加藤 水城(かとう みずき) 1910〜1991
東京に生まれ、1935年、帝国美術学校(現武蔵野美術大
学)卒業。その後、北アルプス上高地に篭り、10年近くに
わたって上高地を取り巻く穂高連峰、焼岳、霞沢などの四
季の移り変わりを描き続け、「上高地画家」の愛称で親しま
れました。
この間、安井曽太郎に師事。安井門下生の会「連袖会」会
員。足立源一郎、中村善策、石井鶴三らに請われて日本山
岳画協会員となる。
上高地を描いた名作のひとつが、昭和63年の暑中見舞い
のハガキに採用され、大変好評でした。
加藤を慕うファンが多く、没後、松本市、市教育委員会
が画伯の偉業を偲び、市文化センター開館10周年記念事業
として「山と信州を愛した画家・加藤水城油彩展」が開かれ盛
況でした。
上田 太郎(うえだ たろう) 1934〜
1934年、愛媛県八幡浜市に生まれる。幼いころから日本画家の祖父
の指導を受け、長じて日展審査員 井上和(かのう)に師事。
本格的な山岳絵画の制作をライフワークとし、北アルプスの麓に居を
移してすでに四半世紀が過ぎました。
北アルプスをはじめヒマラヤにも足をのばし、高山を取り巻く空気や風、
複雑な岩肌を描くため、険しい尾根道を這い、深雪を踏み分けるなどの
危険を冒しながら制作を続けています。
ダイナミックで正確、そして華麗な画風は多くの人々の心をとらえ、美術
愛好家や岳人にファンが多く、山岳画界からも高い評価を受けています。
1998年、槍ヶ岳開山120年を記念した特別番組(TBS系列)に出演を要
請され、最難所と恐れられる北鎌尾根から槍ヶ岳を描く姿が全国に放映
され、話題になりました。
(社)創元会運営委員・審査員、日本美術家連盟、日本山岳画協会、
日本山岳会 会員
・原田 達也(はらだ たつや) 1935〜1997
北海道帯広に生まれる。京都学芸大(現京都教育大)特修美術科卒
業。学生時代山岳部に所属。ヒマラヤをはじめ世界各地の山々を描
いた。
特に60歳、還暦の1995年、8008mのチベット・シシャパンマ中央峰の
てっぺんに立ち、中高年の男たちに勇気を与えてくれた。
そのわずか2年後の1997年、パキスタン・カラコルムのスキルプルム
峰(7360m)で写生中、爆風雪崩で死去。
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