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「漆黒の女王」「黒豹」。これは彼女の容姿を形容したものである。 彼女の毛色は芦毛であるが、その色は とても黒く、黒鹿毛のように見えた。 そのような体に、とても目立つ覆面をしている彼女が先頭を走っている姿 はとても優雅であった。 またその姿は、草原を走り回る猛獣のように力強かった。 彼女は、たった1年間しか走らなかった。 しかしそんな短い期間にも関わらず、GTを4戦も消化しているので ある。 まだまだ精神的にも安定していないであろう4歳の時点で。 彼女はその中で数々の功績を残していった。 彼女が初めて体験したGTは、新設されたばかりのNHKマイルカップであった。 そのレースに望むまでの彼女は 負け知らずの韋駄天でだった。 それまでのレース運びを見ていると、彼女の強さばかりが際だって見えた。 当 然、このレースもスピードで押し切って勝つだろうと多くの人が思っていた。 しかし、このレースで初めて苦杯 をなめる事になる。 一番人気に押されていた彼女はHペースに巻き込まれ、大惨敗をした。 しかも自分より前を 走っていた馬を交わすこともできなかった。 やはりまだまだ子供の部分があったのだろう。彼女は自分を見つめ 直すべく、放牧に出されたのであった。 5ヶ月後、彼女は再びターフに戻ってきた。しかも舞台は秋華賞。 こちらも新設されたばかりのレースであっ た。だが、彼女を取りまく状況は一変していた。 鞍上は藤田騎手から手術から復活した松永幹夫騎手、人気も 5番人気。 そして強力な相手、エアグルーヴ。 彼女はそのような環境の変化の中に立たされていた。だが、変 わっていたのは環境だけではなかった。 彼女自体もすっかり変わっていたのである。 春の彼女はスピードの任 せて押し切る様なレースが目立っていた。 ところがこの秋華賞では、見違えるような走りをしてみせた。夏の間 に何があったのだろう。 レースは彼女の完勝で幕を閉じたのだった。 秋華賞を勝った彼女だが、エリザベス女王杯を蹴ってまで世界と戦う事となった。 4歳牝馬である事を考える と、かなり思い切った決断だっただろう。 しかし彼女は、私たちの予想をまんまと裏切ってくれたのである。 そ れまでには見たこともないような根性を発揮し、世界の強豪を相手にハナ差の2着と言う結果を出した。 決して メンバーに恵まれたわけではない。 その年の凱旋門賞馬エリシオ、天皇賞馬バブルガムフェローなども出て来 ていたレースである。 また苦杯をなめさされたタイキフォーチュンをこのレースで敗り、春の雪辱も返したのであ った。 それは、新たな女王の君臨を知らしめるかのような激走であった。 だがその後、有馬記念の出走するも 散々な結果を残した。 その姿はまるで、ジャパンカップで全能力を使い切ったようにも見えた。 一つの大きな仕 事を成し遂げた彼女には、中山の急坂の続きに勇退の道が長く伸びていた…。 |