奥羽古城散策
■城跡データ
■人物・氏族データ
ouukojosansaku

管理人:貞庵

HOME -> 城跡データ -> 宮城県の城跡一覧(三陸地方) -> 石巻城

石巻城 いしのまきじょう

別名
日和山城
時代
鎌倉時代~安土桃山時代
分類
中世山城
規模
標高:60m、比高:55m
現状
神社、公園、住宅地
場所
宮城県石巻市日和が丘
最終訪城日
2011年7月17日

葛西氏が築いた山城で、奥州の葛西氏代々の居城の一つとなった。現在は頂上に鹿島御児神社があり、周辺は日和山公園と住宅地となっている。

城史

年代 出来事
1189年 葛西清重は奥州総奉行に命じられ、奥州合戦後に牡鹿郡を含む数郡を所領を賜り、石巻の日和山に城を築いたと伝わるが定かではない。
1189年 葛西清重は奥州総奉行に命じられ、奥州合戦後に牡鹿郡を含む数郡を所領を賜ったが、『吾妻鏡』等から清重は鎌倉に出仕していることが確認されており、現地には代官が下向していたとされる。
1294年 葛西伊豆守清宗が日和山の鹿島神社を南麓に遷宮し、石巻城を築いて居城とした。 『鹿島御児神社社伝』
14世紀頃 登米郡の寺池城を居城としていた葛西清貞は石巻城へと居城を移したとされる。
1340年 葛西清貞は奥州へと下向した北畠顕信を石巻城へと迎え入れ、この地を南朝の国府奪還のための拠点とした。
1343年 11月に南朝の拠点だった宇津峰城が陥落したため、北畠顕信は守永親王を伴って出羽国へと脱出し、その後再び陸奥国へと戻って石巻の葛西清貞の元へ身を寄せたという。
1590年 「奥州仕置き」により葛西氏は所領を召し上げられ、城はこの時廃城になったとされる。

縄張り

城は旧北上川河口付近の日和山の上に築かれており、鹿島御児神社のあたりから遺構が発掘されているが正確な縄張りは明らかになっていない。

【主郭周辺】
鹿島御児神社の神主宅と思われる建物が山の最高所(画面中央奥)にあり、そこが主郭跡と考えられる。1~2段低い神社やその境内は副郭と思われるが定かではない。

【鹿島御児神社】
神社は古くからこの山にあったが、築城時に山の南麓へと移され、廃城後に再び山の上に戻されたという。神社の由緒によると、大和朝廷の東征時に鹿島神社と香取神社の御子も奥州へと船で向かい、この地に辿り着いて上陸した地の山(日和山)に社を勧請したのが神社の始まりという。

【腰郭】
山の南側の中腹には腰郭と思われる削平地があり、今は公園の一部となっている。西側には藪になっている腰郭と思える箇所もある。

アクセス

関連リンク情報