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弘安に紹規和尚が開山した寺で、16世紀に観音寺・光福寺を併合して伊達氏の菩提寺となった。現在は住宅地と田畑。
年代 | 出来事 |
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1278~1287年 | 長井時秀は鎌倉より紹規和尚を招き、夏刈の地に資福寺を開基した。後に時秀は剃髪して西規を称した。 |
室町時代頃 | 伊達政宗(9代目当主)によって寺が整備され、2重の堀を備えた要害となったという。 |
1572年 | 伊達輝宗は資福寺に虎哉宗乙を招き、梵天丸(後の17代目当主の伊達政宗)の教育役に当てた。この時、観音寺と光福寺がこの寺に併合されて伊達家の菩提寺となったという。 |
1591年 | 奥州仕置きにより伊達政宗は岩出山へと転封されたため、資福寺も岩出山へと移転した。後に寺は仙台に移転し、今に続いている。 |
寺は最上川沿いにあり、本堂のあった主郭と墓所のあった副郭から成っていた。郭の周囲は掘で囲まれており、外掘は二重の水堀となっていたという。