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山形県の城跡一覧(置賜地方) -> 高玉城
高玉城 たかだまじょう
- 別名
- -
- 時代
- 室町時代
- 分類
- 中世平城
- 規模
- 面積:東西150m×南北180m
- 現状
- 住宅地・畑
- 場所
-
山形県西置賜郡白鷹町高玉
- 最終訪城日
- 2012年5月26日
永正の頃に鮎貝盛宗が築いた城で、次男の高玉茂兵衛の居城となる。現在は畑や宅地。
城史
年代 |
出来事 |
1504~1520年 |
鮎貝盛宗が高玉の段丘の上に鮎貝城の支城を築き、次男の茂兵衛を城主とした。茂兵衛は以後は高玉氏を称して代々の居城とした。 |
16世紀後半? |
高玉氏は4代で滅亡したという。 |
縄張り
城は河岸段丘上の平地に築かれた単郭方形の平城だが、もしかすると鮎貝城同様の輪郭式の縄張りかもしれない。郭の周囲は土塁と掘に囲まれており、遺構は北側に一番良く残っている。
【本丸跡】
本丸跡の内部は大部分が畑で、南と西は民家もあって堀跡が判りづらくなっている。畑の中にある鳥居は天照皇大神社のもので、奥の土塁遺構の上に祠が祀られている。
【土塁と内堀】
堀跡がハッキリと確認できるのがこの北側の部分で、土塁とセットでよく残っていた。「割烹・館」の敷地の南や、西側の道路が不自然にずれている部分の民家の裏にも堀跡らしきものが見えたが、こちらはあまり自信が無い。
アクセス
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