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大原城 おおはらじょう

別名
山吹城、酴醿城、大原所
時代
鎌倉時代~安土桃山時代
分類
中世山城
規模
標高:201.7m、比高:約70m
現状
市指定史跡/公園・雑木林
場所
岩手県一関市大東町大原川内
最終訪城日
2012年11月11日

千葉宗胤または千葉胤常によって築かれた大原千葉氏代々の居城となった場所。江戸時代には宮床伊達家の居所となった。今は主要部分が公園だがそれ以外は雑木林と藪となっている。

城史

年代 出来事
1230年頃 千葉頼胤の子の宗胤が磐井郡の大原に移り住んで城を築き、ここを居城として大原氏を称したと伝わる。
1276年 葛西清信に従って奥州に下向した千葉胤常は磐井郡の大原に千貫を与えられ、大原氏を称して城を築いて移り住んだとされる。
1590年 「小田原の役」が始まると葛西氏の元にも豊臣秀吉からの参陣命令が来たが、葛西氏はこれに参陣しなかったため、奥州仕置きで千葉氏の所領諸共没収となる。大原飛騨守はこれに抵抗して戦うが、結局敗れて没落した。
1591年9月 「葛西大崎一揆」の鎮圧後、葛西氏と大崎氏の旧領は伊達政宗に与えられ、大原城もこの地の検地を担当した石田三成によって伊達家に引き渡された。伊達領となった後は、粟野大膳が城代として置かれた。
1615年 「一国一城令」に従うため廃城となり、城の麓に屋敷が造られてこれ以降は「大原所」と呼ばれた。
1659年 伊達忠宗の八男の宗房は1649年に田手氏の名跡を継いでおり、この年に磐井郡の大原を新たに賜ったため、居城を大原所に移したという。
1666年 田手宗房は1660年に黒川郡の宮床にも所領を賜っており、この年に居城を大原所から宮床所に移している。
1680年 田手宗房の後妻の貞樹院は大原に住んでいたようで、後に伊達宗家を継ぐ事になる田手村房(伊達吉村)は大原所で生まれたという。

縄張り

城は鈴山の山地から南西に伸びた尾根の一つに築かれており、尾根末端付近で最も高い場所に本丸を置き、堀切で分断した郭を東西に配置した連郭式に近い形の縄張りとなっている。なお、背後の山地とは切通しで切断されている。

【本丸】
尾根の末端付近で周囲よりやや高い場所が本丸の跡で、郭は瓢箪のような形をしており比較的広い。本丸の東端には銀杏の巨木「山吹の大銀杏」が鎮座しており、土塁の下から見るとかなり迫力がある。

【土塁】
本丸は東西の端に土塁が残っており、東側の土塁の先には一段低い場所に二の丸跡があり、西側の土塁の先は堀切を跨いで西三の丸跡がある。

【二の丸】
二の丸は本丸よりも広い削平地で、本丸との間に塚のような土塁が残されている。この土塁には現地の地図では「男森」という名称が付けられていた。

【二の丸東側の堀切】
二の丸と東三の丸の間には堀切が残っており、ここを通って腰郭に移動できるため、通路としても利用されていたと思われる。この他にも東三の丸のさらに東側や、本丸と西三の丸の間等に堀切が確認できる。

【大手口】
大手は尾根の南側で、本丸から見て南西の麓の続石に大手口があった。かつてはこの付近に「石割り松」があったようだが、現在は失われてしまったようで見当たらなかった。

アクセス

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