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溝口宣就又は溝口直寛によって築かれた交代寄合旗本の横田溝口氏代々の陣屋。現在は民家の敷地だが、市指定天然記念物の『横田陣屋御殿桜』が敷地内にあるため春には観光客で賑わう。
年代 | 出来事 |
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1697年 | 交代寄合旗本の溝口宣就は陸奥国岩瀬郡の横田五千石を与えられ、この地に陣屋を築いた。 |
1698年 | 交代寄合旗本の溝口直行が陸奥国岩瀬郡の横田に五千石を与えられたという。 『長沼町の伝説』 |
1752年 | 溝口直行の嫡子の直寛によって陣屋が建てられた。(※改築説もある) 『長沼町の伝説』 |
1868年4月 | 戊辰戦争により会津藩兵が横田の地で暴動を起こしたため、溝口直景は横田を放棄して新発田の溝口本家に身を寄せた。その後、陣屋は会津藩の高埜融によって焼き払われたという。 |
明治時代 | 横田溝口氏家臣の大岡氏が陣屋跡に住居を構えこの地に土着した。この時、焼失から逃れた桜を保護して育てており、それが今も見ることが出来る『横田陣屋御殿桜』だという。 |
陣屋は菅原神社と護真寺の間の山裾の微傾斜地に設けられており、正確な縄張りは不明だが山に接していない南側に堀を設けただけの単純なものと考えられる。