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「始まりを届けて」。新しい時代を切り開いていく人物は歴史上、必ず生まれてくる。 そのような人々は何故か自分の仕事が終わった頃には別の所に旅立った後である事が多い。例を挙げてみよう。 戦国時代を終焉に導いた織田信長は明智光秀の裏切りの前に全国統一を阻まれた。 明治維新の立て役者となった坂本龍馬は刺客によって命を絶たれた。 海外に目を向けてみると、百年戦争の英雄ジャンヌ=ダルクは祖国の開放を見る前に宗教裁判で火刑に処された。 フランス革命の成功に貢献したナポレオンは自分が否定したはずの専制君主となってしまった。 新しい時代が生まれるとき、時代の先駆者達はその場にはもう存在していないのだ。 1989年、一頭の二歳馬が日本の牧場に持ち込まれた。当時はまだ○外が少ない時代だった。 その二歳馬が新しい時代を切り開くと言う、過酷な試練を背負う存在になろうとはまだ誰も予感していなかった事であろう。 しかし時代は確実に進んでいたのであった。人々が感じないところで静かに着々と。 名前もなかった一頭の馬が日本に来てから一年が経った。その馬にはリンドシェーバーと言う名が付けられ、美浦に入厩していた。 時代は人々が見えるところで動き出した。それは遠く、北の地から。彼はここで3戦をこなして行った。 函館3歳Sでは僅かな差で敗れたが、その実力は紛れもなかった。 3レース全てで一番人気に押されたのも当然の如くといった走りをして見せつけたのである。 それは新たな時代の幕が切り落とされたのを知らせるのには、まだ十分な事ではなかったが。 何かが変わりつつある事を感じるのには、強烈すぎるものであった。 少なくともこの馬の走りを見た人はそう感じたに違いない。 彼は初めて関東の競馬場に姿を表した。舞台は3歳馬の晴れ舞台、朝日杯3歳S。彼は北の地での活躍からここでも一番人気に押された。 休み明けの体にも関わらず。レースはいつもの様に彼が引っ張る形となった。直線を向いた時、彼を押さえるものはなくなった。 古き時代のしがらみは遙か後方を漂っていた。後はゴールまで走り続けるだけだった。新しいものを求めながら。 結果はマルゼンスキーのレコードタイムを14年ぶりに0.4秒も更新するという破格のタイムでの勝利であった。 この時、時代は急激な流れと変わった。日本の競馬史は新たな時代を迎えたである。 しかし彼の知らないところでライバルも勝ちどきの声をあげていた。 混沌とした流れはどちらに流れが変わるとも分からない状況であることは確かだった。 クラシックを取ることはサラブレットにとってこの上ない喜びである。一生に一度しか踏めない誰もが認める称号なのだから。 しかし彼にはこの称号が与えられる事はなかった。いや、与えるための場さえ用意されていなかった。 理由は余所者だから。 だが、彼はそこに出走するであろう多くの馬たちが走る弥生賞に敢えて挑んだ。 勿論、変革を求める者達のために。だが、結果は西の3歳王者イブキマイカグラの強烈な末脚の前に屈する形となった。 西の王者と東の王者がそれぞれの得意とする形で真っ正面からぶつかった結果であった。 時代を変えたものに負けて強しの言葉は与えられない。変革をやってのけた者に無様な姿はふさわしくない。 時代の流れを止めてしまうような行為は自分の存在意義をなくすものとなってしまう…。 彼もそれを踏襲するように無限の可能性を感じさせながら、ターフを去ったのであった。 まだ開かれぬ、新たな道を彼は後進に託して。 |
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