碩(せき)明治38年(1905年)〜昭和41年(1966年)


 精神科医の彪太(とらた、雋達の長男)の長男として中国天津市の日本人租界で生まれた。当時彪太は現地の共立病院長であった。母は、後藤新平(政治家、東京市長)の娘静子。東京で育ち、浦和高等学校時代から演劇に目覚め、東京帝国大学時代から革新演劇家として活動。プロレタリア劇場指導者として活躍した。
昭和6年5月に出国。アメリカ、ドイツを経てモスクワに入り、国際革命演劇同盟局員として活動した。昭和12年、スターリン粛清時代に国外退去となり、パリに移り住む。昭和13年ニューヨーク在住。昭和14年にメキシコに入り、以後生涯をメキシコにて過ごす。演出家として受賞多数。演劇学校を設立し、数多くの名優を育て、メキシコ近代演劇の父と呼ばれた。コロンビア、キューバなどでも演劇指導に当たる。
碩は、天才的と呼ばれる語学力で英、独、露、西語を自由に操り、各国演劇人たちと深い交わりを持った。メキシコでの活躍が国際的に知られるようになり、日本への帰国もたびたび企画されたが実現せず、昭和41年9月、映画制作中に心臓発作のため死去。61歳。

 

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