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宮城県の城跡一覧(県北地方) -> 寺池城
寺池城 てらいけじょう
- 別名
- 寺池館、臥牛城、登米要害
- 時代
- 室町時代~江戸時代
- 分類
- 近世平山城
- 規模
- 面積:東西100m×南北200m、標高:32m、比高:約25m
- 現状
- 裁判所・住宅地
- 場所
-
宮城県登米市登米町寺池桜小路
- 最終訪城日
- 2013年4月27日
14世紀頃に葛西氏によって築かれた城で、寺池葛西氏の居城。江戸時代には登米伊達氏の居城となった。現在は住宅地や簡易裁判所のある丘。
城史
年代 |
出来事 |
14世紀頃 |
北畠顕家の戦死後、葛西氏によって寺池城と佐沼城が築かれたとされる。 『葛西盛衰記』 |
14世紀頃 |
北畠顕家の戦死後、葛西武晴によって寺池城と佐沼城が築かれたとされる。 『伊達世臣家譜』 |
1329~1332年 |
葛西清重から数えて6代目の対馬守武治が寺ヶ池城を築いて移り住んだという。 『葛西記』 |
中世 |
葛西氏は初め保呂羽館(前期の寺池城)に入り、後に保呂羽館よりも北にある丘に城(後期の寺池城)を築いて居城としたという。 |
1590年秋 |
奥州仕置きにより葛西氏と大崎氏は所領を失い、旧葛西大崎領は木村伊勢守吉清に与えられた。吉清は登米の寺池城を居城としたが、後に一揆が蜂起したため寺池城を放棄して佐沼城に篭城した。 『奥羽永慶軍記』 |
1590年10月 |
葛西大崎一揆が勃発し、木村清久は一揆勢に追われて佐沼城に逃げ込み、後に木村吉清が救援に来るが一揆勢に追い詰められて城に篭城することになる。 |
1590年11月 |
伊達政宗は24日に佐沼城周辺の一揆勢を蹴散らし、木村親子を救出して蒲生氏郷の元に送り届けた。 |
1591年秋 |
乱の終息後、旧葛西大崎領は伊達政宗に与えられた。 |
1604年 |
伊達家臣の白石宗直が水沢から登米に1万5千石で移され、寺池城を居城とした。寺池城は後に一国一城令の影響で登米要害と称した。 |
1616年 |
白石宗直は伊達姓を称すことを許され、以後は登米伊達家と呼ばれるようになった。 |
1871年 |
明治維新後は廃城となった。 |
縄張り
城は北上川右岸の丘陵に築かれた平山城で、丘の北側の最も高い場所に本丸があり、南側に二の丸、三の丸が連郭式に続いている。丘陵南側の麓には水堀が設けられていた。
【本丸跡】
丘の北側の最も高い場所が本丸跡で、今は住宅地と畑になっているため、これといった遺構は確認できなかった。東側の斜面には腰郭が確認できたが、もしかすると絵図に描かれている搦手道の名残かもしれない。
【寺池城址公園】
三の丸跡の上段には登米懐古館と民家があるが、下段は寺池城址公園として整備されている。ただ、どういうわけか自分が行った時は公園内が駐車場のようになっていた。
【井戸跡】
寺池城址公園内では井戸跡の遺構を整備したと思われるものが確認できる。他には公園入口に城門が整備されているが、遺構とは関係ない模擬門のようだ。
関連施設
【武家屋敷鈴木家(春蘭亭)】
登米伊達氏家臣の鈴木家の武家屋敷。今は喫茶甘味処。
<開館時間>9時~16時30分
<休館日>不定休
<入館料>無料
<駐車場>無料(※物産センタ等)
<場所>宮城県登米市登米町寺池桜小路79
【登米懐古館】
伊達家や登米に纏わる文化財や美術品を展示。
<開館時間>9時~16時30分
<休館日>年末年始
<入館料>200円(高校:150円、小中:100円)
<駐車場>無料(※物産センタ等)
<場所>宮城県登米市登米町寺池桜小路103-9
アクセス
- JR東北新幹線、東北本線の仙台駅西口(さくらの前)より東日本急行の「とよま総合支所」行きの高速バスに乗り「とよま明治村」で下車。そこからすぐ。バス停北の丘一帯が城跡。
- JR東北本線の瀬峰駅より市民バス南方線に乗り「登米市役所」で下車。循環線か津山線に乗り換えて「登米三日町」で下車。そこからすぐ。バス停北の丘一帯が城跡。
- JR東北本線の新田駅より市民バス新田線に乗り「登米市役所」で下車。循環線か津山線に乗り換えて「登米三日町」で下車。そこからすぐ。バス停北の丘一帯が城跡。
- JR東北本線の石越駅より市民バス石越線に乗り「登米市役所」で下車。循環線か津山線に乗り換えて「登米三日町」で下車。そこからすぐ。バス停北の丘一帯が城跡。
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