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岩手県の城跡一覧 -> 唐梅館
唐梅館 からめたて
- 別名
- -
- 時代
- 鎌倉時代~安土桃山時代
- 分類
- 中世山城
- 規模
- 標高:253m、比高:約220m
- 現状
- 市指定史跡/森林公園・唐梅館総合公園
- 場所
-
岩手県一関市東山町長坂
- 最終訪城日
- 2008年11月1日
千葉頼胤によって築かれた長坂千葉氏代々の詰城。平時の居舘は掻引城。今は山が森林公園、麓付近が総合公園となっている。
城史
年代 |
出来事 |
1189年 |
奥州合戦での戦功により千葉頼胤には胆沢郡の百岡と磐井郡の長坂の所領が与えられ、奥州総奉行の葛西清重の麾下に属することになった。 |
1191年 |
奥州に下向した千葉頼胤は長坂の山の上に唐梅館を築いて居城としたという。なお、平時は山麓の掻引城を居城としており、唐梅館は詰めの城だったとされる。また、2つを合わせて唐梅館と称したものもある。 |
1590年 |
「小田原の役」が始まると葛西氏の元にも豊臣秀吉からの参陣命令が来たため、4月18日に唐梅館にて諸将が集まり評定が行われたと伝わる。結局、小田原には参陣していないため、その後の奥州仕置きにて葛西氏も長坂千葉氏も所領を失うことになった。 |
縄張り
城は唐梅館山に築かれており、山頂に本丸、一段下に二の丸が造られ、そこから下の斜面に多くの腰郭(段築)が配置されていた。
【本丸】
山頂の本丸は建物があってもおかしくない程の比較的広い郭になっており、今も北側や西側に土塁が残っている。なお、北側の土塁の上には千葉頼胤の供養碑が立てられており、城址碑や説明板もその近くにある。
【水の手】
二の丸隅の本丸切岸の下に「いかなる旱魃にも涸れることなし」とされた水の手があり、今でも水が沸いて小さな池となっていた。
【古道】
森林公園の案内板があるあたりからキャンプ場の場所まで続いており、当初は堀かと思ったが、堀底道状の古道跡(大手道?)であった。
【唐梅館総合公園】
森林公園より麓側には唐梅館総合公園があり、城の遺構とは関係ない公園&スポーツ施設であるが、「唐梅館絵巻」と呼ばれるイベントではここが会場となった。
【本丸からの眺め】
山頂の本丸からの眺めは素晴らしく、ほぼ360度を見渡すことが出来た。南側では猊鼻渓と街を見下ろし、東側には室根山を遠方に望むことができ、なかなかの絶景であった。
アクセス
- JR大船渡線の猊鼻渓駅より徒歩20分で唐梅館総合公園。そこからさらに20分ほどで山頂。
関連リンク情報
- 一関市公式ウェブサイトの「観光・歴史・文化」から「まつり・イベント」-「唐梅館絵巻」のページで唐梅館の評定にまつわるイベントが確認できます。
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