中学生の頃
暗闇の中意識だけが浮いていた
 
夜寝ていて、ふと気が付くと真っ暗闇のスカーンとした宙に、上も下も右も左もなく、そして自分もなかった。意識だけが形もなく大きさもなく浮いていた。
 暗闇に意識だけが浮かんでいることを自覚し、まず「どうしてこんな所にいるんだろう」と考え、そしてハッとした。「死んだんだ」と思った。空間がゆがむほどに動揺した。どうして死んだのだろう、という疑問とともに、なんとしてでももとの世界にもどりたいと真剣に願った。
 おもむろに、言葉が響いた。聞こえた。誰かもしくは何かに言われた。言葉を聞いた。ここ、地球の人々が生活する世界、あの世ではないこの世界に2週間だったか、ある一定の期間だけ行くように、あるいは行っていい。そういった意味のことを耳からでなく(そうだ耳なんてなかったはずだもの)意識として聞いた。
 その瞬間、あざやかな世界にいた。山のトンネルを出てすぐ、道ばたの排水溝の高さから、すぐ目の前で枯れ葉が風にカラカラと回っているのを見ていた。ハイヒールのくつが転がっている。現実的でない高さからの視線。
 一瞬にして四畳半程度の小さな古い部屋の電気の上へ。これも現実的でない高さからの視線。知らない部屋。机に向かう知らない男の後ろ姿に必死に呼びかける。「ねぇ、ねぇ、」って。男は何かを書いている。いくら呼びかけても男は気付いてくれず、その後もいろんな場所に瞬間移動しては知らない人に必死に呼びかけている。赤いタイトスカートの女性が横断歩道の雑踏を歩いている。その後ろ、腰の高さの視線から呼びかける。誰1人気付いてはくれず、さびしくてさびしくて苦しくて苦しくて辛くて辛くて狂おしくさびしかった。
 あまりのさびしさに夢から覚め、起きあがり、考え込んでしまった。あまりにもさびしさの感情がリアルで、夢とは思えなかった。いつか私は山のトンネルを出たところで死ぬのかな。風の強い日にハイヒールをはいて…。私が必死で呼びかけていた知らない人々は、私が未来に出会う大切な人々なのかな。
まだ子供だった私はすごく怯えていた。

高校生の頃
記憶に残る金縛り
その頃はたびたび金縛りに合いました。その中のひとつ。
 夢で友人と吉祥寺駅のホームに続く階段をのぼっている。のぼりきるとちょうど電車がきてドアが開く。乗り込むと同時に、友達をおいて、私1人が右手の通路にふーっとなにかにひかれるように進み出す。友達のところへ戻ろうとしてもひかれる力が強く、どんどん加速して勝手に進んでしまう。轟音。気付くとあたりはまっくらなトンネル。なぜそっちに進んでしまうのかわからないままにすごいスピードで加速していく。トンネルの先にまばゆいばかりの白い光が見え、一瞬にして光の中へと滑り上がる。右に白い服、長い髪の大人の女性が上半身だけ見え「私だ」と思った瞬間に金縛りとなる。
 これも夢にしてはあまりにリアル。大人になって長い髪にしたときに私は死ぬのかな、とか考えすごく怖かった。その頃の私は元気いっぱいの水泳部で真っ黒に日焼けしてショートヘア、夢で見た女性は髪も長く大人で当時の自分とは似ても似つかなかった。
 その後大人になり、金縛りのことも忘れオートバイに乗り始めた頃、長い直線のトンネルを走っていて突然ふたつの夢が甦り、頭がとんがって失神しそうになった。轟音とトンネルと先の白い光と、あまりにも似たシチュエーションだった。ハンドルを握る手が、他人のものみたいになって、もうダメかと思った。それ以来、髪の毛をロングにできない。トンネルに入ると体と意識がバラバラになって、極端にスピードが落ちてしまう。死への恐怖。
 心理カウンセラーの知人に夢のことをチラッと聞いてみたら「トンネルのむこうの光はきっと誕生の記憶よ。暗闇に意識だけが浮かんでいるのはチュウカンセイね」といわれた。もしそうなら怖がることなかったな、とも想う今日この頃です。それにしてもチュウカンセイって中間生とでも書くのかな。生命と生命の間の生なんじゃないかと、勝手に解釈しているのだけれど、もしそうだとすれば輪廻もあるかもしれず、もしあるとすれば、あのさびしさは、私の前世の記憶かもしれなくて、でも私にはまだそうだという確信はないんですね。輪廻なんてばかにしていたけれど、もしかしたらあるのかも知れないな、ぐらいに今は思っています。(1998年10月)

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