HOME -> 城跡データ -> 岩手県の城跡一覧 -> 十八ヶ城
稗貫氏によって築かれた稗貫氏代々の居城で、後に本館氏の居城となる。今は工場や住宅地と空き地。
年代 | 出来事 |
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南北朝時代? | 小瀬川館を居城としていた稗貫氏が新たにこの城を築いて居城を移したという。 |
1435年 | 5月に起こった和賀氏と須々孫氏の争いは南部氏の仲裁で和議が成立したが、11月には須々孫氏が稗貫氏と結んで和賀氏の飯豊城を攻めたため、仲裁役の南部氏を激怒させることになった。 |
1436年春 | 南部氏は須々孫氏と組んだ稗貫氏の寺林城を攻め落とし、その勢いで稗貫氏の居城の十八ヶ城を攻撃した。稗貫氏は2ヶ月間篭城戦を繰り広げたが、最終的に瑞興寺の和尚を介して南部氏に侘びを入れ、戦いは収束したという。 |
1528~1559年 | 稗貫氏が鳥谷ヶ崎城を築いて居城を移したため、この城は稗貫氏一門の本館氏の居城となった。 |
1590年 | 奥州仕置きで稗貫氏は所領を没収されており、この時に本館氏も没落したと見られる。翌年には南部領となっているが、この間の城の様子は全くわからない。 |
1592年 | 南部氏の諸城破却書上の中には記載すらされていないため、奥州仕置きの時点で既に廃城となっていたと考えられる。 |
城は瀬川右岸の段丘上に築かれており、規模はハッキリしていないが、段丘端に主郭があって、その南側に外郭が展開していたとされている。