児童書の世界へ

絵本を読もう 昔話を読もう 児童書を読もう
竜 ドラゴン 怪獣

幼児から
かいじゅうたちのいるところ
作/モーリス・センダック 訳/神宮輝夫
 オオカミの着ぐるみを着てあばれまわったお仕置きに夕飯抜きで寝室に閉じこめられてしまったマックスは、不機嫌きわまりない顔でドアの向こうをにらみつけています。描かれてはいないけれど、きっとドアの向こうに居るであろうマックスのお母さんも、マックスと同じ不機嫌きわまりない顔でいるのでしょう。そんな不機嫌なマックスの寝室に、にょきにょきと木が生え始めます。みるみるうちに森になり、現れたボートに乗って行った先はかいじゅうたちのいるところ。

 怪獣というと、ウルトラマンなどに出てくる爬虫類に似たグロテスクな姿を思い浮かべがちですが、この本に出てくるぎょろぎょろ目玉の丸っこいかいじゅうたちは、どことなくユーモラスです。よくよく見れば、誰かのお母さんに似ているような、似ていないような...。

 ページをめくるたびに確実に絵本の世界に引き込まれ、見開きいっぱいに描かれたかいじゅうたちのいるところのシーンにたどり着く頃には、読み手の子どもも大人も、すっかりマックスと一緒にその場に入り込んでしまうことができます。そして、かいじゅうたちと思う存分遊んだ後にはやっぱり家が恋しくなり、ボートに乗っていつもの寝室へと戻ってきます。戻ってきたマックスの顔は、始めと違ってとても穏やかです。そして、きっとドアの向こうにいるであろうマックスのお母さんも、同じように穏やかな顔でいることでしょう。さて、マックスがかいじゅうたちのいるところへ行っている間、お母さんはいったいどこで何をしていたのだと思いますか?

家の常備本!
幼児(年中)から
エルマーのぼうけん
作/ルース・スタイルス・ガネット 絵/ルース・クリスマン・ガネット
 いわずもがなの名作。小学校入学のお祝いには、迷わずこの3冊セットをお勧めします。できれば毎日少しずつ、読んで聞かせてあげてください。
 また、中学校入学、もしくは卒業のお祝いには、英語版Three Tales of My Father's Dragonと、英語ナレーションCDThree Tales of My Father's Dragonのセットがお勧めです。内容をすでに知っているならば、中学校レベルの英語力で十分に楽しむことができます。子どもの頃に読んで内容を知っている大人にも、思わぬ発見が楽しめる原書を読み返してみることをお勧めします。

幼児から
ほしになったりゅうのきば―中国民話
文/君島久子 絵/赤羽末吉(福音館書店)
 龍のきょうだい喧嘩によって、空に裂け目ができてしまい、世の中はその裂け目から降る雹や雨で暗く荒んでしまいました。その裂け目を閉じるために、石から生まれた若者サンが立ち上がり、困難な旅に出ます。

 頭に浮かぶ映像や声に出す音の響きががとても美しい本です。思いの外長いし、読むのにもそれなりに時間はかかりますが、読んでいて退屈をする箇所がどこにもありません。繰り返し場面場面がどれも印象的で、ワクワクさせられます。大きな本を縦に使い、見開きいっぱいに描かれた岩山は迫力があり、花に乗った娘がその上から音をたてて降りてくる様には、身が震えるような神秘さがあります。

子どもの言葉より
私、この本の内容はそんなに好きだったわけじゃないと思うけれど、山の上から声がこだまみたいに響いてくる「いかーん いかーん いかーん」のところとか、ママの読み方のせいかなぁ。すごく印象に残っているよ。(2006.5 中三娘)

 この話の発端である龍の喧嘩の原因は、桃の取り合いです。古来より中国では、桃が霊力をもち、不老長寿の薬効をもつと考えられてきたといいます。個人的にも、あのやわらかな色合い、形、色、香りは女性のやわらかさや神秘性をイメージさせるように思います。日本において桃の節句は女の子の厄よけや健康を祈願するものですし、英雄の桃太郎はまさにその桃から誕生します。

 この民話では神にも等しい存在である龍がそういった桃をめぐって争うことにより、世界の均衡が崩れ、結局は痛い思いだけをした龍が惨めな思いをして小さくなっています。何か、現代でも似たようなことがあちこちで起きているようではありませんか。

また、そんな崩壊した世界を救うことのできる英雄が、石から生まれた若者というのも興味深いです。石から生まれたと言えば、やはり中国の孫悟空が頭に浮かびます。どんな逆境にも立ち向かえるだけの人間離れした力をもつ英雄は、やはり人間以外の、自然の力によって生まれた何かである必要があるのでしょう。

古くから伝わる民話は、ただの作り話ではなく、その奥底に計り知れない多くのことを隠し持っているので、大人でもたいへん興味深く読めます。

小学生(中学年)から
竜の巣
作/富安陽子 (ポプラ社)
 2人の兄弟が連休をおじいちゃんの家で過ごすために、電車に乗ってやってきました。その途中、おじいちゃんが窓の外の山にかかる雲を見て話を始めます。それは、おじいちゃんが子どもだった頃に出会ったという、竜の巣の話でした。

 兄弟は、田舎へと続く電車の中で、外の景色も眺めずにマンガを読みふけっている現代っ子です。おじいちゃんがそこで、「今時の子は...」と文句やお説教を言ったり、諦めて放っておいたりすれば、きっと兄弟は田舎での生活を、「つまらない」ままで終えたことでしょう。でも、おじいちゃんはそんなおじいちゃんではありませんでした。兄弟は、おじいちゃんの話を聞くうちに、どんどんその世界にひきこまれていきます。そして、おじいちゃんの話が終わると、兄弟たちは、すっかり田舎の暮らしが楽しみになっていました。

 きっかけは大切だなぁと思います。こども達は、面白いことが大好きです。でも、今の世の中では、こども達の自分自身で面白いことを発見する場が、ごくごく幼い頃からどんどん奪われていっています。自ら面白いことを発見する力がないと、商業的なお仕着せの娯楽でしか楽しむことができません。つまり、お金がなくては遊べないという変なことになってしまいます。電車の景色で楽しむこと、日々の生活で楽しむこと、そんな簡単なこともできないのが当たり前になってきている昨今、小学生までが精気のない目で「疲れた。つまらない」を連発する昨今、この本のおじいちゃんのように、こども達に面白いことを発見するきっかけを与えてあげられる大人になりたいものです。(2006.7)

小学生(高学年)頃より
冬の龍
作/藤江じゅん 絵/GEN(福音館書店)
 児童文学ファンタジー大賞の「奨励賞」ということで、大賞ではないからあまり期待せずに読みました。
でも、面白かったです。丑三つ時、少年3人がおっかなびっくりで心霊写真を撮りに行った神社に物語は始まります。結局、幽霊の存在は否定するものの、けやきの木の化身は人間となって登場するという作者の中にある微妙なバランス感覚が魅力です。
登場人物の繋がりや設定でちょっと甘さを感じるところもあるけれど、一人一人がきちんと地に足つけて歩んでいるのはとても好感がもてます。登場人物の栗田さんや特徴のあるちょっと冴えない人々は、みんな作者の分身なのでしょう。皆がそれぞれに重たい過去を背負いながらも、なんとか自分の足で踏ん張って生きています。主人公のシゲルもしかり。しかしシゲルはこの物語の後、明日からの新しい日々をどのように歩んで行くのだろうか。他の登場人物はともかくとして、この物語でのシゲルの人生はまだ始まる以前です。物語が終わり、ようやくもうすぐ産声をあげるのだと予感させられます。
また、けやきの木の化身が、本当は化身ではなくただの人間なのではないかと、最後まで登場人物達に疑わせており、ファンタジーに入りすぎないところも作者の微妙なバランス感覚のたまものでしょう。しかしここまでギリギリにファンタジーから逃れようとするならば、いっそのことファンタジーの世界に入ることを一切せず、「竜の谷のひみつ」のように、完全なる現実の世界に立ったままでも「冬の龍」が描けたのではないか、そうした方がもしかしたらより深い物語になったのではないかという気持ちもぬぐいきれません。ファンタジーではない「冬の龍」を、読んでみたかったです。

GENの絵は、表紙は別として、挿し絵がいまひとつだったように思う。いかにも若者の絵といった軽いイメージで、年寄りや、年季の入った物の奥の深さが描けていない。ちょっと残念です。(2007.1)

家の常備本!
1〜3巻 小学生(高学年)から 4巻〜 中学生から
影との戦い―ゲド戦記 1 (ゲド戦記6冊セット
作/アーシュラ・K・ル=グウィン
 SF作家であるル=グウィンの児童向けファンタジー。竜は、太古の言葉を語るものとして登場する。読むたびに、胸に響く場所が異なる奥深い本。1巻、3巻では魔法使いゲドやゲドの師匠オジオンの名セリフが要所要所で語られる。それらの言葉により人生を見つめ直した読者がどれだけいることだろう。2巻、4巻、5巻はル=グウィン自身の永遠のテーマであろう性の問題が大きなテーマとなる。女性であること、男性であることの意味、女性としての生き方、女性であることの喜びと苦しみがテナーの体験によって語られる。さらに、4巻で女性として登場する幼いテルーによって物語は新たな展開をみせ、5巻にて性を超えたところに物語は完結する。全体を通してみると、3巻までは児童書として捉えることもできるが、それ以降はせめて思春期以降でないと理解することは難しいと思われる。

気が向いたときにいつでも読めるように家においておきたい本である。

現在5巻+外伝の6冊出ている。かつて、3巻「さいはての島へ」で終わりと思われていたゲド戦記も、18年後に4巻「帰還」が出版され、これでまた終わりと思われていたところ、さらに11年後の2005年になって5巻「アースシーの風」が出版された。さすがにこれで完結だろうと思われるが、まさか6巻目が出版されたりしないだろうかと、ほんの少しだけ期待している。作者のル=グウィン女史は90歳のご高齢となられたけれど、まだまだ活躍中です。

小学生(中学年頃)から
竜の谷のひみつ
作/大庭桂 絵/カサハラテツロー
 ”夏休み、都会に住む少年「神谷しょう」が、田舎に住むいとこ「神谷あやの」の家に遊びに行く。あやのの家は代々竜神を祀る神社の宮司で、今は祖父がその役を担っている。”
実はここまで読んで、よくある安易な設定だなぁとちょっとげんなりしていました。神にまつわる不思議をウリにした小学生向きの短編がいかに多いことでしょう。主人公の子どもは特別な役割を担った定めの子で、ある日、何か事件が起きたことをきっかけに自ら不思議な力をもっていることに気がつき、その力をして事件を鎮め、自らの定めを知る。その後どうなったかはよくわからない。その手のお決まりの話が本当に多い。
きっとこの本もその手の安易な話だろうと思って読み始めたのですが、意外にも、無意味で浅はかな不思議要素は皆無で、現実的な出来事をめぐる地に足着いた物語でした。都会の深刻な水不足、ダムに沈む運命の山村、そういった舞台設定から読み手に「水」は一体誰のものなのかを考えさせます。都会にだけ住んでいたらわからないこと、田舎だけに住んでいたらわからないことが、両者の子どもが出会いぶつかりあう中で自然に表現され、満足のうちに読み終えました。(2007.1)

小学生(中学年頃)から
水の伝説
作/たつみや章 (講談社)
 泣き虫弱虫で都会の学校に馴染めずに山村留学で林業の村に来た少年が主人公です。ホームステイ先の同級生タツオが兄貴分として引っ張っていってくれるので山の生活にすっかり慣れたようにみえたものの、心の中ではお客様でしかなかった少年が、大雨による山崩れをきっかけに当事者にならざるを得なくなっていきます。そして、河童と出会い「女」と間違えられたことから、とうとう事件の渦中に巻き込まれてしまいます。頼りにしていたタツオとの断絶により、以前の弱虫光太郎に戻ってしまいそうになりますが...。

 『ぼくの・稲荷山戦記』『夜の神話』との環境問題三部作のひとつです。この三部作は現代の深刻な環境問題を、日本人が古来からもつアニミズム的感性を刺激することによって訴えかけます。自然から切り離された世界に育ち、人々が信仰心を覚える機会がなくなってしまった昨今、たつみや章の作品は一貫して古来より続く自然と共存する智恵、生きる支えとなる信仰心を問うています。

小学校中学年でこの三部作を読み、高学年以降に古代少数民族を扱う『月神の統べる森で』のシリーズ、『イサナと不知火のきみ』等を読めば、思春期以降に人の心の隙間に入り込もうと狙う新興宗教やカルトに対抗するワクチンにもなりうるのではないかと思います。

(作者のたつみや章さんは、「有言実行」で活躍していらっしゃる現役熊本市議会議員とのことでビックリ!)

2007.2.5

ドラゴンにまつわるひとりごと

我が家の玄関に

児童書の世界へ