1998年10月4日、夢を見た。
蒙古系の、でも日本人ではない、カーキの服を着て、カーキのヘルメットをかぶり
大きな機関銃かなにかを肩に下げて、小柄な兵隊が2偕の窓へはい上がってくる。
私は、2偕のトイレの穴にかくれている。(もちろん水洗トイレではない)
穴の中にいながら普通だったら見えるはずのない、外の壁をつたう兵隊の姿がはっきりと見える。もう逃げ出すことはできない。
ここで息を潜めていること以外に、もう何もできない。
汚臭と、体にまとわりつく嫌な感触の中、
私は、なんてみっともないんだろうと思う。
こんなところに隠れていること、
堂々と出て行って戦わないこと。
それと同時に、確実に、兵隊が私をみつけるであろうこと、
私を確実に撃ち殺すことへの恐怖と焦りで
めまいがする。息が止まる。
兵士が、窓から部屋へ飛び降り、近づいてくる様子がはっきりと見える。
最初の戸を開ければ、そこに私がいる。確実にみつかる。絶体絶命だ。

こんな状況で、助かった人はいるのだろうか。

冷や汗を手に握りながら、必死に、そう問いかけた。
とたんに

「いる。私だ。」

例の声がした。魂に直接響くように聞こえるその声だった。
そこは、草原のように、やわらかな草が一面に生えた丘だった。
男が立っていた。大人の男。髪はみじかく、大柄の蒙古人、でも日本人ではない。
彼は丘に立ち、私は彼と話し始める。
いや、私は、私はきっと彼と話している女性だろう。そう思う。
でも、私には彼や、その女性に興味はなかった。
私は、その草の生えた丘そのものに、興味があった。
私は、その女性から離れて、左に視線をゆっくりとうつす。
不思議な視覚に、少しおどろきながら。

なめらかに、ビデオカメラでなめるように、画面をなめらかにスクロールしていくように風景が見える。まばたきがない。決して途切れることはなく、流れるような視覚。
そして何より、強烈なコントラストと光の強さ。まぶしくはない。
ただ、至福の美しさだった。
私の左手には、円柱ではない、多角形の黒みがかったとても太い木の柱が立っていた。
その柱をゆっくりと、なめるように見上げていくと、
上の方は複雑な木組みになっていて、青い空があった。
こんなに光に溢れた空をみたことがない。
木の柱と、木組みと、青い空、
あまりにも美しい。こんなにも美しい視覚を得たことがない。
視力の悪い私が未だかつて見たことのない鮮明さだった。
起きたら、絶対に絵に描こう。
そう考えて、細かいところまで、一生懸命に凝視した。
それから、上を見上げたまま、視線を左にゆっくりなめていくと、
驚いたことに、木組みは多角形の柱から、さらに左に続いている。
そして、対称に、多角形の柱が立っている。
一本だと思っていた多角形の柱は、向こう側にもあるんだ。
ゆっくりと視線を退いていくと

そう、それは、丘の上の一番高いところからやや下に建っている、
荘厳な大きな木の門だった。

そこからさらに視線を左へ流していく。
丘を降り、平坦な大地となる。
草のはえていない堅くて白い大地。
塔がある。中程がゆるやかにふくらんだ円錐の塔。
白っぽいその塔は、金属のような丸い輪で飾られている。
蒙古系の人が数人、パラパラと見える。
さらに左に視線を流す。
光の洪水になった。
赤、青、黄色、緑、あざやかな光の洪水だった。
私は、最初の草の丘の、荘厳な門に戻りたかった。

このまま、左に視線をうつしていけば、ぐるっと一周して、
もどるはずだと思った。
左に、左にと、一生懸命視線を流していった。
でも、もう、二度とあの丘にはたどり着かなかった。

二度と光の洪水の中から抜け出すことは、できなかった。

それで、夢は終わり、私は起きてすぐにノートをひらき、
鉛筆をはしらせた。

でも、描けなかった。
絶対に描こうと思っていたのに、
あまりにも難しかった。
複雑な木組みの構造が、わからない。
描けない。
美しい色も、あの光も、私には描けなかった。

最近、チベットと中国との戦いの様子をテレビでみた。
あの夢は、チベットでの出来事かもしれないと思った。(2000年4月30日)

夢TOPへ戻る