とめどもなく…

報告者:say-umi ( 100年1月08日 01時30分23秒 )

私にとってオーラやオーラフィールドってよばれているものは
空気や触覚、感覚として感じとるもので、ヴィジュアルとして見えるもののうち
どれがオーラと呼ばれるものなのか、はっきりとはわからない。
音を聞くときにも、その質感やスピードや動き、たとえば物を噛むときに
歯が感じる微妙な圧力のようなものとしては感じられても、山川さんのように音色は見えない。
山川さんが見ているはじける色を、見てみたいです。

私が目を開けているとき見えるものにはいくつか種類があって、
それらを見るにはそれぞれに周波数が微妙に違う。
たとえば手を目の前にかざしたときに見える物を思いつくままに書くと
皮膚の表面を薄く覆う霧のような白い膜とたちのぼる火炎のような湯気。これは小さな粒子がきれい。
次に、スターウォーズの険を覆う光のように指を覆っている厚みをもったデジタルカラーの光。
もうひとつが、指の先から放射するように出ている直線的な光。

他に見えるものでは、
くねくねと踊る小さなたくさんの光の粒。これは、昼間、空を見れば天気にかかわらず見えやすいし、
日の射し込んだ部屋の中でもみえる。
次に、自分のまわりにゾワゾワザワザワボウボウとたちのぼっている
かげろうのような動きをするにぎやかなざわめき。
これは、夜でも昼でも外でも家でもどこでも見える。これは自分のまわりというより、
すべての空間がそのざわめきにうめつくされているようにも感じる。
あと、色鉛筆かなにかで書いたような、整然としたとても美しく細かな幾何学模様。これには色がある。
それから、霧雨と間違えてしまう、空からはげしく降り注ぐ小さな粒子たち。
もうひとつ、目の前に順番に繰り返し集まってくる光と陰。
この集まってくる光はそのうちあざやかな紫になり、
その頃には周りの景色から色が薄れ、眉間に集まる光と陰の周りは暗くなっていってしまう。
これらには意識的に周波数を合わせて、見ることができる。
こういったものを見るコツは、星かな。暗い星は、その星を一生懸命見ても見えないんだけど
近くの明るい星を見ていると、視界のはじっこにはっきりくっきりと見えたりするよね。
その感覚、その周波数のままに視線を移すと、その暗い星がちゃんと見える。
一生懸命見ちゃダメなんだね、ちょっと周波数をずらして見る。
そして、一度見えたらその周波数を記憶しておくんだ。

これが山川さんが見てるオーラかな、と思えたのは
小高い丘から街を見下ろしていたときに見えた街を覆う淡いピンク色と、層になったグレー。
それから雨の空に羽ばたくひばりの周囲をとりまいていた、美しい透明な萌葱いろの光。
その二つかな。これは意識的に見ることができない。周波数をつかまえられない。

山川さんの言葉を借りると意識的に見えるものはみんなざこキャラで
セフィロスみたいなのはね
私が勝手に空っぽって呼んでいた、宇宙のようなそこにあると思うんだ。
オーラかな、と思えた光も、その空っぽ、第三の目っていうのかな。そこで見てるんだと思う。
その空っぽは自分の中にあって、それを感じているときには
自分自身が、たとえば肉体が消えていて、自分はその空っぽそのものになっている。
山川さんの本読むと、それは魂のコアの部分なのかもしれないね。
その空っぽでは、山川さんの言うとおり、きっと不可能なことはない。
そこは、時であり同時に空間でもあるからね。
そして、そこは自分であると同時に、すべてでもあって、つまり、
すべてのものと自分との区別がなくなっている。
だから、たとえば私が生まれた時からずっと友達というか、母のような、もしかしたらそれ以上に
とても親しいドラセナの木があるんだけど、そのドラセナの木との交流はきっと
無意識のうちにこの空っぽを通してしているんだろうなと思う。
この空っぽってものは、不思議なことをたくさん経験させてくれるね。
わかりやすいことでは人や物との出会いとか、予知とか、シンクロニシティとかね。
でも中には難解で意味が理解できない経験もあって、
これまでとてつもない恐怖にとらわれてきたのも事実。
たとえば、今までに2回ほど、ここで声をきいた。とても大切な、意味深い言葉。
その声は耳で聞くんじゃなくて、意識に直接しみこんでくるように聞こえる。
きっと、一般的に言われる神の声っていうのはこれのことじゃないかな、と思う。
だって私がその声を聞いたのは2回とも、どうしようもなく混乱し、必死の叫びをあげた時だったから。
そしてその言葉を聞いた後、2回とも、別の世界へぽーんと放り込まれた。
その世界はこの世界以上にリアルで、カラフルでくっきりと美しいデジタルの光の世界。
とても意味深く大切な情報がたくさんあるように感じられる
見知らぬ場所、見知らぬ人、見慣れぬ風景、わきあがる様々な感情、冷静な思考、
ただ、私にはその情報の意味がわからなくて、長いこと悩まされ続けた。
その経験は人に説明しきなくて、だから誰にも理解してもらえず、孤独で不安だった。
私は、頭が狂っちゃったんじゃないかとも思った。
今はね、山川さんの本に出会ってからは、とても冷静にその経験を受け止められるよ。
意味はまだ理解しきれていないけれどね。
そして、その世界の中には、過去や未来も含まれていたんじゃないかとも思う。
意識的にそこに行くことさえできれば、きっと瞬間移動も、タイムスリップも可能だよ。

声だけじゃなくてね、その空っぽに人が飛び込んでくることもあるよ。
私にはその人が、私を見守ってくれている魂に感じられて、すごく暖かく懐かしく嬉しい。
前に魔についての投稿で、サイババのことを書いたけど、あの時も
私が思い描いたというより、私の空っぽの中にヴィジョンがとびこんできたんだ。
金色の光に包まれてね。
でも私はサイババについて何も知らないし、顔だって思い描けない。
ほんとにサイババだったのか?って聞かれたらもちろん自信ない。
でもね、別にどうでもいいんだ。それがサイババじゃなくたって、サイババが
神の化身じゃなくたって、どうでもいいの。
私が助けを求め、私を救うために私が望む形をもってとびこんできてくれたその魂に
私は感謝してるよ。これも周波数がその魂と合ったからこそ可能だったんだと思うしね。

あ、事後報告だけど、あれから魔や悪の存在はしっかりと認識できました。
もう、目をふさぐことはしないで、ありのままを受け入れられるように思います。
そして、あれ以降、不思議なことに金縛りは一切おきていないんだよね。
思春期の金縛りは意志とは別に起きた様に思うけれど、年齢を重ねた今は、
金縛りを意識的に呼び起こすことも、さらに意志をもって起こさないことも可能なんだということが
わかりました。

なんだか話があちこちにとんで、何書きたかったのか、わからなくなってしまいました。
とめどもない話でごめんなさい。今日はここまでにしますね。




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