1990年旅日記


Czechoslovakia Praha





1990.11.13.Tue
今プダペストからプラハに向かう夜行列車の中だ。
列車のなかで、クシェット(簡易寝台)の料金を10USドル払った。
ハンガリーで米ドルのキャッシュを両替しといてよかった。
しかし隣の部屋のいびきがうるさくて寝られない。
途中ハンガリーとチェコスロバキアの国境で持ち物検査があったが形式的なものだった。


1990.11.14.Wed
朝10時ちょっと前。プラハ ホレショビッチェ駅約1時間遅れの到着。
1Kcs約6円くらいだろうか、T/Cで20USドル両替した。ちょっと両替しすぎたかな?

チェドック(旅行案内所)でホテルを予約して、ベルリン行きのクシェットの予約もいれる。
クシェットの料金は米ドルのキャッシュで7USドル。

お昼は、いかにも立ち食い屋さんという感じの大衆食堂で、ミンチカツとパンとサラダ
で約300円。安いしとにかくおいしい。
作業着?姿のおじさん達にまじって食べるのもまたなんともうれしかった。

バーツラフ広場は人でいっぱいだった。
なにやら演説台なんかの設置工事をしてる。
あさってアメリカのブッシュ大統領が来るそうだ。
チェコスロバキア側としては大歓迎とのこと。
その時に私がここにいないのがくやしい。
あぁ、私も演説聞きたいなぁ。(いや言葉がわからないのだから、見たいなぁだ)

小雨が止まないが、カレル橋のほうに歩いた。すごくきれいだった。
おしつけがましくなく、こじんまりとまとまった景色に感動した。
実を言うと、プラハは1965年・1989年と革命の舞台になったバーツラフ広場だけを
この目で見れればいいという、ベルリンに行くまでの途中下車というふうにしか思ってなかったのだが、来てみてあまりのすばらしさにびっくりしてしまった。
プラハに来てよかった。
入国ビザをもう何日か余分にとっとけばよかったと後悔。
明日はここを出なきゃなんないんだと思うとすごく惜しい気がする。

なぜかプラハにはJazzのお店が多い。これって常識?


1990.11.15.Thu
天文時計のところで会った人から、僕はもういらないからとプラハの地図をもらった。
(ははは、私はちゃんとした地図もなしに歩いていたのだ)
文学堂というところがきれいだからと聞き、市電22番に乗って、早速行ってみた。
確かに、きれいなとこだ。
また教会のようなところに、とにかく年代物とでも言うのか、古いボロボロになった分厚い本がどっさり。天井から床まで並んでて、圧倒されてしまった。

夜、夜行列車の時間までまだ大分時間があるので、バーツラフ広場沿いのレストラン?で
夕食をとった。
たまたま席が隣だった、仕事でプラハに来てるというイタリア人のお兄さん。
お店のお客さんが出ていく時、なぜかみんなドアを開けっ放しにして帰って行く。
外はかなり寒い。お兄さんは、その度に ブツブツ 言いながらドアを閉めに行く。
とにかくビールはすごくおいしいし、お肉も安くておいしいお店なのに、なぜかこのお兄さん文句ばっかり言ってる。
とどめは、デザートのあま〜いケーキをおいてないと知った時。
「この店ケーキもおいてないんだぜ」なんて、わたしにブツブツぼやく。
なんともエネルギッシュなお兄さんだ。
私にとっては何ひとつ不服のない良いお店だったんだけどなぁ。
やっぱり人によって感じ方が違うんだ。

一人で旅行してるといろんな人に出会う。
どんなにきれいな景色をみるよりも、たくさんのいろんな人に出会うのがうれしい。
教育関係の仕事で日本からヨーロッパの小学校まわりをしてる人、卒業旅行とでも
いうのか、たまたまプラハに来て、よしっ新婚旅行は絶対プラハだと強く心に決めて次の
目的地ポーランドに向かう人・・・・・。
この旅行がなかったら一生会うこともなかっただろうと、道で一瞬すれ違うだけの人にも
そんなふうに思ってみたりして...。


ベルリンへの夜行列車に乗る為にこのバーツラフ広場を通って駅に向かう。

夜遅く駅でベルリン行きの列車を待ってると、デカイ犬をつれた20、30人くらいの制服を着た警察の人達が、ダダダダダダッーとすごい勢いでやってきた。
これを一斉取り締まりとでも言うんだろうか。
まずは最初に向かうのがバリバリのパンク少年・パンク少女のところ。
次にお酒に酔ったへんなおじさんたちの
ところへ。
みんな尋問?されてたなぁ。

犬恐怖症の私にとっては、警察のおじさんがこっちに来てもいいけど、
犬だけはこないでぇ〜と、祈った。



チェコスロバキアの学校でも最近は、学科も自由選択になって、強制的だったロシア語から
英語へと人気が集中しているという。
だから小学校の子でもチェコ語・ロシア語・英語を話す子がいるんだよと聞いて、
今度来るのはいつになるかわからないけれども、今度来たときは随分とこの街の雰囲気も
変わってるんだろうなぁと思いながら、ガタンガタン列車にゆられながら寝た。
...が、ここは夜行列車の中。
パスポート検査やら持ち物検査やらで夜中に何度も起こされ、なかなかゆっくりとは
寝かせてもらえない。
なかには、私のパスポートチェックをしながら、そこに書いてある私の名前をみて
「エ〜ミ、エ〜ミ、エェ〜ミィ ♪」と歌い出すコントローラー(パスポート検査の人)
の人までいる。
コンパートメントの中で1人、すきま風に耐えながら毛布にくるまって寝てるときなんかは
こういう明るいコントローラーの人だとなんだかホッとする。
しかし、今はみんな寝静まっている夜中である。
この時間にここまでハイな人がいるのが信じられなかった。




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