3 警察のデッチ上げた殺害場所、7 小名木さんの畑、

狭山事件関係日誌・年表

1963年
5・1  中田善枝さん行方不明、自宅に脅迫状届けられる 

5・2  警察が石川さんの住む部落で聞き込み

         夜24時、警察官40人張り込む 

5.3  0時身代金を取りにきた犯人を取り逃がす。

     特捜本部設置、公開捜査・山狩りを始める。

     石田養豚場に聞き込みに入る

     「犯人はよそ者(部落)」という差別が始まる

5・4  石川さんの地区の直近で善枝さんの死体の発見

     狭山市内の部落差別は決定的となる

     篠田国家公安委員長「犯人は知能程度が低く、土地

     の事情に詳しい者であり、20万円を大金だと考え

     る程度の生活の者」と発表、警察が部落民が犯人と

     示唆     柏村警察庁長官辞任 

5・6  重要参考人・奥富玄二自殺、報告を受けた篠田国家

     公安委員長「犯人はなんとしてでも生きたままフン

     づかまえてやらねば」と発言

     警察は顔見知り犯行説を捨てる

     犯人は部落民と見て部落差別捜査に全面的に舵を切る

     石田養豚場からスコップの盗難届け出させる

5・7  警察は奥富はシロと発表、国会で警察の責任追及

5・8  警察、市内の二つの被差別部落への集中捜査本格化

     120人を片っ端から調べる

     石田養豚場関係者のリストを入手

5・9  山狩りを打ち切る。国会で警察の大失態追及。

5・10 地元婦人会、特捜本部へ炊き出し始める

5・11 スコップ発見、養豚場から盗まれたもので、死体

     を埋めたものと警察は発表。

5・12 特捜本部、人員縮小

5.13 石川さんの別件の捜査始まる

     埼玉県知事が中田家を弔問

5・18 特捜本部、さらに人員縮小

5・20 警察、石川さんの元勤務会社から早退届入手

5・21 石川さん「上申書」を書かされる。

2・22 筆跡鑑定の「中間報告」、石川さんの逮捕状請求

5・23 石川さん、「恐喝未遂」他の容疑で逮捕、

     第一回家宅捜索

     ウソ発見器にかけられる

逮捕をきっかけにマスコミは一斉に差別キャンペーン

「特殊地区」「貧困」「スラムのよう」「残忍な石川」


5・25 被害者の教科書、ノート発見、解同埼玉県連が警察

     に抗議

5・28 弁護士選任

5・29 再びウソ発見器にかけられる、「アカハタ」が部落

     差別と報道

6・3  拘留延長決定(10日間)、養豚場関係の部落青年

     2人逮捕

6・4  養豚場関係者さらに一人逮捕

6・5  警察、内田幸吉目撃証言調書を取る

6・6  拘留再延長決定

6・13 石川さん別件9件で起訴、「恐喝未遂」は処分保留

6・17 石川さん保釈、その直後「殺人」など本件で再逮捕

     川越分室に移送。

     18日予定の拘留理由開示公判中止

6・18 第2回家宅捜索、

6・19 石川さんハンストに入る

6・23 石川さん「3人犯行」を「自白」させられる。

6・26 石川さん「単独犯行」を「自白」させられる。

     第三回家宅捜索で万年筆を発見

7・1  警察、殺害現場と称するところを検証。

     石川さん同行せず。

7・2  被害者のものという(?)腕時計発見

7・9  石川さん、本件で起訴

7・10 特捜本部解散

7・12 内田裁判長「年内結審」の談話

9・4  第1回公判、浦和地裁


1964年

3・11 内田裁判長、死刑の判決。直ちに控訴。

6・30 弁護団、控訴趣意書提出

9・10 東京高裁で第二審開始 石川さん無実を訴える

1965年

10・5 解放同盟20回大会で、「公正裁判要求」決議

1969年

3.4  解放同盟大会で、石川さんの両親が無実を訴え。

11・14部落青年、浦和地裁を占拠し糾弾する

1970年

3・13  解放同盟大会で、狭山差別裁判糾弾闘争方針決定

      無実を訴え全国行進

9・19  総評、狭山で決議

1972年

11・28 寺尾裁判長就任

1974年

3・22  寺尾裁判長、弁護側証人、証拠調べ却下

8.19  総評、狭山闘争取り組みの方針決定

9・26  狭山無罪要求で11万人集会

9・27  学者・文化人の狭山アピール。

10・31 寺尾判決、無期懲役

1976年

1・28  弁護団、上告趣意書を提出

1977年

8・9   最高裁、上告棄却決定

8.30  再審請求書を東京高裁に提出

1980年

2・7   東京高裁再審棄却決定

2・12  弁護団、異議申し立て

1981年

3・25  東京高裁、異議申し立て棄却

3・30  最高裁に特別抗告

10・13 小名木証言明らかになる

1985年

5・28  最高裁、特別抗告棄却決定

1986年

8・12  東京高裁に第二次再審請求

1992年

3・1   解放同盟全国連創立大会

1995年

12・21 石川さん仮出獄

1999年

7・9   東京高裁高木裁判長、再審棄却決定

7・13  弁護団、異議申し立て

2000年

3月    弁護団、補充書提出 新証拠

2002年

1月24日 異議申し立て棄却決定

1月29日 最高裁に特別抗告申し立て

10月   弁護団、補充書提出

2005年

3月16日 最高裁が特別抗告棄却決定

2006年

5月23日    東京高裁第4刑事部に第3次再審請求

2009年

9月10日    三者協議開かれる(弁護団、東京高裁、東京高検)

2010年

5月13日    東京高検 36点の証拠開示(小名木証言を含む)

2012年

4・23      10回目の三者協議

 

 

不当逮捕される石川さん 

  左は脅迫状、右が石川さんの文字

 

  万年筆は鴨居の上から見つかった。