個であること

言葉への変換は、自分でしたい。

時も、場所も、すべてが一緒に存在する場所がある。もしかしたら、すべてが意味をなさない軸がある。そこでは、過去も未来も現在も、私もあなたも、あそこもここも、すべてが存在し、あるいはすべてがない。
どうやら、それを集合的無意識というらしい。
あるいは、魂というらしい。
あるいは、宇宙というらしい。

あるいは、神というらしい。


きっと、世界中のたくさんの人がその存在を感じ、だからそんな言葉があるのだと思う。

そこで考える。人生を考える。生きている自分の存在を考える。自分とは何かを考える。
私は、誰なんだろう。私は何なのだろう。私は存在しているのだろうか。私は、客観的に、いるのだろうか。
きっと、ずっと昔からたくさんの人々が考え尽くしてきている考察。
今なお、考察は続いている。

わかろうとは思わない。
感じていたい。
そんな感覚をとぎすまし、感じていたい。

過去、未来、すべてを包括するその感覚を、ゆっくりと何度も繰り返し繰り返し、味わっていたい。
なんのため?

気持ちいいから。
幸福感を得られるから。

宗教みたい?

私、宗教は嫌いだよ。人は一人一人がきちんと個でなくては気持ち悪いよ。
宗教は集団だよ。宗教には答えが用意されているよ。
私にはそれが納得いかない。
私のように、頭の悪い人間でも感じられる感覚を
子どもたちも感じている感覚を、
がんじがらめの言葉にとじこめて、解説され、教えられるのはいやだよ。

感覚は感覚として体感したいよ。
言葉として受け取ったことを、どうやって自分の感覚にときほぐし、変換していくの?
それはとっても難しいことだと思うよ。
私にできるとは、思えない。
宗教にはまっているあの人も、あの人も、ちゃんと個として感じているかしら。
言葉につかまって、盲目になっていないかしら。

宗教はどれもが確かに正しくて、それでも個々に届くとき少しずつゆがんでいく。

私は、感覚をとぎすまして、自分の中で自分なりの言葉に変換していきたいな。

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