マーベラスサンデー 
生涯成績 15戦10勝
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「3強の生き残り」。平成9年宝塚記念、同年の有馬記念に出走したから彼は、人々からそう呼ばれた。

ここ で言う3強は言わずと知れたマヤノトップガン、サクラローレル、そして彼である。

それまでの中・長距離GT は、彼らが雌雄を決する事以外は意味をなしていなかった。

それほどこの3頭の力は抜け、また拮抗していた のである。

そのような中で彼は常に2,3番手に甘んじていた。

あと一歩で、手が届くところにある栄冠を目の 前でさらわれ続けていたのである。

そのような彼にもついに悲願のGT奪取のチャンスは巡ってきた。

同じ年の 天皇賞・春で激戦を演じたトップガン、ローレルが回避した宝塚記念である。

しかしこの2頭がいないと言う事 で、彼は負けてはいけない立場のように人々から思われた。

また彼としても3強の名の下に絶対に負けられな いレースだったであろう。

彼は、その宝塚記念のパドックで誰よりも輝いて見えていた。その姿はいつも以上に 美しく、また力強かった。

「今度こそは」と言う闘志が体を包んでいるのではないかと思えてくるほどだった。


前半1000Mを58.3で通過するという速い流れでレースは進んだ。

武豊を背に彼は、馬群の後方を静かに 追走していた。

直線に入り、タイキブリザードとバブルガムフェローのGT勝利馬が抜け出す。

しかし彼は焦り はしなかった。

3強の一角としての自信だろうか。彼は自分のレースに徹したのである。

武のステッキに応えた 彼は、自慢の豪脚を繰り出した。

みるみるうちに差は縮まっていった。しかし彼のGT制覇への試練はここから が始まりであった。

ゴール前まで天皇賞・秋で敗れたバブルガムフェローに食い下がられた。

彼が経 験してきたGT制覇のように苦しい叩き合いが続いた。

だが彼には、譲れぬ大きな物があった。3強の一角と しての責任である。

3強として同じ相手に二度も負けることは許されなかった。

彼はプレッシャーを押しのけ、 ついに念願のタイトルを手に入れたのである。実に4度目の挑戦であった。


だが、彼には新たな試練が待ち受けていた。二度目の骨折である。

6歳という年齢を考えると、引退しても可 笑しくなかった。

しかし彼は、雪の散る中山競馬場に舞い戻ってきたのである。

その雪は太陽の光を浴びて、 彼を一層輝かせて見せた。

それはまるで、彼はここでも3強の威厳を見せるように願われたかのようであった。 彼は直線半ばまで、それに応える走りを見せていた。

しかしゴールに最初に飛び込んだのは、シルクジャスティ スであった。

それは同時に3強の時代が、終わりを告げた事を知らせた瞬間となってしまったのである。



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