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蘆名氏家臣の松本右馬允(典厩)の居館と伝わる。現在は主に弘真院(館薬師)の境内。
年代 | 出来事 |
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1451年 | 松本右馬充道輔により允殿館が築かれる。 『会津古塁記』 |
1451年7月15日 | 蘆名盛信が死去して幼少の盛詮が当主となると、重臣の松本典厩が突如尾山館の多々良伊賀を強襲し、伊賀は盛詮の居館である小高木館へと逃れた。伊賀は盛詮を擁して挽回しようとしたようだが、結局敗れて自害している。 |
1453年3月16日 | 松本典厩は蘆名盛詮と不和となり、盛詮の命を受けた松本筑前に允殿館を攻め落とされ、日光へと逐電した。 |
1453年8~9月 | 松本典厩は河原田氏の支援を得て8月には会津へと舞い戻り、猪苗代氏と組んで浜崎館へと拠ったが、蘆名・白川連合軍の攻撃を受けて追い詰められ、9月25日に自害して果てた。 |
1498年 | 蘆名盛高は允殿館を攻めて松本豊前、松本大学、松本右馬充などを討ち取り、この戦いで多くの松本一族が粛清された。 |
館は湯川左岸の平野部に築かれており、濠に囲まれた110m四方の方形居館だったとされる。現在は宅地化などで明確な遺構は見られないが、館跡は周囲より少し高くなっている。