1992年旅日記


Slovenia Ljubliana

1992年 スロベニアに向かう車窓風景




1992.10.26.Mon
列車がスロベニアに入った。
オーストリアを出てスロベニアに近づくにつれ、どんどん人が降りていく。
私と同じコンパートメントの人たちも皆降りていってしまった。
なんか淋しいなぁ。
おまけに外は雨ですごい雷がなってる。
信号待ちかどうか今私が乗ってる列車も山の中でもう一時間近くも立ち往生。
あ−退屈。。。



お城があるという小高い丘にのぼってみた。

レンガ色。私はこの色の風景が大好きだ。
ここに登るのには、入場料がいる。
でも受付の男の子、多分学生だろうなぁ、
お釣りないから、そのままあがっていいよなんて。
やったあ。得したと思うのもつかの間、
頂上までのこの坂がなんともきつかった。





丘を下りて、その名のとおりの三本橋のところで焼き栗を買った。
1992年 焼き栗屋さん

橋のたもとで、おばあさんがやってる焼き栗屋さん。
日本でいう焼き鳥屋のおばあさん版という感じ。
(どういうたとえだ?!)
「うーん、よっ商売人」と声をかけたくなった。

焼き栗 60SIT(約85円)
おいしかった。





この橋をわたって少し歩くと、青空市のようなマーケットがあった。
名物だけあって、ろうそく屋さんがたくさんある。
私もひとつほしかったが、ろうそくは重くて荷物になるのでだめだと思い、
一枚の木の板になにやら文字が書いてある壁掛けのようなものを買った。
私の背中くらいの大きさの木製の壁掛けなんかを買ってしまってどうするんだ、
まだろうそくのほうがましだろと、あとになって後悔した。
これをリュックに詰めて歩いてたら、まるで二宮金次郎じゃないか。
でもこの壁掛け屋さんのおねえさん、私が日本から来たと言うと、
「フッー」と後ろにのけぞらんばかりに驚いていた。
「あまりにも遠すぎる」とおねえさん。
うん、確かに遠い。
気楽な毎日を送っている私に、距離感というのが麻痺してしまっているのに気づいた。


1992年 魚フライ屋さん
市場の真ん中あたりに、コロッケ屋さんならぬ
魚フライ屋さんがあった。
日本の居酒屋でいうワカサギの天ぷら
といったところか。
とにかくおいしかった。
店の前の道にテーブルがひとつ。
そこで、オレンジジューを飲みながら立って
食べる魚の天ぷらは格別だった。




帰りに、みかんとキーウィとりんごを買って帰った。(88SIT 約120円)
キーウィは異常なほど甘くておいしかった。
ニュージーランド産のキーウィだ。


リュブリャーナはこじんまりとしていていい街だ。
今まで行った東ヨーロッパと呼ばれてる国々とはちょっと雰囲気が違うような気がする。
治安もいいし、変な人?!も全然いない。
みんな温和な感じがする。
でもなぜかここに来て、自分の黒い髪を意識する。
みんながジロジロ私のほうを見る。
すれ違ったあとも振り返ってめずらしいものでも見るように私のほうを見る。
うーん。よく考えてみるとみんな金髪で同じ髪の色、肌の色もみんな一様に白く、
道を歩いていても、髪が真っ黒で、肌も旅行中のせいかドス黒くなっているのは
私だけだった。
この国について勉強不足のせいかもしれないが、今まで外からくる俗に言う外国人という
のに慣れてないせいかとも思ってしまった。
とにかく黒い髪が目立つ。
私は美容院を探して、髪を金髪に染めようかと真剣に考えた。

1992年 スロベニアのステッカー


スロベニアが独立を勝ち取ったっていう雰囲気は
全くなかった。

それにこのスロベニアがユーゴ連邦をささえてた一国だったなんて、とても想像がつかなかった。





Titova cesta(チトー通り)が、Slovenska cesta(スロベニア通り)になっていた。
ここでも、ひとつの歴史が終わったんだと思った。




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