1992年旅日記
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=Brno= 所々古くて汚い建物があって、それがまた情緒があっていいなぁ。 今日は体調が悪くて風邪がひどくなってきたみたいだから、ちょっといいホテルに 泊まろうと思った。でもよすぎた。 ![]() 時代がどんどん早くなってる。 体制が変わる前はこんなじゃなかったんじゃないかなぁと 思うところが多い。 あとは、経済的な問題だけなのか。 前に旅行した時はあまりにもかけ足の旅で、 わかったような口をきいていたけど、私には何も わかっておらず、何も見えてはいなかったように思う。 今現在も私には何も見えず、 何もわかってないのかもしれない。 でも、以前より少しは自分自身、前に進んだような気がする。 1992.11.5.Thu
今日はブルノからブラチスラバにバスで日帰り旅行。 もうすぐチェコから独立するというスロバキア。 その首都となるブラチスラバ。 今度ブラチスラバにはいる時は、パスポート検査があったり、両替しなきゃなんなかったりするんだろうなぁと思いながら、到着。 これといって観光の目玉もなく、 何もない田舎という印象。 ![]() もうすぐチェコから独立するというスロバキア。 しかし独立という熱気も感じられず...。 独立してそれからどうするんだろう。 ”民族”−私にはまだまだよくわからない。 なんかヨーロッパがどんどん細かくなっていく。 「君、ベトナム人?」なんて、ヨーロツパに来てベトナム人に間違えられたのは この土地が初めてだった。 露天でもちょこちょこベトナム人らしい人が店を出してるのをよく見かけたので、 そのせいだろうか。 本屋さんのウィンドゥには外国の地図がたくさん並べられていた。 でも値段がすごく高い。 ドイツマルクでの表記だった。 =Praha= 1992.11.6.Fri
以前の印象はどっかに吹っ飛んでしまった。 おいしいワインを飲ませてくれたお店もなくなって、真新しいお店ばかりが並んで 広場も観光客でごった返している。 物価も10倍くらいはねあがってる。 車もすごい高そうな高級車がばんばん走って、イタリアマフィアの映画にでてくるような こわそうなおじさんもよくみかける。 大道芸人の人達やパフォーマンスを演ってる人達、観光馬車に乗ってる人達で広場は いっぱいだった。 プラハが変わってしまって淋しい。 いやいや、プラハは面白くなってきてるんだと思うようにしよう。 ![]() お昼ご飯はとにかくここでなくちゃと、 2年前来たお店に直行したが... なくなっていた。 右の写真の一階が食堂だったんだ。 工事のおじさんに聞いてみると、今度は ホテルになるらしい。 立ち食いだけど、安くておいしいお店だったのに。 ![]() いくつもの橋がブルタバ川にかかり、それが夕日に 映えて・・・美しかった。 見る角度によって、それを見る心によって、 プラハの表情は違っていて、どんどん美しさが 増していく。 以前には確かに見えていたものが見えなくなって、 以前に見えなかったものが見えるようになってる。 他人の迷惑かえりみず、しばらく夕景を見て物思いにふけっていた。 夜は、オペラ フィガロの結婚を見た。 チケットは売りきれで、ダフ屋のお兄さんから買った。 40コルナ(約176円)を200コルナ(約880円)で買った。 うーん、お兄さんもうけてるなぁ。 罰金100コルナ(約440円)もとられてしまった。 うーん、この100コルナは痛い。 ![]() プラハ城からの帰り道、壁にされた落書き。
カレル橋を渡ったところにあるおみやげ屋さんにホットワインが売っていた。
とにかく寒かったので、飲んでみたら体が温ったまってすごくおいしい。 店先でホットプレートにのせた鍋でワインを温めている。 まるで日本の甘酒みたいだ。 午後からシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に行った。 テレジン強制収容所の子供たちが描いた絵が展示されていた。 その絵の中の一枚に、右半分は暗い地獄、左半分は燦燦と太陽が照った明るい絵が 描かれてあり、暗い地獄を連想させる行き先には、Prahaという文字。 こんなことはもうたくさんだ。そう思った。 帰りに寄ったホテルヨーロッパのカフェで、オランダから旅行に来てる老夫婦と テーブルがいっしょになった。 プラハはいいとこだねぇなんて話しながら、 私が「以前とは全く雰囲気が変わってしまって淋しい」と言うと、 おじいさんのほうは「プラハはドレスアップしたんだよ」という表現をした。 あぁ、そういうとり方もあるんだと思った。 新聞で、1968年のプラハの春と呼ばれる民主化運動の中心的人物だったドプチェク氏が 死んだという記事が載っていた。 でも、私が街を歩いていて、特に変わった雰囲気は感じられなかった。 もうすべて、過去のことなんだろうか。 それとも、私には見えていないだけなんだろうか。 プラハ本駅
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