児童書の世界へ

絵本を読もう 昔話を読もう 児童書を読もう
家族・母子・父子


a day(Sylia1990 by say-umi)

小学生(中学年)から
バイバイわたしのおうち
作・ジャックリーン・ウィルソン 訳・小竹由美子(偕成社)
 両親が離婚をしたら、わたしはどうしたらいいんだろう。どこがわたしのおうちなんだろう。両親が離婚をし、お父さんにもお母さんにも再婚相手がいて、ひとりっ子だったわたしに、突然5人もの...さらに6人目のきょうだいまでができてしまいます。

子どもの言葉より
この本、すごく面白いよ。でも、これって、ハッピーエンドじゃない。どう考えたって、これは幸せじゃない。やっぱりマルベリーの家に帰ってお父さんとお母さんとみんなで暮らせて初めて幸せだと思うから、この結末は、いいのか悪いのかわからないなぁ。(2006.7息子中1)

イギリスのこども達が審査員になって選ぶ<チルドレンズ・ブック賞>を受賞したというこの本は、ごく普通の少女である「わたし」の複雑な思いがテンポよく語られていて、とても楽しく読めます。内容はとても深刻なはずなのに、どうしてこんなに楽しいのでしょう。「わたし」は全然楽しいはずがないのに、「わたし」の思っていることを読むのが面白いのはどうしてなのでしょう。それは、どこにも嫌らしい大人からのお仕着せが感じられないからだと思います。登場人物の誰もがみんな「それなり」で、特にいい人も、特に悪い人もいなくて、「わたし」だって特にいい子でも悪い子でもなく、特別にみにくいわけでもないけれど、特別にかわいらしくもない。ごくごく等身大の「わたし」なのです。置かれた状況も決して良くなったりはしないけれど、それなりになんとなく折り合いがついていって、決してよくも悪くもないけれど、ごくごく普通の状況として「ありのまま」がみとめられていきます。もちろん現実の世界において、私たちも特にいい人でも悪い人でもなく「それなり」で、あぁ、この人は私みたい、あぁ、こんなところも私みたい...などと重ね合わせられて、結局それでもなんとかやっていかれるものなのだと、少し勇気づけられるようです。

しかし、こんな現実があちこちにあるのだとすると、それはやはりキツイことだと思います。

恐る恐る息子に聞いてみました。ママとパパが離婚したとき、どうだった?

「よくわかってなかったから、何とも思わなかったよ。でも1回だけ、夜、2人で喧嘩していたのを覚えてるよ。その声で起きて、トイレに行ったら写真が破られてた。あとね、この家に初めて来た日に水かけられたのを覚えている。」と言って吹き出し、2人で大笑いしました。鍵をもらって初めてこの家を下見に来たとき、あちこちを探検してまわっていた息子がお風呂場の蛇口をひねり、洋服のままでシャワーの冷水をもろに浴びてしまい、みんなで大笑いをしたのでした。「それと、引越の前にママとこの床とかを雑巾がけしたのがすごく楽しかった。」なるほどね、そうでした。我が家の離婚では、その後の生活が希望に満ちとても楽しくて、悲しい記憶を笑いの記憶がぬりかえてくれたようです。だからこそこれから先、ママとだけではなく、大好きなパパとの楽しい思い出をもたくさんたくさんつくっていって欲しいと心から願っています。(2006.7)

小学生(高学年)から

元気なモファットきょうだい
ジェーンはまんなかさん
すえっ子のルーファス
作・エレナー・エスティス 訳・渡辺茂男(岩波書店)
モファット博物館
作・エレナー・エスティス 訳・松野正子(岩波書店)

 私がエレナー・エスティスの作品に初めて心をとめたのは、何年か前に『ガラス山の魔女たち』を読んだときでした。とても新しく感じられるこの物語が、実はもう何十年も前に書かれていたことに驚くとともに、この作者は子どもの頃の自分の感性を忘れていない人だと、興味を持ちました。それで今回は同じ作者のモファットきょうだいシリーズを読んでみることにしました。
 このモファットきょうだいシリーズは、大人だったら慌ただしさの中で見過ごしてしまうような日常の小さな出来事が、子どもにとっては一大事で、その一大事が、豊かに子どもの心を動かし、成長の足がかりになっているのだということを、思い出させてくれます。
 私は、子ども達が日々語ってくれるそうした大きな感動を、その場限りでしかない目先の手仕事に心奪われ、神経をとがらせ耳を閉じ、聞きのがしていることがどれほど多いことでしょう。せっかくの、大きな感動を分かち合うチャンスをみすみす棒に振るなんて、もったいないことです。本の中のモファットきょうだいに見るまでもなく、我が子達が、目の前で、生きた経験を語っているのですから。
(2005.7)

小学生(低学年)から
わたしたちのトビアス ES
編/セシリア=スベドベリ 絵・文/トビアスの兄弟 訳/山内清子 (偕成社)
 障害をもった人が周囲にいないと障害について何もわかりません。わからないとこわい。でもこわがらないで「知り合おう」とこの本は言っている。そう、マザー・テレサの言葉を思い出しました。愛はお互いに知り合おうとすることから始まると・・・。
 続編まで全部図書館で読んでしまってから、一冊目のこの本だけを借りてきました。この本の編者であるトビアスのお母さんは、本を出してすぐに亡くなってしまうのですが、続編では新しいお母さんがむかえられ、トビアスは兄弟とともにたくましい青年へと成長していきます。
 本の内容が興味深いのはもちろんでしょうが、たくさんの問題?をかかえる2児の母である私としては、母の死、新しい母、そういった背景の方に意識がいってしまいました。私自身の限りある生と死、子ども達とともに今、何を大切と考え、どう生きるか。 (2003.1)

小学生(中学年)から
屋根うらべやにきた魚
作・山下明生 絵・太田大八(岩波書店)
 海の波、におい。生活。ホウボウという名の魚。シュールな内容のはずが、しっかりとした実在感を感じる。小4娘の心からしばらく離れなかった本。

子どもの言葉より
 なんでだろう。読み終わったら、悲しくないはずなのに、涙が出そうになって思わず手をあわせちゃったの。(2002.1 娘小4)

幼児(4〜5歳)から
こぎつねコンとこだぬきポン
作・松野正子 絵・二俣英五郎(童心社)
 きつねとたぬきの家は代々続く犬猿の仲。こどもたちの世界は、過去に捕らわれず、未来への希望が溢れています。今の世の中でも、こどもたちの世界を通して、大人が固い心を少しずつ開いていかれるといいのですが…。(2002.1)

幼児(4〜5歳)から
くんちゃんとふゆのパーティーES
作/ドロシー・マリノ 訳/まさきるりこ(ぺんぎん社)
 もみの木というのは、もともとは切ってくるものなのですね。それにしてもなんて暖かいお母さんとお父さんなんでしょう。理想のお父さんお母さん像です。

私はいつも「それダメ、あれダメ」ばかりでイガイガしている。余裕がないなぁ。くんちゃんシリーズを読むたびに、反省しかり。

中学生から
オオカミのようにやさしく ES
作/G・クロス 訳/青海恵子(岩波書店)
 現実とはなにか。ごく普通と思われる祖母との暮らし、突拍子もない母との暮らし、まったく異なる価値観で暮らす人々に翻弄され、ごく普通の少女は混乱し、それでも自分自身を見つけていく。プラスチック爆弾、テロ、スクォッター、慣れない言葉が並ぶ中、それを現実として生きる少女がいることは、同年代の娘にとって衝撃だっただろう。オオカミという動物が物語にうまく絡んでいる。(2002.11 娘小5)

児童書の世界へ