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築城には諸説あって定かではないが、伊達氏によって築かれた伊達氏代々の居城の一つである。江戸時代に梁川藩の藩庁にもなる。現在は大部分が学校の敷地に利用され、他は住宅地となる。
年代 | 出来事 |
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1189年 | 伊達朝宗によって築かれた城と伝わる。 『浅間神社棟札』『信達二郡村誌』 |
1190~1198年 | 伊達宗村によって築かれ、この時に高子館より居城を移したという。 『小手濫觴』 |
13世紀前半 | 伊達義広が粟野大館を築いて高子館より移り住んだとされるが、この粟野大館が梁川城の前身だとする説もある。 『伊達正統世次考』 |
1347年 | 伊達政広は梁川城に拠って南朝勢として戦ったという。 『伊達正統世次考』 |
1413年 | 伊達持宗は懸田定勝と共に鎌倉府に反対して大佛城に立て篭もったが、鎌倉府側の討伐軍に城を落とされて焼失したため、梁川城へと居城を移したという。 |
1532年 | 伊達稙宗は梁川城を居城としていたが、西山城へと居城を移した。 |
1543年 | 伊達宗清が梁川城に入って梁川氏を称し、以後は梁川氏の居城となった。 |
1591年 | 伊達政宗は先祖伝来の地を豊臣秀吉に没収されたため、家臣の梁川氏も梁川城から退去することになった。その後、城には蒲生氏郷家臣の蒲生頼郷が城代として置かれた。 |
1598年 | 蒲生氏郷の死後、蒲生秀行は転封されて上杉景勝へと支配者が替わり、梁川城には上杉家臣の須田長義が城代として置かれた。 |
1664年 | 上杉氏の減封によって梁川は幕府直轄領となった。 |
1807年 | 松前藩は蝦夷地召し上げとなり、代替領として梁川へと移された。そして梁川城が藩庁となった。 |
1871年 | 廃藩置県により廃城となった。 |
城は広瀬川右岸の段丘の西端に築かれており、東側が阿武隈山地から続く丘陵地帯になっているが、ここには堀を設けて遮断している。段丘上には本丸があってそれを半分囲むように二の丸があり、南北に出丸がある。西側の段丘の下の低地には三の丸が設けられ、そのさらに低地西側に外郭が設けられていた。