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四戸城 しのへじょう

別名
金田一城
時代
室町時代~安土桃山時代
分類
中世平山城
規模
面積:東西100m×南北700m、標高:120m、比高:約30m
現状
畑・住宅地・寺社
場所
岩手県二戸市金田一字舘
最終訪城日
2009年11月21日

築城に関しては不明だが、四戸氏の居城と伝わる。今は畑と寺社と宅地になっている。

城史

年代 出来事
室町時代 糠部郡の浅水郷から金田一郷に移された四戸氏によって築かれた城という説があるが定かではない。
1573~1591年 四戸宗春は九戸政実に加担して南部信直と対立したため、城を捨てて秋田へと逐電した。この事件の後、南部信直は城代として大光寺左衛門をこの城に置いた。
1573~1592年 切田小太郎が糠部郡下切田より移されて四戸城の上館に住んだという。
1591年頃 武田彦三郎信連の子の駿河守は、武田氏滅亡後に同じ甲斐源氏の南部氏を頼って落ち延びていたが、「九戸政実の乱」の終結後に金田一に所領を与えられ金田一氏を称した。この時、四戸城を居城として金田一城と呼んだという。
1592年 この時の金田一城(四戸城)は南部信直の直轄支配となっており、代官は木村杢尉が勤めていた。そして、目録上では破却されたことになっている。 『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上之事』
1596~1615年 この頃に四戸氏一門の中野氏が城主となったという。

縄張り

城は船越山の東麓の南北に伸びた丘の上にあり、沢と空堀によって山からは切り離されている。丘陵は堀切によって3つの郭に分けられており、それぞれ上館、中館、下館と呼ばれている。

【べこ石】
上館の中心にある謎の巨石。何か逸話がありそうだったが説明板にはそれらしいことは書かれておらず詳細不明。なお、上館跡は事実上の主郭とされる大きな郭で、帯郭が付随している。今は内部は畑と墓地となっている。

【上館の空堀】
上館の西側は船越山の山裾に繋がっているが、この部分には空堀が設けられていた。一部は浅くなって畑の通路となっている。

【上館と中館の間の堀切】
3つの郭はそれぞれ大きな堀切で分断されており、上館と中館の間には今は車道が通っている。下館と中館の間も一応通路で、間の奥に民家がある。

【下館の土塁】
下館には秋葉神社が祀られており、北側は墓地になっている。この郭では土塁が確認できた。なお、土塁は中館でもそれらしいものがあった。

アクセス

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