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「黄金の馬」。彼は「華麗なる一族」と呼ばれる日本を代表する血流に生まれた。 その期待の大きさは半端 ではなく、それはこの馬のセリ価格が示している。 その競り落とされた額は、当時の日本最高額となった1億8 500万円であった。 それほど期待されていた彼は、その天性のスピードでデビュー後3連勝を飾った。そして 向かえた皐月賞。 彼は人々から最も多くの指示を得た。だが、レースでは他馬に絡まれて初めての大惨敗をき っする。 巻き返しを図ったNHK杯でも大敗し、史上最高価格の馬は最大の栄誉を持つ日本ダービー制覇に挑 むことさえ、断念する事となった。 再起を図った彼は、秋初戦の神戸新聞杯で見事に逃げ切りを決め、再びクラシック路線に戻ってきた。 続く京 都新聞杯も制した彼は、トライアル2連勝の勢いで最後の一冠である菊花賞に自身の夢をその脚に託したので あった。 だが、ここでも彼はGTの大きな壁に跳ね返されたのである。 馬場コンディションが悪い上に自身の暴 走も重なり、春に続きGTで屈辱的な大敗をしてしまった。 輝かしくデビューを飾った彼であったがその年はここ一番で流れに乗る事さえかなわなかった。 6ヶ月間の休養を取った彼は、休み明けの体で宝塚記念の前哨戦を快勝した。 そして向かえた宝塚記念。 つい に運命のスタートゲートが開け放たれた。彼はこれまでのGTと違い、気分良く自分のペースで深緑に輝く芝の 上を走った。 それは普段の調教で見せているような走りであったのだが、結果はレコードでの圧勝劇となってし まった。 普通に走った彼に追いつける馬など存在しなかったのである。 常に最高の舞台で1番人気に押されながらも、その実力を出し切る事なく敗れていた彼であったが、 3度目の正 直で初の栄冠を手に入れたのであった。 それから6ヶ月後、有馬記念の敗戦を最後に彼はターフを去っていった。 理想的な走りを見せつけてくれた彼で あったが、休養後にはその面影は全く見当たらなくなってしまっていた。 GT制覇、レコード駆けと言う二つの 偉業を同時にこなしたために一つの歯車が、抜け落ちたのであろうか。 彼が再びターフの上を歩む姿は二度と 見る事が出来なくなってしまった。 |
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