1992年旅日記
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=Berlin= ちょこちょこ移動ばかりで疲れてきたので、いっきにあがってベルリンまで来てしまった。 1都市短期滞在なので、移動が多ければ多いほど疲れてしまう。 今日はずっと100番のバスで市内観光。 足の疲れがとれない時は、座ってるだけでいろんな景色を見せてくれるバスが一番だ。 久しぶりに日本の友達に電話したら、「ベルリンは今外国人排斥問題ですごいんだってね」 なんて言ってたけど、私が歩いてる限りは別段変わった感じもない。 私がここの住人じゃなくただの観光客だからなのか、日本の過剰報道なのか... それとも...?何なんだろう。 11月にはいって、ぴたっと雨が降らなくなったのに、今日久しぶりにベルリンは雨。 びしょ濡れになってしまった。 ドイツで一番困ること−プラスチックパックの水があまり売っていない。 全部瓶のミネラルウォーターだからもって帰るのに重いのなんのって! ドイツの再利用システムはやっぱりすごいや。 旧東ドイツのプレンツラウアーベルク地区に行ってみた。 昔の古い建物がそのまま(裸でという感じかな)あって、どこか退廃していて、あぶなげで 不思議なところだった。
![]() 午後クロイツベルクまで行った帰り道。 左側にギャラリーとして残されたという壁を 見ながら、ベルリン中央駅まで歩く。 いろんな人の手形だけでつくった一枚の絵が 一番印象に残る。 中央駅に日本の朝日新聞があった!! やったぁ−と思ったのも束の間、なんと7DMもする。高−い。 買うのをあきらめた。 夜、小沢征爾さん指揮のベルリンフィルに行った。 最高だった。時間があっという間にすぎていった。 ベルリンフィルから帰りのバスを乗り間違え、なんとかZOO駅まで帰ってきたのが 夜中の1時30分。やれやれ。 ベルリンから日帰りでドレスデンへ。(しかしこの日帰りは疲れる) すごくいい街だった。古都という風情かなぁ。 非難を恐れずたとえるなら、ポーランドのクラクフとロシアを足して2で割ったような街。 しかしとにかく寒い。今日のドレスデンは氷(ヒョウ)が降っている。 それが顔にあたって痛い。 ![]() 聖母教会や、やっと修復がはじまった建物なんかを 見てると、ありきたりだが戦争というものが 本当に恐ろしいものだと思う。 このドレスデンはやっぱり一泊はしたい街だ。日帰りだなんて、なんてばかなんだ私は。 1992.11.14.Sat
ドイツ統一へとつながる民主化デモが最初に起こった街ライプツィヒ。 ![]() いかにも旧東という感じのブロックのような建物の 9階にあるプライベートルームの窓から外を見る。 新しいものと古いものがまだうまく溶け合ってなくて へんな感じがした。 寒くて、雨が降っていて観光どころではない。 夜になるといろいろな教会でコンサートが催されていた。 私もせっかくだからと、ニコライ教会に行ってみた。 このニコライ教会は、1989年民主化を要求する市民のデモ隊が何重にもなって取り囲んだというのをなにかの本で読んだことがある。 教会のコンサートが始まる時間に遅れてしまい、中には入れなかったが、私と同じように 締め出しをくらってしまったここライプツィヒに住んでいるという女の子がいた。 彼女はカールマルクス大学に通っている学生で、1989年の民主化デモの時は、自分も 参加したという。 「あの民主化デモはここ(ニコライ教会)から始まったのよ。」 という彼女は、誇らしげでなぜかすごく頼もしく見えた。 「今は旅行も何もかも自由だけど、お金がなくて、失業問題も深刻だし・・・」 「・・・政府が・・・・・。」 私の英語力ではすべて理解することはできなかったが、言いたいことはすごくよくわかった。 自由をとり戻すために彼女たちは、政府(国)と戦った。 今度はその自由を手にするために、経済力というものと戦わなければいけないんだ。 でも、彼女の目は暗いどころか私には輝いてみえた。 私が日本で何かを手にする為に戦わなきゃならないことってあるんだろうかと考えてみた。 なんにもなかった。 ガイドブック地球の歩き方にいい事が書いてあった。 ライプツィヒ新市庁舎の通りの壁面に書かれているという碑文。 −その方法に対する責任− −これらは常に問われ続けられる− |
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