田能村竹田 たのむらちくでん 1777〜1835 

佐野家との縁:玄知(1797-1835)が親友として交わった。

 

  江戸後期の文人画家。名は孝憲、字(あざな)は君彝(くんい)。豊後国(大分県)竹田村の岡藩々医の家に生まれる。医業はつがずに、22歳のときに藩校由学館の儒員となり、20代から江戸や京坂の文人たちとひろく交流をもった。ことに1813年(文化10)職を辞してからは、詩書画を中心とする生活にはいり、三都の文人たちとひろく交流しながら、中国文人画の正統をまなぶことにつとめた。

  「松巒(しょうらん)古寺図」などのほか、「船窓小戯帖」や「亦復一楽帖(またまたいちらくちょう)」などの画帖の小品にも佳作が多い。著作に「山中人饒舌(さんちゅうじんじょうぜつ)」や「竹田荘師友画録」のような絵や画家に関するもののほか、「填詞(てんし)図譜」など詩文に関するものもある。

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