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允殿館 じょうどのだて

別名
時代
中世
分類
中世平城
規模
現状
弘真院、墓所、公園
場所
福島県会津若松市館馬町8
最終訪城日
2012年12月24日

蘆名氏家臣の松本右馬允(典厩)の居館と伝わる。現在は主に弘真院(館薬師)の境内。

城史

年代 出来事
1451年 松本右馬充道輔により允殿館が築かれる。 『会津古塁記』
1451年7月15日 蘆名盛信が死去して幼少の盛詮が当主となると、重臣の松本典厩が突如尾山館の多々良伊賀を強襲し、伊賀は盛詮の居館である小高木館へと逃れた。伊賀は盛詮を擁して挽回しようとしたようだが、結局敗れて自害している。
1453年3月16日 松本典厩は蘆名盛詮と不和となり、盛詮の命を受けた松本筑前に允殿館を攻め落とされ、日光へと逐電した。
1453年8~9月 松本典厩は河原田氏の支援を得て8月には会津へと舞い戻り、猪苗代氏と組んで浜崎館へと拠ったが、蘆名・白川連合軍の攻撃を受けて追い詰められ、9月25日に自害して果てた。
1498年 蘆名盛高は允殿館を攻めて松本豊前、松本大学、松本右馬充などを討ち取り、この戦いで多くの松本一族が粛清された。

縄張り

館は湯川左岸の平野部に築かれており、濠に囲まれた110m四方の方形居館だったとされる。現在は宅地化などで明確な遺構は見られないが、館跡は周囲より少し高くなっている。

【蒲生秀行廟】
館跡の南側の比較的高くなっている箇所には蒲生秀行の廟所があり、1612年頃に館跡に弘真院(館の薬師)が建立された時に造られた。

アクセス

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