未来を知っていた

 小学生の頃、友人の発表会かなにかで、友人とその家族とともに都心に出たことがあった。その友達が電車の中で言った言葉がずっと心にひっかかって残っていた。その言葉は「チャペル」。チャペル? チャペル。チャペルってなんだろう。そのかにぎやかな響きがずっと心にひっかかっていた。
これから書く出来事は、初めて聞いた言葉「チャペル」、めずらしい友達との遠出、いきなり消された視界、そんな特殊な状況が重なったために大人になるまで忘れずに覚えていられたのだと思っています。

 平凡な大学生活を送っていたある日、何の用があったのか地下鉄に乗り、ぼんやりと外を眺めていた。地下鉄の窓の外には、いつも体育の授業を受けている大学の運動場が見えていた。

 と、一瞬にして真っ暗に視界が閉ざされた。トンネルに入ったのだ。その瞬間、小学生の時のあの風景がフラッシュバックのように甦った。

 私は友人と窓にしがみついて外を眺めていた。友人が言った。「あ! あそこの大学のチャペルでね、●●●が結婚式あげたんだよ!」チャペル? 何それ? 私はあわてて窓の外の景色に目を凝らした。そのとたん、一瞬にして真っ暗に視界が閉ざされた。トンネルに入ったのだ。

 私は、チャペルという言葉を知らなかった。そして、チャペルってなあに? と素直に聞くことのできない子だった。知らないことが、くやしかったからね。たぶん1秒も見ていないにもかかわらず、その一瞬にして消えた景色は、私の脳裏に焼き付いて離れなくなった。そして、その景色を見ていた1秒足らずの瞬間に私の感じた感覚そのものも、一緒に焼き付いていた。

 その感覚。それは、「あぁ、ここは私が来るところだ」というもの。来るかもしれない、いつか来たい、そういう感覚ではなく、そして決して劇的な感情ではない。淡々と、知っていることをただ知っている、無意識の領域ですでに刷り込まれて知っているような感覚。

 大学で結婚? 大学って勉強するところじゃないのかな。どうして結婚なんだろう。チャペルって何だろう。チャペル、チャペル、お菓子みたいで、なんだかにぎやかな響き。チャペルで結婚って、どういうことだろう。小学生の私の中ではとっても大きな疑問だった。でも友達に確かめることはしなかった。そして、長いこと、この疑問は私の中に存在し、それとともにあの一瞬の出来事が自然に思い起こされることとなった。そして、一瞬の無意識の感覚も無意識のうちに同時に思い起こされていたのかもしれない。

 大学生になった。そんな記憶とは無関係に、大学生になった。そしてある日、たまたま地下鉄に乗った。見た風景は、記憶の中の風景そのものだった。私の大学、チャペル…。

 記憶は変わるもの。確かにそうだと思う。記憶はつくられるもの。それもそうだと思う。だから、この出来事も、あとから過去に遡ってつくられた記憶なのかもしれない。それでも、私にとっては衝撃的な体験でした。
この大学に来ることを、幼い頃に知っていた…。なぜ?

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