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管理人:貞庵

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資福寺館 しふくじだて

別名
-
時代
室町時代~安土桃山時代
分類
寺院
規模
-
現状
住宅地・畑
場所
山形県東置賜郡高畠町夏茂元夏刈
最終訪城日
2012年5月27日

弘安に紹規和尚が開山した寺で、16世紀に観音寺・光福寺を併合して伊達氏の菩提寺となった。現在は住宅地と田畑。

城史

年代 出来事
1278~1287年 長井時秀は鎌倉より紹規和尚を招き、夏刈の地に資福寺を開基した。後に時秀は剃髪して西規を称した。
室町時代頃 伊達政宗(9代目当主)によって寺が整備され、2重の堀を備えた要害となったという。
1572年 伊達輝宗は資福寺に虎哉宗乙を招き、梵天丸(後の17代目当主の伊達政宗)の教育役に当てた。この時、観音寺と光福寺がこの寺に併合されて伊達家の菩提寺となったという。
1591年 奥州仕置きにより伊達政宗は岩出山へと転封されたため、資福寺も岩出山へと移転した。後に寺は仙台に移転し、今に続いている。

縄張り

寺は最上川沿いにあり、本堂のあった主郭と墓所のあった副郭から成っていた。郭の周囲は掘で囲まれており、外掘は二重の水堀となっていたという。

【本堂跡(主郭)】
資福寺の本堂、観音堂のあった場所が主郭で、副郭との間は掘と土塁で区切られていた。現在は主に畑となっており、観音堂跡の祠以外に特に確認できるものは無かった。

【土塁】
画像は草木で微妙にわかりづらいが、主郭跡の南側には土塁が残っていた。

【内堀跡】
主郭跡と副郭跡の間には掘が残っており、草木と蕗が茂って深さがよく判らないが、大分浅くなっているようだった。

【外掘跡】
往時は主郭と副郭の周辺を二重の水堀が取り巻いており、現在も一部がよく残っている。南と東側の堀の一部は水路となっており、北と東の堀の一部は窪地となっていた。画像は北の堀跡。

アクセス

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