シンコウラブリイ 
生涯成績 15戦10勝
詳細情報

「最強牝馬を目指して」。彼の同世代には、名馬と呼ばれた牝馬が多かった。

阪神3歳牝馬S・桜花賞・ス リンターSを制したニシノフラワー、オークス馬アドラーブル、エリザベス女王杯を勝ったタケノベルベット、

4歳で札幌記念を制しながらこの世を去ったサンエイサンキュー。彼女はそのような時代に生まれたのだった。


阪神3歳牝馬Sで彼女は、初めて苦杯をなめた。相手は、ニシノフラワーと後に札幌記念を制したサンエイサン キューだった。

彼女の最強牝馬を目指す道のりは、ここに始まりを告げたのだった。

その後、彼女は休養明け のOP特別で敗れはしたものの、順調に相手のいない裏路線の重賞を平らげていった。

そして迎えたエリザベス 女王杯トライアルを彼女は快勝し、いよいよGT初制覇が近づいたように思えた。

だが、陣営は予想に反してジ ャパンカップ挑戦を表明する。その前哨戦の富士Sを彼女は楽々とクリアーした。

しかしそのような彼女に藤沢 調教師は、4歳の秋にして過酷な試練を与える事を決めていた。

それは、まるで最強の座を得るためのハード ルのようであった。その試練とは連闘でGT・マイルチャンピオンシップに望むと言うものだった。

しかし彼女 は、レコードの激走を演じた「へそ曲がりのマイル王」の前に屈したものの、その実力を遺憾なく発揮し2着を 確保した。

第一のハードルは軽々と跳び越えたように思えた。だが、そのハードルを跳び越えた直後の事だ った。

ライバル、ニシノフラワーがヤマニンゼファーを倒し、スプリンターSを4歳にして制したのである。

彼女 は、またライバルに先を越されてしまったのだった。


彼女は5歳の春を迎えた。GT・安田記念で彼女はライバル、ニシノフラワーと再び対峙した。

レースは進み 直線で彼女は素早く抜け出す。初制覇に向け彼女は、しゃにむに走った。

だが、彼女の前に勝利に女神はま たも舞い降りてはくれなかった。

ライバルを倒すことは出来たものの、同じ輝きを放つ勲章を手に入れ、

同じ立 場に立つと言うハードルを跳び越える事は、未だに達成する事は出来ないでいた。

しかしここから彼女は、生 まれ変わった。休み明けで迎えた毎日王冠をレコードで奪い、初めて重馬場に見回れたスワンSも快勝した。

彼女から弱点を見つける事はもう出来なくなっていた。そして迎えたマイルチャンピオンシップ。

彼女がレースを 迎えるまでは、晴れ渡った空のもとでレースは行われていた。しかし彼女が走る頃には馬場状態は一変してい た。

それはまるで彼女の歩みを凝縮したような日であった。だが、彼女はそのような中でも力を出し切った。

道 悪を得意とするイイデザオウを振り切り、生涯初のそして最後のGTのゴールをTOPで通過したのである。

彼女 の最強牝馬への道はここに完結したのであった。


余談

  1. 安田記念で、ヤマニンゼファー,イクノディクタスに敗れてしまったのは、

    「本馬場への入場時の大歓声のために極度の入れ込み状態となり、競走能力を発揮する事が出来なかったためである」と言われている。

    それにより東京競馬場のメインレースの入場がダートコースに変更されたと言うことだ。

  2. 彼女が、制したマイルチャンピオンシップが行われた当日に、後の3冠馬ナリタブライアンが京都3歳Sを勝っている。

    そのレースは良馬場で行われた。

  3. 女傑ヒシアマゾンに塗り替えられるまで彼女は賞金女王であった。最強牝馬となった歴とした証明である。


名馬列伝に帰ろう!