でも、まったく触れられていないのです。被害者の死体には、後頭に裂創があるという事実すら完全に隠されています。もちろんデッチ上げられた石川さんが、証言で触れることはあり得ないし、事実、まったく言っていません。
 第二審では、弁護側が、問題にしたので触れざるをえませんでした。寺尾判決では、「後頭部の創傷について」と項目をもうけています。しかし、その内容は、弁護側の上田鑑定に対応する形で問題にし、結局は五十嵐鑑定を採用するというものです。そして、出血問題(詳しくは後述します)としてとりあげ、五十嵐鑑定が何も書いていないのだから、「あったとしてもさほど多量ではなかったと考えるのが相当」と結論づけました。しかし、寺尾判決も、「自白」に後頭部の外傷(出血)のことがまったくないのはなぜか、という問題については、無視し、まったく検討していません。そして、後頭部裂傷を問題にするのは、「失当である」の一言でかたづけるしかなかったのです。つまり、後頭部裂創については、触れたくない、触れなくていいのだ、判決はそんなことを検討しなくても出せるのだ、いずれにせよ有罪は変わらないのだ、と問答無用の居直りを決め込んだのです。ようは、デッチ上げの秘密が暴かれることをおそれ、徹底して避けることにしたのであり、触れることができなかったのです。
 高木の棄却決定においても、基本的には同じあつかいです。高木の結論は、この問題について寺尾判決以上のことは言っていないのです。つまり、五十嵐鑑定以上のことはいわない、いえないことに変わりはなく、後頭部裂創があることを確認するだけです。高木にとって、どうやって再審を棄却するのかこそが問題であり、有罪判決を見直すことなどはじめからやる気がないのです。

出血、血痕はほんとうになかったのか

 五十嵐鑑定は、後頭部裂創について推論を書いたのですが、なぜか、出血については、一言も書いていません。生前の傷であり、出血があったことは認めていますが、流れ出た血液がどうなったのか、どのぐらいの量だったのかについては、なにもなかったかのようにあつかっています。つまり、五十嵐鑑定では、出血は、どうとでもいえる余地があるのです。
 警察は、デッチ上げにつごうのいいように解釈して、出血の量は、犯人が気づかない程度であり、少量であったと見なしました。だから、「自白」でまったくでてこないのです。そして、少量であったために、目隠しのタオルや、被害者の服に血痕がないのだとして出血問題を追究しないことにしたのです。そして、デッチ上げた殺害現場や、死体を隠した芋穴に血痕があるかないかは問題にしないことにしたのです。そのことは、寺尾判決に「本件の殺害現場、芋穴の中及びその間の経路等につき血液反応検査など精密な現場検証を行っていたならば、本傷による外出血の存否はあきらかになったことであろう。しかるに、被告人の着衣や被害者の着衣に血痕が付着していたかどうかについてすら鑑定がなされていない」と言われています。
 しかし、事実として、第二次再審において、検察側から新証拠として、一九六三年七月五日付け埼玉県警本部刑事部鑑識課警察技師松田勝作成の「検査回答書」が開示され、その中で「甘藷穴の穴口周囲及び穴底について血痕予備試験の内ルミノール発光検査を実施したが陰性であった」と書かれていることがあきらかになりました。また、弁護士が松田勝と面接して聞き出したことから、殺害現場でもルミノール反応検査を行ったが、反応はなかったこと、その結果を報告書として提出していたこともあきらかとなっています。そして、被害者の服などの血痕検査を徹底してやったのか、やらなかったのかハッキリしません。そうしたことの報告書は、検察が隠し持っているわけです。
 なぜ、隠しつづけてきたのでしょうか。警察は、石川さんに「自供」させた後で、「自供」を裏付けると称して、アリバイ的に「犯行現場」の血痕検査を行っていたのです。元々デッチ上げた場所だから血痕などあるはずがないことを警察は知っていながら、もし万が一裁判で問題になったときに備えるため、そして、デッチ上げなどしていないと主張するために、自ら芝居を演じたのです。
 しかし、裁判では、第一審も第二審も、五十嵐鑑定を全面的に採用し、警察の主張を丸のみしたことによって、出血、血痕問題をもちだす必要もなかったのです。裁判所は、警察と一体となって、石川さんを犯人に仕立て上げた権力犯罪の下手人です。寺尾判決の一見警察の捜査を批判するような言い方も、うわべだけで、裁判でこの問題を本格的に調べる必要などないことが前提であり、実際、第二審でも寺尾をふくめ、どの裁判長も追究していません。事実上、無視しています。裁判において、出血、血痕問題は、有罪判決を出すためには、不要であり、じゃまだということです。
 五十嵐鑑定を見れば、後頭部の裂創から出血があったことは、すぐに予想されることです。そして、五十嵐鑑定が出血について何も書いてない以上、一般論から考えるしかないわけで、そうすると、出血をしめす痕跡、血痕があることは、誰でも考えることです。警察は、デッチ上げのストーリーを事実らしく見せるために、都合のよいことだけ明らかにして都合の悪いことは隠しています。ですから、被害者の目隠しに使われていたタオルや、被害者の服に血痕は、一見してなかったといっていることなどは、そのまま信用できません。いずれにせよ、血痕があることも考えられる、として調べたようだということ以上ではありません。徹底して調べることはしていないのです。警察には、殺害現場がどこであるのかも、なぜ裂創ができたのかもわかっていないのです。説明できないことには、目をつぶろう、問題にしない、ということです。犯人のデッチ上げを決断し、五十嵐鑑定を証拠とするから、それでよかったのです。
 出血、血痕問題の真相は闇の中です。五十嵐鑑定でまったく触れていない以上、あらゆることが仮説として論じることができるのです。
 そこで、高木は、この問題ではいくらでもごまかしができるとみて、何の根拠もない勝手な屁理屈を述べ、有罪判決は正しいとしています。
「右裂創の創口からの出血は、頭皮、頭毛に附着し、滞留するうちに糊着し凝固して、まもなく出血も止まったという事態も十分あり得ること」
「一般に、頭皮の外傷では、他の部位の場合に比して出血量が多いことや、本件の場合、頸部圧迫による頭部の鬱血が生じたことなどを考慮に入れても、本件頭部裂創から多量の出血があって、相当量が周囲に滴下する事態が生じたはずであるとも断定し難い」
 一言一句、すべてが高木の勝手な推測、仮説です。五十嵐鑑定を前提にして想像したことです。しかし、さすがに高木も、推測だけでは不十分と考え、
「死体発見直後にその状態を見分した大野喜平警部補の第一審及び確定判決審における各証言大野警部補作成の昭和三八年五月四日付実況見分調書にも、頭部を一周して後頭部で結ばれていた目隠しのタオルや被害者の着衣に血液が付着していたことを窺わせる供述ないし記述は認められず、添付の写真を見ても、その様子は窺われないのである」
と、警察の捜査の調書と写真を持ち出しています。しかし、これが本当に事実なのか、断言できないのは、先に述べたとおりです。警察が、いったい、どこまで出血、血痕について調べたのかは、多くの証拠、資料がいまだに検察の手元に隠されていて、不明なのです。石川さんの無実をしめす決定的証拠、警察がデッチ上げを行ったことが暴かれてしまう証拠、資料が隠されているかもしれないのです。全証拠の開示を要求することは、非常に重要な課題です。


四 被害者の死亡時期と死体の埋没時期について


死亡時期を警察、裁判所はどうあつかったか

 死亡時期、すなわち、いつ殺されたのかは、犯人しか知らないことです。それを明らかにすることは、犯行の全体像をはっきりさせる上で欠くことのできない問題です。
 まず、警察がどうあつかったかをみます。
 この事件では、警察は、根拠があいまいなまま、五月一日、被害者の下校後まもなく殺害された、と判断し、そうすることで、事件の全容をねつ造しました。その根拠ならざる根拠は、やはり五十嵐鑑定です。
 もう一度、五十嵐鑑定の判断をみます。「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」と、一日とは断定していない、「本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せらる」、一日の昼食とはいっていない、「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」、カレーライスとはいっていないのです。
 殺害は一日と断定したのは警察です。これが重要なのです。きわめて作為的な断定といえます。しかも、つごうのよいことに、それは五十嵐鑑定の推定の範囲内にあったのです。警察にとっては、一日に死んでいてもらわなければならない事情がありました。それは、この事件が警察批判、治安問題・政治問題化して、窮地に立たされていたことです。なぜデッチ上げに走ったのかの理由がここにあります。警察にとって、自分の危機をのりきることが最大問題だったのです。
 警察のデッチ上げと、五十嵐鑑定の関係を具体的にみていきます。
 五十嵐鑑定は、「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」と結論しています。そのまま受けとれば、五月一日か二日に殺されたことになり、どちらもありうるのです。しかし、警察は、一日としたわけです。そして、五十嵐が、被害者の胃の内容物を検査して、「本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せらる」と書いたことを、一日の昼食で食べたカレーライスが未消化で残っていた、と断定したのです。胃の内容物とは、カラー写真が残っていますが、五十嵐鑑定では「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」と書かれています。カレーライスとは、一言もありません。どんな料理かまでは、五十嵐も判断ができなかったと思われます。警察は、被害者が一日の昼食として何を食べたのかについて調べ、カレーライスと福神漬であるとの証言を得ていました。それ以上には、調べていないのです。実際は、調べたのかもしれませんが、とにかくカレーライスだ、としかいっていません。そうすると、当然の疑問として、カレーライスには通常含まれないトマトや小豆が、なぜ胃の中にあったのか、ということが出てきます。警察は、それについては沈黙しています(小豆は、朝食にあったと説明していますが)。
 警察は、五十嵐鑑定を自分に都合のいいように解釈し、殺害日時のデッチ上げを行ったのです。
 裁判では、どうあつかわれたでしょうか、
 この問題は、第一審ではまったく触れられませんでした。殺害時間は、一日の下校直後と、周知の事実のように断定しているのみです。第二審の寺尾判決では、警察の沈黙を救うために「被害者自身または学友の誰かが…………トマトも買ってきてカレーライスの添え物としたということも十分考えられる。ただ現在となっては、この点を確かめるすべがないだけのことである」と、昼食でトマトを食した可能性があると推理しています。寺尾という裁判官の推測で、デッチ上げが成立し、石川さんは有罪となったのです。推測で犯人かどうかを決めるのでは、誰が犯人になってもおかしくありません。寺尾判決では、そのようなデタラメを平然とやっているのです。
 殺害日時は事件の核心問題です。それを、警察がねつ造し、裁判所が追認したのです。

殺害時期はいつなのか

 死亡時期の推定は、法医学上の重要課題です。人が死んだ場合、通常、医者によって死亡診断書が作成され、市町村に提出され、戸籍上に死亡とする手続きが行われます。変死、明らかな他殺死の場合は、警察に死体検案書が提出されなければなりません。その場合、必要なら司法解剖が行われ、鑑定書が作成されます。いずれの場合にも、死亡日時の記載が必要です。ところが、殺人事件の場合、殺害の目撃者がいるときは別として、死亡日時を確定することが困難です。検死、鑑定によって、殺害現場がわかっているときにはその状況などから、あくまで、推定された日時があきらかになるだけです。後日、真犯人が捕った場合、その自供によって初めて確定するのが普通です。だいたい何時ごろ、という形で確定するわけです。
 狭山事件の場合、犯行は一日被害者の下校後、誘拐したときに始まり、殺害して死体を埋めたところで終わるわけです。時間がはっきりしているのは、脅迫状が中田家に置かれたときだけです。いつ、どこで殺害されたのかは、死体発見が四日ですから、それ以前であることだけははっきりしていますが、まったくわからないのです。そういう事件ですから、五十嵐鑑定によって提出された情報は、犯行を明らかにする上で、唯一の価値をもつものだったのです。
 五十嵐は、死亡時期に関連して二つのことをいっています。ひとつは、いわゆる死亡推定時期、もうひとつは、食後何時間に殺されたのか、です。この二点は、両方とも死亡時期と関係しているとはいえ、まったく別のことです。かんじんの最後の食事をいつとったのかが不明ですから、殺害と食事の二つを結つけることはできません。しかし、警察は、この二点を意図的にごっちゃにして、かってに最後の食事は一日の昼食としたのです。五十嵐による二つの推定事項、あくまで可能性を示すレベルのことを事実だとして、殺害時間という事件の核心事項をねつ造したのです。
 現在の法医学は、死亡時期を推定することはできても、確定するレベルにまで達していません。したがって、五十嵐鑑定の結果は、事実としてあつかうことはできず、あくまで参考情報としてあつかうべきものです。さらに、死亡時期の推定はそう簡単なことではない上、鑑定者の能力、鑑定者が得ることができた死体からわかる情報の解釈、死体の個人情報(たとえば病気だったか、健康だったか)、死体のおかれた環境、気候などによって判断が大きく左右されるものです。つまり、五十嵐の判断は、誰がやっても同じになるというのではなく、鑑定者によって変わるものだともいえます。
 その上で、一般論として、死後経過時間の推定と死体状況の関係を見ると
死後一○時間から一二時間  死斑および死体硬直は顕著となり、指関節の硬直も現れる。角膜は微混渇し、霞がかかったように見える。
死後二四時間内外  硬直はまだ緩解していない。角膜は著しく混濁しているが、瞳孔を透見できる。口、眼、鼻孔などに蝿、岨がみられることがある。
死後三○時間内外  顎間接の硬直が緩解し始める。
死後三六時間内外  上肢の硬直が緩解し始める。
死後四八時間内外  下肢の硬直が緩解し始める。
死後二〜三日内外  臍の周辺部、鼠径部の皮膚が淡青藍色ないし淡緑色に変色し、諸所に腐敗水痘が生ずる。
というものです。
 参考までに、五十嵐鑑定の概評検査にそのまま当てはめてみると、「死体硬直は足関節に於いてやや強く存在するも、その他の諸関節に於いてはいづれも緩解しあり」とあり、腐敗水痘についての記述はありません。これらの観察結果は、死後四八時間内外に当てはまります。しかし、これは、一般論であり、より正確な判定をするためには、さらに情報を集めて検討する必要があります。
 殺害日時は、誰も確定できていないのです。ねつ造された日時が、裁判によって、事実とされて、石川さんのデッチ上げに使われているのです。

高木決定は、デッチ上げをいなおった

 決定文の要点は、次のところです。
「五十嵐鑑定の死後の推定経過日数の判定が疑わしいとするいわれはない」
「五十嵐鑑定書が認めた胃の半消化物のうち、小豆は、五月一日の朝食に自宅で摂つた赤飯の中の小豆が消化しないで残っていたもの、トマトは昼食時にカレーライスと一緒に摂ったもの、その余は、調理の実習で作った昼食のカレーライスの具と米飯と考えられる」
「胃腸の内容物を直接視認して検査した五十嵐鑑定人が、『摂食後三時間以上経過』と判定したものを、五十嵐鑑定書記載の所見を基に、一般論を適用して、『摂食後二時間以下の経過』と断定し、五十嵐鑑定の誤判定を言うことが、当を得ないことは明らか」
 一読してすぐわかることですが、高木は、五十嵐鑑定を採用すると同時に、警察の判断でしかないものを鑑定によって明らかとなった事実であるかのように堂々と述べ、警察のきわめて政治的で、作為的な判断を全面的に認めています。五十嵐鑑定を検討もせず、そのまま承認しています。寺尾判決はゆるがない、有罪に間違いない、警察の判断は、正しいとの主張です。
 高木決定では、法医学上の問題、鑑定の是非の問題としてのみあつかい、法医学のもつ限界を巧みに利用しながら、弁護側提出の鑑定書、意見書をしりぞけ、五十嵐鑑定を採用しています。そこでの高木の判断基準は、無罪をしめす鑑定は採用しない、有罪をしめす鑑定は採用する、ということです。もちろん、警察がどう判断したか、事件をどう考えたかなどについては一言もふれず、警察が裁判の場に引き出されないように擁護しています。
 一方では、法医学の限界を適用して否定しながら、他方では、法医学の限界を超越したものとして五十嵐鑑定を絶対真理のようにあつかっています。ここでも、高木は、五十嵐鑑定の証拠価値は変わらない、寺尾判決は正しい、したがって再審は必要ない、という信念だけで判断し、弁護側の提出した鑑定や意見書については検討したふりをして、無視したのです。


死体はいつ埋められたのか

 警察のデッチ上げたストーリーでは、死体は、一日の夜に埋められたことになっています。それを証明するものとして、五十嵐鑑定とともに、死体発見場所の直近に畑をもつ鈴木要之助の証言があげられています。それは、鈴木要之助の一九六三年五月四日付の警察官に対する供述調書(鈴木員面)、七月五日付の検察官に対する供述調書(鈴木検面)、第一審第三回公判における証言です。
 その証言の核心点は、五月二日に自分の畑に行ったときに、隣接してある新井千吉所有の農道に何か埋めた後があるのを見た、四日に山狩りをしていた消防団がその場所を掘ったら被害者の死体がでてきた、ということです。この証言が間違いないものとするなら、被害者は二日以前に殺されていたことになります。一日犯行説をとる警察にとっては、のどから手がでるほどほしい証言です。
 証言にある鈴木の二日から四日にかけての動きは、二日にゴボウの種まきをして、三日に麦畑の草取りをして、四日に畑の手入れにいった、というものです。その間ずっと、埋め跡のことが気になっていたといっています。
 その証言における、いくつかの疑問点についてみてみたいと思います。まず、埋め跡の大きさについてですが、鈴木は「三尺か四尺ぐらい」といっていますが、発掘された穴の大きさは、大野喜平警部補作成の実況見聞調書では、「縦が一・六六米横が〇・八八五米深さ〇・八六米であった」となっていて、あきらかに違っています。さらに、三日にも山狩りが行われ「その三日の日に来た人、警防団員は、わたしに言葉もろくにかけないで、そのわきを通って新井千吉さんの六尺の道(埋め跡のある道)を通って、その上を通りながらみんな向こうへ南の方へ行きました」と証言しています。鈴木が二日にすぐに気がついた埋め跡を、このとき山狩りしていた警防団員はまったく気がつかなかったのでしょうか。三日に気づかなかったものが四日には気づいた、というのは不可解です。
 その上で、鈴木は、二日にゴボウの種まきをしたと証言していますが、一日から二日にかけて、まとまった雨が降っており、畑は、たっぷり水分を含んでいました。普通は、ゴボウの種まきはしないような状態にあったのです。そして、五月四日撮影の現場航空写真(平成四年一一月二四日付再審請求補充書添付)には、ゴボウの種まきをした形跡が見られないのです。ゴボウの種まきは、実際はいつなのか、この疑問に対する回答は出されていません。そうであるかぎり、鈴木証言を、丸ごと信用することもできません。
 警察は、この鈴木証言を徹底的に使おうと決めました。警察官が調書をとっただけでなく、検察官も調書を取っています。そして、この証言を疑いのない事実に祭り上げたのです。だから、裏付けをとる捜査をしていません(したのかもしれませんが、それは全く隠されており、闇の中です)。
 両調書をみると警察の意図が、よくわかります。
「五月二日、入間川本里**番地の自分の畑へ行ったのは、農協で開かれた総会が午前九時四〇分ころ終了した後で、ごぼうの種を播いた」
警察は、その総会が実際は何日の何時から何時まで行われたのか調べていません。警察にとっては、二日でなければ、この証言の価値はなく、あくまで二日であるようにあつかったのです。二日以外の可能性を、すっぱりと切りすてたのです。
 裁判では、第一審において、鈴木が証人として証言していますが、その判決文の中では、その証言にまったく触れていません。「自白」があるのであり、鈴木証言を持ち出すまでもない、とされたのです。第二審、寺尾判決においても、この証言は触れられていません。警察にとって、犯行が一日であるとする上で決定的証拠といえるこの証言は、形式的に証拠の一つとしてあつかわれているだけです。多くの証拠、証言の中に埋もれたままです。それは、これまでの裁判において、鈴木証言について、まともな検討が一度も行われていないことをしめし、警察のデッチ上げを丸ごと裁判所が受け入れ、はじめから有罪であるとの立場に立っていたことをしめすものです。
 殺害日時がデッチ上げたものとされたらピンチです。だから、裁判で焦点にしたくない、という思惑があるのです。追求されたら困るのです。したがって、鈴木証言は、第二審以降はまったく問題にされなかったのです。
 そこで、高木は、以上のような事情をふまえて、
「(鈴木が)隣地の新井所有の畑の農道に掘り返した跡があるのを見付け不審を抱いたこと、そして、同月四日午前一〇時ころ、その場所を捜索に当たっていた消防団員らが掘ったところ、被害者の死体が発見されたことは、疑う余地のない事実と認められる」と断言して、鈴木証言を再検討することを拒否しました。
 警察がねつ造したものもふくめて三大物証をはじめ多くの証拠があるわけですが、それらとは、別格のものとして、いつ、どこで、どのように犯行が行われたのかを示す証拠、証言、資料としては、脅迫状、五十嵐鑑定(死体)、そして鈴木証言、唯一の目撃証言とされた内田幸吉証言しかありません。これがないと、事件は組み立てられません。デッチ上げようとしても筋書きができないのです。これらは、そういう意味で、デッチ上げを構成する核心問題だといえます。これらを、粉砕することは、再審開始につながる不可欠の課題です。
 高木は、そのことに気づき、「埋没時期についてみる」として、鈴木証言にこっそりとふれ、証言は信用できると断定しました。多くを述べてはいません。できるだけ焦点にならないように、しかし、断固としてこの証言を採用したのです。なんとしても棄却しようとする高木の、反動的執念が表れています。


おわりに

 昨年の再審棄却決定直後に、弁護団は異議申立書を提出し、異議審がはじまりました。異議申立書は、高木決定文に対する反論ではありますが、はっきり言って、高木という裁判官は悪い裁判官だという論調に終始しているものです。決定文に対応して書かれているということもありますが、高木決定に対する批判としては、まったく不十分です。裁判所に、公正な裁判を要求するのが結論ですから、物足りなさを感じざるをえません。
 警察は、石川さんを犯人に仕立て上げるために、ありとあらゆることをやり、ありとあらゆることを利用しました。警察の事件に関する主張、やったことのすべてを権力犯罪として暴露し、糾弾し、粉砕しなければなりません。
 取り調べの中心人物である長谷部梅吉はすでに死んでいますが、この権力犯罪の下手人どもを、残らず引きずり出し、その罪を暴き出すことが求められています。
 犯人のいない犯罪はありません。狭山差別裁判、石川さんにぬれぎぬを着せたものが、犯人として法廷で裁かれなければなりません。
 われわれは、石川さんの無罪を勝ち取るためにも、再審を開始させなければならないし、その再審は、権力犯罪を暴くものでなければなりません。裁判という形式をとらざるをえませんが、狭山闘争とは、警察、検察、裁判所という権力機関とのたたかいであり、とくに無罪を知りながら石川さんを犯人に仕立て上げた警察とのたたかいです。警察を徹底的にたたくこと、そのデッチ上げの手口を暴くこと、法廷に引きずり出し、徹底糾弾し、デッチ上げの策謀を粉砕することが、裁判闘争としても軸に座らなければなりません。
 本部派の、公正裁判要求路線では再審の扉を開かせることはできない、それが、高木による棄却決定を許してしまったことへのひとつの総括です。本部派がいう、狭山事件はえん罪事件であり、公正裁判によって再審をおこない、無罪をかちとって石川さんの奪われた人権を取りもどすのだ、ということでは勝てないことがはっきりしました。その綱領から狭山闘争を消し去ってしまった本部派になりかわって、全国連が狭山闘争に全責任をとり、再審を開始させるたたかいの主人公になるときがきました。新たな一〇〇万署名運動を展開し、裁判所とのたたかいにおいても、異議審での要請行動でも徹底してたたかいぬくことです。
 そして、裁判という、ある意味では相手の土俵の上でのたたかいにおいて、本当に勝利できる狭山裁判闘争論をつくりだし、今までのあり方を一変させるような裁判を法廷闘争においてもかちとるのです。
 「自白」と客観的事実の食い違いは、たしかに石川さんの無実を示すものではあります。五十嵐鑑定に対する法医学的再検討も必要なことです。しかし、それらは、警察の行ったデッチ上げという明白な事実のなかに位置づけ、結びつけて、警察批判、警察に対する徹底糾弾として行われなければ何の力にもなりません。「自白と客観的事実の食い違い」論では、法廷におけるたたかいでもまだまだ弱い、狭山差別裁判を糾弾する内容を法廷においても展開することが必要だし、できると思います。みんなの知恵をふりしぼれば、裁判所を追いつめ、警察を法廷に引きずり出すことは、不可能ではありません。はっきり言って公平・公正な裁判などないし期待することは間違いです。裁判所を追いつめ、裁判所の陰にかくれて戦々恐々としている警察の連中を、白日の下に引きづりだすには、再審の開始に執念を燃やす石川さんと連帯した部落大衆、労働者階級の津波のような巨大な運動が必要です。一〇〇万署名運動はその実現のための運動です。
 石川さんの無実を証明することは、警察の差別犯罪を暴くことです。アリバイの証明、万年筆などのねつ造、筆跡とともに、五十嵐鑑定を突き崩すことができなければなりません。五十嵐鑑定は、法医学の立場からの批判だけでは崩せません。なぜなら、五十嵐鑑定は、あまりにも密接に警察のデッチ上げと結びついているからです。しかし、ここが崩れれば、警察の描いた犯行の筋書きは完全に否定されるのです。この領域での事件の再検討、鑑定の再検討、事実の究明は困難ではありますが、絶対に必要なことです。法医学をも活用しながら、しかし、その領域からだけの追求に終わらせるのではなく、真に警察のデッチ上げに迫っていくことが重要です。法廷の内外で、そうしたことが追求されなければなりません。狭山闘争の主人公は石川さんですが、われわれも当事者なのです。裁かれるべきは、国家権力・警察、裁判所です。
 権力犯罪を暴き、それに迫っていくためには、三〇年をこえる狭山闘争をもう一度新しい目で見ることが大切です。解同が本格的に狭山闘争をたたかいはじめた一九七〇年から三〇年です。その蓄積は、無視できません。大きなものがあります。しかし、そのなかで語られ、つくられてきた狭山闘争論でいいのかという観点でみたとき、新たな狭山闘争論が必要だと強く感じるのです。無実、差別、糾弾をしっかりと柱にすえた闘争論が必要です。本部派がやってきた狭山闘争の延長上ではない、新しい、本当に勝利できる運動と理論が必要です。その領域は、広く、部落解放運動、糾弾闘争、などであり、裁判、法律問題も含むものとなるでしょう。それを手にするたたかいは、すでに始まっています。
 そして、さらに、未だに闇の中におかれている多くの証拠物件のすべてを開示させることです。警察が、触れたくない、あきらかにしたくないが故に隠されてきたこれらの証拠は、石川さんの無実をしめす新証拠をふくんでいるはずです。
 再審の扉を開けさせることは、なみたいていのことではありませんが、石川さん無実への確信、執念、差別裁判は許さない、という信念をもって、ねばり強く、果敢にたたかって行くならば、かならず道は開かれると思います。
(部落解放理論センター研究員 つりふね りょういち)