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丹羽長重が築いた棚倉藩の藩庁で、丹羽氏が白河に移った後は藩主がめまぐるしく替わるが、幕末まで藩庁として使用された。。現在は本丸跡が公園となり、周囲は棚倉の街に埋もれてしまった。
年代 | 出来事 |
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1622年 | 棚倉へと5万石で移封された丹羽長重は最初は赤館に入るが、山城で不便だったため新城の築城願いを幕府に提出したという。 |
1625年 | 幕府の許可を得た丹羽長重は都々古和気神社の社殿を遷宮し、その跡地に新たに平城を築いた。築城がある程度進んだ所で、居城を赤館から移したという。 |
1627年 | 城は主要部分は完成していたものの、まだ工事が残っている中、丹羽長重は白河へと転封となり、棚倉には替わって内藤信照が移された。 |
1705年 | 内藤弌信が駿河国の田中へと転封となり、棚倉には替わって太田資晴が移された。 |
1728年 | 太田資晴が上野国の館林へと転封となり、棚倉には替わって松平武元が移された。 |
1746年 | 松平武元が上野国の館林へと転封となり、棚倉には替わって小笠原長恭が移された。 |
1817年 | 小笠原長昌が肥後国の唐津へと転封となり、棚倉には替わって井上正甫が入ることになったが、正甫は病気を理由に棚倉へと赴くことは無かった。 |
1836年 | 松平康任が棚倉転封となったため、井上正春は上野国の館林へと転封となった。 |
1866年 | 松平康英が武蔵国の川越へと転封となり、翌年の1月に棚倉に替わって阿部正静が移された。 |
1868年 | 戊辰戦争では棚倉藩主の阿部正静は会津に居り、城代の阿部内膳は白河口に出兵していたため、城には守備兵がほとんど居なかったという。6月24日、城は激しい攻防の末に落城し、その後に棚倉藩は新政府軍へ降伏した。なお終戦後、藩は4万石減封されている。 |
1871年 | 廃藩置県により城は破却された。 |
城は久慈川の支流に挟まれた台地の上に築かれた平城で、土塁と水堀で囲まれた本丸の周囲に二の丸を展開して輪郭式の縄張りを形成している。二の丸の北西外側には三の丸があるが、規模から見て後から増設した出丸のように見える。