1990年旅日記


Poland Krakow





1990.11.20.Tue
夜行列車の中でポーランドにはいる時、簡単な持ち物検査と自分の持ってる外貨を
全部書かされた。
でも申請用紙の書き方がわからなかったので、所持金全部見せて書いてもらった。

列車の車掌さんに起こしてもらって、定刻通り朝5時30分にクラクフ中央駅に到着。
外はまだ、まっ暗らだ。

陽が昇るのをぶらぶらと待って、駅で両替をした。
1Zt (約0.015円)。コインはほとんどなくて、紙のお札ばかりがたまる。
バナナ5本で7200Zt(約108円) 、紅茶を飲んでも2400ZT(約36円)....。
ホテル代でも150000Zt と聞いてびっくりしてしまったが、よくよく計算してみると
日本円で2250円。
あまりの数字の桁の多さにびっくりしてしまう。
ちょっとした物でも10万、20万 Zt という単位の値段がついている。
このままいったら10万、20万というお金の単位が100万、200万とどんどん大きくなってパンクしちゃうんじゃないのかなぁと、私は目がまんまるになってしまった。
プラハのレストランで飲んだビールが100円というのにびっくりしたが、そんな事はここに来てふっとんでしまった。

夜になって、聖マリア教会に行った。
ここにも教会の隅のほうでひざまずき、涙を流しながらじっと何かを祈ってる人がいた。
この旅行のあいだ、教会でよくそういう人を目にする。
宗教をもたない私は、何かを信じて生きるという重みを感じた。

中央広場で、二人のポーランド人の女の子と出会った。
クラクフ生まれのクラクフ育ちという彼女たち。
お互い片言の英語だが、なんとか意志は伝わった。
「クラクフは嫌いだ。ポーランドはいやだ。この国の人はみんな狂ってる」と言う。
自分の生まれ育った国を嫌うというのは悲しい事だ。
いっしょに夕食をすませての帰り道、一人のおじさんが広場でなにか大きな声で叫んでた。
ポーランド語なのでよくわからなかったが、政治家の名前を言っているのはわかった。
私といっしょにいたうちの1人が、そのおじさんに駆けよって、なにやら口論をはじめた。
残された私は、口論が終わるのをじっと見てるしかなかった。

彼女達は、なにか吐け口のないところで、じっとうずくまって生活しているように思えた。
そんなふうに思うのは、どんより曇った天気のせいだろうか。

高い飛行機代を使って、高いホテルに泊まって自由に旅行できる私たちには、まだまだ
わからないことが多すぎるような気がした。
その国の人たちの考えてることや感じてる事が知りたいと、外から感傷的になってみていた私だったが、中(内)の人から見ると、私には何も見えていなかったのがわかる。
ただの自己満足にすぎなかったんだ。


1990.11.21.Wed
今日は、駅前の白タクのおじさんの車に乗って、アウシュビッツとビルケナウに行った。
英語の話せるおじさんだが、行き帰りのガイドつきで20USドルだといわれた。
去年ここに来た友達は、10USドルだって言ってたよというと、ガソリン代が高くなって
仕方ないんだといわれ、キャッシュで20USドル払った。
確かにこのおじさん、ガソリン代の節約なのか、信号やなんかで車が止まる時には
必ずエンジンをきる。
うーん、おとといはバスのストライキがあったっていうし、やっぱきびしいんだ。

この白タクのおじさん、見学中はずっと外で待っててくれるし、入り口まで行って日本語の説明書もらって来てくれるし、「おしんはポーランドでも放送してるんだよ」なんて
「おしん」攻撃にはあったけどこれで20USドルは安いと思った。



アウシュビッツ強制収容所

ボロボロになった靴や人間の髪の毛が
山積みにされていた。
中は博物館のようになっているが、
髪の毛を編んでつくったカーペットを見て、
この上に足をおき歩ける人というのは
一体どんな精神の持ち主なんだろうかと思う。




アウシュビッツ第2の収容所ビルケナウ


プラハで会った人からクラクフに行くんなら
ビルケナウは見といたほうがいいよと言われ、ここまで来たが、その人が言ってたとおり
この何もない殺伐とした広さがなによりも
こわかった。
所々煙突のような棒がポツンポツンと
立ってるだけ。
入り口から一本のレールが敷かれている。
その先には死体焼却炉の残骸があった。
焼却炉のとなりには慰霊碑がたっている。
おじいさんが2人、花をもって供えてた。

この一本のレールに触ってみた。冷たかった。


暗い歴史を今でもずっと持ち続けているんだと思った。
人間が人間として扱われない。

ポーランドにはいろいろな面でびっくりさせられる。

2つの収容所の見学も終わった帰り道、運転手のおじさんが、お城もあるけど見て帰るか?と言われたが、とてもそんな気分になれなかったのでやめた。

一度は見とかなきゃいけないと思っていた収容所の見学も終わった。

日本でいえば京都という風情のクラクフ。
いろんなことを感じさせてくれたここクラクフに来てよかったと思う。

クラクフ中央駅に戻り、明日のフランクフルトまでの切符を買った。
ユーレイルパス(ポーランド・チェコスロバキアでは使えない)も持っているのに、
78USドルは高すぎると言う私に、切符売場のおねえさんは 「西側はなんでも高いのよ」と、何ともいえないつらそうな顔をしていたのが今でも心に残る。




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