HOME -> 城跡データ -> 青森県の城跡一覧 -> 高田城
築城時期は不明だが、南部氏家臣の土岐氏の居城。現在は郭の一部を残して大部分が畑や宅地。
年代 | 出来事 |
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1533年 | 南部高信(石川高信)は津軽平定を命じられて出陣し、これに家臣の土岐則基も従軍した。津軽平定後、土岐氏はその功により外ヶ浜の高田と荒川800石を与えられ、高田に移り住んだという。城はこの時に築かれたとされる。 |
1578年 | 土岐則基は浪岡に侵攻した大浦為信の軍勢と戦って討死した。長男の則重も討死したが、次男の則忠と三男の則吉は南部政信の娘を助けて三戸へと撤退したという。城はこの時に廃城になったとされる。 |
城は堤川左岸の河岸段丘の上にある平城で、宅地化と耕作地化で城の全体像は不明だが、主郭と見られる一角を切り取る空堀が残っている。