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はじめに 2010.01.01
このホームページ 「天恢の四国遍路:心の道場」は、60歳半ばにして、未だ悟りにもほど遠い、修行者による遍路の記録です。 この「天恢のつぶやき」は、 作成者である天恢のプロフィールを兼ねて、 そもそも天恢とは?・遍路の意味するところは?・霊感の導くままに! などなど、お気楽爺さん=天恢の気ままなエッセイ集のつもりです
なお、遍路は2007年春より3回の区切り打ち・計24日間で、 2009年春結願、高野山奥の院へのお礼参りまでの体験を基としております。 日数・時間を節約するため、歩き以外に、バスや鉄道など公共交通機関も利用しております。 理由(わけ)あっての急ぎ旅でしたが、1182枚の写真撮影と各札所での巡拝に時間を割いたつもりです。 この世に「霊」の存在を感じられる方と遍路日程に制約がある方に参考となればと願っております。
このエッセイ集は試行錯誤で始めたばかりで、今後の方向性はまったく定まっておりません。 しばらくは「工事中」ですので、ご不明やお見苦しい点はご容赦願います。
2010年1月1日 天恢(てんかい) そもそも天恢(てんかい)とは! 2010.01.01
私の好きな言葉である「天網恢恢疎にして漏らさず」より、自称「天恢」と称しております。 齢(よわい)66歳にして、未だ悟りにもほど遠く、修行の身の上です。 「天網恢恢疎にして漏らさず」は、広辞苑によると、 〔慣〕天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず・・・
それ故、天恢は、たとえ他者から意地悪、苛め、酷い仕打ちを受けても、その者を呪わず、報復せず、復讐せずに、罰はすべてを天に委ねよと説くのです。 天は、その悪を見逃さず必ずその者を罰すると信じております。 天恢も見込まれて? この世に存在する悪(ワル)に対して呪詛を依頼されることがありますが、 人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いで殺されることになり、 墓穴が二つ必要となる「人を呪わば穴二つ」を地で行くことになります。 つまり、人を陥れようとすれば自分にも悪いことが起こるので、その手の依頼は断っております。 昔も、今も確かに悪(ワル)は存在し、はびこっております。 しかし、この世に悪が栄えた例(ためし)はなく、死は等しく万人に訪れるものです。 恨まず、憎まず、大らかな優しい気持ちをもって、共に生きてまいりましょう。
結願報告 2010.01.01
遍路記念写真集 2010.01.01
遍路の理由(わけ)を訊ねるな! 2010.01.01
四国をお遍路してみると、 自分以外にもたくさんの方が巡礼されています。 道中や札所や宿で、こういう方たちと接する機会が頻繁に起こります。 ただ、どんなに親しくなっても、こちらから相手に「遍路の理由を訊ねる」ことはご法度とされています。 その理由は、その方がガンなどの不治の病であったり、愛する肉親を失ったり、個々に秘めた其々の事情があるかもしれないからです。 ただ、そういう方もいつか訊ねなくてもふと心がほどけて、 突然他人に悩みをぽつんと告白する時がくるそうです。 そうなると、その人の悩み、苦しみがどっとあふれ出て、もう止まることがありません。 その方の悩み、つらさを聞いた人も半分それを背負うことになり、 共に分かち合うことで、その人は半分救われることになるそうです。 これも遍路のなせる功徳と言えるでしょう。
遍路でのご法度は参拝の作法から始まっていろいろあります。 その中で確かに止した方がよいご法度を二つほど紹介しておきます。
「参拝後は鐘を撞かない」 札所で鐘が突ける場合は、参拝前に仏様にこちらを向いてもらうために 「入り鐘」を撞くのが慣わしとなっています。 参拝後につくのは戻り鐘といわれ、功徳が消え縁起がよくないといわれています。 また「出る鐘(金)」とも言われ、嫌われています。
「お遍路は、橋の上では金剛杖は突かない!」 この言い伝えは、43番札所明石寺から44番札所大宝寺の間にある 別格霊場第8番札所十夜ヶ橋(とよがばし)があります。 この橋の下で大師が野宿をされて、 あまりの寒さに一夜が十夜にもまさる思いだったといわれています。 いつの頃からか、杖をつく音で、橋下の大師の睡眠を妨げてはならないと いう心遣いがなされるようになりました。 実際遍路道を歩いてみると、どこから橋なのかも区別できないところもあります。 遍路道の多くはアスファルトの車道なので、常に緊張感を持って歩くことが求められています。 そういう意味で橋の認識は緊張感を持つことですから安全上お勧めです。
続・遍路の理由(わけ)を訊ねるな! 2010.01.01
天恢の遍路への発心は、 大した理由(わけ)あってのものではありません。 もう6年近く前、天恢は、それこそ余力を残して、 満を持して定年を迎えたつもりでした。これから本当に自分がやりたかったことをやるという気持ちで一杯でした。 再就職もすぐに決まり、それこそ順風万帆の船出と思われました。 ところが、すぐに体調に異変が生じ、疲れやすく、 日増しに体重がどんどん減ってきたのです。 こうなると仕事どころじゃありません。 環境の変化で体調がおかしくなったのでなく、 「こりゃ、ガンかも?」と覚悟を決めて、人間ドックでの精密検査を受信しました。 ガンでないことだけは確認できて、 甲状腺という思わぬ病気の発症を知らされたのは数カ月後のことでした。
その時、精神的に挫折感をとことん味わったようで、 意欲というか、やる気が全く出てこないのです。 とくに「物書き」への真似ごと志願だった身としては、 創作意欲が失せてしまうということは、何も書くに書けないつらい時期となりました。 悪いことは重なるもので、日ごとやせ衰えていく我が身を案じて、 家内が自律神経失調症気味になって、二人して病院通いを余儀なくされました。
また、その頃「このまま死んでいくのか?」と思った時期でした。 死ぬという不安よりも、この世にまだ未練が残る思いを痛切に知りました。 せめて、もう少し幼い孫たちの行く末を見守りたい、 もう少しいろんなところを旅してみたい、 もう少しあれも、これもやってみたい、そんな気持ちだけで生きた日々でした。 やる気は出ないままでしたが、治療は順調で体重は戻り、疲れることもなくなりました。
病気して、人は必ず死ぬということを悟りました。 「明日の日は確かならずや」で、生きている今、 死ぬ前にやるべきことは? 問い続けているうちに、 きっと、お大師さまに呼ばれたのでしょう、 「そうだ、遍路に出掛けよう!」と、思い立って、 家内を鎌倉に住む娘に託して、 2007年5月に「発心の道場」へと旅立ったのです。
他人(ひと)の遍路を笑うな! 2010.01.01
四国88ヵ所遍路で、各札所の巡拝の方法として、88ヵ所の札所を一度で巡る「通し打ち」、何回かに分けて巡る「区切り打ち」があります。 札所はどこから打ち始めてもよく、札所の番号順に時計回りに巡拝することを「順打ち」、その反対に巡拝することを「逆打ち」といいます。徳島(阿波)、高知(土佐)、愛媛(伊予)、香川(讃岐)の各県を一つの県ごと4回に分けて参る「一国参り」もあります。 88ヵ所の各札所間の移動手段として、遍路本来の姿といわれる昔ながらの「歩き遍路」、その中でもすべてを歩き通す人、歩きたいところだけ歩き、距離の長い場所などは公共交通機関を利用する人もいます。 そして、巡拝バスに乗って団体で回る「バス遍路」、家族や友人などの少人数で貸切タクシーを利用する「タクシー遍路」、レンタカーやマイカー、オートバイや自転車を利用する「車遍路」があります。 巡拝の証として、本堂と大師堂に納める納札(おさめふだ)があります。納札はお接待へのお礼や遍路同士で名刺代わりに交換するときにも使用します。また納札は巡拝回数によって色で区分されています。巡拝回数が1回〜4回は白札、5回〜7回は緑札、8回〜24回は赤札、25回〜49回は銀札、50回〜99回は金札、100回以上は錦札と言われています。 以上は、遍路のガイドブックなどに必ず記載されている四国遍路巡拝の基本ですが、天恢はそういう説明の中で気になっていることがあります。 例えば「通して歩いてこそ本来の遍路だ」とか、「逆打ちはより一層功徳が得られる」とか、結願後、無事に巡礼が完了できたことのお礼と報告のために、打ち始めの札所へ「お礼参り」するのが習わしとか、納札が巡拝回数によって色で区分されていることなど、まことしやかに書かれています。 確かに巡拝作法などは遍路のマナーに通じるものが多く、遵守すべきものでしょうが、個人的な奢り、札所や業者が営利目的で煽っているのではないかと疑うものも少なくありません。 先ず、「通し打ち」ですが、今の世にあって仕事や家庭を持つ一般人が日常生活を放棄して、数十日にわたって遍路を実行することは実際には困難です。交通機関の発達していなかった時代には、「区切り打ち」などということは現実的でなかったでしょうが、現代では、日本のどこからでも1日あれば四国に入れるわけですから「、区切り打ち」の方法によって歩き遍路が誰にでも実行できるようになったといえるでしょう。 「逆打ち」は道標などが少なく歩きにくいのと、今も順打ちでめぐっておられる弘法大師と必ず1回はすれ違うということで、「順打ち」の3倍のご利益があるといわれるそうですが、果たしていろんなハンディを持って「順打ち」をされている方と比較されるべきことでしょうか? ましてや納札に至っては、遍路を生業とされている方にとって巡拝回数は意味あることでしょうが、納札などは、何色であっても一番大事なことは、納める人の心であると思います。そもそも信仰の篤さは巡拝回数で計るものでも、競うものでもないはずです。
続・他人(ひと)の遍路を笑うな! 2010.01.01
天恢が「他人(ひと)の遍路を笑うな!」と説くのは、 四国遍路のご利益は、巡拝の「打ち方」がどうであれ、 移動手段が歩きか、車か、ツアーかなどで問われるわけではありません。 どのようにお参りしてもよく、お大師様は誰でも受け入れてくださいます. 初めて遍路に出掛けた初日の宿で、先輩遍路に「遍路も終わりに近づく讃岐辺りでは掛け軸や納経帳など専門に盗む泥棒がいる」との話を聞きました。この種のものは、インターネットを通じて結構高い値段売買されているそうです。 また、ある札所では団体さんのご夫人達が納札箱に手を突っ込んで「金札」、「錦札」探しをやっている浅ましい光景を見ました。 このような行為は、50周、100周という困難な歩きの道中修行に裏打ちされた大変な功徳が金札・錦札に込められているためでしょう。「金札」、「錦札」には昔から「呪力」があると崇められ、錦札に至っては、これを刻んで薬と一緒に飲めば効き目があらたかという信仰まで生まれました。 こうなると人の欲心につけ込み、金札、錦札を偽造して、詐欺紛れで売りさばく者も現れることになります。 車社会の現代では、歩き遍路だけであった時代と違って巡拝回数にそれほど大きな意味がありません。 自己申告の回数と、道中修行欠略の霊場めぐりの金札、錦札には「呪力」を期待することが無理でしょう。 それでも欲しい方は、タクシー遍路の運転手さんでこの種のものをお持ちの方が多いのでご相談ください。 まぁ、インターネットで購入した「四国88ヵ所掛け軸」を床の間に掛け、仏壇に「金札」、「錦札」を納め、死んだらおカネで立派な戒名を買われる輩には、道を説いても無駄な「釈迦に説法」でございます。 天恢は、「100回遍路しても人間は変わりません」と思っています。 それでも、「同行二人」で、心身を鍛えながら「ありがとう」という感謝の気持ちを常に忘れずに歩みたいものです。
どこまで自分は歩けるのか? 2010.01.01
「歩き遍路」を目指すにあたって、計画や装備については、ガイドブックやインターネットで十分学ぶことができます。 靴の選び方、荷物を軽くする工夫など参考にすべきことがたくさんあります。 それでも、遍路するにあたって最後まで残った課題は、 「いったい自分はどのくらい歩けるのか?」ということでした。 それが20kmか? 30kmか? 一日だけ歩くのではなく、毎日コンスタントに歩き続けなければならない。 雨の日もあるだろうし、体調が思わしくない日もあるのかもしれない。 札所での滞在時間、休憩や昼食も適当にとっていかねばならない・・・。 宿に予約を入れれば、どうしても宿まで辿り着かねばならないプレッシャーが生じる。 先立つものは心配だけで、無理は禁物を優先すれば委縮しがちな日程となる。 とくに初めての遍路となれば、「何とかなるさのゆとり」など持ち合わせが無く、 心配だけが先立つのも当然でことである。
日々の目的地から最終のゴールまで、果たして無事に辿り着くことができるのか? 天恢の得た結論は、先ずはやってみるしか、始めてみるしかないということでした。 遍路をやる人の中には、女性も高齢者も身障者もいらっしゃるのです。 ハンディのある方でも、日々遍路できるのは信仰のお陰と思っています。 お大師さまがいつもそばで見守ってくれいるという「同行二人(どうぎょうににん)」は心強いものです。
それにしても、完全歩きで通し打ちの遍路を目指す人は、先ず気構えから違います。 それに年齢をもろともせずに、健脚家が多いです。たぶん日頃からの鍛え方が違うようです。 ただ、遍路は早く回れば良いというものではありません。 88ヵ所を何日で回り切るという早さを競うものではないからです。
札所での参拝も端折れば時間短縮になりますが、 記録も記憶も残らず、納経帳だけというのも寂しいものがあります。 天恢もこの遍路で1182枚の写真を撮りました。デジタルですからタイムスケジュール作成に役立ちました。 早さだけ求めたら、この遍路日記もできなかったことでしょう。 ともかく、遍路は、案ずるよりは先ず歩いてみるしかないようです。 人はなぜ、遍路にでるのか? 2010.02.14
そもそも、四国遍路とは何か? 人はなぜ、お四国の道を歩くのか? ただ歩くと言っても、いつも天候に恵まれるとは限らない。 長い道のりを、激しい風雨の日もあれば、 暑いカンカンデリ照りの日もあれば、 雪が降り積もる日も歩かねばならないこともある。 それでも、『人はなぜ、遍路にでるのか?』
四国遍路は、今から1200年前に弘法大師さまが 修業された足跡をたどって、 ゆかりの88ヶ所の霊場を巡拝しながら、 四国の自然と人情が織り成す信仰の姿に触れ、 道中で修行することに意義がある。 つまり、遍路とは「修行の旅」となる。
NHK趣味悠々の「四国88ヶ所はじめてのお遍路」テキスト巻末・ へんろ道保存協力会 宮崎建樹さんの≪談≫にも、 ≪しんどいめするのが、遍路の意味や。不便・不自由・非効率、雨風に身をさらして歩く。 安全、快適、効率というのは、対極にあって、我慢、辛抱の連続や。 それを乗り越えることで、成長があるんやね。ありがとう、と言えるようになる。 自分がありがとう、と言えるようになると、 周りの人も変わるやね。歩いて、それを気づかされた。 経験しないと、理解できんものがあるんです。 自分がしんどいめしてみて、他人に思いやる心が出てくる。 だから、しんどいめも、失敗も、せないかんのです。 しんどいめしに来るから、お四国や。 それを思いやる風土が四国にあるんやね。≫ とありました。
いにしえの時代からお遍路さんは、病気平癒、先祖供養、家内安全など 現世や将来の安楽を願う切実な祈りの旅であった。 それが、現代では、純粋な信仰を離れて、自己再生や自己発見、心の傷を癒すためなど、 人それぞれの様々な「お遍路」と称する旅が出てきた。 そうなると、遍路=修行と単純に捉えることも難しくなる。 ただ遍路する動機がどんなに多様化しても、 遍路には辛抱とか、我慢がつきまとうことは事実である。 そんな苦労してまで、『人はなぜ、遍路にでるのか?』
続・人はなぜ、遍路にでるのか? 2010.02.14
今も古寺巡礼を続けられ、『親鸞』など宗教に関する著述も多い作家の五木寛之さんが、 『週刊四国八十八ヵ所遍路の旅』の 創刊号・巻頭エッセイ「人生の旅 遍路の旅」の文中に、 『人はなぜ、遍路にでるのか?』の答えの一つがあった。
《 ご縁があって、というのが本当のところかもしれない。四国88ヵ所の遍路のでるというのは、 大変な決心がいりそうだ。 しかし、実際にその旅の途上にある人たちは、 目には見えない、 不思議な力に惹かれて旅立つのである。 たとえそれが若いころからの年来の夢であったとしても、 実際に遍路の第一歩をふみだすには、 何か大きなものに背中を押される必要があるのではなかろうか。 八十八寺を巡ろうと志すことは、それほど難しいことではない。 しかし、それが実現するためには、やはり「縁」としか呼びようのない起動力が必要なのである。
人はみずから決心して遍路の旅にでる。 そこにはなんらかの動機もあり、理由もある。 しかし、人はなにもかも自力のままに行動するのではない。 四国へ旅立つ人は、88ヵ所の寺々から呼ばれているのだろうと考えてみたらどうだろう。
四国八十八ヵ寺を巡拝する遍路の旅は、なまやさしいものではあるまい。 しかし、それを「自分の力でする旅」と思ってしまえば、疲れも倍増するだろう。 同行二人(どうぎょうににん)とはまことに味わいぶかい言葉である。
八十八寺を巡る人は、四国の寺から、そして「お大師さま」から呼ばれている人なのだ。 選ばれて、呼ばれて遍路の旅にでているのだ。 そう思えば足の痛みも耐えることができるのではあるまいか・・・。 》
五木さんは「遍路のでるのは、見えない力に肩を押されて 寺々を巡拝するのは、義務ではなく天命であると、そして なにもかも自力のままに行動するものではない。」と、 これから四国へ旅立とうとする人に暖かいメッセージを送られている。
新・人はなぜ、遍路にでるのか? 2010.02.14
こだわり過ぎるかも知れませんが、『人はなぜ、遍路にでるのか?』 純粋に修行者として、 しんどいめして遍路にでる、 お大師さまに選ばれて・呼ばれて、背中を押されて遍路にでる、 それとも、実際に歩いてみて、 遍路の意義を問う。 動機はみんな違ってもよいのかもしれない。
いつもごちそうしか食べない人は本当の美味しさはわからない。 まずいものを食べているからこそ、美味しいものがわかる。 飢えたことのない人、 おカネに困ったことのない人、 重い病気に罹ったことのない人、 そんな幸せな人には、人として本当の生き方はできない。 『人はなぜ、遍路にでるのか?』
世の中には、なかなか遍路に踏み切れない人もいらっしゃる。 健康で、おカネもあって、時間もたっぷりある人でも、 家族に病人がいれば遍路にでることはできない。 『なぜ、遍路できる人と できない人がいるのか?』 作家で出家得度された瀬戸内寂聴さんが、 《 仏に受け入れられる人と、受け入れられない人がいると思います。 》 と、よくおっしゃっている。 そうなんです。人間は、 仏に受け入れられる人と、受け入れられない人に峻別されるのです。 天恢の霊感の世界も、それを受け入れられる人と、 受け入れられない人に分かれるのです。 「受け入れられない人」は仏縁がないのです。 今は、そう思って他の道を求めるしかないのです。
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