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築城に関しては不詳だが、亀卦川氏代々の居城と伝わる。今は大部分が山林で、縄張りの一部と西麓に神社がある。
年代 | 出来事 |
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15世紀頃 | 築城に関しては亀卦川氏同様に不明点が多く明らかではない。15世紀頃の亀卦川持家が新山備前を称しているので、この頃には既にこの城があったのかもしれない。 |
1550年 | 亀卦川師秀と師重の兄弟が長坂千葉氏らと口論となって殺されたため、父の師兼は仇討ちのために長坂千葉氏らと合戦に及んだ。だが、葛西氏はこれを私闘とみなして新山城の師兼を討伐する軍を送り、新山の亀卦川氏は敗れて滅亡した。この後、城は大原氏に預けられた。 |
1550~59年 | 大原信茂は亀卦川氏の一族の師康を新山城に移し、新山亀卦川氏を再興させたという。 |
1559年 | 亀卦川師康は「及川騒動」の関係者を匿った罪で葛西氏の討伐を受け、新山亀卦川氏は敗れて再び滅亡した。 |
1559年以降 | 大原茂光は亀卦川氏の一族の信秀を新山城に移し、新山亀卦川氏を再興させたという。 |
1590年 | 「小田原の役」が始まると葛西氏の元にも豊臣秀吉からの参陣命令が来たが、葛西氏はこれに参陣しなかったため、奥州仕置きで亀卦川氏の所領諸共没収となる。 |
1591年9月 | 「葛西大崎一揆」の鎮圧後、葛西氏と大崎氏の旧領は伊達政宗に与えられ、新山城はこの時に廃城となったとされる。 |
城は高洞谷山から西に広がる丘陵地帯の西端部に築かれており、丘の上のほぼ同じ高さに広い郭が3つあって、郭間とその周囲に空堀が設けられている。