子ども達の犯罪が続くせいかな。
夢をみたよ。第2の夢。
ひと月くらい前かな。
白っぽい夢だった。かすみのような白っぽい世界。

男とも女ともわからない、ショートカットの子どもが、荒れているんだ。校庭かな。学校。広いところ。
年齢はいくつぐらいだろう。身長は140センチ程度。
何か長いものをもって、ふりまわしている。それによって、傷つく子ども達が見える。
私は、そうだな、だいたい20mぐらい離れたところにいて、それを見つけるんだ。
私は、近づいていくよ。
その子どもは、まさに邪悪なものにとりつかれようとしている。
一度とりつかれると、その暖かな子ども自身を取り返すのはとても大変なこと。
私は、子どもを抱き上げるよ。横抱きにね。
子どもは、思ったようには反発しない。おとなしく抱きあげられてしまった。拍子抜けした。おどろいた。
ただ見開いただけの大きな目はどす黒いくまに囲まれ、精気がまったく感じられない。
私を見ているのかどうかすらわからない。意志が何も感じられない。
ひんやりとした肌触り。体温は低い。うっすらと体温とやわらかさを感じるものの、肉の厚みは全く感じられない。
とても細い。骨と皮だけ。
私でも、抱き上げられるほどの軽さ。

私は、子どもを抱えたまま、なぜだかくるくると右にまわる。
とりつかせないためには、右にまわり続けるしかない。
邪悪なものが容赦なくおそってくる。轟音と重量。闇。
私は、体力が続かない。いくら軽いとはいえ、子どもを抱えたまま邪悪なものをふりきり、ふりきり、回るのはきつい。おそろしい体力を使う。
何度も、もう回れないと思う。へたりこんでしまいそうになる。
邪悪なものが強い力で私を押しつぶそうとする。
必死に子どもを抱えなおし、必死にまわる。
何のためでもない。ただ、そうせざるを得なかった。ただ、そうしてしまっていた。

容赦なく襲ってくる邪悪なものに、もうダメだと諦めかけ、回るのをゆるめると、邪悪なものは消えた。
必死になっている間には、容赦なくおそってきていた邪悪なものは、
私が力を弱めると、おそってはこなかった。
私は、余韻のままに、右にゆっくりとまわっていた。力を抜いて、まわっていた。子どもを抱えたまま、まわっていた。

夢の中で切実に考えたこと。
私は体力がたりない。
力が足りない。
力をつけなくては、邪悪なものと戦うことはできない。
こどもたちを助けることはできない。


<目覚めてからの考察>

どういうことだろう。
戦っちゃ、いけなかったの?
邪悪なものと力の限りに戦うことは、無意味だった? 体力の浪費?
戦うことをあきらめざるを得ないほど体力を使い果たした時、戦う意志が弱まるのと同時に邪悪なものは消えてしまった。どうして?
以前、意志をもたずに夢をなるにまかせていた頃は、その邪悪なもののなすがまま、翻弄され、最終的には金縛りになった。今、邪悪なものと私との関係が、変化してきているのかな。

私は、人を助けようと思ったのかな? そんな体力はないのに。そんな良心はないと思っていたのに。
私には、自分を捨ててまで知らない子どもの魂を救いたいと考えるだけの余裕があるとは思えない。なんであんなことしたんだろう。どうして右回りなんだろう。どうしてそうすると邪悪なものから逃れられるんだろう。

今思えば、邪悪なものと感じたものは轟音と、闇の重さで私を襲ってきた。きっと現実には、邪悪と感じたものは金縛りの第一段階だったんだと思う。そこから私自身が逃れようとしていた。

金縛りは、やっぱり邪悪なもののなす仕業なのかな。
(2000.6.18)

今朝の朝刊を見て、衝撃が走った。めまいに字を追えなくなった。

こどもが、こどもというにはもう大きすぎるこどもが、
犯罪を犯した。
バットを振り回して、周りのこども達を傷つけ…。
その後、彼は…。

そうだ、もしかしたら、邪悪なものは、私が力を緩めたとき、
私を襲うのをやめた。私を襲うのを。私を。
邪悪なものは、こどもにとりついてしまったのかもしれない。
狙ったとおり、こどもに…。
私には、こどもを救う力がなかった。救うことなんてできやしなかった。

力をつけよう。私は、弱すぎる。
力をつけよう。力が弱ければ、意志があったとしても及ばない。

夢の中で切実に感じたことは、そのまま素直に受け取ろう。
考察することで、夢の真意を失わないようにしよう。

このままでは、何もできない。力をつけよう。
鍛えよう。
弱い。私。

新聞の事件と、私の夢。関係があるかどうかなんてどうでもいい。私はそこからただ、夢の真意を見極めたい。夢の真意に耳を傾けていたい。

(2000.6.22)

あまりにもやるせないことが多すぎる。悲しいこと、辛いこと、嫌なこと、不運な状況、病気、ケガ、なんでそんなものごとがあるんだろう。どうしてみんなが幸せじゃ、いけないんだろう。罪のない子供が、罪のない人が、なぜ苦しまなければいけないんだろう。力をつけるって、強くなるって、どういうことだろう。私にできること。私がしたいこと。それはなんだろう。

淡々と考え続けてきた。

今は、楽しむことかな、と思っている。楽しみたいことを我慢しないで、ちゃんと楽しむ。そうしたら、どんどん力が増してくるような気がする。辛いこと、悲しいこと、病気、苦しみ、そんなものごとに向かい合い、じっくりながめ味わうことはやめよう。そんなことをしていたら、私は消耗していく一方だ。

力をつける。そのためには、思い切って顔を上げ、目を見開いて前をみること。楽しむこと。そんな風に思う。悲しみも、苦しみも、ふりきって、ふりきって、やってみるよ。

(2000.8.29)

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