HOME -> 城跡データ -> 岩手県の城跡一覧 -> 四戸城
築城に関しては不明だが、四戸氏の居城と伝わる。今は畑と寺社と宅地になっている。
年代 | 出来事 |
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室町時代 | 糠部郡の浅水郷から金田一郷に移された四戸氏によって築かれた城という説があるが定かではない。 |
1573~1591年 | 四戸宗春は九戸政実に加担して南部信直と対立したため、城を捨てて秋田へと逐電した。この事件の後、南部信直は城代として大光寺左衛門をこの城に置いた。 |
1573~1592年 | 切田小太郎が糠部郡下切田より移されて四戸城の上館に住んだという。 |
1591年頃 | 武田彦三郎信連の子の駿河守は、武田氏滅亡後に同じ甲斐源氏の南部氏を頼って落ち延びていたが、「九戸政実の乱」の終結後に金田一に所領を与えられ金田一氏を称した。この時、四戸城を居城として金田一城と呼んだという。 |
1592年 | この時の金田一城(四戸城)は南部信直の直轄支配となっており、代官は木村杢尉が勤めていた。そして、目録上では破却されたことになっている。 『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上之事』 |
1596~1615年 | この頃に四戸氏一門の中野氏が城主となったという。 |
城は船越山の東麓の南北に伸びた丘の上にあり、沢と空堀によって山からは切り離されている。丘陵は堀切によって3つの郭に分けられており、それぞれ上館、中館、下館と呼ばれている。