小名木証言の意義解説


 

一,小名木証言とその画期的重要性

 第一次再審の過程で再発見された小名木証言とは、具体的には、警察の捜査報告書四通、警察の調書(員面)二通、検察官の調書(検面)一通、弁護士の調書(弁面)二通のことです。そのうち八一年七月に検察側の証拠開示で出されてきたまったく新しいものは、六三年五月三〇日付、同月三一日付、同年六月二日付、同日四日付(小名木氏作成の現場図面添付)各捜査報告書です(これら報告書は開示されたものの、いまだに検察庁が保管している)。そして、八五年の新証言、すなわち二回目の弁面です。
 この小名木証言を具体的に見ることで、石川さんの無実に不動の確信、信念を持つことができます。小名木証言とは、それほど決定的なものです。とくに、警察の捜査報告書と調書が重要で、決定的新証拠なのです。小名木証言=弁面とあえて限定し、警察、検察の調書、捜査報告書には目を向けようとしない本部派は、小名木証言の価値がまったくわかっていません。小名木証言全体(員面、検面、弁面)をくまなくみなければ、その重要性も、意味もわかりません。
 たしかに、警察、検察、裁判所は小名木証言を利用しようとしています。しかし、それは、自己矛盾です。小名木証言は、確固としてひとつの事実、石川さんは無実であり、警察がデッチ上げの権力犯罪を行ったことを、事実であるが故の重みを持ってつきだしています。それに高木は気がつき、追いつめられ、結局、逃げ出して、「問題にしないことにしよう」と開きなおったのです。小名木証言は、高木決定の弱点であり、権力の差別犯罪を暴く武器なのです。

小名木証言における警察のねつ造策動

 警察が小名木氏の存在を知ったのは、遅くとも、五月三〇日でした。同日付けの捜査報告書が作成されています。その報告書によると、死体発見現場(狭山市入間川二九五〇番地)付近の聞き込みから、
「(1)本年五月一日午後二時頃
狭山市入間川○○○○番地(筆者注:住所から見ると情報提供者は、死体発見現場の直近の住人であり、警察がシラミつぶしに聞き込みを行っていたことがわかる)
無職 ○○○○ 六十八歳
が孫二人と親戚の者(八十歳の女と二十歳の娘)と山に遊びに行った時、死体埋没地点の東側山林の端の道で肥桶を積んだ自動三輪車を目撃した。
(2)右につき狭山市役所で土地台帳を調査し、所有者、狭山市大字○○○○番地、農業○○○○(三十九歳)より聞き込みしたところ左記事実が判明した」
ということをつかみ、自動三輪車の所有者を捜した。停車していた地点の住所から、土地所有者がわかり、その人から、小名木氏の名前がでたので、小名木氏に聞き込みを行った、という経過で小名木氏にたどりついたのです。
 その聞き込みで、「午後三時半頃から午後四時頃の間のことであるが、方向、男女の別は判らないが、誰かが呼ぶ様な声が聞えたので、親戚に立寄っている妻がお茶を持って来ながら、誰かに襲われた様な感じがしたので、親戚の方向を見たが誰の姿もないので、雨が少し降っていたので急いで仕事を続行し」との証言をえたのです。警察は、「誰かが呼ぶような声」「誰かに襲われた様な感じ」に注目したに違いありません。犯行に関係ある、いや、関係づけて使える証言、とみたのです。(なお、報告書の作成者である水村菊二は深谷警察署から派遣された刑事であり、特捜本部直轄で動いていたことは注目すべき事実です)。
 だから、警察は、小名木証言、小名木氏の存在を非常に重視して、小名木氏から徹底的に事情聴取をしています。五月三〇日、三一日、六月一日(なぜか報告書がない)、二日、四日と毎日小名木氏の事情聴取を行っています。小名木氏にしてみれば、何で毎日警察がくるのか、と疑問に思うような警察のしつこいまでの取り調べでが行われたのです。それは、聞き込みとか事情聴取のレベルではなく、まさに取り調べと言っていいものです。
 警察は、なぜ、それほどまで小名木氏に執着したのか。警察は、小名木氏に「悲鳴を聞いた」と証言させようとしたのです。そして、殺害の間接的な目撃証人に仕立てようとしたのです。つまり、殺害現場を通称四本杉、入間川字東里二九六三番地として、その雑木林に接した小名木氏の畑、入間川字東里二九四四番地(六月四日付員面、五月三一日付報告書では字東里二九四三番地となっている)に注目したのです。小名木氏の畑とは約一反ほどの広さの桑畑であり、南北約三五メートル、東西約三六メートルのほぼ正方形のもので、その南側が四本杉の雑木林に接している(雑木林から見ると、小名木氏の畑は北西方向になる)のです。航空写真を見れば、その位置関係が一目瞭然です。警察が、犯行現場に関して、どのような情報(証拠は全くない)を持っていたのかは、まったく明らかにされていません。まったくなにも持っていなかったのかもしれません。いずれにせよ、死体発見現場からそう遠くない、できるだけ人目に付かないところを殺害現場としようというのが、警察の判断、意図だったのです(殺害時期については、五十嵐鑑定がでたときから、つまり、石川さん逮捕以前の段階で、五月一日に決めていた)。そこに小名木氏が登場したのであり、警察は小名木氏を利用しない手はないと考え、とびつき、毎日おしかけて圧力をかけたのです。警察にしてみれば、小名木証言は犯行現場をしめす切り札的証言になりうるもの、そのように作るべきものだったのです。
 実際、第一審においては、公判調書(部落解放同盟発行)によると、検察側は九月四日付で、六月四日付員面、同六日付員面、同二七日付検面調書の証拠申請を「現場付近で悲鳴らしき声を聞いた状況」としておこない、一〇月二四日付で小名木氏の証人申請を「現場付近で悲鳴らしき声を聞いたこと」という趣旨でおこなっており、警察・検察が小名木証言を「自白」の裏付けとして使おうと考えていたことがわかります。そして、その立証事項が「現場付近で悲鳴らしき声を聞いた状況」というのですから、事件の核心に関する重要な証言とのあつかいです。(しかし、それにたいする弁護側の対応は、証拠については不同意、証人尋問については「29・30・34(小名木氏)・41・42については、時間関係等立証すべき事実をさらに具体的に明らかにされたい」という条件付きで承認するもので、小名木証言を、ほかの証人と大差ないものとしか見ておらず、せいぜい、事前に員面、検面の内容を見せろというものでした)。
 しかし、結果的には、小名木証言は証拠採用されず、証人尋問も行われませんでした。石田裁判長は、石川さんが「自白」を維持していることから、小名木証言は必要ないと判断し、取りあげなかったのです。

 小名木証言=事実の重み

 日をおって、警察の捜査報告書と調書にある小名木証言を見てみたいと思います。なお、最後に報告書、調書を資料としてまとめてあるので、それを参考に見ながら読んでください。
 初めて小名木氏を事情聴取した五月三〇日の証言ですが、警察が小名木氏になにを聞き、言わそうとしたのかは明らかでしょう。初めてのことであり、まず小名木氏に事件の起きた五月一日に、どこで何をしていたのかを問いただしています。そして、型どおり、不審なこと、変わったこと、不審人物を見なかったかを聞いています。それに対して、小名木氏は、自分のその日の行動を説明し、目撃した人について「子供を連れた年寄りの女二人と若い娘」を見たことを述べ、変わったこととして「誰かが呼ぶような声が聞こえた」と述べています。そこで警察は目の色が変わったのです。どんな声か、と問いただしたでしょう。小名木氏は「親戚に立寄っている妻がお茶を持って来ながら、誰かに襲われた様な感じがした」と説明しました。しかし、そのとき誰も見なかったこともはっきりと述べているのです。しかし、警察は、これは事件と関係あるかもしれない、という目で見たのです。持ち帰られたこの小名木証言を知った特捜本部は、これは使えると考えて徹底的に糾明しろと指示したことは明らかです。この証言と犯行現場を結びつけようと積極的に証言のねつ造を意図したのかもしれません。さっそく、翌日に小名木氏のところへ行っています。
 翌三一日の捜査報告書では、まず小名木氏の当日の行動、畑とその周辺の状況を詳しく聞いています。除草剤散布のために噴霧器を使ったこと、車を止めておいた正確な位置、作業内容も前日よりくわしく聞いています。そして、問題の声について問いただしているのです。小名木氏が新たにつけ加えて述べたこととは、「誰か呼んだ様に聞えたので見た方向は仕事をしていた桑園側の雑木林の方である」ということです。その方向とは、四本杉の雑木林とはまったく別の方角です。そして、小名木氏は、「妻がお茶を持ってくるのかと思い」とのべ、前日の「襲われた様な」という印象を訂正しています。あとは、何度も車と畑とを往復したが付近に変わったことはなにもなかったことが述べられています。およそ付近で事件が起こったことを示すような証言ではありません。
 決定的証言だと意気込んでいった警察にとっては、はぐらかされたような感じの証言です。しかし、小名木氏はあくまで事実を述べているのです。小名木氏にしてみれば、昨日話したのに、それ以上いったい何を聞きたいのだ、という感じではなかったでしょうか。
 しかし、警察はあきらめませんでした。執拗に小名木氏を追及したのです。
 六月二日の報告書を見てみます。この日をふくめて連日四回目になります。警察は、何か見ただろう、いや、見ているはずだ、と問いただしました。小名木氏は、見ていないと答えています。そこで、こまった警察は、畑から周辺の見通しはどうなのか聞いています。そこで小名木氏が、見なかったが、音は聞いた、「時間は判らないが旭住宅団地より南に通ずる道路を北より南にオート三輪車が通った音を聞いた」と新たな事実を話しています。しかし、話はそこまでです。あとは、当日の天気と作業状況についての話、作業の途中で一度車の中で雨宿りしたこと、妻が傘を取りに来たことが新たな事実として述べられただけです。
 次はいよいよ調書の作成になります。警察は、小名木氏が期待どおりに話してくれないことにいらだちながら、声を聞いたことはたしかだ、それは使える、調書を取ろうと考えたわけです。
 六月四日です。この日は、報告書も作成されています。これまでと決定的に違うのは、警察が小名木氏に畑付近の地図を書かせたことです。しかし、その地図から何か新たな事実がわかったわけではありません。問題の調書ですが、これまでの小名木証言の内容と変わりません。つけ加えられた新たな事実としてでているのは、カサを取りに来た妻が自転車で来たこと、妻にそのときのことを聞いたが誰にも会わなかったと言っていること、ぐらいです。つまり、畑の周囲に人はいなかったことがさらにはっきりしたことです。また、作業内容がさらにくわしく述べられ、その過程での視線、目の置き所、見た方角が特に強調されて述べられています。調べがその点をしつこくきいたことを示しています。問題の声については、「誰かが呼んだ様な声」であったこと、そのときは、「妻が親戚の水森典男方より私のところへ、お茶でも持って来る途中誰かに襲われ大きな声を出したかと思い、思わず親戚の方向に通じる山道の方を見ました」という行動をとったことが述べられています。ここで証言は、振り出しに戻ったわけです。警察が、声にこだわり、「誰かに襲われた」という表現にこだわったことは明らかでしょう。しかし、ここまでの小名木氏の証言内容は一貫しており、まさに事実を述べたものです。
 この調書を見た特捜本部は、期待した内容ではないので不満を感じたでしょう。そこで、改めて調書を取り直し、警察の意図にそった証言を引き出そうと試みたのです。
 それが、六月六日の調書です。四日の時とはうって変わって、そうとう露骨に小名木氏に迫ったようです。警察はあからさまに声が問題なのだ、と小名木氏に迫っています。小名木氏の答えは「誰かが呼んだような声」というもので、変わっていません。そして、「襲われた様に思った」という表現について、小名木氏は、警察がこだわるので、どういうことなのかをていねいに説明しています。「この辺は人が襲われたりする事もあると言う話を聞いたことがありますが、今聞いた声は妻でも襲われたときの声ではなかっ( )たろうなあと思ったのですが、私の見える所では人影も見えないし、又、続いて声も聞きませんでしたから、私はその( )仕事を続け」と述べ、人が襲われたりすることもあるという話を聞いたことがあるから、気になっただけで、仕事をやめて調べようと思うほどのことではなかったと声の印象を説明しています。そして、声は、男か女かわからなかった、どっちから聞こえたのかも全然わからないとつけ加えているのです。その上で、警察が事件との関係で追及してくるので、その声と事件との関係についてどう思っているのかを述べています。しかし、それは、「五月一日コージン様の祭りの日に四丁目の畑に仕事をしに行って居り、誰かが呼んだ様な声を聞いた事を思い出して、そう言えば変な声を聞いた事を○○さん(注:奥村の○○○○さんのこと)に言った事があります。私は○○さん(注:奥村の○○○○さんのこと)からあまり人にも言わない方が良い( )と言われた事があります」というものであり、警察にしつこく聞かれたから話したまでで、人に話すほどのことではないと思っていたことを述べたものでした。
 ついに、警察は、小名木氏に「悲鳴を聞いた」といわせることに失敗しました。小名木氏は、事実を曲げて証言しているのではなく、事実をありのまま証言したのです。
 その動かしがたい決定的な事実とは、第一に、小名木氏は悲鳴、ましてや女性の悲鳴など全く聞いていないこと、第二に、小名木氏が見た人は、奥さんと、子供を連れた年寄りの女二人と若い娘だけであり、そのほかには全く人を見ていないこと、第三に、畑の周囲で人が何かしていることを示す事実はなかったこと、第四に、警察が、犯行と結びつく証言をさせようとして小名木氏に圧力をかけしつように取り調べたことです。
 従って結論的にいえば、桑畑に隣接する四本杉の雑木林は犯行現場ではないのです。石川さんの「自白」は、「ウソでも何でもいいからいってしまえ」と警察に迫られ引き出された架空のものだということです。「自白」から犯行を導きだし、石川さんを犯人とした内田判決、寺尾判決は明らかにまちがいだということです。石川さんは犯人ではないと、改めて小名木証言によって断定されたのです。小名木氏は、内田幸吉のように警察に迎合したりはしなかったのです。警察の偽証工作は、完全にはねつけられ、みごとにデッチ上げに失敗したのです。


 検事調書の特異性について

 六月二七日に、河本検事によってさらに調書が作られています。石川さんが「自白」を始めた直後です。それは、これまでの調書とは性格を異にしているものです。一つは、この検面の特徴は、文字通りの取り調べだ、ということです。小名木氏を駐在所まで連れ込んで、そこで取り調べをしています。もう一つは、日付です。石川さんが「自白」を始めたとされている六月二三日のわずか四日後であることに注目する必要があります。
 河本検事の意図は、「自白」にそった証言をとろう、というところにあったのは、調書の内容にも現れています。そして、員面にもなかった、権力意識むき出しの文書であり、検事が被疑者を取り調べて作ったものとなっています。小名木氏を被疑者=犯罪者あつかいしているのです。その姿勢は、江戸時代の奉行所の役人と変わらないものです。読むだけで、腹が立つ文書です。
 さらに、この調書は、検事の作文、デッチ上げた文書です。具体的に見ていきます。
 二回も調書を出しているのだから、それ以上につけ加えることは何もない、とのべる小名木氏に対して、検事は、畑で聞いた声についてかなり厳しく問いただしています。ポイントは二点です。聞いた時刻と聞いた声の様子です。時刻については、「大体午後三時半頃から四時頃までの間」と述べる小名木氏に、何で時計もないのにわかるのかと追及しているのです。小名木氏はその理由を、当然ですが、ありのまま説明しています。問題の声ですが、「約百メートル位離れていると思われる辺りで悲鳴とも呼び声ともつかない声が聞こえたのです。何を言ったのか、男女いずれの声か、声が長かったのか短かかったのか、というような点は仕事に夢中になっていたので、はっきりしないのです。ただ全体の感じとして或いは女の悲鳴のように聞えたのかも知れません。」と書かれていますが、明らかにここは検事の作文です。ねつ造です。小名木氏は、殺害現場が四本杉の雑木林だという「自白」がでたことも、警察・検察が殺害現場を四本杉の雑木林にしたことも、全く知らないのです。自分の目と鼻の先で殺人があったとは全く思っていなかったのです。
 八一年に弁護士に対して小名木氏本人が「そんなことはいわなかったし、聞かれもしなかった」と述べています。しかし、その言を待つまでもなく、捜査報告書、員面調書の証言内容とは、まったく違う内容であることから、小名木氏の証言ではないことが見て取れます。「約百メートル位離れ」「悲鳴とも呼び声ともつかない声」「あるいは女の悲鳴のように聞こえたのかも」。捜査報告書、員面調書の内容とあまりにも違うのに驚かされます。検事は、調書にこの一文を書き込むために、小名木氏を問いただし、小名木氏は、これまで述べてきたことを繰り返したのですが、検事は、どうしてもこの文章を入れないと、石川さんの「自白」とあわせてデッチ上げができないと、小名木氏にはいわずに、こっそり書き込んだのです。しかし、時刻についてはこれまでの小名木証言の内容と同じであり、結局検事は時刻についての証言を変えることはあきらめたのです。それにしても、声を聞いただけで、「約百メートル位離れ」ているなどとわかるはずがないことを平気で書いているのです。しかも、四本杉の雑木林とは、百メートルどころか、二〇〜四〇メートルしか離れていないのです。
 河本検事は、小名木証言をデッチ上げにそって作文し、調書としたのです。石川さんが、「自白」を始めたのは六月二三日(この件について警察は供述調書の日付の改竄をやっている。詳しくは本誌二一号 西川論文を参照のこと)です。小名木検面は、そのわずか四日後です。警察・検察による「自白」内容の形成=デッチ上げと小名木証言、特に検面が密接に関係していることは明らかです。問題は、警察が、殺害現場をどこにしたのかです。石川さんの「自白」では「倉さんが首っつりをした山」(石川さんは四本杉の雑木林をこういっている)が殺害現場となっています。それは、六月二三日以来変わっていません。警察はそれでいこうと考えたのです。検事はその上で小名木氏の調書を作ったのです。ですから、「約百メートル位離れ」と検事が書いたことには、特別な意味があります。小名木氏の畑が、死体発見現場まで約百メートルだったことだけではありません。百メートルの範囲とは、四本杉の雑木林もふくんだ一帯、「菅原四丁目」のことなのです。警察は、殺害現場を「菅原四丁目」の中にすることにして、石川さんの「自白」を誘導し、小名木氏にウソの証言をさせようとしたのです。小名木氏の畑と四本杉の雑木林は百メートルも離れていませんが、検事は雑木林を念頭に置いていたから、「百メートル」という具体的な数字を書いたのです。さらに、河本検事は七月三日、四日、六日、七日、八日に石川さんを直接取り調べていますが、小名木氏のことも殺害現場のことも一言も石川さんに聞いていません。特に、七月六日には、殺害現場の状況をくわしく石川さんに言わせ、見取り図まで書かせていますが、周囲の状況、小名木さんの存在には全くふれていません。警察・検察にとって最も重要なことは、「自白」をどう作り維持させるかということであり、その次が証拠、証言のねつ造だったのです。小名木検面はまさにそうしたデッチ上げの構図をはっきりと示しています。小名木氏の存在を石川さんに隠し、だますことで「自白」を引き出し、殺害現場についての「自白」を維持させたのです。
 繰り返しますが、員面と検面を比べると、小名木証言が二つあると考えざるをえないほど違うのです。検事の犯罪性は明らかです。員面は前ふり、検面こそ事実、と主張することで、「自白」を補強しようとしたのであり、これは悪質な権力犯罪です。小名木氏の人格も、事実の証言も無視した暴挙です。ここにも、デッチ上げのためにはどんなことでもやる権力の悪辣さがでています。圧力をかけ、恫喝してもだめなら、どうせわからないのだから黙ってやってしまえ、というのが河本検事のやり方だったのです。
 この河本検事のやったことは、とうてい許せるものではありません。そこには、「自白」がまさに作り物であり、警察のデッチ上げた事件の筋書きにほかならないことが示されています。小名木証言、小名木氏の体験した事実と、警察の作った筋書き=デッチ上げ「自白」とは相容れないものです。小名木証言こそは、警察が行った権力犯罪の実体を暴いているのです。
 ここで、まとめると、警察・検察にとっての小名木証言とは、「声を聞いた」ということにつきます。「自白」が成立するためには、「声(悲鳴)を聞いた」というのでなければならないのです。それは別の観点からみてみると、よりはっきりします。
 石川さんの供述調書には、被害者が「さわいだ」「大きな声を出した」「キャーキャー騒ぎ」ということが六月二三日以降何度もでてきます。そして、警察・検察はこの「自白」内容に基づき、起訴状(六三年七月九日付け)において「同女が救いを求めて大声を出したため、同女の咽頭部を押さえつけたが、なおも大声で騒ぎたてようとするので、事ここに至ってはもはや同女を殺害するもまたやむなしと決意し」と述べ、被害者が大声で騒いだことを強調し、それが殺害にまでいたった理由であるとしています。殺害時に大声を出したということが事実ではないとするなら、「自白」は虚偽であり、石川さんは無実であり、起訴状も判決も成立しません。警察・検察は、犯行現場にこだわっただけでなく、犯行そのもの=「大声を出した」事を証明するものがほしかったのです。それで、その両方に関係する小名木証言にこだわったのです。しかし、小名木証言は事実の重みをもって、この起訴状の内容を、したがって、石川さんを犯人とした警察・検察・裁判所のデッチ上げを暴き出し、弾劾しているのです。
 それから、声を聞いた時刻についてつけ加えると、小名木証言では、「午後三時半頃から午後四時頃の間のこと」(三一日)、「午後三時半頃から午後四時頃の間」(六月四日員面)、「午後三時頃から四時頃の間」(六月六日員面)、「大体午後三時半頃から四時頃までの間」(六月二七日検面)というもので、一貫しているといえます。内田判決では、犯行時刻を「午後三時五十分頃被害者善枝と出会った後」とし、寺尾判決では、「午後四時頃から四時半ころまでの間と認めるのが相当である」としています。小名木証言と判決の間には明らかにずれがあり、一致していません。警察は、「声を聞いた」という証言を重視し、それにまとをしぼって偽証させようとしたといえます。時刻についても何とかつじつまを合わせようとしたのでしょうが、小名木氏の記憶が鮮明であり、変えようもなかったのです。


 追いつめられた警察のあがきと部落差別

 小名木証言は、警察が事件捜査としてどのようなことを行い、石川さんを犯人に仕立てるために、なにを考え行ったのかを非常に鮮明にさせています。そこではっきりするのは、戦慄するような部落差別のすさまじさです。警察の権力犯罪に対する怒りを押さえることができません。
 ここで、少し本題をそれますが、事件の経過を振り返ってみたいと思います。それをとおして、警察が、なぜ小名木証言を重視し、必死になって「悲鳴を聞いた」と事実を曲げた証言をさせようとした理由とともに、警察の部落差別の実態が見えてきます。
 五月二三日に石川さんは恐喝未遂(脅迫状を書いたこと)その他で逮捕され、六月一三日に別件で起訴され、六月一七日に保釈されるが同時に警察署の中で再逮捕され、最初の逮捕から一ヶ月後の六月二三日に「自白」を始めたことになっています。問題は、二つあります。一つは、なぜ石川さんが逮捕されたのかです。もう一つは、石川さんを逮捕してから警察はなにをしていたのか、ということです。
 警察は、石川さんに「善枝殺しをやったと言え」と迫っていただけではありません。石川さんを犯人らしく見せるための、いや、犯人に仕立てるための様々な捜査、情報操作(マスコミも使っている)をやったのです。そして、「自白」の前に、「自白」の内容をデッチ上げるための捜査=操作を目の色を変えてやっているのです。それが、死体発見現場付近での徹底した聞き込み捜査と目撃証人探しです。その「成果」が、小名木証言(員面調書は六月四日、六日)と、唯一の犯人目撃者とされた内田幸吉証言(員面調書が六月五日)です。これらは、事件の具体的内容をデッチ上げるための証言として工作したものです。ということは、警察がこの時点で、事件を解明できていない、犯行現場もわからない、という大ピンチの状況にあったことを示しています。石川さんを「自白」させられなくて、釈放になったら大変なことです。警察は、「迷宮入り」を許されない断崖絶壁に追いつめられていたのです。そこで、警察は、デッチ上げと部落差別のエスカレーション以外にないと全力をあげたのです。それは、石田一義氏と東島明氏の逮捕(六月四日)にもあらわれています。「やはり、部落があやしい」「やはり、石川に間違いない」という差別の煽動です。そして、あわよくば、この二人も犯人にデッチ上げようという考えだったのです。
 六月冒頭に、こうしたことが集中して行われたことは偶然ではありません。警察は、石川さんに「自白」を強要したのですが、石川さんは一貫して「自白」を拒否していました。そして、石川さんになにをいわすのか、つまり、事件の筋書きをどうするかの問題です。六月冒頭の一連の動きは、警察が事件の筋書きをねつ造・形成するために、全力をあげたこと、逆にいえば、事件の核心について何にもわかっていなかったこと、石川さんが「自白」を拒否してがんばっていたことに焦りといらだちを募らせていたことを示しているのです。石川さんは、「どんなやつでも三日で落ちる」とおごり高ぶっていた警察を相手に、デッチ上げを認めず、二三日に逮捕されて以来一ヶ月も「自白」を拒否し否認し続けたのです。警察は、表向き、マスコミなどにはさも自信ありげに振る舞っていたが、実は、このままでは犯人にデッ上げられない、石川さんを釈放せざるをえなくなる、というところに追いつめられていたわけです。
 以上のような追いつめられた警察の目の色を変えたあがきの中で、小名木証言は、あきらかになったのです。同じ証言でも、内田幸吉の場合は、自分から証言したということがあり、小名木証言とは、そもそも性格がまったく違います。
 その上で、警察は、デッチ上げをおこなっただけではなく、絶対に許すことのできない部落差別をおこなった事実を忘れることができません。いったい、なぜ石川さんでなければならなかったのか、それをあきらかにしなければなりません。その理由こそが重要なのです。
 ここで、小名木氏が、自分の畑を「菅原四丁目の桑畑」(六月六日付け員面)と述べていることに注目しないわけにはいきません。「菅原四丁目」とは石川さんが生まれ、育ち、住んでいた部落をさすことばです。小名木氏は部落の中に自分の畑があるといっているのです。それは、なにを意味するのか。もっとも重要なことは、死体発見現場も、小名木氏の畑も、四本杉の雑木林も、全部が「菅原四丁目」という部落のなかだという事実です。狭山周辺の人々の一般常識としてあの一帯は「菅原四丁目」という部落だと認識されており、地元の誰もが、部落で殺人があり死体が見つかった、と考えたのです(それは事件後取材にあたった新聞記者の耳にも入っている。たとえば六月二四日東京新聞には「死体が四丁目に近い農道でみつかったとき住民は異口同音に犯人はあの区域だと断言した」とある)。小名木氏(家は川越市にある)も、「四丁目の畑に仕事をしに行って居り、誰かが呼んだ様な声を聞いた事を思い出して、そう言えば変な声を聞いた事を○○さん(注:奥村の○○○○さんのこと)に言った事があります。私は○○さん(注:奥村の○○○○さんのこと)からあまり人にも言わない方が良い( )と言われた事があります」(六月六日付け員面)と関わらない方がよいと、知り合いから忠告されているのです。
 じつは、警察は、最初から「菅原四丁目」に目をつけそこから犯人をだそうとしていたのです。(五月二日の時点で、「菅原四丁目」に刑事が聞きこみにはいっている)。犯人は「菅原四丁目」、ということが警察の一貫したみかたです。(狭山市にはほかにも被差別部落があります。警察はそこもしらべていますが、「菅原四丁目」があくまで本筋でした)小名木氏に執着したのも、畑が「菅原四丁目」だったからです。
 警察は、スコップから石田養豚場関係者をしらべ、その線から石川さんに目をつけたといっています。それだけでも、警察の部落差別は明白で許せませんが、警察のおこなった部落差別は、もっと根が深いのです。部落民なら誰でもよかったのではなく、石川さんがまさに「菅原四丁目」の部落民だから、デッチ上げにふみきり、逮捕を決断したということです。警察は、地元があやしいといっていましたが、その地元とは、はじめは被害者の家がある堀兼地区も含んでいました。それが、犯人をとりにがし、殺人事件となり、警察が追いつめられていく中で、デッチ上げの決断、地元=「菅原四丁目」としぼられたのです。はじめはささやき声だった「菅原四丁目」への部落差別が、手錠をかけるところまでいったのです。ほかの誰かではなく石川さんでなければならなかったのです。血液型がB型の人間はほかにもいたはずです。警察にとって、石川さんがB型と「わかった」時点で、ほかの者はどうでもよくなったのです。警察は、「菅原四丁目」の人間が犯人だ、と決めていたので、石川さんをデッチ上げたのです。これが、警察のおこなった部落差別の真相です。
 だから、警察は、石川さんの逮捕後も、「菅原四丁目」=死体発見現場周辺を徹底的に洗うことで、国家権力の力を見せつけ、差別糾弾の声をおさえこみ、弾圧=差別しつづけたのです。それは、「部落=犯罪の巣窟」という見方を警察がしたことをしめすと同時に、「菅原四丁目」を息もできないぐらいの緊張状態、戒厳令下におき、石川さんに有利な証拠、証言を暴力的ににぎりつぶす攻撃でした。
 そして、小名木氏に関する情報(石川さんを犯人に仕立てるために役に立つかもしれない)をえたのです。それについては先に述べたとおりです。決断したら徹底してそれを貫徹する警察の部落差別の権化と化した姿を見ることができます。
 警察のデッチ上げは、完全に意図的なもので、徹底していましたが、同時にそれは、危機に立たされた警察のあがきであり、追いつめられたものです。だから、事実にもとづかないもの、事実を無視したり、曲げたりしたものであり、多くの矛盾をかかえるという弱点を持ったものでもあります。そうしたことのすべてを、部落差別でのりきろうとしたのです。
 それは小名木証言のとりあつかいにもはっきりと現れています。警察は、証言のねつ造に失敗したにもかかわらず、小名木証言に執着し、なんと、この小名木証言を「自白」を補強するものとして、裁判で使おうとしたのです。小名木氏の畑が「菅原四丁目」だったからです。追いつめられた警察のあがきそのものであり、石川さんデッチ上げのでたらめさを示しています。いや、デタラメの一言では済ませることのできない、警察の徹底した部落差別の事実を示しているのです。
 裁判では、石川さんが「自白」を維持したことで、小名木証言を使うまでもなかったとはいえ、この事実について、警察が、白を黒と言いくるめるデッチ上げという権力犯罪を手段を選ばず行ったことを示めし、同時に、その全体が部落差別そのものだったことを確認しておく必要があります。

 小名木証言に確信をもてない本部派

 狭山事件とは、先にも述べたように、国家権力をあげての大差別事件です。第一の差別者は警察と検察です。そこが重要なところです。ところが、本部派は「警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1カ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取り調べ、ウソの「自白」をさせて、犯人にでっちあげたのです。地域の住民の『あんなことをするのは部落民にちがいない』という差別意識やマスコミの差別報道のなかでエン罪が生み出されてしまった」(本部派のホームページの狭山事件の説明。つけ加えると、狭山事件の項であるのに、高木決定について、半年以上たった今日でも、一言もふれていません。本部派のやる気のなさは、本当に許しがたいものです)と述べているように、狭山はえん罪事件で、差別意識の中で、生み出されたもの、としているのです。差別事件とは一言もいわなくなっています。
 差別者のいない差別事件はありません。第一の差別者=警察と検察を糾弾することぬきに狭山闘争も、再審もありません。しかし、本部派は、差別意識という漠然とした抽象的なものがあった、誰も部落差別はやっていない、と差別事件であることを否定し、差別者=警察と検察を糾弾しないのです。警察・検察が、「部落民から犯人を出す」と決断し、「菅原四丁目」を「襲撃」して蹂躙し、石川さんを選び出して犯人に仕立て上げたのです。その全過程が、部落差別にほかなりません。徹底して部落差別をおこなうこと=石川さんを犯人に仕立て上げることに全力を注いだのです。差別者としての姿を公然化させ、石川さん逮捕し、さらに部落差別を極限までエスカレーションさせて「自白」させ、「菅原四丁目」の全員を部落差別で脅しつけ、口封じをとことんまでやったのです。その部落差別、権力犯罪の一環として小名木証言の問題も見すえ位置づけなければ、その意味も、それをめぐる警察の悪辣な意図も見えてきません。この肝心要のところで、本部派は、完全に屈服し、差別犯罪を承認しています。彼らには、もはや、狭山差別裁判糾弾闘争をたたかう意志はないのです。しいていえば、「えん罪=人権問題」ということで、取り組むというだけのことです。部落問題、差別糾弾については、言わないでやっていこうというのです。
 再審開始によって、権力犯罪が明らかになり、みずからが被告席に座らされることを高木はおそれたのです。それに対して、狭山は権力犯罪だとか、差別糾弾とか、あまりいわないようにしようとしているのが解同本部派です。裁判と運動は別物と称して、裁判所をあまり刺激しないようにしようというのです。再審開始への道は、そのように高木のような差別者、権力者の顔色をうかがうこととは無縁です。
 有罪を石川さんと部落大衆に強制し、狭山闘争=部落解放闘争の正義性・正当性を否定し、狭山闘争そのものを解体し一掃しようというのが高木決定です。それに屈服し、何とか裁判だけはやっていこうというのが本部派です。とんでもないことです。高木決定=狭山闘争解体攻撃と、本部派の屈服の進行とは一対のものです。
 さらに、問題は、弁護団が一貫して(つまり、第二審でも)小名木証言にまったく注目していないことです。本部派のいいわけでは、小名木氏の存在はわかっていたが、畑の位置がわからず、四本杉のとなりだとは思っていなかった、ということですが、本当にそうなのでしょうか。第一審で検察によって証拠申請された六月四日付員面には畑の住所がはっきりと書いてあるのです。また、検察側が証人申請した時点で、小名木氏の住所が明らかとなっているのです。弁護側は「現場付近で悲鳴らしき声を聞いたこと」という立証趣旨に注目しなかったのでしょうか。狭山弁護団編の本、「自白崩壊」のなかで、弁護団事務局員の雛元氏が「この小名木さんの問題は、私が弁護団の事務局に入ってから、会議で二回話されているんですね。その時には、こんな近い場所だとは思わなくて、もっとずっと遠い所ではないかと思っていたのですね。彼が働いていた地番を法務局へ行くなり本人なりに確かめなかったのもうかつといえばうかつですけれど、調書だけ開示して、彼が働いていた場所を書いた図面を隠していた検察官というのは実に卑劣だと憤りを感じます」と述べていることから、員面は開示されて見ており、畑の住所も弁護士は知っていたことが明らかです。そして、いちおう注目はしているのです。しかし、「もっとずっと遠い所」と思いこんでしまい、事実の究明、石川さん無実の証明のためにさらに一歩、二歩踏み込むことをしなかったのです。痛恨の極みです。調書が開示された時点で、それを正面から検討していれば、小名木証言の重要性がわかったはずです。差別徹底糾弾、権力犯罪と断固たたかうという立場にしっかりと立ちきることによってこそ小名木証言の価値を鮮明にとらえ、生かすことができるのです。

注 第二次再審の請求書「再審請求の理由 第一、第二次再審に当たって 序説(その1) 一、はじめに」で、弁護団は、小名木証言について、「これは本件当時から警察にもわかっていたことで検察側も認めている動かすことのできない事実である。ただ検察官が、裁判所に出さなかったものである」と述べているが、これは、検察が出さなかったと言うより、内田裁判長が早期結審の方針のもとに、不必要と思われる証拠、証言をばっさりと切り捨てる訴訟指揮をしたことの問題です。そして、第二審は内田判決を基本的に踏襲しているので、やはり、小名木証言は必要ないと判断したのです。裁判所と検察が一体となって、小名木証言隠しをやったのです。

注 小名木氏の畑の住所が記載された六月四日付員面は、解同と弁護士の目に触れているのです。「(小名木氏の存在は)一審当時から知られていたが、直接の目撃証人でないことなどから、同弁護団でも注目せず、証人として出廷することもなかった」(八一年一〇月一四日付読売新聞掲載の弁護団記者会見の記事)、「小名木さんの三通の供述調書は弁護団に開示(いつ開示されたかは不明だが八一年以前であることは明白 筆者)されていたものの、これらからは、小名木さんが働いていた桑畑の位置を特定することができませんでした」(パンフ「狭山差別裁判」一〇八号)と、明らかなうそまで言っている。先に見た雛元氏の発言が正直な告白でしょう。新証拠の発掘の困難さはありますが、しかし、なんとしても再審を行わせるんだという執念の問題が決定的に重要なのです。さらに、本部派は裁判と運動をわけて、狭山闘争を裁判所に圧力をかけるものとしてしかみていない。だから、今でも小名木証言に関して、弁面は運動で使うが、員面、検面は裁判で使うものとして表に出していない。

注 第一次再審の最高裁決定では、小名木証言に関する弁護団が提出した実験、鑑定について、事件当日の状況とは条件が違う実験だから採用できないと主張し、弁護側の主張を却下しました。そこで、第二次再審では、そのようなことをいわせないため新たな実験、鑑定をおこない提出した経緯がある。確かに、新たな鑑定は無実を証明する新証拠となりえる重要なものですが、それに頼るようなあり方は、先に具体的に見たような名木証言の本当の価値を、生かすことにはならず、権力・裁判所に再審開始を迫っていくには不十分なもの。弁護団は小名木証言の価値を生かしきっていない。それは、法廷戦術以前の、根本的問題です。

 高木決定の差別性とデタラメさ

 狭山裁判のデタラメさは、その根底に警察のデッチ上げの事実があり、それを取りつくろおとした当然の結果です。そのデタラメさは特に事実認定において際だっています。その一つが、殺害現場の特定です。殺害現場がどこなのかほとんど問題にしていません。判決文でも、わずかに第一審内田判決において、「入間川字東里二千九百六十三番地の雑木林」としているだけです。寺尾判決でも、第一次再審の四谷決定でも、最高裁決定でも殺害場所は明白になっていません。死体発見現場の番地がでてくることはあっても、殺害現場の番地はでてこないのです。判決文とはそんなものなのでしょうか。殺害現場を示すものは「自白」=ことばだけです。何一つ物証や、目撃証言がないのです。そして、「自白」の後でも、警察は殺害現場にほとんど注意を払っていなかったことが、裁判で明らかになっています。殺人事件の現場に関して必ずおこなう徹底的な現場検証は形式的にやっただけであり、「引きあたり」と言われる被疑者を現場に連れて行って確認させるということもまったくやっていない、やろうとした形跡もないのです。それは、「はじめに自白あり」で、デッチ上げ「自白」の範囲内で「現場」を確認するものでしかなく、「自白」の裏付けをとるとか、「自白」は本当なのか、まだ隠された事実があるのではないかとか、とにかく事件の実像を明らかにしようとする捜査とはいえないものでした。だから、裁判でも「自白によって明らか」と軽くあつかわれ、証拠もないのに採用され、事実はどうなのか問題にされなかったのです。警察がどんな捜査をして、なにが明らかになったのかは問題にされず、「自白」内容(警察の取り調べによって作られた想像の産物)だけが、いわば一人歩きしているのです。こんな殺人事件捜査、裁判は、狭山事件以外にありません。一人の人間が死刑になるかならないかという重大問題をあつかう裁判とはいえません。そうしたデタラメの上にさらにデタラメを重ねたのが高木決定です。具体的に二つ事例をあげます。
 ひとつは、決定文の冒頭で「請求人(その弁護人は、別紙一の弁護人目録記載のとおり。)から再審の請求があつたので、当裁判所は、請求人及び検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。」と述べていることです。これは、裁判所の決定文の決まり文句、慣例にすぎない、といえばそれまでですが、事実調べ、現場検証、証人調べ、証拠調べのいっさいを拒否した上で、あくまで決定を出す形式を整えただけのペテンです。そういう内実をともなわない形式だけの裁判が当然のごとく行われている現状を厳しく批判しないわけにはいきません。石川さんの意見を聞いたと称して、公平ぶっているのです。石川さんの意見を聴いた事実はありません。短時間の面談をした、あるいは提出した書面を見たということにすぎません。事実調べ、本人尋問ではありません。あくまで裁判の形式を整え、決定を出すための手続きに誤りはないというためだけのことしかやっていません。再審を開始するかどうかを決めるための実質的内容があることなどやっていないことの居直りです。これは、高木に限ったことではなく、日弁連が問題にしているように、「日本の刑法制度の形骸化」の問題であり、刑法、刑訴法、その実質的運用を司る、警察、検察、裁判所の慣例、体質にまでおよぶ改革、抜本的変革の必要性が求められる問題です。
 もう一つは、殺害現場について寺尾判決を引用する形で「昭和三八年五月一日午後三時五〇分ころ、請求人が被害者に出会って、四本杉に連れ込み、同所で強いて姦淫し、殺害し」と述べていることです。「四本杉」というだけで、決定文のどこにも番地がありません。
 このように、有罪判決を否定してしまうような事実については、取り上げないことにする、というのが高木の、差別裁判・有罪護持の姿勢であり、それは三〇年を越える狭山差別裁判に一貫したものです。
 そこで、小名木証言についてはどうなのか、決定文にそくして見る必要があります。小名木証言こそ殺害現場をめぐる証言だからです。しかし、高木はこの証言が殺害現場に関わるものであることは認めながら、どこが殺害現場なのか、なぜ通称「四本杉」が殺害現場といえるのかにはまったくふれていないません。その上で、「確定判決は…………第一審判決の認定を肯定したうえで、殺害時刻を午後四時ないし四時半ころ、殺害場所を通称四本杉の雑木林と認定判示する」と述べ、寺尾判決の再検討をするどころか、寺尾判決の内容を既定の事実としています。さらに、第一次再審の最高裁決定では、「小名木供述はむしろ自白を補強する一面があるものとさえ認められる」となっていたのを訂正して、「請求人の自白に沿うものと見ることができる」とより悪質に結論づけることで、小名木証言が明らかにした事実を見るのではなく、証言によって「自白」そのものの再検討が問題となる事実が明らかになっているのにもかかわらず、素知らぬ顔でそれを無視し、何ら検討することなく「自白」=事実であると認定し、小名木証言を「自白」と結びつけるのです。寺尾判決の事実認定に間違いはない、「自白」は事実を述べている、だから、小名木証言も「自白」にそったものである(はずだ)、というのです。
 検察・警察の証拠と、弁護側主張を並べて引用して、さも比較検討し、取り調べを行ったかのようなふりをしているだけで、何か言わないと結論が書けないから書いているにすぎません。小名木証言に関しても同じです。寺尾判決そのもの、有罪という結論の誤り、したがって、裁判全体の再検討が必要になっているにもかかわらず、証拠の個別的検討・否定にすりかえ、寺尾判決の総合的再検討を放棄しています。はじめから全然、再審をやる気がないのです。
 その上で、重要なことは、小名木証言に対する新見解を出していることです。高木の立場は、小名木証言を「自白」補強の証拠として使おうとした警察と同じです。警察がやろうとしたことを、高木は裁判と称してやっているのです。「請求人の自白に沿うものと見ることができる」、この一言は決して見逃すことのできない新見解であり、差別裁判、寺尾確定判決のエスカレーションです。高木は、この一言をいうための枕詞として小名木証言について長々と六〇〇〇字も文字を並べたのです。

小名木証言をどうあつかっているのか

 高木は、事件直後にとられた員面、検面と、事件から一八年後にとられた弁面は、同じ小名木氏の証言でも別物だ、としています。事件から「一、二か月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされた小名木の捜査官に対する前掲の供述内容、就中、員面の内容は、十分信用に価するということができる。これに対して、弁面二通は、殊更に虚偽を述べたとは考えられないけれども、事件からそれぞれ一八年、二二年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難い」というのです。そして、だから弁面を却下し、員面、検面を採用する、弁面を元にする弁護団の主張は検討に値しない、というのが高木の見解です。しかし、高木はどちらがより正確かということを厳格に比較検討もしていないし、問題にもしていません。小名木氏の証人尋問が不可欠であるにもかかわらずやっていません。もちろん、この証言に関する弁護団の意見を聞くこともしていません。現場を調べることもしていません。員面、検面もまともに検討したとはいえません。先にくわしく見たとおり、小名木証言は、事実を明らかにしているのであり、四本杉の雑木林は犯行現場ではないのです。だから、この証言に深入りすると、殺害現場問題に触れざるをえなくなり、警察のデッチ上げが明らかになってしまうので、検討しないことにしたのです。員面、検面も含めて小名木証言がいう事実を意図的に無視抹殺して、逆にいなおって、証言を強引にねじ曲げて「自白」と結びつけたのです。しかし、高木は、当然ですが、「自白」のどの点に沿ったものかを具体的に示すことはできていません。
 そのことは、決定文で捜査報告書と員面の内容を「その大要は」とまとめ、高木が小名木証言を自分にとってつごうのいいように作っていることに示されています。捜査報告書、員面の単なる引用ではなく、その中にあることをつまみ食い的に取り出して作文しているのです。そのまとめは、弁面と捜査報告書、員面が、事実問題で対立しているかのように見せるための、高木の作為の現れです。それから、高木は検面の露骨な作為性に気づき、まとめの中には意識的に入れないようにして、あとの方で「報告書や小名木員面と実質的な違いは認められない」と述べて、証言のねつ造策動があったことを隠そうとしています。
 それに対して、弁護団は異議申立書の中で、「四通の捜査報告書、同人の員面、検面調書の供述内容と弁護人に対する供述内容とは基本的部分においては一致しているのである」といっています。事実は一つで、明白だと言っています。高木は小名木証言の示す事実をねじ曲げているという見解です。だが、問題はそこで終わってしまっていることです。
 高木は警察と同じ立場に立って、石川さんを犯人にしているのです。弁面は、小名木さんが事件直後に証言したことを再確認するとともに、事実を改めて明らかにすることによって、犯行現場を四本杉の雑木林としたデッチ上げをあばき弾劾し、自分にウソの証言をさせようとしたこと、河本検事が話してもいないことを調書に書いて、小名木氏をだましたことへの怒りを表明しています。捜査報告書、員面、検面、弁面として出された小名木証言の示す事実で、高木はグラグラになったのです。だから、捜査報告書と員面が弁面と違うと主張し、小名木氏の記憶の問題にしたのです。しかし、その高木のもくろみは、小名木証言自身によって事実上粉砕されています。「事件当時から、本当にそこで犯行があったのだろうかと疑問に思ってきた」と語っているように、約二〇年の歳月を越えてなお、忘れることのできない強烈な体験と事実を明らかにしたものです。小名木証言は、警察のデッチ上げをものの見事に暴露しています。殺害現場は四本杉の雑木林ではない、悲鳴は聞かなかった、石川さんの「自白」は作られた虚構、ということを明白にしているのです。まさに新規かつ明白な証拠です。
 有罪の決め手は、突き詰めると「自白」に行き着きます。その「自白」では、「四本杉の附近迄来た時、そこで止れと云つて善枝ちやんを止め、私が自転車をその山道に立てて善枝ちやんの手首を掴んで林の中に道から二、三米引つ張り込み直ぐ帰すから手を後に廻せと云うと、黙つて両手を後に廻したので、松の木を背中に抱かせる様にして私がポケツトに持つていた手拭で善枝ちやんの両手を後手に縛りました」と犯行現場を「四本杉」とし、「大声で 助けてと叫び、更に大声を出して騒ぎ出しました」と強調されています。そして、「大声で騒がれては人に知れると思い直ぐに前に云つた様に右手で女学生の首を締め声を出さないようにしました」、そしたら、死んでしまった、とされています。そして、石川さんは「犯行現場」の図面を書かされています。石川さんは「大声で騒がれては人に知れると思い」とあるように周囲を気にして注意を払っていたことになっています。しかし、周辺で、人が動いたとか、オート三輪が停まっていたのを見たという供述はしていません。
 こうした「自白」の内容と小名木証言との違いは、明らかです。小名木氏は。「自白」にあるような声=悲鳴をまったく聞いていないのです。人影も見ていないのです。わずか二〇〜四〇メートルの近くににいたはずなのに。そして、周囲の様子も、小名木氏の証言がきわめて具体的で詳しいのに対して、石川さんがいわされた供述では、四本杉の雑木林の中のどこで何をしたのかは述べられていても、雑木林から一歩でもでたところの状況はまったくふれないのです。警察は、石川さんに、とにかく「殺した」といわせ、「どこでやったか」といわせることに集中し、全力をあげたのです。あとは、証拠や証言がでていないのだから、適当に取りつくろえばどうとでもできると考えたのです。そして、犯人ではない石川さんが四本杉の雑木林とその周辺の状況など知らないし、話しようもないのです。
 小名木証言はこうした殺害現場に関する「自白」のデッチ上げであるが故の矛盾、弱点をものの見事についています。警察にとっては、大打撃であり、命取りになりかねないものです。
 小名木証言の示す事実はひとつです。その事実を争点にしないで、弁護団はなにを争おうというのか。事実は、小名木氏本人に聞けばはっきりすることです。それこそ高木がもっともおそれたことです。小名木証言は、「石川さんは犯人ではない」という小名木氏の心からの訴えです。それを、生かし、武器にして裁判所に立ち向かうのでなければなりません。
 第二次再審では、弁護団は、小名木氏の証言に基づいて、詳しく実験や鑑定を行って、それを裁判所に提出しています。なぜ、それが必要なのかといえば、裁判所が差別裁判をおこない、小名木証言についてもまともに取り上げようとしないからです。証人尋問、現場検証を裁判所が行えば、ことは明白になるのです。そもそもそういうことは、裁判所が、事件の解明のために行わなければならないことです。万年筆の発見=鴨居の問題と同じで、現地調査をすれば誰の目にもはっきりすることなのです。さらにいえば、先に述べたように、小名木証言そのものを、裁判所が意図的に軽視し、まともにあつかわないやり方こそ問題で、差別裁判をただすことが重要です。実験や鑑定は、再審の開始の決め手となる場合もありますが、事実問題、小名木証言そのものの新規明白性を裁判所に認めさせない限り、鑑定の威力も生かされません。
 弁護団は、小名木証言そのものを使って争うよりも、小名木証言に基づく実験、現場検証、鑑定を重視し、そこで、新規明白性をつきだし、「自白の矛盾」をもあきらかにするという姿勢です。高木決定に対する意議申立書でも、小名木証言に関する項で、その三分の二以上を鑑定、実験についてさいているのです。たしかに裁判所は、第一次再審の最高裁決定でも、高木決定でも、小名木証言を明白(新規制については争わず認めた)な証拠とは認めず、弁護側の主張のあげあしをとるように、なんくせをつけ、逆に「自白」が事実を述べたものであることを示す証拠であるというあつかいをしています。警察、そして、あえて小名木証言関係証拠を開示した検察の思惑、期待に高木は応えているわけです。そして、決定文では、まともに検討もせず、理論も理屈もなく、ただただ有罪判決は正しいと結論づけているのです。
 ですから、小名木証言を警察、検察、裁判所のようにあつかっていいのか、というそもそもの初めから問題にしていく必要があるし、そもそも小名木証言が、刑の確定に至る各級裁判の中でまったくでてきていない、という点で新規性ははっきりしているうえに、くわしく見たように明白な事実を示す証拠・証言ですから、新たに法廷を開いて検討しなければならないのです。
 まず、小名木証言そのもので勝負することが、問われているのです。それだけの価値、重みを小名木証言はもっています。高木決定でも、「悲鳴」とはいえず、「悲鳴とも呼び声ともつかない声」と書いた検面を使うこともできず、「直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持って来る途中で誰かに襲われたような感じがした」、「誰かが呼ぶような声」としかいえていないところに、小名木証言の否定しがたい事実の威力が示されているではないですか。

注 高木決定文で、「 」でくくりあたかも員面などからの引用であるかのように書いているところは、実際は員面などを参考にした高木の作文であることに注目しておく必要がある。そして、検面については他のものと意識的に区別して注意深くあつかっている。

 
三,小名木証言は新規明白な新証拠

小名木証言こそ再審開始への突破口

 八一年の小名木証言は、画期的な発見、正しくは再発見であり、裁判をめぐる新局面を開く転換です。再審の必要条件とされる、新規、明白という条件を満たす証言です。
 したがって、国家権力、検察、最高裁は、小名木証言をつぶすために全力をあげたといえます。最高裁決定は、再審棄却でしたが、小名木証言を新証拠と認めざるをえませんでした。その上で、「小名木供述はむしろ自白を補強する一面があるものとさえ認められる」と、苦しいいいわけと居直りで答えているのです。
 「補強する一面」があるとするならば、他の面、別な判断もあるのであり、それを否定できなかったのです。この窮地を乗り切るためには、国家権力の強権を発動することしかありませんでした。最高裁決定は、理屈ぬきで、棄却という結論だけを押しつけるものとなったのです。
 そして、昨年の高木決定です。先に見たように、高木のとった作戦は、軽視すること、つまり、逃げることでした。しかし、最高裁と違うのは、「自白に沿うものと見ることができるのであって、これと相容れないものではない」と断言したことです。「自白」に沿うものかどうかの検討はいっさいやらず、差別的独断だけで結論が押し出されているのです。まさに、極反動裁判官・高木の真骨頂です。
 しかし、小名木証言の価値、意義は少しも変わっていません。四本杉は殺害現場ではない、「自白」は警察によって作り上げられたもの、石川さんは無実、という事実を明らかにする証言なのです。本当に貴重な証言であり、小名木氏に感謝しなければなりません。問題は、それを生かすかどうかであり、狭山闘争の主体の側にあるのです。
 それにしても、本部派の屈服は許し難いものです。第一次再審・最高裁段階では、小名木証言がでたから、再審開始以外にないとまで言い、狭山といえば、小名木証言を第一にあげ、記者会見もおこない大々的にあつかったのです。それが、今は、小名木証言について語ろうともしていないのです。いま本部派が、無実の証拠としてあげているのは、筆跡問題と万年筆・鴨居の問題です。無実の証拠をあげろ、といわれたら、本部派も多くの証拠のひとつとして小名木証言も出すでしょう。しかし、小名木証言を積極的に使う気はない、小名木証言では勝てない、やはり警察側が使おうとした証拠だ、とあきらめているのです。その背景には、高木決定に対する屈服があります。
 このような本部派の屈服をのりこえた、全国連の狭山差別裁判糾弾闘争、再審開始を勝ち取るたたかいの真価が、かけねなしに問われています。その中で、小名木証言の価値を生かすのです。
 小名木氏は、普通の農民です。その小名木氏が、積極的に新証言=弁面を二度(八一年と八五年)もして、狭山闘争に新たな武器を与えてくれたのです。現地調査にも同行して、くわしく説明してくれたのです。八一年に弁護士とともに現地を調査した野間宏氏によれば、小名木氏は非常に協力的で、声の問題について、「詳しいことは忘れたが、あの日、はっきりした悲鳴なんかを聞いたわけじゃない。警察の調書には、どう書いてあるか知らないが」、「助けてとか、キャー、とかいうはっきりした声がしたなら、付近をよく見ていた。誰か何か言ったかな、という気がした程度で、続いて声が聞こえなかったので、勘違いだったのかと思った」と語ったといいます。こうした小名木氏の新証言、弁面は、殺害現場を四本杉としたデッチ上げ判決に対する弾劾であり、事実をねじ曲げている警察・検察・裁判所に対する怒りの表明であり、石川さんは無実だというアピールです。先に見たように、員面、検面は、小名木氏から意図的に警察の望む情報を引き出そうとして作られたものですが、それにも関わらず、小名木氏は体験した事実を述べて、調書からもそれがよくわかるのです。
 
司法の反動化と再審
 昨年、高木決定がでて、異議審にはいったわけで、今日、異議審の棄却攻撃が切迫しています。再審を開かせるためには、必要なことを何でもやらなければなりません。しかし、裁判をめぐる情勢は、予断を許さないものになっていることを考えないわけにはいきません。
 一九七五年に最高裁が、再審に関して白鳥決定という画期的とも言われた決定をだしました。それは、
「『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせその認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいう。このような証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとすればはたしてその確定判決のような事実認定に到達したであろうかという観点から当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」
というもので、再審開始の条件が大きく緩和されたのです。そして、それをひとつの転機として、連続的に再審開始がおこなわれ、その過程で、死刑判決がひっくり返り、無罪判決がでるという事件もありました。ちょうど、第一次再審の段階の時です。
 しかし、それがひとつの流れとなり、日本の司法制度が大きく変わるという風にはなりませんでした。狭山の第一次再審棄却がでたのです。むしろ、司法の反動化、裁判所の反動化、検察、警察の巻き返しが強まってきたのです。さらに、昨年には、日産サニー事件(福島地裁磐城支部が再審開始を決定したが、即時抗告で仙台高裁がそれを取り消したので、最高裁への弁護側による特別抗告が行われていた)で、最高裁によって棄却決定がだされています(九九年三月)。最高裁は、白鳥決定をみずから否定したのです。再審裁判のあり方をめぐる論争、実際に行われている再審裁判に対して、最高裁は、「みだりに」それを行わない、と宣言したのです。それは、最高裁判例として、法律に準じるものとなります。実際の裁判においては、法律が変わったのと同じ意味を持ちます。そうした流れの中で、高木の棄却決定がでたのです。
 これまで東京高裁管内の再審事件は、ことごとく棄却されてきました(竹澤哲夫元日弁連人権擁護委員会委員長著 「裁判が誤ったとき」)。東京高裁は、まさに、権力そのもの、反動の牙城です。そういう者を相手にして、狭山再審を開かせるたたかいをやっているわけで、本部派のような、あらかじめ屈服して、権力にお目こぼしを願うような態度では勝てるはずがありません。狭山闘争を、えん罪、人権侵害を救援する運動に解消し、「市民の会」などという部落問題を意図的に消した運動をアリバイ的に行い、裁判は石川さん本人と弁護団にまかせる、という態度です。同盟綱領からも削除し、狭山闘争を部落解放運動の課題でも、労働者人民の課題でもないというあつかいをしているのです。
 そして、日本帝国主義の大転換が始まっています。平和憲法を投げすてて、戦争のできる国家につくりかえる攻撃です。昨年だけでも、自自公体制=翼賛国会の成立のもとで、ガイドライン法、「日の丸、君が代」法、組織犯罪対策法(盗聴法)、オウムを口実とした団体規制法(新破防法)、と次々に反動法が成立しています。そして、不況と失業と差別の強まり、資本攻勢の激化です。部落差別の強まりの頂点にたって、それにいっそう拍車をかけるものとして高木決定があるのです。
 ある意味では、狭山闘争をたたかい勝利するためには、われわれが構え直す必要があるといえる状況です。全国連は今年の大会で、「差別糾弾闘争の復権」を宣言しました。部落解放運動の原点にかえって、かまえ直そうということです。それは狭山闘争をどうたたかい勝利するかという課題を第一にしています。

糾弾闘争こそ勝利の道

 狭山差別裁判糾弾の軸のひとつとして裁判闘争をすえる必要があります。寺尾や高木のような差別裁判官が相手なのであり、それに対する糾弾闘争として裁判闘争をたたかう必要があります。同時に、警察、検察、裁判所のおこなっている部落差別、デッチ上げの権力犯罪を、徹底的に暴露し追及することが不可欠です。再審開始によって、権力犯罪の全貌が明らかとなることを敵はおそれているのです。
 糾弾闘争の貫徹こそ勝利の道です。小名木証言は、寺尾判決=確定判決が、架空のデッチ上げの事実のうえにあるデタラメな判決であることを示し、狭山裁判が差別裁判であり、国家権力の犯罪行為であることを明らかにしています。裁判所、権力は、再審開始のためには新規明白な証拠が必要、同じ証拠で再審請求はできない、として、再審の門を固く閉ざしています。小名木証言は決定的新証拠です。再審の門をこじ開ける武器です。高木決定は、「請求人の自白に沿うものと見ることができる」とのべ弁護団の主張を却下しましたが、その意図とは正反対に、正面からあらそうわざるをえない問題が小名木証言であることを認めてしまったのです。それは、小名木証言をめぐって徹底的に争い、そこで勝てば、再審の門が開かれることを意味します。そういう位置を持ったのが小名木証言です。そのたたかいは、あまいものではありませんが、敵の弱点をしっかりつかんだということです。
 

おわりに

 裁判とは何か。法の厳格な適用、法によって裁く、そして、公権力の行使です。しかし、狭山裁判はそうしたこととはまったく無縁であり、裁判とはとうていいえないものです。
 そういうことを、三〇年以上も続けているのであり、そこに差別があるのです。解同が公正裁判を要求する決議をしたのが六九年です。それからでも三一年たっています。公正裁判は実現されたでしょうか。事態はまったく逆で、差別判決、差別決定がくりかえされてきました。この部落差別攻撃をうち破ること、石川さんの無罪を認めさせることが、狭山闘争の課題です。
 「自白」が最重要の証拠という裁判がまかり通っていることも問題です。つい最近も、愛媛で「誤認逮捕」され「自白」をデッチ上げられ、一年以上も拘留されていた人が、真犯人が現れたことで、検察も誤りを認め釈放される、という事件が大きく報道されました。デッチ上げを合法とみとめ、無実を主張する人を拘留し続けたことに示されているように、裁判所は公正中立ではないのです。「自白」すれば犯人だ、ということを当然として裁判が行われているのが現実です。そして、警察はデッチ上げを平気でやる、「犯人は探し出すのではなく、つくるものだ」と考えている連中だということです。
 こうした警察のあり方、裁判所のあり方を変えなければなりません。多くのえん罪事件があり、再審請求が行われています。えん罪を生む司法制度が、戦前から一貫して維持されているのです。「自白は証拠の王」ということが今でも当たり前のこととされています。そのような司法制度、法律、それらを必要とする国家・社会こそ変革されなければなりません。
 部落差別を必要とする社会─国家を変革することは、大きなテーマです。しかし、狭山闘争は、それを言葉だけで終わらせてはならないことを、多くの人々に教え、要求しています。石川さんの無罪を勝ちとることは、実に大きな宝を部落大衆と労働者人民にもたらすのです。確信も新たに再審実現に向かってたたかっていきましょう。







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