1990年旅日記
駅はホテルやタクシーの客引きのおじさんやおばさんでいっぱいだ。 西ヨーロッパといわれるところから、東ヨーロッパといわれるここハンガリーにはいって、 初めて「 CHANGE MONEY ? 」の声を聞いた。 本にもだまされる事もあるとか、闇両替は不法な行為と書いてあったので、 私はかたくなに断ったが、なんか親しみの持てるおじさん達だった。 しかしあまりのこういう声の多さに、すれ違う人みんなが「 CHANGE MONEY ? 」と つぶやいているように思えた。 ウィーンから3時間ちょっとの距離なのに、全く雰囲気が違って見える 俗に西といわれるところから、東といわれるハンガリー。 私には、人の顔つきから何からすべてが違って見えた。 ここで初めて国境というものを実感した。 海に囲まれた日本で、国境というものを意識したことのない私には驚きだった。 列車の中で会った人が、ハンガリーからまだ南におりると言ってた。 うっわぁ〜、旅慣れたいかにもバックパッカーって人は、北とか南にアガルとかオリルって言うんだぁ。 なんて、なんにでも感動してしまう私の悪い癖がでた。 東駅到着後、私は何を血迷ったか、手荷物預かり所に荷物を預けるためだけに、地下鉄で 3っ目のバスターミナルのある駅まで行く。 そしてまた東駅にもどり、イブス(旅行案内所)でプライベートルーム(民宿)の紹介をして もらった。 しかし紹介してもらった今晩泊まるはずの宿がなかなかみつからない。 どれだけ歩いても歩いてもたどり着かない。はや1時間近くも歩いたろうか。 てなわけで、無事宿に到着後、夕食をとることにした。 夕食をとるレストランは、もう決まっていた。 そう、この宿を探して道に迷ってる途中で通りがかったレストランだ。 「ただで道に迷ってた訳じゃないぞぉっ ! 」 なぜか発見者になったような気分だった。
物価の安さにもびっくりした。 中をみせてくれた。どこの国でも、おばさんやおじさんは優しい。 劇場内は、広くはないが、ふか−い歴史を感じた。
帰り道、ふと通り名の看板をみると、 名称が書き換えられているのが多かった。。 政治体制がかわったせいだろうかと、ここでも歴史を感じた。 お昼ご飯は、角切り肉をパプリカで煮込んだものと、細かい小麦粉のおだんご? 。 おいしかった。しかし日本円にして、2000円ちかくもとられてしまった。 今このハンガリーでお金を使い果たすわけにはいかないんだ。 くぅっ〜。これからちゃんと値段を確かめねば...。 夜のドナウ川沿いの夜景がライトアップされていなかった。 ハンガリーの国自体が財政難で、電気代節約のために、夜のドナウ川沿いのライトアップはしてないんだという人がいたが、本当だろうか。 定期観光船も走ってないし、やっぱ冬はだめかなぁと思った。 30USドル。米ドルでなきゃだめだと、コルナじゃ受け付けてくれなかった。 このために半日つぶれてしまった。 でも、ビザはすぐくれた。 通過ビザで2日間。 ブダペスト→プラハ→ベルリンのとおしの列車の切符も買ったことだし、 明日は、いよいよチェコスロバキア プラハだ。 夕食に、ハンガリー名産トカイワインを飲んだ。 うっっわぁ〜っ というほど、美味だった。 地下鉄の構内で、新聞を買った。 なんと第一面が日本の天皇陛下の写真ではないか。 思わず 「これください」 と手を延ばした私に、新聞売りのお兄さんは、 「へへぇ、おまえ日本人だなぁ」とニヤリ笑いをされてしまった。 外国で日本の情報をみると、なぜか反射的に飛びついてしまう。 そう、こうやって旅行してると、日本の情報ってほとんどはいってこないんだぁ。 この通りに面して横一列にたくさんのおばさんたちが、きれいに刺繍されたテーブルクロス やアクセサリーなんかを売ってる。 ここで商売をするのは違法なんだろうか、取り締まりの警察の人が来るとこのおばさん達 いっせいに商品を自分の身にまとう。 なかには、自分の肩に何枚もショールのようにテーブルクロスをかけてお相撲さんのようになってるおばさんもいた。 あの反射神経はどっからくるんだろうか? |
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