2つの

私は2つの夢をみる。
まず、夢としての夢。
そして、現実以上にリアルな、すべての意識や感覚を伴う現実体験としての夢。
そんな第2の夢には、ずっと悩まされてきた。
一番古い記憶では幼稚園の頃、たくさんの鬼に追いかけられて逃げまどっていた。
そして小学生の頃の夢では、
古く荘厳な巨大な寺の屋根にびっしりと乗って私に手を伸ばそうとしている
大小様々な色形の鬼たちを下に見ながら、寺の屋根を辛うじて飛び越えていった。
そう、寺の屋根の上には鬼がいるんだよ。知ってた?
鬼が出てこなくなると、次に出てきたのはなんだったかな。
思春期からも、不可解な夢体験に混乱し続けた。
悪夢週間がくると、寝るのが怖かった。
悪夢週間には、第2の夢ばかりが延々と続く。
それは、ある日突然始まり、ある日突然終わる。
悪夢週間と名付けたのは、もうそんなことが習慣化されたからだった。
つい最近、姉に言われた。
「あんた中学生頃によく、お姉ちゃん夢の中で助けてくれなかった。って泣きながら
起きてきたよね。そんなこと言われたってこっちは困っちゃうのにさ」ってね。
そう、中学生にもなって、夢に怯え、泣きながら起きてきていた。
実は今でもあるんだ。夢体験の中で泣いて泣いて泣いて、笑って笑って笑って、悲しんで、喜んで、怒って、悩んで、必死に問いかけて、問いかけて、問いかけて…。
この前なんて、夢の中で激しい怒りに燃え渾身の力を込めて人を殴った。あまりの手の痛さにびっくりして起きたら、なんてこと! 隣でスヤスヤと寝ていたかわいい息子のこと、殴っちゃっていたんだ。びっくりして、ごめんね、ごめんねってなでてさすって、抱きしめて…、どうしようもない自己嫌悪に陥ったよ。

教訓。

たとえ夢の中でも、
たとえ押さえきれない怒りがあったとしても、
やっぱり人を殴っちゃいけません。殴った人じゃない愛する人が、そして自分自身が、痛い思いをします。
はい。

こんな風にね、私は夢でずいぶんと学ばせてもらってきた。

きっと、私は誰よりも人生楽しんでいるね。
だって、現実の世界と同じように、夢の世界でも精一杯に生きているから。
ずいぶん昔の不可解な夢の種明かしを、現実の世界で唐突にぶっつけられて
パーン! とはじけるように目が開くこともあるよ。面白いな。
このごろ、そんな第2の夢に新しい傾向が生まれてね。
もっともっと面白いことになっているよ。
夢の内容をちゃんと話そうと思っても、言葉では
うまく説明なんてできないからやめておくけれど
たとえば、私は女なんだけど、最近の夢では男を体験したりしてる。
映画のマトリックスってあったよね。
それと似た境遇を、あの映画がつくられる前に、
男として夢の中で体験したことがあったから
映画の予告を見た時はびっくりしたよ。実際には、すごい苦悩の体験だったんだけれどさ。


これまでの私にとって、夢の体験は不可解で、恐怖でしかなかったのだけれど、
ここ何年かできちんと向き合えるようになりつつあると思う。

夢のこれからが、楽しみだよ。

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