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佐沼城 さぬまじょう

別名
鹿ケ城、佐沼要害
時代
平安時代~江戸時代
分類
近世平山城
規模
面積:東西130m×南北180m、標高:15m、比高:約8m
現状
市指定史跡/鹿ケ城公園・住宅地
場所
宮城県登米市迫町佐沼内町
最終訪城日
2013年4月27日

築城は諸説あるが葛西氏と大崎氏の間で争奪が起こった城。葛西大崎一揆では木村親子、後に一揆勢が篭城するという激戦地となった。現在は本丸周辺が鹿ケ城公園、外郭は住宅地等になっている。

城史

年代 出来事
1185~1190年 藤原秀衡家臣の照井高直の居城と伝わる。 『封内風土記』
14世紀頃 北畠家顕の戦死後、葛西氏によって佐沼城と寺池城が築かれたとされる。 『葛西盛衰記』
1469~1487年 葛西氏家臣の佐沼直信の居城と伝わる。
1532~1555年 大崎氏家臣の石川直村の居城と伝わる。その後、曾孫の彦九郎の代まで続いたという。
1590年10月 葛西大崎一揆が勃発し、木村清久は一揆勢に追われて佐沼城に逃げ込み、後に木村吉清が救援に来るが一揆勢に追い詰められて城に篭城することになる。
1590年11月 伊達政宗は24日に佐沼城周辺の一揆勢を蹴散らし、木村親子を救出して蒲生氏郷の元に送り届けた。
1591年7月 伊達政宗は葛西大崎一揆の鎮圧を命じられて各地を転戦し、7月3日には佐沼城を落として立て篭もっていた一揆勢を撫で斬りにしたという。
1591年秋 乱の終息後、葛西大崎旧領は伊達政宗に与えられ、佐沼城には伊達家臣の湯目景康(津田景康)が置かれた。
1756年 津田定康が所領没収となり、翌年には亘理倫篤が新たに佐沼へ移された。以後、明治まで亘理氏代々の居城となる。
1871年 明治維新後は廃城となった。

縄張り

城は迫川右岸に築かれた平山城で、小高い丘の部分が本丸で、丘を囲むように平地に二の丸があり、さらに外側に外郭が展開して梯郭式に近い縄張りを形成している。各郭は水堀で隔てられ沼や川も外掘として利用していた。

【出雲神社照日権現】
丘の上の本丸北東隅の土塁の上には出雲神社が祀られており、伝説では照井高直の頃から城内にあったと伝わるため、鬼門封じの役目があったものと考えられる。照日権現は照井高直が由来とも伝わるが定かではない。

【本丸井戸】
本丸跡にある遺構として土塁の他に井戸跡があり、フェンスが張られているが出雲神社の近くに今も残っていた。

【内掘跡】
本丸跡の丘の麓部分には内掘が設けられており、今はコンクリートで護岸された空の水路のような状態だが、元々は水堀だったようだ。

【鯛沼跡】
二の丸跡西側に鯛沼という大きな沼があって城の水堀に組み込まれていたが、今では二の丸跡の水堀は埋め立てられてしまっており、庭園になっている箇所に辛うじて面影が見られる。この周囲一帯の低地は全て沼と水堀の跡。

関連施設

【旧亘理邸(古鹿山房)】
廃城後に亘理隆胤が住んだ邸宅。内部を見るには予約が必要。
<開館時間>9時~16時30分
<休館日>月曜(祝日時は翌日)、年末年始
<入館料>無料
<駐車場>無料(※公園駐車場)
<場所>宮城県登米市迫町佐沼字内町12

【登米市歴史博物館】
主に佐沼地域を中心とした歴史や資料、模型を展示。
<開館時間>9時~16時30分
<休館日>月曜(祝日の時は翌日)、年末年始
<入館料>無料
<駐車場>無料(※公園駐車場)
<場所>宮城県登米市迫町佐沼字内町63-20

アクセス

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