HOME -> 城跡データ -> 宮城県の城跡一覧(三陸地方) -> 石巻城
葛西氏が築いた山城で、奥州の葛西氏代々の居城の一つとなった。現在は頂上に鹿島御児神社があり、周辺は日和山公園と住宅地となっている。
年代 | 出来事 |
---|---|
1189年 | 葛西清重は奥州総奉行に命じられ、奥州合戦後に牡鹿郡を含む数郡を所領を賜り、石巻の日和山に城を築いたと伝わるが定かではない。 |
1189年 | 葛西清重は奥州総奉行に命じられ、奥州合戦後に牡鹿郡を含む数郡を所領を賜ったが、『吾妻鏡』等から清重は鎌倉に出仕していることが確認されており、現地には代官が下向していたとされる。 |
1294年 | 葛西伊豆守清宗が日和山の鹿島神社を南麓に遷宮し、石巻城を築いて居城とした。 『鹿島御児神社社伝』 |
14世紀頃 | 登米郡の寺池城を居城としていた葛西清貞は石巻城へと居城を移したとされる。 |
1340年 | 葛西清貞は奥州へと下向した北畠顕信を石巻城へと迎え入れ、この地を南朝の国府奪還のための拠点とした。 |
1343年 | 11月に南朝の拠点だった宇津峰城が陥落したため、北畠顕信は守永親王を伴って出羽国へと脱出し、その後再び陸奥国へと戻って石巻の葛西清貞の元へ身を寄せたという。 |
1590年 | 「奥州仕置き」により葛西氏は所領を召し上げられ、城はこの時廃城になったとされる。 |
城は旧北上川河口付近の日和山の上に築かれており、鹿島御児神社のあたりから遺構が発掘されているが正確な縄張りは明らかになっていない。