五十嵐鑑定の犯罪的役割

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 狭山事件における唯一の真理は、石川一雄さんが事件とは無関係であり、完全な無罪であることです。事件が発生した一九六三年五月以来、警察による捜査段階から逮捕・再逮捕、マスコミの差別キャンペーン、差別裁判と死刑(確定判決は無期懲役)の確定、第一次再審棄却、第二次再審棄却の全過程が、石川さんを犯人とするための国家権力総がかりの部落差別・権力犯罪であることです。 昨年の高木の再審棄却決定は、こうした差別裁判を裁判所=国家権力の名において改めて宣言しただけでなく、石川さんを先頭とした再審要求のたたかいの背骨をたたき折ることをねらったものです。だが、それは全国連を先頭とした広範な狭山勢力の反撃、糾弾のたたかいによって、石川犯人説の破綻点に転化しています。なにより、石川さんは、棄却決定の衝撃をのりこえ、いっそう闘志を燃やし、全国をとびまわって、糾弾闘争を展開しています。 高木決定は、寺尾判決をなんとか護持しようとあがいていますが、それは失敗しています。棄却決定文は、まさに、墓穴を掘ったとしかいいようのない矛盾と暴言にあふれています。あくまでもデッチ上げという権力犯罪を貫こうとするあがきにほかなりません。棄却決定文は、再審裁判における当然の法律上のたてまえ、形式も論理も無視した、違法かつ不当な極悪の差別判決です。裁判所の権威、国家権力の暴力的本質をむき出しにして、白を黒と言いとおそうというものです。一方では狭山闘争=部落大衆の怒りをおそれて、機動隊に守られなければ落ち着かない高木のような裁判官が、なぜこんな差別決定ができるのか。それは、七七年八月九日の最高裁上告棄却決定(無期懲役確定)という判例、最高裁の権威、「錦の御旗」があるからです。最高裁=国家権力中枢部が「権力犯罪も部落差別もない」、「犯人は石川だ」といったのだから、どんなことをしてもかまわない、有罪判決を変える必要などない、としているのです。差別であろうが、何であろうがおかまいなしだというのです。 ところで、狭山事件を考えるときに重要なことは、具体的事実です。その事実をとらえかえし、石川さんの無実を事実をもって証明し、さらに、事件の全体像=権力の差別犯罪を明らかにすることが、再審実現にとって重要です。 狭山事件の一つの重要な特徴は、警察がまともな捜査をしていないことです。警察がやったのは、石田養豚場関係者を中心とした被差別部落への集中捜査です。それは、部落民から犯人をデッチ上げるという差別捜査です。石川さんは、まさに警察によって犯人に仕立てあげられたのです。(詳しくは、『この差別裁判を許すな』(全国連中央本部刊)参照)。 事件は、五月一日に中田家に、脅迫状と学生証が届けられたところから始まります。二日の犯人とりにがしをへて、四日に被害者の埋められた死体が発見され、誘拐殺人事件となりました。かくして、脅迫状と身代金を取りに来たときの声と足跡、死体が事件の重要な証拠(犯人が残したもの)となったわけです。これらは、警察がデッチ上げに踏み切る以前の段階で発見されたという点で、ほかの物証とされているものとは違うのであり、その検討は重要です。本論では、そのうちの死体に関する問題をあつかいます。被害者の血液型と犯人の血液型の問題、どのように犯行がおこなわれたのかに関係する被害者の後頭部傷跡の問題、死亡時期問題です。 いずれの問題でも、警察は、五十嵐鑑定を証拠として使い、デッチ上げをおこなっています。したがって、五十嵐鑑定の検討、そのデタラメさのバクロは、警察、検察、裁判所の権力犯罪、デッチ上げと部落差別をあばきだす決定的なことです。そして、五十嵐鑑定がくずれ、有罪の証拠とすることのできないものであるとなれば、石川さんの無実を勝ち取る再審への道が開かれるのです。五十嵐鑑定は、脅迫状=筆跡鑑定と並ぶ最も重要な有罪の根拠です。それを徹底的に粉砕し、証拠として使えないものにすることが本稿の目的です。 五十嵐鑑定は、独立したものとしてあつかわれ、あたかも客観的なものであるかのように考えられています。少なくとも、権力・裁判所はそうあつかってきました。しかし、実際は、全くちがうのです。死体発見から、その後の捜査、デッチ上げ逮捕、「自白」、裁判の全課程をみなければ、五十嵐鑑定とは何なのかを正しくとらえることはできません。以下、順を追って、それをみていきます。 死体は、発見されてすぐ実況検分がおこなわれ、何十枚かの写真がとられ警察官・大野喜平によって実況検分調書が作成されています。その後、検屍、解剖にふされました。その結果を記録したものが五十嵐鑑定書です。 死体発見直後の、中田善枝であることの確認、実況検分、死体鑑定はひと続きのものです。警察の初動捜査の核心部分です。事件を重視していた警察はすぐに、死体鑑定を、「権威」(五十嵐は、血液型の権威とされて、間違った鑑定をくりかえしたことで有名な東大の古畑の真弟子です。五十嵐も古畑同様、熊谷事件ではまちがった鑑定をして、警察のデッチ上げ逮捕に協力した前歴があります)とされていた埼玉県警本部直轄の監察医・五十嵐勝爾に要請したのです。 五十嵐が、鑑定は独立したもので、他の捜査と別物で、それらの影響を受けないよう、客観的立場に立って行ったという主張を行っていることは、全くのデタラメです。 実際はどうだったのか。捜査の一環として組み込まれているのが、五十嵐鑑定です。実況検分調書と鑑定書を並べてみる必要があるのです。また、裁判での証言も合わせてみる必要があります。そこで明らかとなる実際の流れは、死体発見後、すぐ、五十嵐のもとに鑑定要請があり、五十嵐は、昼頃に死体発見現場に行ってそこの状況を見ていることです。裁判では、「もう片づけられてなにもなかった」と証言しています。それから、五十嵐は、死体の実況検分がおこなわれている場所を聞いてそこ=中田家へ移動しています。実況検分の真っ最中に五十嵐は立ち会っていたのです。五十嵐自身が、意識的に、情報収集を行う動きをしていたのです。裁判では「死体を見た。そのときはまだ服を着ていた」と証言しています。それから五十嵐は、解剖が終わるまで、死体とつかず離れずのところにいて、警察がしていることをずっと見ていたのであり、また、当然ですが言葉も交わしたのです。「先生、これは強姦ですね」「首を絞めて殺したんでしょう」といったことが話されているわけです。五十嵐が、鑑定は独立したもの、客観的なもの、というのは全くのウソです。そういうウソを平気で法廷で述べるようなやつが五十嵐なのです。警察の御用鑑定医の姿です。五十嵐は、中田家で、検屍を始めるまで、約六時間ものあいだ、いったい何をしていたのか。寝ていたわけでも遊んでいたわけでもありません。検屍の準備と、情報収集をやっていたのです。 実況検分調書では、検分の終了が「午後七時三十分」となっています。他方、五十嵐の鑑定書では、鑑定開始が、「午後十九時〇分頃」となっています。つまり、死体をめぐって警察と五十嵐がいっしょに何かやっていた時間帯があるのです。大野は、裁判で「検屍が始まったとき自分がその場にいました」と証言しています。 さて、五十嵐が、警察から依頼された鑑定事項は、「一、性別、二、創傷の部位程度、三、凶器の種別、四、姦淫の有無、五、血液型、六、その他参考事項」です。不思議なことに、警察の依頼項目には、死因および殺害方法はなかったのです。しかし、先に述べたように、そんなことはいちいちいわなくとも、現場で話ができているのです。五十嵐は、なにを鑑定書に書けばいいのかをあらかじめ警察との話から決めていたのです。 そして、かんじんの五十嵐鑑定ですが、それは厳密さにかけ、多くの問題点をもったものです。被害者の死体検屍の検討・批判に耐えるような科学的厳密さをもたない、およそ鑑定に値しないものです。はっきり言って、水準以下です。
五十嵐がやったことは鑑定に値しない
 五十嵐がやったことを具体的にみていきます。 五十嵐勝爾は、警察の要請で、飯野簡易裁判所の許可のもと、五月四日午後七時頃から九時頃の約二時間をかけ、掘兼の中田家の敷地内で電灯照明をつかい、助手三人、写真撮影担当の警官とともに、被害者の検屍、解剖をおこないました。さらに、その際、採取した死体材料(血液など)を鑑識課実験室などで検査しています。その結果判明したこと(五十嵐が確認しえたかぎりのこと)を鑑定書としてまとめ、五月一六日に警察に提出しています。 検屍、解剖をおこなう前の段階ですでに明かとなっていたこととして、死体は中田善枝本人であること、他殺体であること、死亡時期は五月一日の下校時から死体が発見された四日午前一〇時半までの間であること、死後、何時間かはうつ伏せの状態で土中に埋められていたことです。これらのことは、当然、五十嵐も頭において検屍、解剖をおこなったはずです。 ここで問題なのは、検屍、解剖が通常の条件でおこなわれず、悪条件のもとでおこなわれたことです。通常は、特にそのためにもうけられた解剖室でおこなわれるのであり、採光、換気、流水、排水の設備が整った条件が求められるのです。しかし、五十嵐鑑定の場合は、そうした設備のまったくない、きわめて悪い条件のもとで検屍、解剖を行っています。特に照明は重要で、電灯のもとでは、見落とし、見誤りが起こりやすいといえます。色の判断も困難がともないます。この件で、五十嵐自身は、「警察のつごうでそういう条件になった」といいのがれをいっていますが、五十嵐が、警察のつごうを最優先したことは明らかです。 さらに問題は、五十嵐鑑定のやり方です。鑑定は、中田家でおこなったことと、その後実験室でおこなった検査の二つが内容ですが、被害者の血液型の検査をいつおこなったか記載がないのです。死体から採った血液を、その後何日か保管し、検査しているのですが、血液は、その成分が被害者の死亡と、経過日数によってかなり変化していたはずです。そういう血液の血液型検査は、新鮮な血液とは比べられないほどむづかしいのです。また、死体から採取した精液の血液型検査を六日におこなっていますが、精虫検査は即日行っているにもかかわらず、なぜ、精液の血液型検査については二日後におこなったのか、その間どのように保管していたのか不明です(精液は採取したらすぐに冷蔵庫に入れて保管するのが常識だが、鑑定書には「保管す」とだけしか書いていない)。精液の成分も変化していたはずで、検査は困難なものになっていたのです。いずれにせよ、検査結果は、六日にでて、すぐ警察に知らせています。 つまり、鑑定で、犯人の血液型がB型とみなされ、警察がそれを知ったのは六日になります。六日は、重要参考人として名前が上がっていた奥富玄二が自殺した日であり、また石田養豚場からスコップが盗まれたとして紛失届をださせた日でもあります。警察は、この日を転換点として、養豚場から盗まれたスコップが死体を埋めるのに使われたとの推測のもと、スコップ↓石田養豚場関係者=部落民、血液型B型、殺害は一日(これも五十嵐鑑定を根拠として警察が考えた)で、一日にアリバイがない者を犯人とみて、部落への襲撃=全面的差別捜査にカジをきっていったのです。 重要参考人が自殺、という一報を聞いた篠田国家公安委員長が「なんとしても、生きた犯人を捕まえる」と発言したことに、警察=国家の意志が示されています。差別捜査へのゴーサインが国家中枢から出されたのです。 そこで重要なのは、五十嵐鑑定がフルに使われたことです。正式には五月一六日に提出されていますが、実は、それ以前の段階、つまり警察の差別捜査の始まりにおいて犯人像を決める決定的な役割をはたしたのです。五十嵐鑑定がなければ、デッチ上げは不可能であり、石川一雄さんが犯人に仕立てあげられることもなかった、といってもいいものです。五十嵐と警察は一心同体です。
法医学の限界と、五十嵐の医者としての力量の限界

 その上で、五十嵐鑑定は、二つの重要な問題点があります。 一つは、法医学の問題です。ある法医学者は、「残念ながら現状は、鑑定に、鑑定した医師の技量と主観が反映することはさけられない」といっています。たしかに法医学という学問があり、五十嵐鑑定もそれにのっとっておこなわれたとされています。しかし、そもそも、法医学というものが学問的批判に耐え得るものではないともいわれています。臨床医学でも同様のことがいえますが、経験と技術力、医者の判断(主観)が結果(鑑定)を大きく左右するのです。 法医学は、いちおう臨床、衛生とともに応用医学の一分野とされていますが、「具体的には、社会の治安を維持するために、犯罪の捜査に必要な医学的事項を研究したり、民法上および刑法上の医学的事項を研究したり鑑定する学問」(船尾忠孝著『法医学入門』)であり、治安維持の観点が最優先されています。そして実際には、「法医学は各種の変死体について、その死因、個人識別、性別、年齢などを明らかにしさらに進んで自殺か、他殺か、病死か、過失死か、災害死かを鑑別し、損傷の種類、程度、生前死後の別、成傷器の種別、用法、損傷と死因との関係、死後経過時間などについて検索したり、血痕、精液斑などの検査をして犯罪事実を立証する」(同上)ものとされ、おこなわれています。また、必要な場合には、死体発見現場の検証を鑑定医師がおこなうこともあります。検屍鑑定は、あくまで、犯罪捜査の一環なのです。それから、法医学者自身が、「法医学も臨床医学も応用化学であって、物理学や化学と違い法則どおりに何でも決まるというものではない。医者の力量、主観が影響するのはやむをえない」と語っているようなものなのです。 したがって、法医学が、はたして、学問、科学といえるのかについて、科学として確立されたとはいえない、という人がいるのも当然です。また、法医学が人間の死後、つまり死体を対象とするものであることから、もともと警察=犯罪捜査と深く関わっており、権力の役に立つものでなければならないとされているのです。その点で法医学のあり方をめぐって、学者の間でも見解の相違があるのが現状です。そして、法医学会には警察の幹部が来賓として出席し、挨拶を行うのが恒例となっているのです。 本件のような殺人事件の場合、被害者の死体を検屍、解剖しますが、その目的は、死因、死亡時期、犯行の具体的経過様態など、事件の核心を明らかにする情報を警察が得るところにあります。犯行現場、死体発見場所の状況、遺留品などとともに、鑑定の結果が捜査の方向を決定することもあるのです。したがって、死体の鑑定は、多くの場合、事件解明の決め手となる情報を引き出すものなので、慎重かつ厳格におこなわれなければなりません。目撃者がいる、死因があらかじめわかっているからといって、予断をもって行うべきものではありません。もちろん、法医学の基本に忠実に、十分な注意をはらっておこなわなければなりません。そうでない鑑定は、法医学からはずれた、信頼性のない、およそ裁判の証拠能力のないものであることは当然です。 二つには、五十嵐という医者の力量の問題です。結論からいえば、とても十分な力量を持っているとはいえない。それどころか、法医学の基本、常識すら守らず、自分流のやり方をするような医者だということです。本人が、「自分は権威であり、能力があるのだ」と思いこんでいるだけです。 有名な話ですが、法医学、特に血液型の最高権威といわれた古畑という医者が、実際の検査を大学院生にやらせて、その結果を鑑定書にして裁判に出した、ということがあります。もちろん、その鑑定がまちがっていることが、後に証明されました。 五十嵐は、その古畑の弟子です。そして、鑑定書の書き方と内容と、裁判での証言からいえることは、鑑定医として五十嵐は、明らかに力量不足だということです。しかも、党派性(どこかの政党の支持者だということではなく、警察よりの立場をとるとか、比較的中立の立場をとるとかいうこと)のある、警察べったりといってもいい医者です。ですから、その鑑定は、およそ、法医学にのっとった客観性のあるものとはいえないのであり、信頼できないのです。 以上の上で、さらに次のようなことがいえるのです。 われわれは、「科学捜査、科学的鑑定によって明かとなった」といえば、何か否定しがたい事実であるような錯覚に陥りますが、必ずしもそうとは言えません。科学(技術)には、限界があり、明らかにできることとできないことがあります。しかも、鑑定は人間がやることであり、その点で鑑定者の主観が鑑定結果に反映する余地があるといえます。ことに、法医学もふくめて、医学の分野ではまだまだ未解明のことも多く、対象が百人百様の人間であることにも規定されて、個人差を無視することができません。だからこそ、厳密な方法、技術を不可欠とします。医学が発達したと言っても、同じ検査をしても、医者によってちがう診断がでるということはよくあることです。 そうした現状、基本的なことがらをふまえて考えてみると、五十嵐鑑定は、医学=法医学、司法解剖、司法鑑定の限界と問題点をしめすいい例であり、信頼性を厳しく問い、点検しなければならないものです。 論より証拠で、五十嵐鑑定書の内容をみると、何をしたのか、どのようにやったのか、いつ、どんな条件で、どれだけの時間をかけてやったのか、というようなことは、きわめておざなりにしか書かれていません。肝心のことが書かれていません。それに比べて、五十嵐の判断、主観がかなり詳しくスペースをとって書かれているのです。鑑定書と言うよりは、きわめて政治的な、犯人像と犯行の様態を明らかにしようとした意見書のようなものです。 警察が、その鑑定内容を無条件に受け入れて、そこから犯人像を描き、どのような犯行だったのかを確定するということは、容易なことでした。五十嵐鑑定書は警察のために書かれた文書であり、裁判の証拠として使える客観性と、厳密さと、科学性を持ったものではありません。鑑定書とは名ばかりのものです。 さらに付け加えれば、これまでは、五十嵐鑑定の結論だけを問題にして、まちがっていると主張することに重点が置かれてきました。しかし、実際は、まちがった結論がでるのは当たり前で、五十嵐のやったことがいい加減な、まちがいを含んだものだということが問題なのです。五十嵐鑑定の根底的、全面的否定の立場に立って追及し、反論できないところまで追いつめる必要があるのです。
狭山差別裁判と五十嵐鑑定の位置づけ、重要性

 第一審の内田判決では、石川さんが「自白」したこと、それを公判でも維持したことをもって有罪である最大の理由とした上で、五十嵐鑑定を全面的に採用し、「被告人の血液型は、B型で、被害者の膣内に存した精液の血液型と一致すること」を有罪の根拠としています。 ここで、五十嵐鑑定が事件捜査に与えた影響、正しくいえば、五十嵐鑑定を活用して警察が組み立てた事件の概要をみていきます。 五十嵐は、鑑定書で、 「本屍の死亡直前には暴力的性交が遂行されたものと鑑定する」 「被害者の血液型はO型である」 「本屍の死因は窒息死である」 「本屍は他殺死にして、その殺害方法は頚部扼圧」 「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」 「本屍に於いては、生存中最後の摂食時より死亡時までには最短三時間は経過せるものと推定する」 「膣内に存在せる精液の血液型はB型である」と検屍の結果を結論づけています。「可能性がある」とか「思われる」とか言うのではなく、まるで見てきたことででもあるかのように断定しているのです。 また、鑑定書では、後頭部の傷について
「その存在部位、損傷程度、特に創口周囲の皮膚面に著名な挫創を随伴せざる事より見れば、棒状鈍器などの使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見なしがたい。むしろ、本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見なし得る。」と述べ、 その他の傷については
「一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷と考えられる」 「腹部並びに左右の下肢に認められる死後損傷(線条擦過傷)は、死後死体が『ひきづられたこと』を意味するものと判定する」と、述べています。 警察は、この鑑定結果=五十嵐の意見をうけて、事件の筋書きを完成させ、犯人像を描き、石川さんを不当にも逮捕し、拷問と誘導によって筋書きにそった犯行を「自白」させたのです。第一審での検察側冒頭陳述に書かれた犯行の筋書きにみる警察のデッチ上げた犯行は、次のようなものです。 「中田被害者の死因は頚部扼圧による窒息死である」 「生前に姦淫されており、膣内に存した精液の血液型はB型であった。死亡時間の推定は同女が最後の食事をした時から最低三時間を経過した頃と認められた(最後の食事は当日正午頃学校でなしたカレーライスの昼食である)」。 被害者は下校後間もない時間に殺されたとしています。死亡時期について鑑定では一日か二日と幅を持たせ、胃の内容物についてもカレーライスとはいっていないのに、何の根拠もしめすことなく一日の昼食後最短三時間に殺害された、としていることには警察の情報操作、責任逃れの意図がみてとれます。中田家から届けがあって捜査をはじめた時には、すでに被害者は殺されていた、とすることで捜査の失敗、二日の犯人取り逃がしの責任を回避しようとしているのです。 そして、検察側冒頭陳述は「被告人の自供によって明かとなった事実」と称して、拷問と強制、誘導によって石川さんにウソの「自供」をさせ、実際は五十嵐と警察の作りあげた、文字どおりのデッチ上げである犯行状況を述べているのです。 「松の立木を背負わせて同女を手拭いで後手に縛り、更に所携のタオルで目隠しを施してその反抗を抑圧して……その直後にわかに劣情を催し、後手に縛った手拭いを一旦解いて松の木から外した後再び後手に縛り直して同所より数米離れた杉木立の根元付近まで歩かせて同所でいきなり同女に足がらみをかけて仰向けに押し倒し、同女のスカートをまくりあげて一気に同女のズロースを膝付近まで引き下げ、更に同女の両足を広げてその中に割り込み姦淫しようとした。」 「右手掌にて同女の喉頚部を押さえ、同女が叫び声を出さないようにしたが……叫び騒ぎ立てようとするので、もはや同女が死にいたるもやむを得ないものと決意し、更に強く喉頚部を押さえつけながら姦淫を遂げ、喉頚部から手を離した時は右喉頚部の強圧により同女は窒息死していた。」 以上を見ると、五十嵐鑑定の内容にそって、それと矛盾しないように警察が想像し、デッチ上げた犯行実態であることが非常に鮮明です。「足がらみをかけて仰向けに押し倒し」という行為があったことと、強姦しようとしたら大声を上げたから殺害したということが核心です。それは、五十嵐鑑定の結論そのもです。五十嵐鑑定がなかったら、このような犯行の様子を描きあげることなどできなかったのです。石川さんの「自白」の内容は、五十嵐鑑定プラス警察の貧困な推理=想像を誘導、強制によって言わされたものです。第一審内田判決は、この検察=警察の主張を全面的に採用し、死刑の判決を下しました。判決文の「罪となるべき事実」において、検察側冒頭陳述とほとんど同じ表現で「犯行の事実」を述べています。 そして、第二審の寺尾判決では、 「死体の状況等からしていかにも強盗強姦殺人・死体遺棄・恐喝未遂事件であることを推測させるものがあったので、捜査当局としては、即日死体を解剖して死因が扼殺による窒息死で、姦淫されて死亡するに至ったものであること、膣内の精液から姦淫をした者の血液型がB型であることが判明した」と、五十嵐鑑定の結果を採用し、第一審内田判決を支持すると言明しています。最高裁の八・九上告棄却では、「鑑定書によると……原判決が右の血液型の一致を被告人と犯人とを結びつける証拠としたのは、正当である」と述べ、五十嵐鑑定そのものの証拠能力の検討などふっとばして、証拠として認めるという、およそ裁判に値しないことをやっています。 つまり、五十嵐鑑定は、事件の捜査、犯人逮捕、取り調べ、裁判の全過程において一貫して〈決定的な証拠〉として使われており、石川さんを犯人にデッチ上げるうえで、絶対に欠かすことのできないものとしてあったのです。 ところで、以上の検討のうえで、「警察が五十嵐鑑定を利用して、石川さんを犯人にデッチ上げたのであって、利用された五十嵐鑑定には責任を問えないのではないか」という考え方もあるでしょう。しかし、それはまったく違います。五十嵐鑑定は、単に利用されたのではなく、警察の期待にこたえることを意識して書かれたのであり、五十嵐は権力犯罪の下手人そのものです。 次に、その問題点、デタラメぶりを具体的にみていきたいと思います。
警察の捜査で血液型は、どうあつかわれたのか
 被害者の血液型はO型、犯人の血液型はB型と五十嵐鑑定が結論づけたことは、すでにみたとおりです。そして、石川さんを犯人にデッチ上げるために警察・裁判所が認定した根拠の一つに血液型が同じB型ということもみたとおりです。しかし、ではなぜ、石川さんが捜査線上にあがり、犯人とされるに至たり、五月二三日に逮捕されたのか。この点に関して、第二審で証人として出廷した警察の幹部が、注目すべき重要な証言をしています。 まず、事件当時の特別捜査本部長であった中勲の証言をみます。中は第三九回公判において、弁護士の質問に答えて、 「死体についておりました佐野屋の手ぬぐい、月島食品のタオル、死体解剖の結果の被害者の体内から発見された体液による血液型、それと確か五月六日ごろと思いますが、例の石田豚屋さんから五月一日の晩にスコップを盗まれたという届出がございましたので、これが死体をうめるのに、使われたんじゃないかというふうに考えられましたので、スコップを盗み得る者、あるいは佐野屋あるいは被害者の家の付近、死体埋没現場付近の地理にある程度通じておる者」と、捜査対象、犯人像を想定したことを述べています。ここでも血液型に注目していますが、なぜか筆跡については触れていません(石川さんの五月二三日の逮捕には恐喝未遂があり、その決め手に筆跡が同一である、ということがあった。石川さんの筆跡調べは、五月二〇日に以前勤めていた東鳩製菓保谷工場から早退届を入手し、二一日に石川さん本人に上申書を書かせ提出させ、それらを筆跡鑑定し、二二日に「脅迫状と同一である」との中間結果がでたと中は証言している)。ここで中は、通常の殺人事件の捜査を行ったかのように語っていますが、実際におこなわれた捜査は、「スコップを盗み得る者」=石田養豚場関係者=部落民と決めつけ、リストアップし、一二〇人の部落青年を片っ端から犯人にできるかどうかを調べるというものでした。そのリストに石川さんも入っていたのです。 さらに、中は、弁護士が「石川君を容疑線上に、最初にのせた時期は、大体五月の何日ごろの時期でしょうか」と質問したのに答えて、 「筆跡、血液型を採取して、結果がでた時点で一応、疑わしいという考えも持った」と答え、さらに、弁護士が「血液型は、逮捕後じゃないですか」と問うと、 「違います。血液型は大体もう出ておったはず」 「資料は煙草の吸いがらだと思います」 「(逮捕の)以前に、二〇日の日ですか、脅迫状の同一筆跡を書いていただいた日に煙草の吸いがらを採取してきているはずです」と答えているのです。 証拠書類上は血液型の鑑定結果も、筆跡鑑定の結果も逮捕後となっているにも関わらず、逮捕以前に、具体的には二二日にわかっていた、と確信をもって答えているのです。二二日は逮捕前日で、逮捕状をとった日です。 逮捕状の罪名には恐喝未遂とあり、脅迫状と石川さんが書いた「上申書」の筆跡が筆跡鑑定で同一筆跡と出たことで逮捕したのであり、血液型は関係ないかのようになっていますが、警察は血液型も含めて石川さんを犯人として逮捕したのです。この点は重要です。恐喝未遂だけでなく、初めから殺人、強姦の容疑もかけていたのです。それは、血液型に注目して容疑者を石川さんに決め、逮捕したことに表れています。警察は、まさにイケニエとして、はじめから誘拐殺人事件の犯人にするつもりだったのです。 逮捕するための「正当」な理由が必要だったので、恐喝未遂(脅迫状を書いたこと)ということを使ったのです。しかも、「中間回答」とさもそれらしい鑑定がでたかのようにいっていますが、二二日に受け取った資料をざっとみくらべて「これなら同じといってもいえないこともない」とその日のうちに(逮捕状をとるのに間に合わせるように)判断したということにすぎません。ちゃんとした筆跡鑑定などやってもいないのです。逮捕状を取ることのできる鑑定、「脅迫状を書いた」という結論の鑑定が必要とされ、その鑑定がデッチ上げられたのです。そのようなやり口で(ある意味では令状裁判官をだまして)逮捕状をとったのであり、とにかく逮捕して、「自白」させることが、警察の意図でした。なにが何でも犯人にデッチ上げるつもりだったのです。 石川さんの血液型の正式の鑑定は、逮捕直後二三日に、タバコの吸いがらと、唾液を採取し、それを検査資料として科学警察研究所において判定がおこなわれ、B型という判定結果の上野鑑定書が六月一四日づけでだされ、同鑑定書が裁判における証拠として採用されています。中は証言のなかで、筆跡と血液型を調べた捜査対象者のリストが作成された、とも証言していますが、そのリストの存在は裁判では確認されていません。 また、同じく特別捜査本部の幹部であった将田政二も、第二審第一二回公判に証人として出廷し、重要な証言をしています。 「スコップを盗み得るものは、元石田豚屋に雇われていた者とか、出入り関係者とか、石田豚屋に遊びに出入りしていた者にしぼって捜査をすすめた」 「(その中に石川さんも)入っておりました。」 「石川一雄一人の筆跡が一致し、その他の者の筆跡は不一致でした」 「(それがわかったのは)五月八日ごろから五月二二日か二三日ごろまでの間であった」 「アリバイがはっきりしなかったのは石川一雄一人だけ」 そして、血液型については、 「石田豚屋のスコップを取り得る人物ということで、血液型の検査をそれらの人を対象に十数名やっております。それは五月八日頃から五月末頃までの間であった」 「(検査方法は)たばこをすいなさいといってこっちからたばこを提供し、そのたばこの吸いがらをもらって来てそれについている唾液から血液型の検査をする、あるいは唾液を吐いてもらって来てそれによって、検査をするという方法をとりました」 「B型のものは石川一雄だけで、他にはB型のものは一人もいないという結果であった」 この将田証言では、石川さんの血液型を調べたのはいつか、という点は明らかにしていませんが、中証言と合わせてみてみると、脅迫状の筆跡とともに血液型が、石川さんを犯人にデッチ上げることができる、とみなし、逮捕した決め手であることがきわめてはっきりします。血液型=五十嵐鑑定なしに、石川さんの逮捕はなかったのです。 つぎに、高木の再審棄却決定が五十嵐鑑定をどのようにあつかっているのかについて、血液型の問題にしぼって検討し、高木決定の不当性、デタラメさをあばいていきたいと思います。
五十嵐の血液型鑑定のデタラメさ
 まず、五十嵐の血液型鑑定がいかにデタラメなものなのかをハッキリさせたいと思います。そのためには、最低限の認識として、血液型とその検査とは、いったい、どんなものなのかを知る必要があります。 もっとも重要なことは、人間の血液型を検査してその型を、A型とか、B型とか決定するのは、それほど簡単で単純な行為ではないし、血液型は指紋のように個人を特定する資料にはならない、ということです。そもそも人間の血液型は、ABO型やRH型やMN型など多くの型があり、さまざまな組み合わせがあります。一つ一つの型について、型ごとに検出のための薬品を選ばねばなりません。検査方法は、厳格に定められており、その定めのとおり慎重に誤りなく作業をおこなわなければなりません。そうしないと、正しい型を決定できず、誤りをまねくことになるのです。今現在も、実際の医療現場で、ABO型の判定の誤りで、輸血不適合が起こっており(そういう事例は多くないとはいえ)、それを完全になくすことはできないといわれているのです。血液型検査は、非常にむずかしいのであり、鑑定者がその技術に習熟していること、厳格な方法を手抜きせずにきちんとやっても、まちがうことがありうることなのです。新鮮血でもそうなのですから、採取してから時間がたった血液、死後の血液の検査はもっと難しいのです。 血液型は、血液以外にも、唾液や精液や汗などを検査して調べることができるのはよく知られていることです。しかし、そこで注意しなければならない重要なことは、分泌型と非分泌型があって、非分泌型の人の唾液をいくら調べても血液型は明らかにならず、まちがってO型とされることがあるということです。非分泌型の人はだいたい二五パーセントいるといわれています。犯罪捜査においては、血液型を知るだけでなく、分泌型か非分泌型かを知ることが重要となります。分泌型か非分泌型かを知るには、そのための検査を独自におこなう必要があります。 一番知られている血液型は、ABO型ですが、その判定をするためには、かならずオモテ検査とウラ検査の両方をおこなわなければならず、「オモテ検査だけでは検査を行ったとはいえない」(船尾忠孝著『法医学入門』)のです。また、場合によっては、連銭形成と呼ばれる現象が起こったり、汎凝集反応や寒冷凝集反応が起こったりするので、注意を必要とします。そのうえ、「亜型」と呼ばれる血液型もあるので、検査の際は十分注意する必要があります。「亜型」とは、たとえば、A型であるにも関わらず、通常の検査ではA型の反応をしない血液型です。「亜型によっては特別な抗体を用いたり、ウラ検査の抗体価を測定したりしなければ判明しないものもある。要するに亜型は非常に複雑で、決定するためには専門的に充分な検討を加えなければならない」(同上)とされています。 五十嵐鑑定における血液型検査は、いっけん、通常の手順どおりにおこなわれているかのように見えますが、先に見たような血液型検査の厳密さ、むずかしさをまったく意識せず、淡々とあたかも流れ作業のようにおこなわれ、いとも簡単に血液型がわかるようになっているのだといわんばかりのものです。人間の血液型とは、どのようなものなのかについての基本的認識が、五十嵐にはありません。なによりもオモテ検査だけでウラ検査をしていないデタラメなものです。しかも、犯人のものとされる「精液」の血液型を決定するためには、その絶対条件として被害者の血液型が確定されなければならないにも関わらず、五十嵐はほとんどそのことに頓着せず、ついでに被害者の血液型も調べたような軽いあつかい、検査とはいえないいいかげんなことをやっているのです。 鑑定書によると、被害者の死体解剖を行ったとき、心臓から流れでた血液を血液型検査のため保管したことになっています。どのように保管したのかは記載がありませんが、保管状態によっては、血液、血球に変化が急速に起こることを考えると、保管状態はどうだったのかは血液型を判定する際に考慮し、検討しなければならないことです。これが第一の問題です。 第二の問題は、オモテ検査しかしていないことです。先にみたように、これではABO型検査をおこなったとはいえません。何型かの結論を出すことはできないのであって、「本屍の血液型はOMN型である」と五十嵐は断定していますが、それは実質上なんの意味もない、科学的根拠に欠けるたわごとにすぎません。五十嵐は、被害者の血液型などわかっても、捜査には役立たない、と考えたのかもしれません。いずれにせよ、五十嵐のやった検査は、血液型検査とはいえません。O型の可能性がある、というだけのことで、裁判で証拠として扱うことなどできない水準のものです。この点からいえば、五十嵐鑑定書を証拠として採用し、全面的にみとめた裁判は、裁判とは名ばかりで、デッチ上げを完成させ、石川さんにただ死刑判決をくだすだけの場だったのです。 第三の問題は、さらに分泌型か非分泌型なのかを調べていないことです。それを調べるための、もっとも一般的な資料である唾液の採取と検査がおこなわれていないのです。被害者の検屍、解剖を行ったとき、その唾液を採取することは容易にできたのであり、それを行っていないことは、五十嵐が被害者の血液型を本気で調べる意志がなかったことを示すものです。さらにいえば、被害者の膣内から採取したものが何であるのかを明らかにする必要があったにもかかわらず、まったく注意をはらっていないのです。採取されたものが精液なのか、被害者の分泌液(被害者が分泌型であれば被害者の血液型が検出される)なのか、その両方なのかがわかっていないのにもかかわらず、まったく考慮していません。五十嵐は、死体発見の状況について事前に知っており、そのため、膣内から採取されるのは精液だ、と検査する前から決めつけ、予断をもって検屍、解剖、検査を行ったのです。それは、事実のみを究明するという検屍、解剖、検査の大前提を無視したことであり、五十嵐鑑定とはおよそ、まともに検討するに値しない、といってもいいものであることを意味します。 第四の問題は、亜型の可能性をまったく考慮していないことです。何よりも、ウラ検査をしていないことが、それを示しています。たしかに、亜型の人は少ないといえますが、被害者が亜型ではないと事前にはっきりしていない以上、場合によっては、家族の血液型検査をもおこなって、亜型ではないこと、あるいは亜型であることを判定するべきです。そこまでする必要はないと考えた五十嵐は、「血液型とはなにか」という基本認識を無視した、あるいは、もともと基本認識を欠いている、といわざるをえません。 第五の問題は、検査にどれだけの時間をかけたのかが不明だということです。血液検査は、試薬との反応の結果を見て判断するのであり、必要な反応時間をとったのかどうかは重要な問題です。また、鑑定人が目で見て判断するのですから、かなりの経験と知識が必要であり、その上で主観が入る余地があるということです。「被検血球の凝集状態」を見て、判断するわけで、凝集の程度を見まちがったり、判断をまちがったりすることを完全に排除することはできません。ですから、医者によっては、他の医者にも見てもらって、まちがいを少なくするということをやっているのです。 第六は、厚生省基準で決められた試薬を作らず、独断で、勝手に、試薬を作っていることです。その理由は全くわかりません。それで、正しい結果がでたと称しても、全く信用できない結果でしかありません。 つまり、正確に表現すれば、五十嵐鑑定は、被害者の血液型を明らかにしておらず、被害者の血液型は不明だということです。鑑定書を見ても、被害者の血液型はO型だと誰も断定できません。科学的鑑定だというならば、それを他の人が追試したり、鑑定書から確認できるものでなければなりませんが、五十嵐鑑定書をみても、血液型の確定ができないのです。ずさんな検査しかしていないから、必要事項の記載のないずさんな鑑定書を作ったのです。したがって、「精液」をどう検査しどんな結果がでたとしても、それが正しいとはいえません。しかし、警察の問題意識、犯人捜査に役にたつための検屍、解剖、検査が五十嵐のやったことで、本来の鑑定、科学的、医学的に厳格におこなう鑑定ではないのですから、五十嵐は、「精液」の血液型はB型であると断定したのです。五十嵐は、石川さんデッチ上げの御先棒をかついだとんでもないヤツです。そして、第一審以来、高木決定もふくめ、そうした五十嵐のデタラメな鑑定書を証拠として採用し、石川さんを犯人としてきたのです。
精液の血液型は証拠にならない
 被害者の膣内から採取した標本は、「脱脂綿を膣腔に挿入して」採取したものであり、脱脂綿に付着、あるいは吸着されたものについては、被害者の体液も考えにいれなければなりません。それにもかかわらず、鑑定書によれば「精虫検査の目的をもって、この脱脂綿を保管す」と書かれているのみであることから、脱脂綿に付着したものは精液のみであると、五十嵐が考えたことがわかります。科学者や医者のやることではありません。素人同然です。 検査、観察によって精虫が確認されましたが、その血液型検査に際しては、被害者のものも含め複数の血液型が存在する可能性があったわけですから、そのことに注意をはらうのは当然です。しかし、五十嵐は、まったくそれを考慮しないデタラメな検査しかやっていません。したがって、精液はB型という鑑定結果を、何の疑いもなく受け入れることなどできません。検査資料の採取のしかた、検査のやり方によっては、ほかの血液型が検出された可能性を否定できないのです。B型は、五十嵐の主観的な判断、見解にすぎず、何の客観性もありません。 たしかに、可能性のレベルの話では、どのように調べてもB型である可能性も否定できないのであり、水かけ論になってしまいます。そこで、寺尾判決や高木決定では、意図的に問題を「可能性のある、なし」にして、事実をつきとめることを放棄し、五十嵐鑑定を無批判・無検討に採用して、一方的な個人的推測をもって結論を導きだすというデタラメをやり、「石川さんが犯人であることはまちがいない」と断定(こじつけ)したのです。まさに国家権力をストレートに行使したとしかいいようのない判決、決定をしているのです。断じて許されません。 しかし、血液型をめぐって、なぜ、可能性を論じなければならないのか、確定することができないのか、裁判官がかってな自説を述べることができるのか、をつきつめて考えると、五十嵐鑑定は精度、信用性において、鑑定とはよべない水準であり、可能性の問題を排除して、まちがいない事実として検査結果を認めることができないものだ、という点にいきつくのです。つまり、五十嵐鑑定は、もっとも核心的なところで、事実をまったく確定していない以上、裁判で証拠としてあつかってはならないものなのです。 そのような証拠たりえないものを、あえて強引に証拠として採用してきたことによって、確定判決=寺尾判決も、今回の高木の棄却決定も共通した論理矛盾、法律の無視、裁判制度の事実上の否定を生じさせているのです。裁判官が自説=仮説をふりまわし、有罪を宣告するとは、もはや裁判ではありません。そこまでして、有罪判決=デッチ上げを押しとおしているところに、権力犯罪のどす黒い正体があらわれているのであり、差別裁判であることが見てとれるのです。 石川さんを犯人にするために使えるから、五十嵐鑑定は正しいのだ、というのが判決の主張です。まさに、内田や寺尾の心証、考え、判断でしかなく、証拠にもとづいた判決ではないのです。
五十嵐は権力犯罪の積極的加担者だ

 では、なぜ、五十嵐は、このような、いいかげんな鑑定を行ったのでしょうか。それは、五十嵐が警察と同じ立場、考え方に立っていたからです。警察の立場とは、「生きた犯人を捕まえる」、デッチ上げてでも犯人を逮捕する、石川さんを犯人に仕立て上げることです。 五十嵐の立場は、鑑定書の中で、犯行と犯人像を推測によってかってにえがきあげていることをみればわかります。 五十嵐は、「本屍の死亡直前には暴力的性交が遂行されたものと鑑定する」と書いています。そこには、五十嵐が、暴力的性交が行こなわれたとみなしたことと、殺人を結びつけた見方をしたことが示されています。だから、B型の者が、殺人犯である、ということです。 しかし、死亡直前に性交がおこなわれたのかどうかは、鑑定書のどこを見ても、その根拠が書かれていません。いつ性交がおこなわれたのかは、検屍、解剖によって明らかになるようなことではありません。五十嵐は、何をもってそう断定したのでしょうか。事実無根の独断です。また、検屍によって多数の皮下出血を見いだしたことをあげて、「その他の皮下出血はいずれも鈍体との接触により生じたものであるが、損傷程度はいずれも軽く、一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷と考えられる」と書いていますが、それが暴力的性交が遂行されたことの証拠、痕跡だとは断定できません。殺害行為と性交というふたつの行為を結びつけて考えなければならないような傷や皮下出血があるとは、鑑定書のどこを見ても書いてありません。にもかかわらず、五十嵐は、ふたつの行為を結びつけ一体のものとみなしているのです。殺害と性交の間に時間差があることも十分ありうるのであり、その場合、性交ではなく殺害行為に抵抗して、「一種の防御創或いは小ぜりあい等による損傷」を受けたこともありうるわけです。五十嵐は、検屍、解剖によって確認した事実の範囲で鑑定したのではなく、あきらかにその範囲を勝手に逸脱し、犯行を推理して、それを鑑定書にして、警察のデッチ上げのための証拠をつくったのです。 強姦殺人事件と考えていたのは警察であり、五十嵐は警察の考えを受け入れて鑑定をおこなったのであり、その鑑定は、まさに、強姦殺人事件の被害者であることを「証明」するものになったのは当然といえば当然のことです。何度も確認しますが、こんな五十嵐鑑定を証拠として採用する裁判は、裁判という名のもとでの、犯人デッチ上げの場にほかならないのです。

五十嵐鑑定を擁護し居直った高木

 高木決定では、五十嵐鑑定をどのように取り扱っているのか、決定文にそって検討します。 高木は、五十嵐鑑定が、オモテ試験だけおこなってウラ試験をやらなかったことを「血液型判定の確かさをみるうえで弱点ではある」としたうえで、「通常の血液型である限り、それ相応の信頼性はあると認めてよい」「亜型、変異型の存在が極めて希であることは、所論援用の血液型関係文献等の成書に明か」「結局、被害者の血液型をO型とする判定には、総体として、相当の信頼性が認められる」と結論づけ、五十嵐鑑定を証拠として認めています。 高木は、五十嵐鑑定における被害者の血液型検査は、「弱点がある」けれども、検査として成立している、信頼できる、としたのです。高木は、一裁判官にすぎないのであり、医者でも法医学者でも、血液型鑑定の専門家、経験者でもありません。その高木が、医学、法医学が長年にわたって積み重ねてきた研究の成果としてつくりあげてきた、「血液型とは何なのか」「血液型検査はこうあるべきだ」という科学的見解を、いとも簡単に否定したのです。 五十嵐による血液型検査が、検査として成立していない以上、その結論=「被害者の血液型はO型」は何の意味も価値ももちえません。誰もO型と断定できないのです。高木はそれを、単なる「弱点」にすりかえることで、証拠として問題ないとしたのです。とんでもない暴挙です。法医学が、学問として、科学として成立している根本のところを、高木は否定したのです。 さまざまな犯罪のなかで狭山事件と同様に、法医学にもとづく鑑定がおこなわれており、その鑑定が裁判で証拠としてあつかわれていることは周知の事実です。高木は、それらの裁判のすべてを、法医学にもとづく鑑定のすべてを無意味なものとしたのです。高木は、自分が裁判長だ、自分が法律であり、いっさいが自分の考えによって是非が決まるのだ、法医学など無視してしまえと不遜にも宣言したのです。高木は、自分を誰よりも偉い独裁者にまつりあげているのです。つまり、法医学を否定することで、法医学からはずれた五十嵐鑑定を「信頼」するといい、五十嵐鑑定を許容するものが法医学である、と新たな高木式法医学とでもいうべきものをデッチ上げたのです。 では、その高木式新法医学とは何なのかというと、五十嵐鑑定はまちがっていない、正しい、という高木の個人的見解にすぎません。このことは、高木が五十嵐と同じ立場にたって狭山事件をとらえていること、すなわち、石川さんを犯人にデッチ上げた警察と同じ立場にたち、警察と一体であることをしめします。高木は、権力犯罪の下手人にほかならず、徹底糾弾によって打倒すべき対象です。
犯人はB型と改めて断言した高木の犯罪性

 こうした高木の五十嵐鑑定に対するあつかいは、被害者の体内から採取した精液の血液型の検査についても一貫しています。 高木は採取した精液は犯人のもので、その血液型は犯人の血液型にまちがいないと、頭から決めつけていることが、決定文に実にはっきりとあらわれています。五十嵐鑑定の鑑定書の内容をそのまま記述し、「五十嵐鑑定人は、膣内容物の血液型をB型と判定したのであるが……妥当なものであったと認められる」と、最後に一文をつけ加えているだけです。その後から弁護側提出の上山第一鑑定を、もう結論はでているので、検討しなくてもいいのだが、まあやっておこうという態度で引用しているだけです。実際は、検討などしていないのです。 高木決定文は、ほかの問題では、まず弁護側の主張を高木なりにまとめ、それを受けて検討し、高木の意見、結論を述べる書き方になっています。ところが、この問題では、まず五十嵐鑑定そのものを高木が文章にまとめ、高木の結論を先に述べています。高木は、この問題での五十嵐鑑定を絶対的に護持して、犯人はB型、石川さんもB型、犯人は石川さんにまちがいない、誰が何と言おうと有罪だとゴリ押ししています。高木は、「石川さんは有罪だ」という信念に骨の髄からこりかたまった人物です。再審なんかやる必要などないと、はじめから確信している人物です。裁判官というのは仮面で、実際は、刑罰の執行人、差別主義者です。 しかし、いくらゴリ押ししても、五十嵐鑑定のデタ
ラメさがあまりにもはっきりとしているがゆえに、それを隠しきることはできないのです。 それで、筆がすべって墓穴を掘ることを書いてしまったのです。 「専門家一般の承認を得た術式を忠実に履践して検査を行っても、血液型の判定を誤ることがあり得るのである」 「ABO式血液型の判定検査が、このようなものであることを考えると、五十嵐鑑定の血液型検査の過程に前示のような不備があることを理由に、直ちに証拠として無価値と断定してこれを捨て去るのは相当とはいえないのであって、血液型判定が絶対的確度を持つものではないことを弁えながら、立証命題との関連において、証拠価値を吟味・評価すべきである」 こんなことをいったい、誰に向かって言っているのか。「血液型の判定を誤ることがあり得る」「不備でも価値ある」だと。そんなものを証拠として採用し、有罪=再審棄却の理由にしたのは、いったい誰なのか。まさに天にツバするような見解であり、そのようなことを得意げに述べる高木は、その根底から権力犯罪の確信犯です。再審棄却を自己の使命だと考え、五十嵐鑑定が信頼性のおけない代物であることを十分に知ったうえで、なおかつ棄却決定をおこなったのです。 五十嵐と五十嵐鑑定、高木とその棄却決定、これらは完全に一体のものであり、徹底糾弾と、粉砕の対象です。石川さんを有罪のままにし、見えない手錠でしばりつけ、裁判をやり直すことを認めず、狭山差別裁判を今なお強行している元凶です。
寺尾判決崩壊においつめられた高木の棄却決定
 高木は、この血液型の問題の項の最後に、石川さんがなぜ犯人にデッチ上げられたのか、という権力側のデッチ上げの核心問題にふれています。高木は、犯人は石川さんにまちがいない、なぜなら、スコップをめぐる捜査から石川さんがうかび上がってきたのだから、たとえ血液型検査が不備であったとしても、有罪という判決は変わらない、といっています。つまり、血液型、五十嵐鑑定を問題にしなくても、石川さんが犯人だという結論にいきつくのだから、五十嵐鑑定についての追及はやめてほしいといっているのです。しかし、先に見た警察の証言にあるように、血液型こそ石川さんを犯人にデッチ上げる決定的根拠だったのです。 五十嵐鑑定―血液型問題で、深く突っ込まれると、寺尾判決が成立しなくなり再審棄却はできなくなるので、血液型と無関係なスコップをめぐる捜査をもちだしたのですが、その結果、警察証言と矛盾する結果になっています。しかし、そんなことにはおかまいなく、警察の差別捜査を承認し、五十嵐鑑定をあくまで擁護しようと意図したのが高木です。 高木は、寺尾判決全面擁護を隠そうともしていません。棄却決定することが目的なのです。その居直りの姿を、決定文から抜き出してみます。 高木の棄却決定文では、 確定判決は、所論の事実誤認の主張に対する判断の項で、自白を離れて客観的に存在する証拠の一つとして、血液型を取り上げ
と、寺尾判決における血液型問題の証拠上の意味を確認して、寺尾判決から
原判決が『5被告人の血液型はB型で、被害者の膣内に存した精液の血液型と一致すること』が被告人の自白の信憑力を補強する事実であるばかりでなく、自白を離れても認めることができ、かつ、他の情況証拠と相関連しその信憑力を補強し合う有力な情況証拠であると認定したのは、当裁判所としても肯認できる。というところを引用し、五十嵐鑑定を証拠として採用して石川さんのデッチ上げを「正当化」したことを確認し、さらに、第二審においては、 上野正吉作成の鑑定書により、請求人の血液型は、ABO式でB型、MN式でMN型、Se式で分泌型であることが明確になったこと、捜査に当たった警察官、検察官の証言等により、石田豚屋で五月一日夜に盗まれたスコップが、後日死体発見現場付近で発見されたことから、右石田豚屋出入りの者に捜査の目が向けられ、筆跡、血液型、アリバイなどを調べた結果、請求人に嫌疑をかけるに至ったということが明らかになったのだから、石川さんが犯人だと寺尾が判断したのは当然だ、とつけくわえて寺尾判決を擁護するのです。 高木は、このように寺尾を擁護し、権力犯罪を正当化した上で、さらに、寺尾判決が、 以上を要するに、原判決が被告人の血液型と被害者の膣内に残された精液による血液型とが同一であることを、有力な情況証拠としている点は、当審における事実の取調べの結果によって一層その正当性を肯認することができる
と判定していることに対して、賛成し、血液型が同じなのだから石川さんが犯人であることにまちがいない、と念を押すのです。高木自身は、事実調べをしていないにもかかわらず、寺尾判決は、まったく当然の判決であり、そのなかで、血液型が「有力な情況証拠」とされたのも、同感である、というのです。ですから、 確定判決が援用する五十嵐鑑定の血液型判定の検査方法には問題があり、被害者の血液型が確実にO型であると断定まではできないが、その血液型が亜型や変異型という希有な場合でなく、通常のものである限り、その判定は妥当であり、これを前提とすると、膣内に存した精液の血液型をB型とする判定も納得できることは、先に検討したとおりである。また、血液以外の体液からABO式血液型が判定されたこと自体、Se式血液型が分泌型であることを推認させるものであり、本件の場合、被害者の膣内の精液のSe式血液型が分泌型とされたことも了解できる
と、あたかも五十嵐鑑定に問題があるかのようにいいながらも、しかし、鑑定結果は「了解できる」、というペテンを弄する論法で、血液型問題をいなおったのです。 くずれかけた寺尾判決を、五十嵐鑑定の血液型判定は正しい、と改めて宣言しゴリ押しすることで、まさに力づくの強引さで、擁護し、再審は必要ないと結論づけたのが高木決定です。 所論援用の新証拠も、血液型のうえで、請求人が犯人である可能性を積極的に否定するものではなく、これらの証拠を、右五十嵐鑑定書を含む確定判決審当時の関係証拠に併せて検討しても、依然として、犯人が被告人と同じABO式でB型、Se式で分泌型の血液型の持ち主である蓋然性が高いということができるのである。そして、右のような血液型の一致の事実は、それのみで請求人が犯人であることを意味するものでないことは勿論であるが、請求人と本件犯行との結びつきを考察する上で、自白を離れて存在する、客観的な積極証拠の一つとして評価することができるというべきである
 弁護側が、いくら新たな鑑定書を新証拠として出してきても、五十嵐鑑定の証拠価値はゆるがない、今なお生きている、と念を押していうのです。請求人=石川さんの血液型は、B型ではないか、犯人と同じだ、いまさら何を言っても血液型が一致するのだから犯人なのだ、と高木は決めつけ、再審の必要性を抹殺しようとしています。そして、狭山闘争などやってもムダだから、闘うことをやめろというのです。 これは、再審を要求する石川さん、部落大衆と多くの労働者人民に対する挑戦状です。「お前らが何を言ってもムダなのだ、再審など絶対にやらない」という国家権力の意志が高木という裁判官の口をとおして語られているのです。それは、警察が犯人はB型の血液型だと決めつけておこなった、デッチ上げのための差別捜査を全面的に承認せよ、警察のいったことにまちがいはない、文句をいうな、ということであり、とうてい許すことができません。 しかし、それは、狭山差別裁判糾弾闘争をたたかう多くの人々の存在を知っているが故の、強がりでもあります。狭山闘争が権力の差別犯罪を徹底糾弾し、無実、差別をあばき出し、今日もなお永続的、大衆的にたたかわれていることが、国家権力には信じがたいことであり、恐ろしいことなのです。国家権力に対する不信の表明にとどまらず、国家権力を犯罪者として糾弾する広範な人民の存在は、治安の維持をあやうくするものであり、放置できないものだから、必死になって弾圧するのです。その観点からみれば、高木決定は、再審闘争が国家権力と狭山闘争勢力との非妥協的たたかいであることをあらためて明確にしたものであり、狭山闘争にたいする敵対、破壊策動であり、弾圧そのものであると言えます。 警察のデッチ上げや「自白」において、また裁判においても、どうしても説明のできないこととして、被害者の後頭部の傷の問題があります。警察は、この傷の問題をあきらかに避けてとおろうとしています。なぜか。それは、「自白」が警察のデッチ上げストーリーで強制、誘導されたものだからです。警察は犯行現場はどこなのか、具体的にどのようにおこなわれたのか知らないのです。だから「自白」=取調調書のどこにも、この傷のことは出てきません。そこを追及されたら、警察は答えることができないのです。ウソを言ってごまかし、逃げるだけです。このことについても五十嵐鑑定が問題になるのです。 本部派は、この傷の問題について、多量の出血があったはずだから、その痕跡、血痕があるはずだ、と血痕の方に注意を向けて、「自白」との矛盾を言っています。しかし、はっきりと確認できる事実は、後頭部裂傷があるということであり、出血がどの程度あったのか、血痕が残ったのかということは推理の問題にすぎません。後頭部裂傷にこそ注目し、追及すべきなのです。 ところで、この後頭部の傷の問題は、どうでもいいもの、捜査上問題にならないもの、といえるのでしょうか。犯行とはかかわりのないことなのでしょうか。この傷こそ、犯行現場はどこか、どのようにして殺害したのかということなどとともに、真犯人しか知らないことです。石川さんの無実を示す、決定的な証拠の一つです。
五十嵐鑑定であきらかになること

 問題の後頭部の傷とは、どのようなものか。鑑定書には次のように書かれています。 「後頭部に頭皮損傷一個存在す。皮膚創口は柳葉状……その大きさは約一・三糎長、約〇・四糎巾にして、長軸の方向は左上方より右下方に向かい斜走す。」 「両創端は比較的尖鋭にして、両創縁は共に正鋭―平滑ならずして、僅かに坐滅状を呈し、微小の凹凸を有す」 「創壁はやや不整にして、創洞内には架橋状組織片が著明に介在す。創洞の深さは帽状腱膜に達し、創底並びに創壁には凝血を存す。」 「その他には特記すべき損傷・異常を認めず」 出血があったことが、「凝血を存す」と書かれていることからわかります。しかし、どのぐらいの量の出血があったのかは、まったくわかりません。傷の周辺の皮膚や髪の毛に血痕があるともないとも書かれていません。「その他には特記すべき損傷・異常を認めず」とあることから、出血の程度はまったくわかりません。 被害者の傷は一・三センチですから、医者にいけば、一〜二針縫合する治療がおこなわれる程度のものです。ある程度の出血があったと考えることができます。それは、鑑定書にある傷の具体的程度からも予想できることです。しかし、鑑定書では出血についてまったく触れていません。これは、大いに疑問です。五十嵐は、この傷が、致命傷ではなく、被害者の死因とも関係ないので、それほど注意をはらってみていません。傷そのものは見たものの、当然あるべき出血については、まったく意に介していないのです。鑑定の前に、死体のよごれをふきとったので、死体はぬれていた、と言う証言もあります。そのときに、出血あともふき取られた可能性も考えられるのです。 また、この傷の原因について鑑定書では次のように述べています。 「後頭部裂創は、その存在部位、損傷程度、特に創口周囲の皮膚面に著明な坐創を随伴せざる事よりみれば、棒状鈍器等の使用による加害者の積極的攻撃の結果とは見做しがたい。(勿論断定的否定ではない)むしろ、本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見做しえる。」(カッコは五十嵐の挿入) 五十嵐は、ここでは可能性の問題、推測を書いているわけですが、実際は、何によって、どのようにしてできた傷なのかについては、いろいろの場合が推測できるのであり、五十嵐もその点を否定していません。 しかし、ここで一つ注目に値することとして、問題の傷を「裂創」と表現していることです。裂創とは通常、反対方向への牽引力、または骨などの上の組織に加わった圧迫力により、皮膚が弾力性以上に伸展したときに起こる外傷のことです。頭部裂創の場合、石や、棍棒、バットのようなものとの衝突によって、皮膚が打撃による圧力に耐えられず裂けてしまった、といえます。打撃の強さ、部位、方向、凶器の種類によって、傷の程度は異なるものとなります。 五十嵐は、「棒状鈍器等」による傷であることには否定的ですが、「鈍状角稜を有するもの」による傷であることには肯定的見方をしています。たとえば、石のようなものとの衝突による裂創と推測しているのです。五十嵐は衝突の原因を、「本人の後方転倒」と推測していますが、断定することはさけています。五十嵐の書いたことからは、五十嵐自身は「断定的否定ではない」と表現しながら否定的に書いていますが、石や「棒状鈍器等」でなぐられた場合も、同様の裂創ができることは五十嵐も否定できていないのです。 もし、なぐられてできた傷であれば、加害者=犯人はこの傷のことを絶対に知っていることになります。どんな傷かわからないとしても、一・三センチの裂創ができるぐらい強く殴りつけたことを自覚しているわけです。何が凶器かも当然知っていることになります。後方転倒時にできた傷なら、出血の度合いによっては、髪の毛にかくれて、犯人が気づかない場合もないとはいえません。 こうしてみてくると、後頭部の傷が、なぜできたのかをあきらかにすることで、どのような犯行がおこなわれたのかがわかるのであり、捜査上みのがすことのできない問題です。
警察のとりあつかい

 しかし、警察は、この問題に関しては、決して触れようとしません。傷などないようなあつかいを捜査過程でも裁判でも一貫してしています。警察は、この傷の問題を意識的に隠す方針をとったのです。なぜでしょうか。それは、この傷が、なぜ、できたのかについて、デッチ上げのストーリーを考え出すことができなかったからです。真犯人をつかまえるよりも、部落民をデッチ上げて犯人にすることを第一としたのです。 なぜ、傷ができたのか、どこでできたのか、警察は何もわからなかったし、犯行の筋書きも思いつかなかったのです。だから、当然にも、事件とはまったく無関係の無実の石川さんに「自白」させることもできなかったのです。「自白」調書には、この傷のことは一文字もでてきません。 警察は、どのように犯行がおこなわれたのかを描き出すために、五十嵐鑑定に飛びつきました。「本人の後方転倒等の場合に鈍体(特に鈍状角稜を有するもの)との衝突等により生じたと見做しえる」と書いてあることを、犯行の事実だと、何の根拠もなく、まったく自分勝手に、事実と断定したのです。しかも、都合よく傷の問題は削って、後方転倒だけを使ったのです。警察は、それが、五十嵐の推測にすぎないもので、根拠もない想像上の産物であることを誰よりもよく知っています。しかし、石川さんを犯人に仕立てるために、「自白」で「足をかけて仰向けに倒しました」(六月二五日付供述調書)と石川さんに言わせ、また、検察みずからも「(被害者に)足がらみをかけて仰向けに押し倒し」(第一審の検察側冒頭陳述書)と述べるのです。にもかかわらず、その時に後頭部に傷を生じた、とはまったく言わないのです。後方転倒はあったが、傷はなかったかのようです。きわめて作為的です。傷があったことを隠しているとしかいいようがありません。 そして、警察は、五十嵐鑑定を証拠として提出しただけで、ほかには何も語っていません。後頭部の裂創はその時できたものだろうと、誰もが考えるだろうと期待したのです。そして、犯行についてあたかもすべてのことを解明したかのようなふりをしているのです。あえてそれ以上を語ることは墓穴を掘ることになると、沈黙をきめ込んだのです。この問題でも、警察は、五十嵐鑑定を自分のつごうのいいように使い、五十嵐は、警察が使えるような(警察が使うことを意識して)鑑定書を書いたのです。五十嵐鑑定と警察のデッチ上げ捜査は、まさに一体のものです。 この警察の作為、思いつき、百歩ゆずって言っても仮説にすぎない被害者の後方転倒について、白紙にもどして考えてみる必要があります。五十嵐の言うように、生前の傷だとすれば、犯人による何らかの行為によってできたことはまちがいありません。したがって、傷そのものに犯人が仮に気づかなかったとしても(出血の量によっては、髪の毛にかくれて気づかないことも仮定としてはあり得る)鑑定書にあるような裂創を生じるような激しい行為を加害者=犯人がくわえたことは、犯人自身知っているわけです。警察はそれを「足払いをかけ押したおした」ということで説明し、犯人は裂創ができたことに気づかなかったと、仮説にすぎないものを事実であるかのようにあつかい、「自白」させ、その「自白」を根拠にいなおっているのですが、それ以外にもいくつも仮説が考えられます。 石等でなぐった、被害者の頭部を石のようなものにたたきつけた、などです。さらに、傷が、殺害後にできたものとすると、犯人は、死体を相当荒っぽくあつかったことになります。死体をどうあつかったかは、犯人の具体的行為の問題であり、犯人自身は知っていることです。いずれにせよ、犯人は、後頭部の裂創について知っている、あるいは、犯人自身の被害者に対する攻撃について知っている、そのことを通して間接的に裂創についても知っているのです。繰り返しますが、被害者の後方転倒は、警察と五十嵐によって考え出された一つの仮説にすぎないのであり、それを事実として断定するいかなる証拠も見つかっていないのですから、正当な裁判なら十分な調査、検討を行い裂創がなぜ生じたのかについて、きちんと判断すべきです。
裂傷の存在は裁判で事実上無視された

 では、実際の裁判では、この傷はどのようにあつかわれてきたのでしょうか。 第一審では、警察の思惑どおり、まったく問題にされませんでした。先に引用した検察官冒頭意見陳述でも、まったく触れていません。そして、内田判決文でも、まったく触れられていないのです。被害者の死体には、後頭に裂創があるという事実すら完全に隠されています。もちろんデッチ上げられた石川さんが、証言で触れることはありえないし、事実、まったく言っていません。 第二審では、弁護側が、問題にしたので触れざるをえませんでした。寺尾判決では、「後頭部の創傷について」と項目をもうけています。しかし、その内容は、弁護側の上田鑑定(この傷が、犯人の何らかの行為によるものであることをあばこうとしたものではなく、五十嵐鑑定にそって、私ならこう考える、と言うことを書いたものにすぎない。傷の問題では全然反論になっていない。寺尾に軽くあしらわれてしまっている)に対応する形で問題にし、結局は五十嵐鑑定を採用するというものです。そして、出血問題(詳しくは後述します)としてとりあげ、五十嵐鑑定が何も書いていないのだから、「あったとしてもさほど多量ではなかったと考えるのが相当」と結論づけました。しかし、「自白」に後頭部の外傷(出血)のことがまったくないのはなぜか、という問題については、無視し、まったく検討していません。後頭部裂傷を問題にするのは、「失当である」の一言でかたづけてしまっています。つまり、後頭部裂創については、触れたくない、触れなくていいのだ、判決はそんなことを検討しなくても出せるのだ、いずれにせよ有罪は変わらないのだ、と問答無用のいなおりを決めこんだのです。ようは、デッチ上げの秘密があばかれることをおそれ、徹底して避けることにしたのであり、触れることができなかったのです。 高木の棄却決定においても、基本的には同じあつかいです。高木の結論は、この問題について寺尾判決以上のことは言っていないのです。つまり、五十嵐鑑定以上のことはいわない、いえないことに変わりはなく、後頭部裂創があることを確認するだけです。高木にとって、どうやって再審を棄却するのかこそが問題であり、有罪判決を見直すことなどはじめからやる気がないのです。
出血、血痕はどういう問題なのか
 五十嵐鑑定は、後頭部裂創について推論を書いたのですが、なぜか、出血については、一言も書いていません。生前の傷であり、出血があったことは認めていますが、流れ出た血液がどうなったのか、どのぐらいの量だったのかについては、なにもなかったかのようにあつかっています。つまり、五十嵐鑑定書を見るかぎりでは、出血については、何もわからず、あらゆる推測がなりたちえるのです。 警察は、デッチ上げにつごうのいいように解釈して、傷・出血の問題は、触れない、追及しないことを方針としていました。だから、「自白」させるときに全く語らず、石川さんに聞いてもいないのです。また、目隠しのタオルや、被害者の服に血痕がないと「判断」して出血問題を捜査上追及しなかったのです。そして、デッチ上げた殺害現場や、死体を隠した芋穴に血痕があるかないかは問題にしないことにしたのです。そのことは、寺尾判決に「本件の殺害現場、芋穴の中及びその間の経路等につき血液反応検査など精密な現場検証を行っていたならば、本傷による外出血の存否はあきらかになったことであろう。しかるに、被告人の着衣や被害者の着衣に血痕が付着していたかどうかについてすら鑑定がなされていない」と言われています。 しかし、事実として、第二次再審において、検察側から新証拠として、一九六三年七月五日付け埼玉県警本部刑事部鑑識課警察技師・松田勝作成の「検査回答書」が開示され、その中で「甘藷穴の穴口周囲及び穴底について血痕予備試験の内ルミノール発光検査を実施したが陰性であった」と書かれていることがあきらかになりました。また、弁護士が松田勝と面接して聞き出したことから、殺害現場でもルミノール反応検査を行ったが、反応はなかったこと、その結果を報告書として提出していたこともあきらかとなっています。その報告書は、検察が隠し持っているわけです。 なぜ、隠しつづけてきたのでしょうか。警察は、石川さんに「自供」させた後で、「自供」を裏付けると称して、アリバイ的に「犯行現場」の血痕検査を行っていたのです。元々デッチ上げた場所だから血痕などあるはずがないことを警察は知っていながら、もし万が一、裁判で問題になったときに備えるため、そして、デッチ上げなどしていないと主張するために、みずから芝居を演じたのです。 しかし、裁判では、第一審も第二審も、五十嵐鑑定を全面的に採用し、警察の主張を丸のみしたことによって、出血、血痕問題をもちだす必要もなかったのです。裁判所は、警察と一体となって、石川さんを犯人に仕立て上げた権力犯罪の下手人です。寺尾判決の一見警察の捜査を批判するような言い方も、うわべだけで、裁判でこの問題を本格的に調べる必要などないと考えていたのであり、実際、第二審を通して寺尾もふくめ、どの裁判長も追及していません。事実上、無視しています。裁判において、出血、血痕問題は、有罪判決を出すためには、不要であり、じゃまだということです。 五十嵐鑑定を見れば、後頭部の裂創から出血があったことは、すぐに予想されることです。そして、五十嵐鑑定が出血について何も書いてない以上、一般論から考えるしかないわけで、そうすると、出血をしめす痕跡、血痕があるかもしれないと、誰でも考えます。警察は、デッチ上げのストーリーを事実らしく見せるために、つごうのよいことだけ明らかにしてつごうの悪いことは隠しています。ですから、被害者の目隠しに使われていたタオルや、被害者の服に血痕は、一見してなかったといっていることなどは、そのまま信用できません。実際はどうなのか。目で見て確認しただけなのか、それとも血痕があるかもしれないとして検査したのか、わからないのです。いずれにせよ、血痕があることも考えられる、として調べたようだということ以上ではありません。徹底して調べることはしていないのです。 ですから、目隠しのタオル、被害者の衣服を証拠開示させ、徹底して検査し、血痕があるのかないのか鑑定しなければなりません。それ以外に、この問題をはっきりさせる方法はありません。断固、証拠開示を要求すべきです。 また、警察には、殺害現場がどこであるのかも、なぜ裂創ができたのかもわかっていないにもかかわらず、それをはっきりさせる捜査をしていないのです。説明できないことには、目をつぶろう、問題にしない、ということです。犯人のデッチ上げを決断し、五十嵐鑑定を証拠とするから、それでよしとし、押しきったのです。 出血、血痕問題の真相は闇の中です。五十嵐鑑定でまったく触れていない以上、先にも述べたように、あらゆることが仮説として論じることができるのです。 そこで、高木は、この問題ではいくらでも自説を述べてごまかしができるとみて、何の根拠もない勝手なへ理屈を述べ、有罪判決は正しいとしています。 「右裂創の創口からの出血は、頭皮、頭毛に附着し、滞留するうちに糊着し凝固して、まもなく出血も止まったという事態も十分あり得ること」 「一般に、頭皮の外傷では、他の部位の場合に比して出血量が多いことや、本件の場合、頸部圧迫による頭部の鬱血が生じたことなどを考慮に入れても、本件頭部裂創から多量の出血があって、相当量が周囲に滴下する事態が生じたはずであるとも断定し難い」 一言一句、すべてが高木の勝手な推測、仮説です。五十嵐鑑定を前提にして想像したことです。しかし、さすがに高木も、推測だけでは不十分と考え、 「死体発見直後にその状態を見分した大野喜平警部補の第一審及び確定判決審における各証言大野警部補作成の昭和三八年五月四日付実況見分調書にも、頭部を一周して後頭部で結ばれていた目隠しのタオルや被害者の着衣に血液が付着していたことを窺わせる供述ないし記述は認められず、添付の写真を見ても、その様子は窺われないのである」と、警察の捜査の調書と写真を持ち出しています。(この第二審の大野証言は、弁護士が全然出血のことは追及しないのに助けられて、何も話さなかったというもので、実際どうだったのかは、いっさい語っていません。)しかし、これが本当に事実なのか、断言できないのは、先に述べたとおりです。 せっかく高木が、大野の証言や実況検分調書を持ち出してきたので、そのことにもふれておきます。実況検分報告書には、「鼻血が出血しており、右瞼に蚤刺し大の溢血点が認められた」「頸部左側に擦過傷」と書いてあります。しかし、五十嵐の鑑定書のどこにもそれはでてきません。素人といっても警察官が実況検分という目的で見たことです。五十嵐が、鑑定したときには消えてしまっていたのでしょうか。裁判でこの点を弁護士に追求された五十嵐は、素人になにがわかる、鑑定が正しい、といなおっています。この点も五十嵐鑑定のずさんさを示すものです。


死亡時期を警察、裁判所はどうあつかったか

 死亡時期、すなわち、いつ殺されたのかは、犯人しか知らないことです。それを明らかにすることは、犯行の全体像をはっきりさせる上で欠くことのできない問題です。 まず、警察がどうあつかったかをみます。 この事件では、警察は、根拠があいまいなまま、五月一日、被害者の下校後まもなく殺害された、と判断し、そうすることで、事件の全容をねつ造しました。その根拠ならざる根拠は、やはり五十嵐鑑定です。 もう一度、五十嵐鑑定の判断をみます。「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」と、五月一日とは断定していない、「本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せらる」、五月一日の昼食とはいっていない、「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」、カレーライスとはいっていないのです。死亡推定時刻を決めることは五十嵐にはできなかったのです。 殺害は五月一日と断定したのは警察です。これが重要なのです。きわめて作為的な断定といえます。しかも、つごうのよいことに、それは五十嵐鑑定の推定の範囲内にあったのです。警察にとっては、五月一日に死んでいてもらわなければならない事情がありました。それは、この事件が直前に起きた吉展ちゃん事件と結びつけられ、警察批判が高まり、治安問題・政治問題化していたうえ、五月二日身代金を取りに来た犯人を取り逃がしたことで窮地に立たされていたことが重要です。なぜデッチ上げに走ったのかの理由がここにあります。警察にとって、自分の危機をのりきることが最大問題だったのです。警察は、犯人が被害者を殺してから身代金を取りにきたとすることで、被害者の死の責任を逃れようとしたのです。 警察のデッチ上げと、五十嵐鑑定の関係を具体的にみていきます。 五十嵐鑑定は、「本屍の死後経過日数はほぼ二〜三日位と一応推定する」と結論しています。そのまま受けとれば、五月一日か二日に殺されたことになり、どちらもありうるのです。しかし、警察は、一日としたわけです。そして、五十嵐が、被害者の胃の内容物を検査して、「本屍の最後の摂食時より死亡時期までの間には(ごく特殊なる場合を除き)最短三時間を経過せるものと推定せらる」と書いたことを、一日の昼食で食べたカレーライスが未消化で残っていた、と断定したのです。胃の内容物とは、カラー写真が残っていますが、五十嵐鑑定では「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」と書かれています。カレーライスとは、一言もありません。どんな料理かまでは、五十嵐も判断ができなかったと思われます。警察は、被害者が一日の昼食として何を食べたのかについて調べ、カレーライスと福神漬であるとの証言を得ていました。それ以上には、調べていないのです。実際は、調べたのかもしれませんが、とにかくカレーライスだ、としかいっていません。そうすると、当然の疑問として、カレーライスには通常含まれないトマトや小豆が、なぜ胃の中にあったのか、ということが出てきます。警察は、それについては沈黙しています(小豆についてのみ、朝食にあったと説明していますが)。 警察は、五十嵐鑑定を自分に都合のいいように解釈し、殺害日時のデッチ上げを行ったのです。 裁判では、どうあつかわれたでしょうか。 この問題は、第一審ではまったく触れられませんでした。殺害時刻は、一日の下校直後と、周知の事実のように断定しているのみです。第二審の寺尾判決では、警察の沈黙を救うために「被害者自身または学友の誰かが…トマトも買ってきてカレーライスの添え物としたということも十分考えられる。ただ現在となっては、この点を確かめるすべがないだけのことである」と、昼食でトマトを食した可能性があると推理しています。寺尾という裁判官の推測で、デッチ上げが成立し、石川さんは有罪となったのです。推測で犯人かどうかを決めるのでは、誰が犯人になってもおかしくありません。寺尾判決では、そのようなデタラメを平然とやっているのです。 殺害日時は事件の核心問題です。それを、警察がデッチ上げ、裁判所が追認したのです。
では殺害時期はいつなのか
 死亡時期の推定は、法医学上の重要課題です。人が死んだ場合、通常、医者によって死亡診断書が作成され、市町村に提出され、戸籍上に死亡とする手続きがおこなわれます。変死、明らかな他殺死の場合は、警察に死体検案書が提出されなければなりません。その場合、必要なら司法解剖がおこなわれ、鑑定書が作成されます。いずれの場合にも、死亡日時の記載が必要です。ところが、殺人事件の場合、殺害の目撃者がいるときは別として、死亡日時を確定することが困難です。検屍、鑑定によって、殺害現場がわかっているときにはその状況などから、あくまで、推定された日時があきらかになるだけです。後日、真犯人がつかまった場合、その自供によって初めて確定するのが普通です。だいたい何時ごろ、という形で確定するわけです。 狭山事件の場合、犯行は一日被害者の下校後、誘拐したときに始まり、殺害して死体を埋めたところで終わるわけです。時間がはっきりしているのは、脅迫状が中田家に置かれたときと、身代金を取りにきたときだけです。いつ、どこで殺害されたのかは、死体発見が四日ですから、それ以前であることだけは、はっきりしていますが、まったくわからないのです。そういう事件ですから、五十嵐鑑定によって提出された情報は、決定的な、犯行を明らかにする上で、唯一の価値をもつものだったのです。 五十嵐は、死亡時期に関連して二つのことをいっています。ひとつは、いわゆる角膜の混濁の状況、もうひとつは、死後硬直の状況です。この二点は、両方とも死亡時期と関係していることです。最後の食事をとったから死亡時期を明らかにすることはできません。殺害と食事の二つを結びつけることはできません。しかし、警察は、この二点を意図的にごっちゃにして、かってに最後の食事は一日の昼食としたのです。五十嵐による二つの推定事項、あくまで可能性を示すレベルのことを事実だとして、殺害時刻という事件の核心事項をねつ造したのです。つまり、まず、最後の食事は、一日の昼のカレーライスだと決めてから、五十嵐鑑定を利用して、食後三時間だから夕方に殺された、と「断定」したのです。これは、事実を無視し、捜査上あるべからざる判断をしたことを示しています。本来は、死亡時期がまずはっきりさせられて、その後、最後の食事はいつか、昼食なのか、そのあとに何か食べたのか、という順番で事実をみなければならないのです。そうでないと、最後の食事がカレーライスかどうかも判断できません。警察の「判断」は、何が何でも一日に殺されていたことにする、という政治的意図からおこなわれたものであり、何ら事実にもとづかない空論です。 現在の法医学は、死亡時期を推定することはできても、確定するレベルにまで達していません。したがって、五十嵐鑑定の結果は、事実としてあつかうことはできず、あくまで参考情報としてあつかうべきものです。さらに、死亡時期の推定はそう簡単なことではない上、鑑定者の能力、鑑定者が得ることができた死体からわかる情報の解釈、死体の個人情報(たとえば病気だったか、健康だったか)、死体のおかれた環境、気候などによって判断が大きく左右されるものです。つまり、五十嵐の判断は、誰がやっても同じになるというのではなく、鑑定者によって変わるものだともいえます。その上で、一般論として、死後経過時間の推定と死体状況の関係を見ると
死後一○時間から一二時間  死斑および死体硬直は顕著となり、指関節の硬直も現れる。角膜は微混渇し、霞がかかったように見える。 死後二四時間内外  硬直はまだ緩解していない。角膜は著しく混濁しているが、瞳孔を透見できる。口、眼、鼻孔などに蝿、岨がみられることがある。 死後三○時間内外  顎間接の硬直が緩解し始める。 死後三六時間内外  上肢の硬直が緩解し始める。 死後四八時間内外  下肢の硬直が緩解し始める。 死後二〜三日内外  臍の周辺部、鼠径部の皮膚が淡青藍色ないし淡緑色に変色し、諸所に腐敗水痘が生ずる。というものです。 参考までに、五十嵐鑑定の概評検査にそのまま当てはめてみると、「死体硬直は足関節に於いてやや強く存在するも、その他の諸関節に於いてはいずれも緩解しあり」とあり、腐敗水痘についての記述はありません。そして、角膜の混濁は弱く、瞳が見とおせたと書いています。これらの観察結果は、死後硬直からは死後四八時間内外に当てはまります。しかし、角膜混濁からは死後半日から一日ということになります。これは、一般論であり、より正確な判定をするためには、さらに情報を集めて検討する必要があります。もともと、死亡時期の推定は、非常にむずかしいことであり、同じ死体でも、見る人ごとに見解がちがってくるようなものなのです。さらに付け加えると、死後硬直の状況は、鑑定前の実況検分と衣服を脱がせ体をきれいに水で洗ったということがおこなわれていることを考慮に入れる必要があるのです。なぜなら、そのときに死体を動かすのであり、その結果一時的に死後硬直の緩解(ゆるむこと)が起きたとも考えられるからです。ところが、五十嵐は、そのことを全く考慮していないようです。鑑定書には何も書いていません。 それにしても、五十嵐は、何を根拠に「死後二日から三日」と判断したのでしょう。矛盾した死体状況があるのに、なぜ、断定できたのでしょう。そのことについて五十嵐は何も語っていません。いわゆる総合判断なのかもしれませんが、いずれにせよ根拠を示すことができなければ、「死後二日から三日」ということはまちがいかもしれないのであり、信用するわけにはいかない、証拠とするわけにはいかない不確定なものなのです。ちなみに、弁護側の上田鑑定では死体状況から「死後一日以上二日以内」と判断されるが、土中に埋められていたという条件を考慮すると「死後三日」程度ともいえるとしています。つまり、五十嵐鑑定の所見の範囲では、死亡推定時期を確定することはできず、さらに詳細に死体を検査・検討する必要があったということです。そのことからも、五十嵐の手抜き、独断が明らかといえるのであり、「死後二日から三日」という判断は参考意見にすぎず、そういう見方もできないこともない、という程度のことなのです。 殺害日時は、誰も確定できないのです。五月一日夕方死亡説は、警察だけのデタラメな主張です。ねつ造された日時を石川さんに「自白」させ、それが裁判によって、事実であるかのようにされて、石川さんが犯人だとデッチ上げられたのです。「自白」を裏付ける証拠となるものは何もないのです。寺尾判決も高木決定もその事実を無視し、証拠がないのに警察の言うことを認めたのです。
高木決定は、デッチ上げをいなおった
 決定文の要点は、次のところです。 「五十嵐鑑定の死後の推定経過日数の判定が疑わしいとするいわれはない」 「五十嵐鑑定書が認めた胃の半消化物のうち、小豆は、五月一日の朝食に自宅で摂つた赤飯の中の小豆が消化しないで残っていたもの、トマトは昼食時にカレーライスと一緒に摂ったもの、その余は、調理の実習で作った昼食のカレーライスの具と米飯と考えられる」 「胃腸の内容物を直接視認して検査した五十嵐鑑定人が、『摂食後三時間以上経過』と判定したものを、五十嵐鑑定書記載の所見を基に、一般論を適用して、『摂食後二時間以下の経過』と断定し、五十嵐鑑定の誤判定を言うことが、当を得ないことは明らか」 いったい高木は何を持ってこのような断定を行っているのか。さっぱりわかりません。理由を明らかにもしていません。被害者は、一日午後三時ごろ下校して、その後行方不明なのです。どこで、誰と、何をしていたか、はまったく不明です。そして四日に死体となって発見されたのです。その間の目撃者として、弁護側が探し出した教師の「午後三時頃西武線第二ガード下に立っていた」という証言があるだけです。その間の被害者の動向は、五十嵐鑑定によっては明らかになりません。あるのは警察の自分につごうのいい「判断」=推測だけです。そこには何の事実も証拠もありません。 高木は、五十嵐鑑定を採用すると同時に、警察の「判断」でしかないものを鑑定によって明らかとなった事実であるかのように堂どうと述べ、警察のきわめて政治的で、作為的な「判断」を全面的に認めています。五十嵐鑑定を検討もせず、そのまま承認しています。つまり、「自白」による被害者の殺されるまでの動向を、全部認め、前提にしているのです。事実や証拠にもとづいた見解ではありません。高木は、「自白」を持ってくるしか説明しようがないことを、開き直り、確信=信念をもって、「自白」が証拠だと確認しているのです。それは、寺尾判決はゆるがない、有罪にまちがいない、警察の判断は、正しいとの主張=信念(心証)です。 高木決定では、法医学上の問題、鑑定の是非の問題としてのみあつかい、法医学のもつ限界を巧みに利用しながら、弁護側提出の鑑定書、意見書をしりぞけ、五十嵐鑑定を採用しています。そこでの高木の判断基準は、無罪をしめす鑑定は採用しない、有罪をしめす鑑定は採用する、ということです。もちろん、警察がどう判断したか、事件をどう考えたかなどについては一言もふれず、警察が裁判の場に引き出されないように擁護しています。 一方では、法医学の限界を適用して弁護側の鑑定を否定しながら、他方では、法医学の限界を超越したものとして五十嵐鑑定を絶対真理のようにあつかうやりかたです。ここでも、高木は、五十嵐鑑定の証拠価値は変わらない、寺尾判決は正しい、したがって再審は必要ない、という信念だけで判断し、弁護側の提出した鑑定や意見書については検討したふりをして、無視したのです。
死体はいつ埋められたのか
 警察のデッチ上げたストーリーでは、死体は、一日の夜に埋められたことになっています。それを証明するものとして、五十嵐鑑定とともに、死体発見場所の直近に畑をもつ鈴木要之助の証言があげられています。それは、鈴木要之助の一九六三年五月四日付の警察官に対する供述調書(鈴木員面)、七月五日付の検察官に対する供述調書(鈴木検面)、第一審第三回公判における証言です。ちなみに、五十嵐鑑定では、死体が何日間、あるいは何時間土の中にあったのかはいっさいふれていません。ですから、五十嵐鑑定を補完して、殺害後、いつ死体を埋めたのかを示す証言として鈴木証言が出されているのです。 五月四日付けの員面調書は清水利一(能谷デッチ上げ事件の主役だった警官)が、死体発見現場で取ったものです。この調書はおかしな点があります。死体発見直後の混乱の中でとられたものであるにもかかわらず、拇印ではなく、実印が押されているのです。鈴木は畑に行くのに印鑑を持っていっているということになります。納得しかねるところです。後日作り直した可能性が否定できません。 その証言の内容上の核心点は、五月二日に自分の畑に行ったときに、隣接してある新井千吉所有の農道に何か埋めた跡があるのを見た、四日に山狩りをしていた消防団がその場所を掘ったら被害者の死体がでてきた、ということです。この証言がまちがいないものとするなら、被害者は二日以前に殺されていたことになります。一日犯行説をとる警察にとっては、のどから手がでるほどほしい証言なのです。そして、この証言以外に、一日殺害説を裏付けるものは何もないのです。 証言にある鈴木の二日から四日にかけての動きは、二日にゴボウの種まきをして、三日に麦畑の草取りをして、四日に畑の手入れにいった、というものです。その間ずっと、埋め跡のことが気になっていたといっています。 その証言における、いくつかの疑問点についてみてみたいと思います。まず、埋め跡の大きさについてですが、鈴木は「三尺か四尺ぐらい(九〇センチから一二〇センチ)」といっていますが、発掘された穴の大きさは、大野喜平警部補作成の実況見聞調書では、「縦が一・六六米横が〇・八八五米深さ〇・八六米であった」となっていて、あきらかに違っています。さらに、三日にも山狩りがおこなわれ「その三日の日に来た人、警防団員は、わたしに言葉もろくにかけないで、そのわきをとおって新井千吉さんの六尺の道(埋め跡のある道)をとおって、その上をとおりながらみんな向こうへ南の方へ行きました」と証言しています。鈴木が二日にすぐに気がついた埋め跡を、このとき山狩りしていた警防団員はまったく気がつかなかったのでしょうか。三日に気づかなかったものが四日には気づいた、というのは不可解です。 その上で、鈴木は、二日にゴボウの種まきをしたと証言していますが、一日から二日にかけて、まとまった雨が降っており、畑は、たっぷり水分を含んでいました。普通は、ゴボウの種まきはしないような状態にあったのです。そして、五月四日撮影の現場航空写真(平成四年一一月二四日付再審請求補充書添付)には、ゴボウの種まきをした形跡が見られないのです。ゴボウの種まきは、実際はいつなのか、この疑問に対する回答は出されていません。そうであるかぎり、鈴木証言を、丸ごと信用することもできません。 さらに、鈴木証言を死体発見現場の地主である新井仙吉の証言と比較すると、その不自然さ、作為、差別性が明らかとなります。鈴木は「菅原四丁目の人が犬、猫の死体をよく埋めに来る」といっていますが、新井は「そんなことはない」とはっきり言っています。鈴木は、なぜ警察に届けなかったのかというと「もし掘ってみて、犬だったら恥をかく」といい、誘拐事件との関係を聞かれると「犬か猫を埋めたと思っていた」「考えもしなかった」というのです。こうした発言は、鈴木が本当に埋め跡に気がつき、気にしていたのかどうか、断言できないことを示しています。警察の言うがままに証言し、なぜ黙っていたのかを「犬、猫の死体」でごまかしているのです。日ごろからの部落差別観が表に出て、部落のそばだからそういうことがあるといっても誰も疑わないだろう、という差別的思惑です。鈴木は差別者です。差別によってウソをごまかせると思い、しきりに「犬、猫」を聞かれもしないのに持ち出しているのです。「すぐそばに畑を持っていて、埋め跡に気づかなかったのか」という警察の誘導尋問に、自ら応えて、何か気づいていたことにしないと言いのがれできないという気になって、ウソを並べたのです。繰り返しますが、このような鈴木証言に信用性はありません。 こうした第一審における証言をひっくり返す証言が第二審でおこなわれているのです。 第二審第一二回公判で、特捜本部の幹部将田政二は弁護士の、死体発見の経緯についての質問に
「畑の所有者の名を忘れましたが、その人が五月四日以前にその農道を通ったときは、何でもなかったのに、そこの土が盛り上がっていた。その盛り上がっている土の表面に割れ目があったので、そこに棒を刺してみたら深く入った、それで掘って埋めた跡ではないか、或いはそこに埋められているのではないかということでわかったのです。」と答えているのです。これは何を意味するのか。将田がいったことが事実なら、第一審での鈴木証言は真っ赤なウソということです。残念ながら弁護士はこの点を全く追求していないので、どちらがほんとなのかはわかりませんが、警察幹部が断言している証言であることの重みから、こちらの方が事実である可能性があるといえるのです。ということは、死体は、四日以前には埋められていなかった可能性があるともいえることになります。 しかし公式には、警察は、鈴木証言を徹底的に使おうと決めました。警察官が調書をとっただけでなく、検察官も調書を取っています。そして、この証言を疑いのない事実にまつりあげたのです。だから、裏付けをとる捜査をしていません(したのかもしれませんが、それは全く隠されており、闇の中です)。 両調書をみると警察の意図が、よくわかります。 「五月二日、入間川本里**番地の自分の畑へ行ったのは、農協で開かれた総会が午前九時四〇分ころ終了した後で、ごぼうの種を播いた」 警察は、その総会が実際は何日の何時から何時までおこなわれたのか調べていません。調べた上で隠しているのかもしれません。警察にとっては、二日でなければ、この証言の価値はなく、あくまで二日であるようにあつかったのです。二日以外の可能性を、すっぱりと切りすてたのです。この点、農協総会はいつあったのかの証拠開示を要求することも重要なことです。 裁判では、第一審において、鈴木が証人として証言していますが、その判決文の中では、その証言にまったく触れていません。「自白」があるのであり、鈴木証言を持ち出すまでもない、とされたのです。第二審、寺尾判決においても、この証言は触れられていません。警察にとって、犯行が一日であるとする上で決定的証拠といえるこの証言は、形式的に証拠の一つとしてあつかわれているだけです。多くの証拠、証言の中に埋もれたままです。それは、これまでの裁判において、鈴木証言について、まともな検討が一度もおこなわれていないことをしめし、警察のデッチ上げを丸ごと裁判所が受け入れ、はじめから有罪であるとの立場に立っていたことをしめすものです。 殺害日時がデッチ上げたものとされたらピンチです。そして鈴木証言がねつ造されたものとなったら大変です。だから、裁判で焦点にしたくない、という思惑があるのです。追求されたら困るのです。したがって、第一審では、鈴木証言には、アイマイな点が数多くあるのに問題にしなかったのです。そして、第二審以降はまったく問題にされず、証言することもなかったのです。 以上のことから考えて、鈴木証言はねつ造された可能性が強いといえます。決定的なのは将田証言です。そして、検察側はこの件で第二審では鈴木を証人として出さないことにしたことです。ウソがばれたと思ったのでしょう。こっそりとそしらぬ顔をして切り抜けようとしたのです。 そこで、高木は、以上のような事情をふまえて、 「(鈴木が)隣地の新井所有の畑の農道に掘り返した跡があるのを見付け不審を抱いたこと、そして、同月四日午前一〇時ころ、その場所を捜索に当たっていた消防団員らが掘ったところ、被害者の死体が発見されたことは、疑う余地のない事実と認められる」と断言して、鈴木証言を再検討することを拒否しました。さらに、 「死体発掘現場に居合わせた証人橋本喜一郎の証言(同第三回公判)ともよく符節が合うのであって、右鈴木が殊更虚偽の証言をしたとは考え難く」として、鈴木証言があたかも事実であるかのように装うのに汲々としているのです。高木は、死体発見時が問題ではなく、その何日前に気がついたのか、それとも気がついていなかったのかが問題なのに、そうした疑問は抹殺しています。 警察がねつ造したものもふくめて三大物証をはじめ多くの証拠があるわけですが、それらとは、別格のものとして、いつ、どこで、どのように犯行がおこなわれたのかを示す証拠、証言、資料としては、脅迫状、五十嵐鑑定(死体)、身代金受け渡しの時の声についての中田登美恵証言、足跡、そして鈴木証言、唯一の目撃証言とされた内田幸吉証言しかありません。これがないと、事件は組み立てられません。デッチ上げようとしても筋書きができないのです。これらは、そういう意味で、デッチ上げを構成する核心問題だといえます。これらを、粉砕することは、再審開始につながる不可欠の課題です。 高木は、そのことに気づき、「埋没時期についてみる」として、鈴木証言にこっそりとふれ、証言は信用できると断定しました。だから、多くを述べてはいません。できるだけ焦点にならないように、しかし、断固としてこの証言を採用したのです。なんとしても棄却しようとする高木の、反動的執念が表れています。 本稿で明らかになったように、五十嵐鑑定は、法医学の水準に達していないおよそ信頼性の無い、証拠とすることなどできないものです。検察側は直ちに取り下げるべきです。裁判所は証拠として採用するのをやめるべきです。 さらに、「自白」が警察の考えたストーリーを言わされたものであることが、五十嵐鑑定の検討を通して一層明らかになりました。「自白」の矛盾、それは、五十嵐鑑定という何の事実にももとづかない推測を書いた文書をもとに警察がデッチ上げたストーリーからくる必然的帰結です。殺害方法と後頭部裂傷をめぐる事実とのくいちがいが何よりもそれを示しています。 そして、裁判所は、こうした五十嵐鑑定を証拠とした判決をただちに取り消すべきです。再審を開始すべきです。決定的に重要な証拠が、証拠たりえないものとして崩れた以上、有罪判決は一から見直すのが当然です。取り消すのが当然です。再審開始は当然のことです。 いったいなぜ裁判所は再審開始を決定しないのか。合理的理由、法律的理由などありません。ただひたすら有罪を維持するという政治決定を守っているだけです。寺尾判決、そして、八・九最高裁上告棄却決定こそ東京高裁・高橋が守ろうとしているものです。ここで立ち入ってそれらを検討することはできませんが、それらが上げている、依拠している決定的証拠が崩れているのです。 最高裁の「白鳥決定」「財田川決定」の判例にしたがって直ちに再審を開始しなければなりません。狭山事件になぜそれを適用しないのか。それこそ差別です。部落民に裁判は必要ない、という許すべからざる態度です。 こうした裁判所のあり方、態度を変えるのは狭山闘争の力しかありません。今こそ百万人署名、紙芝居運動、学習会、集会を積み上げ、大国民運動をつくり出しましょう。要請行動を戦闘的に闘いましょう。 そして、裁判という、ある意味では相手の土俵の上でのたたかいにおいて、本当に勝利できる狭山裁判闘争論をつくりだし、今までのあり方を一変させるような裁判を法廷闘争においてもかちとるのです。 弁護団は今年三月に補充書と新たな筆跡鑑定を出しました。しかし、その論調は、「差別捜査がおこなわれた」などと述べ差別を問題にしているかのようにかかれてはいますが、糾弾の立場がありません。これまでの「予断と偏見」論の内容をくりかえすものです。そして、筆跡鑑定を主要に問題にしていますが、そこで本当に警察のでたらめな鑑定をあばき粉砕するという姿勢はありません。弁護団がいいたいことは、「自白」は強要されたものであり、客観的事実と矛盾しており、石川さんが犯人であることをしめすものではない、というところにあります。せっかくの新鑑定も、そのような弁論の中で位置づけられているのであり、生かされているとはいえません。 本部派は、五十嵐鑑定を軽視しています。ほとんど問題にしていないといってもいい。わずかに「自白」との矛盾と出血問題だけで取り上げているだけです。しかし、本稿で見たように、五十嵐鑑定は根本的に否定されなければならないのです。鑑定とはいえない、証拠にはならないということが重要な点です。こんなものを証拠にして犯人にされてはたまりません。石川さんの無実を五十嵐鑑定を根底から否定しきることで明らかにすることが求められています。ところが本部派は五十嵐鑑定は(問題はあるが)成立しているとしているのです。つまり警察の作り上げたストーリーを前提化してしまっているのです。それでは勝てません。有罪判決をひっくり返すことはできません。警察のストーリーなどは事実無根のデタラメなのであり完全に粉砕しなければなりません。権力の部落差別犯罪を徹底糾弾する立場にたちきることです。そして、差別によるデッチ上げをあばき、事実のみに基づいて事件を見る必要があるのです。もっといえば全ての点で事実を見極め証明する必要があるのです。そうしたとき、石川さんの無実はいっそう明らかとなります。 再審の扉を開けさせることは、なみたいていのことではありませんが、石川さん無実への確信、執念、差別裁判は許さない、という信念をもって、ねばり強く、果敢にたたかって行くならば、かならず道は開かれると思います。(部落解放理論センター研究員 つりふね りょういち)