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千葉頼胤によって築かれた長坂千葉氏代々の平時の居城となった場所。今は中心が山谷ふれあい緑地公園で周囲は住宅地となっている。
年代 | 出来事 |
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1189年 | 奥州合戦での戦功により千葉頼胤には胆沢郡の百岡と磐井郡の長坂の所領が与えられ、奥州総奉行の葛西清重の麾下に属することになった。 |
1191年 | 奥州に下向した千葉頼胤は長坂の山の上に唐梅館を築いて居城としたという。なお、平時は山麓の掻引城を居城としており、唐梅館は詰めの城だったとされる。また、2つを合わせて唐梅館と称したものもある。 |
1590年 | 「小田原の役」が始まると葛西氏の元にも豊臣秀吉からの参陣命令が来たため、4月18日に唐梅館にて諸将が集まり評定が行われたと伝わる。結局、小田原には参陣していないため、その後の奥州仕置きにて葛西氏も長坂千葉氏も所領を失うことになった。 |
城は砂鉄川右岸の丘の上に築かれており、主郭は周囲よりやや小高い丘となっている。主郭の周囲には横堀が巡らされ、その周りを帯郭で囲んでいたと思われるが、今では開発の影響か削り取られた感じがある。